第18話 セレモニーが終わって、会長室に一足早く戻ると。

 〇高原夏希


 セレモニーが終わって、会長室に一足早く戻ると。


 コンコンコン


「はい。」


『…瑠歌です。』


「ああ、どうぞ。」


 主賓であろう瑠歌が、部屋に入って来た。


 パーティーが始まって、まだ…一時間も経ってない。

 瑠歌は引っ張りだこのはずなのに。



「どうした?パーティーが退屈か?」


「いえ…ちょっと…お話がしたくて。」


 そう言うと、瑠歌はソファーに座った。


「…どうした?」


 俺も向かい側に座って、指を組む。


「…父のために、こんなに盛大なセレモニー…ありがとうございました。」


 瑠歌はそう言って頭を下げて。


「…浅井さん達…みんな泣いて、最後には笑って…すごく、嬉しかったです。」


 小さな声で、そう言った。



 …貴司の会社と共同制作した映像は、本当に素晴らしかった。

 試写室で見た時は、感情移入しなかったが…

 スタッフが持ち帰ったものを一人で見た時は…泣けた。


 廉が、一度壊れたものを修復しようと想いを込めた作品だ。

 …なかなか…出来る事じゃない。



 コンコンコン


「誰だ?瑠歌がここに居るって嗅ぎつけて来た奴は。」


 俺は瑠歌にそう言って笑うと、ドアに向かって。


「入れ。」


 少し大きめに声をかけた。



 ドアを開けて入って来たのは…


「何だ。おまえもパーティーに飽きたのか?」


 晋だった。


「いや、高原さん探してたら、会長室やないか言われたんで…って、瑠歌、光史が探してたで?」


 晋は瑠歌の隣に座りながら、笑った。


「何だ?話しって。」


 立ち上がってコーヒーを淹れようとすると、瑠歌が付いて来て『あたしが淹れますから』と、俺を座らせた。

 出会って間もないが、気持ちのいい子だ。



「…ホンマ、今日の事…色々ありがとうございました。」


 晋はそう言って頭を下げた。


「今、瑠歌にも同じ事言われた。」


「俺は、瑠歌にも感謝せなあかん。ホンマ、ありがとな。」


 その言葉に、コーヒーを淹れてる瑠歌は、照れたように首をすくめた。


「それにしても、会場に居てくれなきゃ困る二人がここに来るなんてな。」


 俺が目を白黒させて言うと。


「実は…見て欲しい物が…」


 コーヒーを淹れて運んできた瑠歌が、一枚の写真を差し出した。

 テーブルに置かれたそれを、晋と二人で覗き込む。


「…俺と廉と…」


 晋は、そこまで言って…言葉に詰まった。


 …まだ、さくらの事を思いだしてないのか。



 その写真は…どこなのだろうか。

 誰かの家のリビングといった感じだ。

 廉と晋が、さくらを挟んで笑っている。


 …やっぱり…顔見知りだったんだな。



 あの事件の後、晋も二階堂によって記憶の消去をされたに違いない。

 そして、その時に…さくらの記憶も…



「…瑠歌。」


「はい。」


「この写真、数日貸してくれないか?」


 俺は、それを手にして言う。

 晋は…ずっと難しい顔をしたままだ。


「…この女性は、俺の大事な人なんだ。」


「…え?」


 二人が同時に俺を見た。


「晋は覚えてないかもしれないが…おまえと廉が、彼女と俺を再会させてくれた。」


「…再会?」


「俺と彼女は、この時別れてたんだ。」


 コーヒーを一口飲む。


「…今はもう、人の妻だけどな。」


「…高原さん…」


「記念に、この写真が欲しい。撮影班の所で同じ物を焼いてもらうから、貸しておいてくれ。」


 思えば…あの頃は写真など撮らなかった。

 廉と晋に挟まれて笑うさくらの笑顔が…とてつもなく愛しく思えた。


 …今はもう…人の妻だと言ったのに。

 それを欲しがるなんて、俺もどうかしてる。

 だが…お守りと言うよりは…

 思い出として、欲しかった。

 それほどに、今日は…『思い出』に励まされる一日だったからだ。

 人の思い出なのに、会場にいた面々はきっとみんな…自分の青春も思い出したはずだ。


 俺も…思い出した。

 ナオトと出会った頃。

 そして、ダリアでライヴを続けた頃。

 渡米して、周子と暮らし始めた頃。


 …さくらと、出会った頃。


 辛い思い出も多かった。

 だが…幸せも…数えきれないほど、あった。



「…あたし、光史の実家で暮らす事になりそうです。」


 瑠歌が、はにかみながら言った。


「そうか。それは良かった。」


「…だから、お写真、いつでも構いません。ただ…何となく誰にも見せられない気がして、光史にも内緒にしてるんです。」


 俺は…その言葉に感謝した。

 光史は…恐らく、さくらを知っている。

 …さくらには、この写真の頃の記憶はない。



「…隠しておくのが辛かったら見せてもいいが…出来れば、そっとしておいてくれないか。」


「…え?」


「晋も思い出せないようだが…実は彼女にも当時の記憶がなくてね。」


「……」


「今の幸せを…壊してやりたくない。」


 やっと掴んだ幸せだ。

 三ヶ月後、さくらは…子供を産む。

 …貴司の子供を、産む。


 そのさくらの幸せを守るためなら…

 俺は…



 何だってする。




 〇桐生院 麗


 12月になった。

 今月末には、お母さんと姉さんが二人して出産する。

 桐生院家、大家族になっちゃうなあ。


 あたしは産まれてくる二人の赤ちゃんの事を考えると、楽しみで仕方なかった。

 義兄さんが足繁く通ってたカナリアに、あたしも行ってみたりした。

 どの子供服も可愛くて…

 男の子でも女の子でも、あたしはこの服をお揃いで買っちゃう!!って、お気に入りも見付けてる。



 義兄さんは一昨日まで二ヶ月ほど、渡米してた。

 毎日毎日電話して来て、姉さんに体調どうだ?って。

 …ほんっと…姉さん、愛されてるな…


 その、義兄さんがボーカルをしてるF'sは、アメリカでのコンサートも成功させて。

 来年以降に世界デビューをするらしい。

 …うちに、世界的バンドのメンバーが二人いる事になっちゃうよ。

 すごいな。


 高原さんの戦略って言うか、義兄さんの言葉を借りると…

 商売上手。

 ほんと…すごいな…。



「麗。」


 カバンを抱きしめて校門を出ると、声をかけられた。

 振り向くと…


「話があんだけど。」


「……」


 …陸さん。



 どうして?

 どうして、あたしに構うの?

 もう…ほっといて欲しいのに…


 あたし、気付いた。

 陸さんの事、好きだから…

 陸さんのちょっとした一言で、きっと…すごく傷付いちゃうんだ。


 それに、あたし…織さんにかないっこない。

 だから…

 傷付きたくないから…

 先に、嫌いになろうとしてるのに…



「そんな、怖い顔すんなよ。」


「……」


 あたしは無言のまま、笑顔の陸さんに背中を向けて、スタスタと歩き始める。

 もう、関係ない。

 来ないで…って、言った方がいいのかな…


 なんて考えてると…


「きゃっ!!」


 なっ…ななな…何っ!?

 あたし、陸さんに…荷物みたいにして抱えられてる!!


「やっ!!何すんのよ!!離して!!」


 無理矢理車に押し込まれて…


「もう!!これって誘拐レベルじゃない!!」


 あたしが叫ぶと。


「黙ってろ!!」


 陸さんが…怒鳴った。


「……」


 あたしは唇を噛みしめて…無言になった。


 …何なのよ…

 何なのよ…!!



 車は静かに走り出して、あたしがうつむいたままでいる間に…陸さんのマンションにたどり着いた。


「降りろ。」


「……」


「早く。」


「いっ…」


 陸さんに腕を掴まれて、車から降ろされる。

 そして、強引に引っ張られながら…陸さんの部屋に。



「…さて。」


 やっと離された腕を、大袈裟に擦った。

 だって…本当に痛かったし…

 …怖かった。


「座れよ。」


「……」


 ゆっくりと、前に来た時にはなかったソファーに座る。


「…あん時は、本当に悪かった。」


「……」


「織から…話聞いた。」


「……」


「んで、すげぇ怒られた。」


「……」


 …ふーん。

 織さんに叱られたから。

 織さんに、叱られたから。

 織、さん、に、叱られた、から。

 あたしに、謝る気になったって言うか…


 織さんが叱らなかったら、謝る気にもならなかった…って事だよね。



 …何なの?


 何だか…情けなくなって来た。

 陸さんは今も織さんが好きで。

 あたしなんか眼中にないんだよ。

 なのに、こんな事して…

 バカみたい。



「…何か答えろよ。」


「…どうして…」


「あ?」


「どうして、いちいちあたしのことなんて気にかけるのよ。関係ないんだから、ほっとけばいいじゃない。」


「何でそうなるかな。」


「だって、そうじゃない。もう顔も見たくないほど嫌いになってたはずよ?こんなにしてまで謝る必要ないじゃない。」


「だから、あれは…」


「織さんに怒られたから謝るんなら、いいから。あたし、もう織さんとも会わないし。」


 あたしはソファーから立ち上がって、玄関に向かった。


「待てよ。」


 追って来た陸さんが、あたしの手を取る。


「安心してよ。もう、陸さんの生活には入り込まないから。」


「待てって。」


「あたしの事なんか忘れちゃ………」


 突然、あたしが放ったはずの言葉が途切れた。


 …え?

 ……何?


 陸さん…と…あたし…

 キス…してる。



 あ…足が…震える…


「あ…っ…」


 陸さんが、あたしの頭を抱えるようにして…

 角度を変えた瞬間…声が出てしまって…

 それが、すごく恥ずかしかったんだけど…


「…麗…」


 陸さんは、あたしの頬を撫でて…


「…おまえ、可愛いな…」


 そう言いながら…また唇を重ねた。



 や…やだ…

 頭では…そう思うのに…

 陸さんの情熱的なキスが…あたしを動けなくした。

 やだ…もう…立ってらんないよ…

 足の力が抜けかけた時…

 陸さんが、あたしを抱えて…隣の部屋へ。


「…麗…」


 首筋に…唇が降りて来て…

 あたし、少し戸惑ったけど…


「…陸さん…」


 もう…抑えられなかった。


 あたし…

 やっぱり…

 この人の事…


 ……好き。



 男の人と、こうなるのなんて…初めてだった。

 キスだって…初めて。

 ずっと、頭の中がボーッとしちゃって…

 陸さんの激しい息遣いと…汗と…

 あたしは…どうしたらいいのか分からなくて…


「…力抜いて。」


 陸さんが、そう言ってくれないと…気付かなかったぐらい…

 全身…ガチガチになってて…

 だけど、そんなあたしの身体…

 陸さん、大事そうに…キスしてくれて…

 もう、本当に…ヤバいって思うぐらい…気持ち良くて…


「あっ…」


 陸さんの背中に…爪を立てた。


 高等部の時、クラスの女の子達が噂してたほど…痛くはなかったけど…

 でも、やっぱり…それは…気持ちいいとは言えなくて…


「…痛いか?」


 陸さんが…気にしてくれたけど…


「…大丈夫…」


 そうとしか言えなくて…

 あたしは、そこからは…頭の中で、違う事を考えてた。


 …誓も…

 彼女と…こんな事、してるのかな…とか。

 だけど…今までなら、モヤモヤしてた事なのに…

 どうでもいいように思えた。


 陸さんの髪の毛に指を絡ませて…

 強く抱きしめた。



 何時間…そうしてたんだろ…

 あたしも陸さんも、クタクタになって。

 気が付いたら…眠っちゃってた。


 あたしが目が覚めた時は…もう外は真っ暗で。

 あー…ヤバいなあ…って。

 義兄さん、また何か口実…作ってくれないかな…なんて。

 都合良く考えたりしてたんだけど…



「…織…」


 陸さんの口から出た名前が、あたしを凍りつかせた。


 あたしを抱きしめて眠って…織さんの名前呼ぶなんて…

 まだ、織さんの事…こんなに好きなんだ。

 かなわないから、あたしで間に合わせちゃおうとしたの?


 あたしは凍えるような想いで服を着て…

 黙って帰ろうとしたんだけど…


「…待てよ…」


 陸さん、起きた…?


「…織…」


 その言葉に、あたしの怒りに火が付いた。


「バカ!!」


 眠ってた陸さんの頭、ボカスカと叩くと。


「…ってぇ…何だよ…」


 陸さんは、すごく眠そうに起き上がりながら…あたしを見た。


「やっぱり…織さんなんじゃない!!」


「…あ?」


「あたしを抱きしめて織さんの名前呼ぶなんて、最低!!」


「……」


 あたしがそう叫んでも、陸さんはだるそうに座ったまま。


 …なんなのよ…!!もう!!


「もう絶対会わない。今度はあたしが言うわ。二度とあたしの前に、顔見せないでよね!!」


 あたしはそう言うと、足早に玄関に向かって…外に出た。



 マンションの外に出ると、そこは雪で…

 それがあたしの悲しみに、追い打ちをかけた。

 涙で火照った頬には気持ち良かったけど…

 凍えた気持ちが、よりいっそう…凍えそうになった。



「麗。」


 しばらく泣きながら歩いてると、声をかけられた。

 驚いて振り向くと…陸さんが車で追いかけて来てた。


「送る。」


 窓からそう言われて。


「…いい。」


 あたしは歩き続ける。


「いいから、乗れよ。」


「……」


 車に無理やり押し込められるのは嫌だと思って立ち止まると、陸さんは車から降りて来て。


「遅くなったし、親父さんに謝るから。」


 あたしの肩に手を掛けて言った。


「そんなこと、しなくていい。」


「何言ってんだ。箱入り娘が。」


「…あたしのこと、好きでもないくせに…彼氏みたいなこと、しないで。」


「おまえはどうなんだよ。」


「……」


「俺のこと、好きなのか?」


 もう…もう、ダメだ。

 大嫌いって思ってたのに。


「あたし、初めてのキスも何もかも…陸さんならいいと思ったのよ。」


「…え…」


「もう二度とあたしの前に現れないで。」


「……」


「陸さんなんて…大嫌い。」


 あたしは、陸さんの腕を振り払って駆け出した。



 あたし、これで…陸さんに愛される女になれるのかな…なんて。


 子供過ぎた。



 これが…陸さんにとって…たかがセックス。だなんて…

 思いもしなかった。

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