第13話 門限五時を言い渡されて…

 〇島沢真斗


 門限五時を言い渡されて…

 僕は少し途方に暮れながら、ルームに戻った。


「あら、まこちゃん。どーした?なんだか元気ないね。」


 すぐに聖子にそう言われたけど…


「…そっかな?ちょっとお腹すいたからかも。」


 僕は、そう誤魔化して笑った。



 僕が鈴亜と初めて出会ったのは…うんと子供の頃なんだけど。

 あの頃は、『光史君に妹が産まれた』ぐらいにしか思ってなかった。

 両親と共にお祝いに行って…

 まだベビーベッドに寝かされてた、小さな赤ちゃんを見て…


「良かった…本当におめでとう…」


 って。

 母さんが、やたら泣いてたのを覚えてる。


 それ以降は…名前を聞くぐらいのものだった。

 学校帰りの鈴亜ちゃんに会っただの、両親のいい所ばっかりもらってるね、だの…


 僕はアメリカに行ってる間に…メンバーには内緒で、何人か女の子と付き合ったけど…

 なんて言うか…

 どの子もピンと来なくて。


 今は音楽に専念しろって事なんだろうなあ。って気付いてからは、恋愛には見向きもしなかった。



 音楽も恋愛…恋愛って言うか、飲みに行ってはナンパしてセックスする。みたいな遊び方をしてる陸ちゃんや光史君が、僕から見たらすごく大人に思えた。

 …憧れはなかったけどね。



 そんな僕が、鈴亜と恋に落ちたのは。


 音楽屋の帰り。

 歩いてると、目の前にハンカチが落ちた。

 そこには、一人で歩いてる桜花の制服の女の子。


「落ちたよ。」


 僕がハンカチを拾って声をかけると、その子はゆっくり振り返って。


「え?あ…ありがとうございま…あれ…?」


「…?」


 まん丸い目で見られて、僕もつい…同じような顔をしたと思う。

 すると…


「…まこちゃん?」


「え?」


「って…あ、ごめんなさい。いつも家族から名前聞いてるから、馴れ馴れしく呼んじゃった…」


「家族…?」


 今度は、僕の方が丸い目をした。


「あ、鈴亜です。朝霧鈴亜。お兄ちゃんもお父さんもお世話になってます。」


 そう言って…ペコリ。


 …朝霧…鈴亜。

 光史君の妹…


「あ…全然分かんなかったよ。僕が君に会ったのって、まだ赤ちゃんの頃だったから…」


 僕が頭をかきながら言うと。


「ふふっ。あの頃と今と、どっちが可愛いですか?」


 そう言って…すごく可愛い笑顔…


「……」


 僕はつい素直に。


「…あの頃も可愛かったけど…今はキラキラしてて、もっと可愛いね。」


 そう言った。


「…え…」


「…あ、なんか…軽く聞こえたかな…」


 急に恥ずかしくなって、ソワソワしてしまうと。


「…すごく…嬉しい…」


「……」


「そんな事…言われた事ないし…」


 鈴亜は…赤くなってうつむいた。


「……」


 あー…

 これって…

 恋…だよ。


 あの時、僕の胸の奥の方で…

 何か、音がしたんだ。



 …『ラ』の音だった気がする。




 〇高原夏希


「……」


 俺は会長室で一人…写真を眺めていた。


 さくらの身体がまだ動かなかった時。

 …クリスマスイヴ。

 うっすらと雪の積もった庭にさくらを抱きしめて座って…

 小さく舞い散る雪を楽しんだ。


 吐く息が白くて…

 寒かったはずだが…不思議と寒さは感じなかった。

 さくらを腕の中に感じて。

 さくらが…愛しくて…


 サカエさんが撮ってくれた一枚。

 俺にとって…これが…これだけが…

 あの家での思い出となった。


 …さくらは…あの日々が嘘のように元気になったし…

 今は…人の妻だ。


 そして…妊娠している。


 いい加減…この想いを断ち切りたい…

 苦しい…

 そう思う俺もいる。


 だが…


 さくらの笑顔…

 知花の幸せ…

 華音や咲華の成長を、この目で見たい…感じていたいと欲を出す自分がいる。


 これからも俺は…自分で自分の首を絞め続けてしまうのかもしれない。


 …それでも…

 誰かが傷付くより、その方がマシかもしれない。



「…ナッキー…」


 ノックもなく、マノンが部屋に入って来た。

 俺は写真を引き出しにしまって……


「…どうした?顔色悪いぞ?」


 マノンを見ると、真っ青な上に…倒れそうな足取りだ。


「どう…どうしたら…」


「あ?」


 マノンはソファーに倒れ込むようにして座ると。


「…娘に…鈴亜に…男が出来た…」


 小さくつぶやいた。


「……」


 俺は、マノンを見下ろした後…コーヒーを入れるためにカップを出した。


「なあ、瞳ちゃんが千里と付き合うてた時、ナッキー嫌な顔してたよなあ?」


 マノンは体を起こして、俺にそう問いかける。


「嫌な顔って…まあ、内心複雑だったが、俺は特に反対はしなかったぜ?」


「…あー…」


 マノンはまた大きくうなだれて、ソファーに沈み込んだ。


「何だよ。相手が嫌な奴なのか?」


「…まこ…」


「は?」


「まこが相手やねん…」


「まこが相手なら心配はないだろ。ほら。」


 マノンにコーヒーを差し出す。


「…誰が相手でも、イヤや~…」


 マノンはそう言って、コーヒーも受け取らず…

 ソファーに突っ伏して大袈裟に泣き真似をした。


「……」


 小さく溜息をついて、コーヒーをテーブルに置く。

 マノンの向かい側に座って…


「なあ、マノン。」


 俺は声をかける。


「…なんや。」


「…娘に男が出来るって、そりゃあ内心穏やかじゃないが…それでも娘が笑ってくれてたら…いいんじゃないか?」


「……」


「俺は今、瞳も知花も幸せで…それが俺の幸せでもある。」


「ナッキー…」


「圭司と千里には…感謝の気持ちしかない。」


「……」


 本当に…そうだ。

 瞳が産まれた時、俺は…さくらと暮らしていて。

 その存在を…知らなかった。

 周子は、どんな気持ちで…瞳を産んで育てていたのか…


 認知した後も…俺は自分の事に必死で…

 さくらを失いたくない一心で…

 周子と瞳をないがしろにした。


 だけど、瞳が俺を頼って日本に来て…

 何年も会わなかったのに…娘と父親として…絆が出来た。

 どんな事をしてでも…瞳を幸せにする。

 そう思っていたが…

 瞳を幸せにしたのは…俺じゃなく、圭司だ。



 そして…知花。

 まさか、さくらが俺の子供を出産していたなんて…

 自分の娘と知らず出会った知花。

 可愛いと思うより先に、ボーカリストとしての才能に嫉妬した。

 …バカだな…


 さくらと俺の血を分けた娘だ。

 才能がないわけがない。


 だが…知花は…貴司の娘だ。

 俺の娘であって、そうじゃない。

 さくらに死産と告げた事実は許し難いが…

 ずっと大事に育ててくれた貴司には、今となっては…感謝しかない。


 実際、知花は桐生院家で…千里までが婿入りをして…幸せそうに笑っている。

 …俺には…そうさせてやれない。



「…なんや、ナッキーの話聞いたら…俺、ちっさい事言うてるなー思う…」


 ソファーにうずくまったまま、マノンが言った。


「…まあ、人ぞれぞれだ。でも、るーちゃんの親父さんはどんな気持ちだっただろうな。」


 俺がコーヒーを飲みながら言うと。

 マノンは眉間にしわを寄せて起き上がった。


「何が?何が、どんな気持ちやったって?」


「…茶髪の、大きな夢だけは持ってるけど保証はない男が乗り込んで来たんだろ?」


「う…っ…」


「しかも、るーちゃんは相当な箱入り娘だったよな。」


「……」


「おまえ、よく殺されなかったな。」


 俺が笑いながらそう言うと、マノンはガックリと首を下げて。


「…まこ…なんであいつ…ええ奴やねん…」


 泣きそうな声で、つぶやいた。


 * * *


 マノンが会長室から出て行った後、俺は周子の所に行った。

 毎日行くわけじゃないが…行かないと気が済まない自分もいる。

 責任とか、罪滅ぼしとか…

 もう、愛じゃなく…そういう類の物になってしまっていても…

 俺は、そうしなければいけない気がしていた。



「今、お薬で眠られてるんですよ…」


 最近は、施設の自室ではなく…病院の部屋にいる周子。

 病室に移ってからは、薬で眠らされる事が増えた。

 他人を悪く言っているうちは…まだ良かったのかもしれない。

 今は…

 とにかく、死にたがる。

 自ら命を絶とうと、その術を探る。



「…また来ます。何かあったら連絡をください。」


「あの…」


「はい。」


「娘さんは…?」


「ああ…出産したばかりなので…しばらくは来れないかもしれません。」


「そうですか…分かりました。」



 瞳が生き甲斐だった周子。

 だが…瞳は…周子が他人を罵倒する姿にショックを受けて、あまりここに来なくなった。

 人を恨む周子を…冷たい目で見ていた。

 …全て、俺のせいなのに。



 少し足を伸ばして、さくらと暮らしていた家の近くまで行った。

 車の中から、その外観を眺める。

 今はすでに知らない人物がそこで暮らしていて。

 きっと…俺の知らない幸せが、そこで温もりを持っている。


 …たまに…とてつもなく空しくなる。

 俺は…一人だ…と。



 それから、あてもなくドライヴをした。

 海に行ってみようかなどと思ってみたが…周子と行った海は、今の俺には眩し過ぎて…

 さくらと行った埠頭には…懺悔の気持ちで死にたくなってしまう気がしてやめた。



 …誰かと…話したい。

 だが、誰に話せる?

 こんな事、誰にも話せやしない。



 あてもなく車を走らせていたが、ようやく帰る気になってハンドルを切った。

 自宅マンションに近付いた頃には、時計は0時を過ぎていた。

 …帰る気にならないな…

 事務所に行こうか…



「…ん?」


 ふと…視線の先に…


 俺はハザードを出して車を停めると。


「麗。」


 窓を開けて、歩いてくる麗に声をかけた。


「っ……」


 麗は驚いて顔を上げたが…


「…大丈夫か?」


 車を降りて、麗に近付く。


「……」


 麗は食いしばってうつむいたまま…何も言わない。


「こんな時間までどこで…」


「……」


「…家の人は知ってるのか?」


 俺の問いかけに、麗は小さく首を横に振った。


「…送ろう。何か口実を考えておけ。」


 麗の背中に手を添えてそう言うと。


「か…」


「ん?」


「帰りたくない……」


 麗は足を止めた。


「……」


「帰…」


 言葉を詰まらせて、ポロポロと涙をこぼす麗。

 俺は前髪をかきあげると。


「うちに来るか?」


 小声で言った。


「……」


 麗が無言で見上げる。


「部屋数だけはあるから。娘が使ってた部屋に泊まるといい。」


「……」


「貴司には、俺が連絡しておくから。」


 俺がそう言うと、麗は小さく頷いてゆっくり歩き始めた。




 麗を瞳の部屋に入れると、俺はマンションを出た。

 そして…桐生院家へ。


「……」


 インターホンを鳴らすにはためらう時間帯だな…と思っていたが、門の前に千里がいた。

 少し離れた場所に車を停めて、千里に近付くと…


「…高原さん?」


 俺に気付いた千里は、目を細めて俺に駆け寄った。


「どうしたんすか。」


「おまえは?」


「あー…いや…」


「麗が帰って来ないから待ってる?」


「…どうしてそれを…」


 俺は桐生院家を見上げて。


「さっき、表通りで見かけて…うちに連れて帰ったんだ。」


 低い声で言った。


 普段なら、この時間にはもう灯りは消えているであろう桐生院家。

 まだ…広縁にも灯りが見える。


「何か…あったんすか?」


「さあ…ただ、帰りたくないって泣くから。」


「……」


 千里は俺の言葉に少し意外そうな顔をした。

 まあ…そうだよな。

 なんでそんな事、俺が知ってんのかって話しだ。

『麗』なんて呼び捨てにするほど、親しいとも思われていないだろうしな…


 実際、麗も驚いたはずだ。



「警察に届けたりしたのか?」


「いえ…それはまだ。」


「なら…家族には、何とか誤魔化してやれないか?」


「まあ…それなら何とか…でも、いいんすか?」


「何が。」


「高原さんに…麗の面倒まで…」


 千里は、何か言いにくそうに言葉を選んでいたが。


「…もう、こうなりゃ桐生院家とはとことん付き合う気でいるから、何も心配するな。」


 俺は小さく笑いながら、足元を見て言った。


「…あいつ、俺が初めて会った頃は、知花の事を『あの人』なんて呼んで…あまり笑わない奴だったんすよ。」


 千里も俺の足元を見ながら、そう言って。


「でも、今は…知花の事も姉と呼ぶし、さくらさんの事も母と認めて…よく笑うようになってたんすけどね…」


 顔を上げた時は…麗を心配する家族の目だった。


「…おまえ、桐生院に来て変わったな。」


「…それは自分でもよく分かります。」


 顔を見合わせて笑った。



 それから…俺はマンションに帰り。

 千里からの電話を待った。

 千里は家族に『友達の所に泊まるって聞いてたのに、俺が忘れてた』と真顔で言って謝ったそうで。

 義妹の突然の外泊を庇った。



 翌朝、泣きながら眠ったらしい麗は、見事に顔を腫らせて。


「…こんな顔じゃ帰れない…」


 また、泣いた。


「…何があったか知らないが、もっとしっかりしろ。」


 ポンポンと、頭を撫でながら言うと、麗はキッと顔を上げて。


「どうせ…どうせ、あたしは…」


 悔しさに唇を震わせた。


「……ふっ。」


 つい、笑ってしまうと。


「なっ何よ~…」


 麗は、ますます泣いた。


「ああ…悪かった。つい…可愛かったから。」


「ブスだって思ったクセに…」


「素直に泣く女は可愛い。」


「……」


 瞳より小さいから、瞳が残していった服を着ても…だしな…

 俺は顎に手を当てて考えて。


「出掛けるぞ。」


 麗の腕を掴んだ。


「え…えっ、こんな顔で…?」


「綺麗にしてやるから。」


「……」



 念のため、麗には千里が庇ってくれた事を伝えて、自宅に電話を入れさせた。

『なぜ千里さんにしか言わなかったの』と、祖母に叱られたらしいが…

 それぐらいで済んで良かった。



「…こんなに…いいんですか?」


 手にした紙袋を見て、麗が言った。

 紙袋の中には、スカートやワンピース。


「後ろめたいなら、自分の小遣いで買ったと言えばいい。それぐらいの店を選んだつもりだから。」


 今日は一日…麗を連れまわした。

 エステに行って顔のマッサージをさせて、美容院で髪の毛も少し切った。

 そして、服を選んで…

 …瞳とも、知花ともした事のない事を…

 まさか、麗とするとはな…。



「…何も聞かないんですか…?」


 夕暮れのカフェで、麗がつぶやいた。


「言いたくない事は、無理に話さない方がいい。」


 俺がそう言うと、麗は少しホッとした顔をした。



 …麗は…貴司とは血の繋がりがない。

 それは知らされていたが…

 まさか…とも思っていた。

 貴司が、何か話しの辻褄を合わせるために、作り話でもしているんじゃないかと。



「美味しい。」


 フルーツパフェのクリームを口に入れて、麗が笑顔になった。

 俺はそれを見て…自分が少し、何かから許される気がした。



 …許される事など…


 決して、ないのに…。

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