第14話 「待って、環。」

 〇二階堂 織


「待って、環。」


 あたしがそう言うと、環は車を停めてあたしを見た。


「どうした?」


 今日は、久しぶりに…二人きりで出かけてる。

 とは言っても、本部の仕事なんだけど。


 それでも、二人きりって事が久しぶり過ぎて…あたしは少し浮かれてた。

 だけど…


「今、麗ちゃんが…」


「ん?」


 海が怪我をさせてしまった事が縁で、うちに子守に来てくれている麗ちゃん。

 彼女は数日前…うちに来て。


「…陸さんは、織さんの事…好きなんです…」


 そう言った。


 …どうして、そんな事…



「…ちょっと、陸の所に行っていい?」


 きっと、陸のマンションから出て来たんだ。

 麗ちゃん…泣いてるみたいだった。


「……」


「…環?」


 無言の環に、顔だけ振り返ると。


「ああ。じゃ、俺は下で待ってる。」


 環は、いつもと変わらない笑顔。

 …あたしの、大好きな…笑顔。


「すぐ戻るわ。」


 環の頬に手を当てると。


「…ああ。」


 環は…そのあたしの手に、自分の手を重ねて…目を閉じた。



 シートベルトを外して、外に出る。

 陸の部屋の前まで行ってチャイムを鳴らすと…



「…はい。」


 無愛想な声と共にドアが開いた。


「織…」


 陸は驚いた顔であたしを見てたけど。


「ねえ、麗ちゃんとケンカでもしたの?」


 あたしはドアの隙間をかいくぐって中に入った。


「…ケンカっつーか…まあ…」


「表通りで見かけたんだけど、泣いてたみたいだったから…何、飲んでたの?」


 ソファーに座ると、目の前のテーブルには空き缶。

 もう…相変わらずビールばっかり。


「ああ…何か飲むか?」


「ううん、いらない。」


「…おまえさ…」


「ん?」


 陸はあたしの隣に座ると。


「麗が、何か言っただろ。」


 早口にそう言った。


「…何かって?」


「…俺が、好きなのは…織だって。」


「ああ…もしかして、それぐらいのことでケンカしたの?」


「それぐらいのことって…」


 突然、陸があたしの腕を掴んで。


「きゃっ…」


 あたしを…ソファーに押し倒した。


「陸…」


「俺は、本気なんだ。おまえだけを…愛してるんだ。」


「……」


 陸は…今まで見た事のない目で…


 …ううん。

 見た事ある。

 だけど…気付かないフリしてた。


 だって…

 この、陸の熱い目に応えたら…



「それぐらいのことじゃ、ねえんだよ!!」


「陸、手が痛い。」


「織。」


「逃げないから、手を離して。」


「……」


 陸がゆっくりと、あたしを押さえ付けてた手を離す。


「…わりい…俺、どうかして…………織?」


 あたしは…陸の身体が離れて行くと同時に…

 陸を抱きしめた。



「し…」


「陸、あたしもよ。」


「……え?」


「あたしも、陸を愛してる。」


「……」


 陸の口から、言葉が出なくなった。


 …そっか。

 陸は…気付いてなかったんだ。



「ずっと昔から、陸だけを愛してた。」


「…織…」


 陸が…あたしの頬に触れた。


「陸が、あたしを愛してることも…気付いてた。」


「…いつから…」


「さあ…いつからかな。」


 絶対、口に出しては言えないはずの言葉だったのに。

 あたしも陸も…どうかしちゃってる。



「でも、あたしたちは双子だわ。」


「……」


 陸の唇が届きそうになって、あたしは言葉で制した。

 陸はハッとした顔であたしから離れると。


「そ…うだよな…」


 前髪をかきあげて…座った。


「あたしの中にも、いろんな想いがあったわ。誰になんて言われても陸への想いを貫くべきか…それとも、いっそ姉弟の縁を切るか…なんて。」


「…おまえ…それ…」


「本気で、そう考えてたのよ。でも、現実を見るとね…」


「……」


 あたしはゆっくり立ち上がって。


「あの子、いいカンしてる。」


 陸を見下ろして、笑った。


「あたしに、陸のこと好きなんでしょって。正直言って、慌てちゃった。」


「…帰んのかよ。」


「下で、環が待ってるの。」


「……」


 …そう。

 あたしの大事な…環が待ってる。


「環、知ってるの。」


「…え?」


「あたしが、陸を特別に想ってること。」


 陸は驚いて立ち上がると。


「…環が?」


 あたしの顔を覗き込んだ。


「ん。」


「ど…うして。」


「あたしのことだから。」


「……」


 …環は…きっと知ってる。

 だからさっきも…

 少し、複雑な顔をした。


 バカね。


 行くなって…言えばいいのに。



「これで、あたしもスッキリした。」


 あたしは…陸に笑いかける。


「…織。」


「ん?」


「…幸せか?」


「幸せよ。」


 あたしの即答に、陸は少し寂しそうな顔をした。

 だって…本当に…あたし、幸せだもん。



「陸、麗ちゃんと仲直りしなさい。あたし…あの子なら、あんたを任せられる。」


「…何だよ、それ。」


「女のカンよ。じゃあね。」


 なるべく冷静な顔をして…陸の部屋を出た。


 …言っちゃった…


 スッキリした気持ちと…罪悪感。

 小さく溜息をつきながら外に出ると…



「…環。」


 環が、車から出てあたしを待ってた。


「車にいて良かったのに。」


 あたしがそう言って環の腕を取ると。


「…外で待っていたかっただけさ。」


 環は優しい顔で…あたしの前髪をかきあげた。


「…環…」


 あたしはそのまま環の胸に顔を埋める。


 あたし…

 あなたが大好きよ。

 誰よりも。



「…どうした?」


 環が、あたしの腰を抱き寄せて…顔を覗き込む。

 その目に…少しだけ、不安が見えた気がした。



 ずっと…陸と二人きりだった。

 祖母という名の他人が亡くなってからは、あたしと陸は…二人きりで話し合って、二人きりで決めて、寄り添うようにして生きて来た。

 そんなあたし達が…

 この世には自分達だけだ。って…思わないわけがなかった。


 だからきっと、あたしと陸は…

 お互いしか見えていなかったのだと思う。



「…愛してる。あたしには、環だけよ…」


 そう言って頬にキスすると。


「…ふっ…本部に行く気が無くなった。」


 環はそう言って…あたしの唇にキスをした。


「…浩也さん、我儘聞いてくれないかな…」


「どんな我儘だ?」


「…あたし、今日はこのまま…環とデートしたい。」


「……」


 あたしの言葉に環は優しい目をして。


「一度本部に行って、報告書を書いたらそうしようか。」


 額を合わせて…そう言った。



 〇ルカ・ホーキンス


「……」


 ダ…ダメだ…

 あたし、顔が…

 顔がニヤけちゃう…



 光史をあたしのトリコにさせて、壊してやる作戦を計画してたはずなのに…

 あたしは…

 先に、光史に恋をしてしまった。

 悔しいけど…

 悔しいんだけど…

 光史、すごくカッコいいし…

 それに…


 意外と優しい。



 そして。

 あたしが父親に抱いてた嫌悪感は…光史が色々調べてくれた事で、取り除けた。


 丹野廉。

 父親は…母に指輪を贈ろうとしてた…って。

 母は…愛されてた…。



「……」


 クッションを抱きしめて。

 一人きりの部屋で…あたしは何とも言えない溜息をもらす。


 今、あたしが釘付けになってるのは…光史がドラムを叩いてる映像。

 あたし、朝霧家の事は色々調べて来たつもりなんだけど…

 光史がドラマーなんて、知らなかった。

 本人に聞いてみると。


「ああ…うちのバンド、素性明かしてないからな。」


 だって。



 光史のバンド、SHE'S-HE'Sは…

 ボーカル、ギター二人、ベース、キーボード、ドラムの六人編成。

 認めてはいなかったとしても…父親がボーカリストっていうのは多少気になってて。

 あたしは、FACEの音源を聴いたりした時期もあった。

 カッコいいって思っても…認めたくなくて、聴くのをやめた。



「……」


 あたしの意識が、テレビに映ってるSHE'S-HE'Sから…あたしが持って来た荷物に移った。

 あの中に…まだ開けてない物がある。

 それは…父の遺品として母が渡された物。

 母は父の死を受け止められなくて、それを開けなかった。


 もしかしたら、そこに…

 父の愛を確かめられる何かがあったかもしれないのに…。



 あたしは部屋の隅に置いてるトランクを開けて、その片隅に鎮座してる箱を取り出した。

 ゆっくりと箱を開けると…

 そこには、ビデオテープと、分厚いカセットテープみたいな物や…写真が数枚あった。


「……」


 あたしは写真を手にして、それを眺める。

 制服を着た…父親がそこにいた。

 それは、あたしに似てる笑顔に思えた。


 やがて制服姿はステージ衣装に変わり、笑顔は真顔になって…

 父がステージの上で歌っている写真。

 …そっか…ちゃんと頑張ってた人なんだ…


 あたし、何も知らずに…母さんを騙した男だ…なんて思い込んで、バカみたい…

 小さく笑いながら、手元の写真を進めていくと…


「…これは…?」


 最後の一枚。

 それは、あきらかにプライベートな物だった。

 父親と、女の子と、浅井晋さん。

 浅井晋さんは、高校時代から同じバンドでギターを弾いてた人だから…これまでの写真にも、たくさん写ってた。


 だけど…誰だろう…

 この、女の子。

 …父と浅井さんも若いけど…

 どう見ても、十代半ばぐらいにしか見えない女の子。

 部屋の内装から見て、日本じゃないと思う。

 じゃあ…デビュー後?



「ただいまー…」


「あ…おかえりー…」


「何してた?」


「あ…えっと…実は、父の遺品があって…」


「遺品?丹野さんの?」


「うん…まだ開けた事ないんだけど…」


 ごめん、光史。

 あたし、咄嗟に嘘をついてしまった。

 あたしは一度開けた箱を、まるで初めて開けるかのように…光史と一緒に開けた。


「…丹野さんの、青春だな。」


 光史は、中にあった写真を手に、そう言った。



 あたしは…あの写真だけ。

 その写真だけは…誰にも見せられない気がして。

 自分の荷物の中に隠した。

 何てことない一枚のはずなのに。

 なぜか…三人の笑顔が…


 あたしには、『秘密』に思えて仕方なかった…。



 〇高原夏希


 俺達は、廉の娘をマジマジと眺めた。


「…すいませんが、そんなに見ないでやって下さい。」


 見かねた光史がそう言うまで、気付かないぐらい…熱心に見入ってしまっていたらしい。



 廉はボーカリストとしては、かなり男らしい人物だったが…

 見た目は男らしいと言うより、美しい顔立ちだった。

 娘の『ルカ』が、モデルをしているというのも頷ける。



「今日は…浅井さんにお願いがあって…」


 ルカがそう言うと、晋は瞬きをたくさんして。


「あ…ああ、なんや。」


 まだ、目の前のルカを廉の再来と思えて驚いているのか…

 丸い目をしたまま返事をした。


「父が…曲を残してるんです。」


「…曲?」


 それには、俺達全員が反応した。


「父の遺品として渡された荷物の中に…ダットが入ってました。」


 ルカはそう言って、持っていた紙袋を晋に渡した。


「…廉が…」


「父がギターで弾き語りしている物です。できれば…これに音を重ねてもらえませんか?」


「……」


「FACEのメンバーで。」


「…FACE…」


 晋が言葉を詰まらせた。



 晋は、廉と臼井、そして渡米はしなかったドラマーの四人で、高校時代からFACEをやって来た。

 第二のDeep Redと呼ばれるバンドがダリアに出ているという噂は、渡米していた俺達の耳にも入って来た。

 Deep Redの活動が全米に留まらなくなった頃、FACEも渡米した。


 俺達から見ると、女がついて来なかった。と、うなだれてプレイに支障をきたした晋も、怖い物なしにぶつかって来ていた廉も…アクの強い二人の影に隠れながらも、飄々と自分のプレイを確立させていった臼井も…

 これからの可能性に満ち溢れて、眩しい存在だった。


 …思えば、廉と晋だったな…

 さくらがケリーズで働いているのを教えてくれたのは。


 以前話した時に、晋は…さくらの事を覚えていなかった。

 …もう、遠い昔の話だ。



「…ありがとな…」


 晋はそう言って、ルカの肩を抱き寄せた。

 その姿が、廉と重なる。

 俺は…


「…よし。セレモニーをやる。」


 立ち上がって、自分の机の上にスケジュール表を広げると。


「…9月22日。この日なら、誰もツアーに出てないしレコーディングもない。」


「た…高原さん…」


 晋と臼井が、目を丸くした。


「おまえら、その廉の曲、ちゃんと形にして持って来いよ。」


 俺がそう言うと、二人は顔を見合わせて。


「早速取り掛からな。」


「だな。」


 笑った。


「それと…廉の特集を組んだ特別号を発刊しよう。もちろん、セレモニーの事も大々的に取り上げる。」


「おー…おいおい、来月やろ?また無茶な事を…」


 マノンはそう言いながらも、ポケットから手帳を取り出して。


「広報の奴らに恨まれても知らへんで?」


 カレンダーに書きこんでいる。


「ナオト、スタジオ階のどこかにレリーフ埋め込める場所はないか?」


「レリーフと来たか…どうせなら、みんなの目につく場所がいいだろ。スタジオ階のフロントフロアの柱はどうだ?」


「なるほど…」


 面白いぐらい、頭の中が冴えた。

 こんな感覚は…久しぶりだ。



「よし。動くぞ。」


「おう。」


「廉が残してくれたモン、ちゃんと世界に出してやらなな。」


 俺達が立ち上がると、光史とルカは少し呆れた顔をしていた。


「なんだ。その顔は。」


 俺が笑うと。


「いや…まさかこんな展開になるなんて…な。」


 光史が、ルカと顔を見合わせた。


「おまえらはどういう関係なんだ?」


 スケジュール表と書類諸々をかき集めながら問いかけると。


「え…」


 二人は目をパチパチとさせて…赤くなった。


「…どういう縁でこうなったかは知らないが、光史、廉の娘だ。大事にしろよ。」


 俺の言葉に光史は少しうつむいて、顔を上げた時には…


「プレッシャーですが、大事にします。」


 久しぶりに見た…光史の、満面の笑みだった。

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