第14話最恐を再響

 客人に酒を差し出して、そこに向き合っていた。

 夜風が穏やかな音を立てながら外を通り過ぎた。

 酒が杯の中で揺れている。

 極めて静かな空間には、何処かに潜んでいそうな気配が見えてきそうだ。

 蝋燭をいくつか立てて置いて、火を灯したのはその一本。

 頼りなく、火が揺らいでいる。

 酒を呑もうとして、その水面に映る忍と目が合った。

 盗み見るように天井を見上げれば、天井の隙間から忍が此方を覗き込んでいた。

 床に手を置いたなら、板の隙間から忍らしき何かが潜んでいた。

 その主だろう男の影は不自然に揺れて笑っている。

 きっとそれも、それさえも、忍なんだろう。

 流石は、忍使いの武家といったところか。

 客人は目の前の男に不愉快を告げる顔を見せる。

 しかし、男はそれを見ようとはせず、蝋燭をじっと見つめている。

 それだけの様子でも、異様に見えてしまう。

 何故、蝋燭を見つめているのか…そして、僅かに笑んだ口元。

「緊張、不安、心配、恐怖…不愉快……その観察眼は何がそうさせているのでしょうな。」

 そう言うて、目を客人へと移す。

 今から何が起こるわけでもあるまい。

 客人はこの男を殺しに来たのに、その隙を見出だせないでいる。

 そこらじゅうに忍が潜んでいてはどうとも身を動かせないのだ。

 わかっていたのかもしれない。

 だからこうも。

 護衛と称した忍が、ひぃふぅみぃよ…。

「忍がそこに、やれそこにおると思うておるようだが、貴殿に見えておる忍の数はただ一つ。」

 面白がってか、そう客人へ男は言うた。

 酒を飲もうにも、口をつけられなくなった。

 どうもこうもできないのであれば、そうだ、身を捨てるしかあるまいて。

 客人は忍ばせていた刃を手に、男へ突きだした。

 しかし、男はそれを指で掴んで止める。

 びくともしない。

「これだから、主を客人様へは向かわせられぬのです。」

 男が、別の声で言うた。

 客人が驚くのに、男は一切笑みを崩さない。

 やがて、男が忍へと姿を変える。

 ほらそこ、やれそこへと潜んでいた忍のそれは消えていった。

「生きて帰りたければ、どうぞ夜道をお帰りなさいな。死にたければ、此処でどうぞゆるりと酒をお飲み下さいな。」

 忍に笑まれて動かない身から、この刃が奪われる。

 僅かな息で、かろうじて脳を回した。

 客人は逃げるように外へ出て、馬をおいて走って失せた。

 よほど恐ろしかったのだろう。

 夜道に吹く夜風が、まるでその恐ろしさを誤魔化すように頬を撫でた。

 やっとのことで半分まできた。

 少し遠く行く手の方、赤い灯が揺れている。

 それが瞬きをしてから気付いた。

 待ち伏せでもしていたかのように、あの忍がそこにいるのだ。

 戻ることもできない。

 行くこともできない。

 客人が去った後、主である男が顔を出した。

「済んだか?」

「…やはり、刺しにきましたよ。」

「うむ。だろうな。」

 忍が酒に口をつけ、僅かに笑った。

 よほど面白かったのであろう。

 それとも、微酔い気分にでもなったのか。

「…主もお飲みになりますか?」

 珍しい誘いを受けて、男は座った。

 客が一口も飲み込めなかった酒がまだ杯の中で揺れている。

「…嗚呼。」

 幸せそうな声色で小さく転がり落ちていった。

 酒を一口飲んでその顔を見つめる。

「何か喜べるものでもあったか。」

「…さぁて、何を喜びましょうか。」

 ついには声を漏らして笑った。

 酒を前に、主を前に。

 その頬に手を添えればうっとりと両目を閉じて杯を床に置いた。

 可笑しな気を起こさぬように手を話せば目を開いて、妖しく笑うた。

「…どうやら、もう、逃げられぬようで。」

 その言葉の意味を理解することはできなかった。

 だが、心地よさそうな表情を浮かべる忍はいつよりも無防備を晒しておるようにしか見えぬ。

 それが、何処か嬉しく思えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

主従物語 影宮 @yagami_kagemiya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ