第2話影妙見やれば

「主、ご無事で何よりです…。」

 部下は安堵あんどの息をついた。

 主を見やり、はて?と首を傾げる。

「して、その首の傷は如何いかがなされた?」

 首の傷?

 思い当たるは、黒き刃を突き付けられたくらいか。

 しかし、掠めたのは頬で、首には掠りさえしなかった。

「頬の傷はわかるのだが、首は…。」

「頬?頬には傷一つありませぬが?」

 試しに触ってみるが、言う通りありはせぬ。

 首を触ってみれば、妙な傷の感触がした。

 これは、単に斬られたという傷ではない。

 しかし、痛みもない。

「放っておけば治るだろう。」

「忍には出会えましたか?」

「うむ。我が影となっておるぞ。」

 驚いて影を見つめる。

 そこにある影は、いつも通りなんの変わりもない。

 これだと申されてもわかるまいに。

「真、に?」

「影忍、出て来ぬか。これではわからぬぞ?」

 すると影が形を変えた。

 その形はあの忍の姿と同じ。

 また驚いて後ろへ二、三歩下がった部下は声も出ない。

「どうやら、外には出て来てくれぬらしい。すまぬな。」

「こ、こ、これは、妖では!?取り憑かれ影を喰われておるのでは!?」

 声を荒らげて怯える部下に小首を傾げた。

 何を申すか。

 それに、たとえ妖であってもよいではないか。

 此奴こやつは、しっかと…。

「害は無いのですか!?」

「うむ。」

 地面に手を着いて、影を上から撫でてやる。

 すると、影がビクリと驚いた。

 影でも、撫でればその感覚は伝わるらしい。

 これは、踏めぬな…。

 灯りに逆らって影は手から逃れて方向を変えてしまう。

「恥ずかしがり屋だな。」

 笑ってやる。

 部下はぽかんとしておる。

 顔を上げて眺めても、その表情は変わらぬ。

「どうした?」

「あ!いえ、その…可愛らしい反応をするものですから。」

 これには二人で声を抑えて笑うた。

 恐ろしいとばかり思えば、今度はこうだ。

 影はゆらりゆらりと揺れながら、顔を隠すような仕草をしておる。

 これを見てさらに笑うてしまうのだ。

 人間らしいことをするではないか。

 何が妖か。

 部屋に戻り鏡を見る。

 確かに首には傷がある。

 まるで、猫に引っ掻かれたような傷だ。

 血は出ておらぬが、赤い。

「影、お主は猫なのか?」

 振り返って影を見れば、丸くなって動かない。

 拗ねておるわけではないようだが…。

「影?」

 影を撫でてやるも反応はなかった。

 もしやこれは…寝ておるのか?

 それならば起こしては悪い。

 そっとしておいてやらねば。

 さて、この忍を如何いかに使おうか。

 獣ではあるまい、牙を抜いて爪を剥いで飾るわけにはいかぬ。

 忍は忍、影と言えどもそれらしく在らねば。

 うつら、うつらと睡魔が手招きをする。

 机に伏して、まぶたが重うなってきた。

 最後の視界で、蝋燭ろうそくがひとりでにフッと消えたのを見てそのまま眠りについた。


 さて、そろそろ鍛錬をしようか。

 そう立ち上がったと同時に、コツッとわずかな音が聞こえた。

 横を見ると、いつも鍛錬で使っておる木刀が置かれてあった。

 さっきまでは其処そこになかった物だ。

 成程。

「影、気が利くではないか。」

 そうでなければ、説明ができぬ。

 影はまたひとりでに揺れて、陽の光なぞ無視をしてしまう。

 鍛錬の最中に至れば、この足から離れて向こうに流れていったり、戻ってきてみたりと遊んでおる。

 我が忍としたはいいが、まだ忍隊に組み込んではおらなんだ。

 影忍は影のまま、影として未だにこうしておる。

「お主と話がしたい。影、出てきてはくれぬのか?」

 すると確かに振り返った。

 そして、素早く影がこの足に戻る。

 地面から、ズズズと姿を現す黒い影に、目を丸くした。

 赤い光が、まず一つ見開かれる。

 それから、影が飛び散って消えてゆけば、ようやっと忍の姿を見ることができた。

 黒い髪に、漆黒の片目と赤い片目を持ち、それがどこまでも冷たく鋭い。

 細く、か弱いように見えるのだが、そこにはどこか貫禄かんろくがあり、まるで上に立つ者を想像させた。

 その目は常に上目遣いで、自分の身分が低いことを、自分の立場を、ようわかっておるような控えめさが表れておる。

 一言で申せば、此奴は妙なのだ。

「ふむ…お主はそこの忍とも違う。」

 影忍とは目が合わぬ。

 きっと、目を見ず背景を見るくせをつけておるのだろう。

 この目が相手を見る時はきっと、殺す時であろう。

「慣れてきた頃合いに、忍隊に組み込もうと思う。それで良いか?」

 何も言わず、ただコクリと頷いた。

 声がない、言葉を知らぬ、というわけではなかろう。

 そのまま、何を残すわけでもなく影忍は影となってドロリと溶けた。

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