主従物語

影宮

第1話影を我が物に

「また、か…。」

 我が忍が申すには、謎の影が忍の里を滅ぼして回るといううわさについてであった。

 どうやらそれは、噂ではなく事実。

 忍の間では、伝説とさえなる。

 その影の正体を探らせた。

 結果、生きて戻ったのはたった一人。

 それも死に損なったというに、その影が持つ猛毒によって命が蝕まれ、やがて息絶えた。

 しかし、忍衆の命は無駄には終わらず、影の正体を知ることができた。

 それは、忍であるのだと。

 忍が、忍を殺して回っておるということだ。

「忍に伝説といわれる忍、か。ふむ…。」

 これがあやかしでも、獣でもなかったことだけは良かった。

 忍であれば、問題ない。

 我が武家は忍については長けておる。

 伝説とまでいわれる忍が、そこらの忍と同じであるわけがなかろう。

 だが、このままにしておけん。

 叶うならば、この傍に置いてなだめよう。

 何があったのかはわからぬ。

「何処におるのかさえ、わかればいのだが…。」

「もしや、行くおつもりで!?」

 驚く声に頷いてみせれば目をさらに見開いた。

 そして、慌てて立ち上がる。

「この忍は、」

「わかっておる。」

 こうなれば止められぬと知っておろう、諦めたように出掛ける支度をし始めた。

 雨や雷の音、傘一つで歩く。

 敢えて、誰も来るなと止めた。

 忍はきっと、警戒するだろう。

 さて、如何様いかような顔をするだろうか。

 闇夜、灯りが見えた。

 赤い、赤い一つがポツリと。

 はて?

 よぉく見やれば、灯りではない。

 目、だろうか。

「もしや、忍か?」

 そう声を掛ければ、瞬きをしてゆらりと揺れる。

 その赤い光が、確かに生きておると。

「どうした。それがしを殺すか?忍の里を滅ぼすゆえは、なんだ。憎しみか、悲しみか。」

 ヒュッと頬を何かがかすめて、傘が斬れ落ちてしもうた。

 手を離して、これも落とそう。

 笑いかけてやる。

 敢えて、外したのだな?

「わざと外したな?おぬしは腕の良い忍だ。失敗するはずがない。」

 一方通行でも良い。

 声が届いておるならば。

 冷たい赤い光が、またゆらりと揺れた。

 警戒しておるようだ。

「お主が知りとうて、忍を寄越したのだが、お主に殺されてしもうた。某の忍は強いというに、お主はそれよりも強うて、驚いた。」

 一歩、また一歩と距離を詰めてゆこう。

 雷光が落ちて、一瞬その姿が見えた。

 それは、黒一色にやはり片目が赤い。

 忍で間違いない。

「お主に頼みがあるのだ。某の忍にならぬか?」

 その赤い光が大きくなったと思えば、目の前には夜闇より黒く鋭い刃があった。

 この忍は、どうやら脅してきているようだ。

 これ以上は、殺すぞと。

「伝説ともあろうお主では、某は不足だったか?」

 雷光がもう一つ落ちて、雷鳴が吠えた。

 忍も微動だにせぬ。

 一瞬見せたその姿には、赤黒い血ばかり。

 どれだけの忍を殺めてきただろうか。

 この黒き刃には、その血は無かった。

 斬った傍からその血をちゃんと刃から離しておるのだろう。

 目の前から首へと、刃先が移動した。

「何故、斬らぬ?お主は某が気に入らぬのではないか?」

 赤い光が細くなった。

 何を躊躇っておるのだろうか。

 夜闇の先で、睨み上げられたまま時間がゆるりと進んでゆく。

 蛇の舌舐めずり、猫の静かなるあゆみ、猿の芝居がかったひと刃。

 ぬえか、それともそれに化けた何かか。

 一言、忍と言うには違和感さえあった。

 殺気が刀を抜けと誘ってくる。

 それに従うように、手が刀へと泳いだ。

 静けさが、決して在らぬ静けさが、無理矢理連れ戻された。

 雷や風雨の音というのは、どうしてだか耳から離れて、遠くで響くようだ。

 忍の術にかかってしまっておるのか、それともそんな気分にさせられておるのか、わからなんだ。

 一筋の殺意が、ゆるりと。

 それは速かった。

 気が付く頃には刃にぶつかった金属音が、走る。

 しかし、そのひと音を耳で拾うより先に、忍の刃は闇夜の向こうへと戻った。

 一瞬、ゆるりと。

 息さえ、切り裂かれそうだ。

「お主、その腕がありながらわざと、某の刀にぶつけたな。この首、獲れように。」

 声をかけても次の一手。

 何度も、何度も、ぶつけては消えていく。

 脅して、帰れと言うておるのか。

 それとも、切り返せまいと挑発しておるのか。

 闇夜の向こうにある顔が、睨んでおるのか、嘲笑わらっておるのか、いよいよ想像できなくなりおった。

 わからぬ闇夜を切り裂いて、けれども手応えは戻らぬ。

 そこか、やれそこか。

 闇雲やみくもではならぬか。

 雷光、瞬時落ちて参る。

 逃すものか。

 此処ここぞ!

 ザッシュッと派手に切れた音があった。

 それきり、消えた。

 息が聞こえた。

 ポタ、ポタ、と液体が何かに当たって、つたう。

 それから、パタパタ、と地面に消えて行く音。

 スラリと、黒き刃が此方こちらを指差した。

 もう、それに殺気はない。

 ただ、ただ、添えられるようだった。

 赤き目だけが揺れておる。

 少し下で、瞬きをしながら。

「名も知らぬ伝説の影忍えいにんよ。我が忍となりて、天下まで我が武家の影と成れ!滅ぶまでとは言わぬ。天下統一をその赤き瞳に刻み込んではくれぬか。」

 赤き目が見開かれた。

 刃がまるで蒸発するように消え失せる。

 雷光がまた、落ちた。

 その姿、しかと見た。

 服従を決意した、その顔を。

 忠誠を誓う、その姿勢を。

 そして、赤き目が閉じられ雨も止んだ。

 夜闇、一人のように。

 すると、今度は空が晴れて満月が見えた。

 その満月は、この忍の片目のように、赤く此処を照らす。

 前方には、その忍もらなんだ。

 逃げられてしまったか…と思うた。

 が、そうではないようだった。

 この足下にある影が、形を変えて揺らいでおった。

 成程なるほど、お主はそこにおるのだな?

「お主は、影なのだな。まことに、影であるのだな。」

 こうも嬉しいことはない。

 共に歩もうと、言葉通り影と成るのか。

 ならば、天下までしっかと歩まねば。

 この忍はきっと、待つだろう。

 影はあるじと共に在り続けてくれよう。

 そして、主は代わりながらも影を従え天下を取るのだ。

 天下の陽の目を浴びた時、影は静か失せるだろう。

 それでも良い。

 それが影を雇う契約なれば。

 だが…あわよくば…滅びさえ共に迎えぬか、影忍よ。

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