第9話 ミシェル・フーコーに学ぶ「普通」

大衆派と少数派の話をするにあたって、フランスの哲学者、ミシェル・フーコーを取り上げさせて頂く。高校倫理学でもおなじみの彼の知名度はなかなかではないだろうか。

彼は少数派が排除される傾向にある世の中に疑問を抱く考え方を持っている。そのため自らの世論の捉え方、身の置き方について取り上げた著作をいくつも残している。中でも今回のテーマの参考となりうるのが彼の著作「狂気の歴史」である。ここにある狂気とは、今まで述べてきた「変わり者」に当たると言って差し支えない。精神の異常性の把握が時代ごとにどのように位置づけられるのかを解き明かしている文献である。非常に興味深い読み物であるから、一つ引用させて頂く。

「人間というものが物狂いになるのは、あまりに避けがたいことなので、狂っていないと言ったところで、物狂いについての違った見方からすれば、狂っているというということになるやもしれない。」(フーコー)

 これは作中の彼の言葉だが、私が建てていた個人個人の「普通」の違いの話を延長させればどうやらフーコーの考えと綺麗に当てはまる。物狂いから見たら、物狂いもまた「普通」に過ぎないと。やはり見る人によって「普通」の基準値が異なるというのは真な話であると、また彼も言う。内容の濃度は違えど私の予想と似通った考えを持つ哲学者がいるということに(不確かな話ばかり考え続けていたからだろうか、)いささか喜びを覚える自分が居る。

万人は流石に不可能と言えど、大衆に通ずる「普通」というのも、結局は個人の集まりによって作られたものであったのだと気づかされた一文。まさに眼から鱗であった。

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