6

 



 可愛い子には旅をさせよということわざがあった。

 本当に可愛い存在なら甘やかすのではなく、こうすべきだったのだ。最初から。


 挑戦状まがいの贈り物が送られてきた二日後、私は王宮へ登城した。

 可愛い可愛い私の癒し、今や後悔の対象でしかない我が婚約者様の元を訪れるためだ。


 案内役の女官の後ろについていき、ベルナールの私室の中から返事が返ってきて入室を許された。中に入ると、ベルナールは机に向かって何やら書き物をしている最中だった。一礼して椅子に座るや、早々に今日の訪問の理由である本題をベルナールに告げた。


「……な、なんだって!?」


 お父上である国王陛下から後学のためと渡されたのだろう書類の束を見つつ、何かカリカリと紙に書きつけていたベルナールは私の言葉に驚きを隠せないようだ。持っていた書類を取り落とし、床にひらひらと舞い落ちていくのを拾おうともせずに私の顔を凝視してきた。


「だから、お兄様達のうち誰かにお願いして、付き合ってもらうわ」


 ベルナールの顔からさぁっと血色が引いていく。元々外に出てどうこうするような性格ではないし、王妃様譲りの白い肌のせいでそれが一層顕著だった。心なしか唇の端がふるふると小刻みに震えている気もする。


「ぼ、僕にそんな趣味はないっ!」

「え? なにを言ってるの? 近衛士官は貴方達王族を警護するのが仕事でしょう? そのついでに運動にも協力してもらうだけよ。痩せられたらそのままずっと運動を趣味にする必要はないわ」

「……え?」

「私のおすすめは断然ジョルジュお兄様ね。エルネストお兄様はやるとなったらとても厳しいし、シモンお兄様は……」


 シモンお兄様の名を出すと、ベルナールは首を左右にブンブンと振った。犬猿の仲、というよりも、一方的にシモンお兄様がベルナールに対して敵意を持って接し、ベルナールはそれに対して苦手というより恐怖心を植え付けられているというところだろう。


 誰かと濁して言ったものの、選択肢は三つあるようで一つだけしか用意されていなかった。


 ベルナールは大きく息を吸い込んだかと思えば、今度は大きく息を吐いて見せた。


「……ヴィーはいつも言葉が足りない」

「そうかしら? ごめんなさい」


 じとっと恨みがましい目を向けられ、私は明後日の方を向いて誤魔化した。


「……っ」


 ちらりとベルナールの方へ視線だけ向けると、何か物言いたげに口を開いては閉じを繰り返している。


「どうしたの?」

「……なんでもない」


 なんでもない顔ではない顔をしているから聞いているというのに、自覚がないのだろうか。そこの壁にかけられている鏡を見れば分かるけれど、自分では全くもって分からないらしい。


 まぁ、本人がなんでもないと言い張っているのだから、それ以上深くは追及しないでおいた。


「じゃあ、ジョルジュお兄様が仕事を抱えないうちにお願いしてくるわ。スケジュールとかはまた手紙を出すから、待っててね」


 出された紅茶を飲み干し、椅子から立ち上がった。


「ヴィー!」

「なに?」

「あ、あの……その、だな……」


 大きな声を上げて呼び止めたというのに、なかなか続きの言葉が出てこない。


 幼馴染としての情けだとしばらく待っていてあげると、意を決した顔つきで私の方を見てきた。


「その……ご、ごめんなさい!」


 机にぶつけそうな勢いで頭を下げられ、少し面食らってしまった。口調こそ誰に似たのか少々尊大なものになって来ているとはいえ、王族だし概ね問題ない。問題があるとすれば、それは。


「ベルナール、何度も言っているでしょう? 簡単に臣下に謝罪をしてはいけないし、ましてや頭を下げるなんてもってのほかよ」

「だが……だって……」

「だがもだってもありません。貴族や他国の王侯貴族にナメられてしまうわ。貴方、時々口調が昔に戻っていることがあるから気をつけなさい」

「……分かった」


 私にお小言を言われてシュンとしている姿に、なんだか大型犬が怒られて耳を伏せている姿がだぶって見えた気がする。


 小さい頃から一緒だからか、ベルナールは私に対して甘えたな口調を使っていた。それが余計に庇護欲を掻き立てられた要因だと気づいた私達が五歳の頃。未来の国王がこれではいけないと、口調を徐々に改めさせるのにはとても苦労させられた。


「私が注意できる立場にいる間はいいけれど、私との婚約を破棄したらそうはいかなくなるのよ? もっとしっかりしてくれなきゃ困るんだから」

「僕は……」

「え?」

「……なんでもない」


 ほら、また。


 なんでもないで誤魔化すことが癖になってきたのかもしれない。

 追及するのは簡単だけれど、変なところで強情なのがベルナールである。へそを曲げてなおさら口をつぐまれたら厄介だ。だから先程と同様、聞き流すことにした。


「それで? それは何に対する謝罪?」

「この前の乗馬服の件で怒らせたこと」

「……反省しているなら構わないわ。まぁ、だからってダイエットの手を緩めるつもりはないから、そのつもりで」

「……分かってる。でも、あれは」


 ベルナールが言葉を続けようとした瞬間、ドアを誰かがノックした。


「なんだ?」

「殿下。近衛騎士のシモン様がお見えです」

「な、なに?」


 シモンお兄様の名前を聞いた途端及び腰になったベルナールが私の後ろにさっと移動してきて、入室の許可を出した。


 家にいる時とは違い、誉れ高い近衛騎士の正装をしたシモンお兄様が女官が開けたドアから颯爽と入ってきた。お兄様は私の後ろに隠れているベルナールを見つけると、私達の元までつかつかと足早に歩み寄ってきた。


「殿下。うちのお姫様に何か御用でしたか?」

「こ、この間のことを謝っていただけだ」

「この間のこと? あぁ、乗馬服の件ですか。僕がせっかくヴィーのお気に入りの針子がいる店を教えて差し上げたというのに、寸法を誤って伝えるとは嘆かわしい限りですね」

「あ、あれは、お前がっ!」

「僕が、なんです?」


 蛇に睨まれた蛙とは今のシモンお兄様とベルナールのことを言うのだろう。シモンお兄様に完全に押されているベルナールに勝ち目は今の段階では欠片もない。

 お兄様が何をしたのか気になるところではあるけれど、まずは彼をお兄様の毒牙から守ってあげることにした。甘やかすのは良くないけれど、人には何事も相性というものもある。そして、これは誰かが間に入らないとダメなやつだった。


「お兄様、私はこれで失礼するのだけど、もう家に帰れるの? もしそうなら一緒に帰りましょう?」

「それは良い考えだね。途中でどこか寄り道するのもいいかもね」

「寄り道はいいわ。じゃあ、ベルナール。またね」

「あ、あぁ」


 ベルナールに向かってお辞儀をし、シモンお兄様の腕を取って部屋を後にした。


 ニコニコとご機嫌なお兄様が何を考えているのか分からないところがあるけれど、とりあえず今日はベルナールに対してこれ以上どうこうすることはないだろう。


 ただ、家に帰り、夕食前に帰ってきたジョルジュお兄様に頼んで了承を得るまで、シモンお兄様はずっと私の後ろにくっついてきていた。まるで、監視するかのように。



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婚約破棄はダイエット達成後でお願いします~他の令嬢に申し訳がたちません~ 綾織 茅 @cerisier

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