第3話ハリケーン



入学式当日。


雨男を自負している俺にしては珍しく晴れた。いいことだ。


この入学式は短大ではなく、市内にあるホールで開催される。今日はここには車で来た。


いや、自転車で行くべきか迷ったけど、昔スーツで自転車に乗ってて裾を巻き込んで汚したことがあったし、帰るときに荷物が発生しても困るし。


特に俺の場合、入学前ガイダンスの日に警衛勤務と被ってしまい、泣く泣く参加を諦めたから、もしかしたら受領していない書類があるのかもしれない。幾つかの書類は郵送で届いていたわけだが。


ホールの中では同じ新入生と思しき子達が主に母親に付き添われてその辺を歩き回っていた。中には友達同士で同じ学校に入れたからか、すでに仲良しグループを形成している子達もいた。


そんな中、スーツを着た男性が一人で歩いていた。少々年嵩がいっているように見える。保護者の方なのかな。


そんな姿を見つつ、自分が行くべき控え室の場所を確認し、まだ時間が十分にあったので自販機で飲み物を買うことにした。


何のことは無い。入るのを躊躇したのだ。


繰り返しになるが、俺が入るのは栄養士の資格が取得できる学科だ。で、栄養士というのは女性が圧倒的に多い。当然、養成校だって女の子ばかりになる。


定員40名の学科で、その殆どが女の子で構成される。これを「ハーレム」と気軽に捉えられたなら楽だったのだろうが、つい先日まで自分が迷彩柄の作業服に身を包み、特別国家公務員などという立場にあったこと、そこにいる子達が現役の子なら8歳下の未成年ばかりで、つい先日までセーラー服やブレザーに身を包んでいたことを考えれば「ハーレム」というのは地獄への片道切符に早変わりだ。


何度も繰り返すが、事案の香りしかしない。


で、そんな女の子ばかりがいる空間に足を踏み入れるのは流石に躊躇う。ま、10分前には入るようにしよう。


あ、さっきの男性が入ってく。てことは、同級生のお父さんなのだろうか。


そろそろ時間だな。


手に持っていた缶コーヒーの空き缶をゴミ箱に捨てて、諦めて控え室に入った。


事前に手元に届いていた案内状に記された学籍番号の順に席についている。俺は4番目だった。俺の前に座っている人を見るに社会人学生だから前にいる、ということでもなさそうだ。


そして周りを見渡すと保護者の類はいない。で、さっきの男性が席についている。もしかして、いや、もしかしなくてもこの方、同級生になるのか。間違いなく社会人学生の類だな。


現役よりも年が上の同姓を見つけたことで少々安心した俺は、隣に視線を向ける。こっちも男性だ。スーツに着られている印象はない。


しっかりと着こなしているように見える。ということは、この方も社会人学生なのか。俺の前の人は女性だけど、周りに較べると雰囲気が落ち着いているし、あどけなさも感じられない。とするとこの方もなのかな。


あれ。


各人の席に目印として仮の学生証が置かれているんだが、そこに載ってる写真、隣の人、学ランだぞ。ということはこいつ現役の人か。


うわあ、びっくりした。こんなに見事にスーツを着こなす18歳とか凄い。いっそ感心する。


おっと、この後の指示が出されるな。聞き逃して入学式で赤っ恥なんて出来ないからな。



























へえ。学籍番号の前半後半でクラス分けをする、と。で、それぞれに担任を設定するってここ、高校じゃあるまいし。でも、聞くところによると卒業研究みたいなものとか無いみたいだし、自身の研究室に学生が所属しない状況で教員が指導するとなるとそういうシステムくらいは必要になるのか。


内心では卒業研究みたいなものに憧れがあったからちょっと残念だったりする。


「では、これよりホールに向かって移動となります。皆さんが今座っている順番が学籍番号の順番ですのでその順番のまま通路に並んでください」


さて、入学式に行きますか。


通路を進む中、前の人の踵を踏んでしまった。


「すみません」


素直に謝る。当たり前だが、俺が悪い。


たしかに俺が悪いんだが、少しだけ言い訳をさせてもらいたい。別に、前の人が進むのが遅いとかそういう理由じゃない。こういった行進をする際、全員の歩幅が一定ではないことにあまりに慣れていなかったんだ。今までは歩幅は全員で統一されていた。だが、それは自衛隊の中の話であり、こういった一般社会での話ではない。


更に言えば、俺一人だけ習慣からか腕の振りがよく、拳も握り拳だった。当然、これは浮くよな。


正直、やっちまった、という想いはある。特に踵を踏んでしまったことについては。


とはいえ、そろそろ入場だ。いつまでもそのことに気を揉んでいる暇は無い。前に続いて入場だ。歩幅はどうしようもないからペースだけは落とそう。


俺だけが歩き方で妙にギクシャクしている。それはそれでみっともないが、着座してしまえば歩き方なんて気になるまい。それに、何か突っ込まれるようなことがあれば緊張の所為にしてしまえばいい。緊張しているのは事実なんだ。嘘は言っていない。


椅子は座る部分だけが跳ね上げ式になっているタイプだった。ちょっとホッとしたのは内緒だ。


自衛官時代の式典などでは椅子への着座の際、腰を一気に落として座っていた。だが、それが一般社会でそのとおりなのかと言えば当然違う。なので今までの座り方を封印されたのはありがたかった。


ただ、立つ時は今までと変わらない何かをやりそうだけどな。


式典は恙無く進行した。校歌を保育士の養成科の教員が歌ったときは反則だと思った。そういうタイミングで起立を求められることが多々あったが、やっぱりやった。


片足で床を強く踏みつけてその勢いで立ち上がるというものだ。結局癖になってるんだな、とつくづく思わされてしまった。


あとは国歌だろう。俺としてはかつての立場ゆえにこれを小さな声で歌うとか、歌わないという選択肢がないのだが、少なくとも俺の近くからはあまりそういう声は聞こえてこなかった。些か残念な気持ちにはなったがそこを他人に強要するのは色々と間違っているので多くは問うまい。


そうして式典は終了する。


この後は控え室に戻り、次回登校日の確認や集合場所、教科書販売がいつからか、学費の振込みの期限などの説明が為された後、集合写真を撮影し解散となった。


俺としてはこのまま誰かと親交を深めてみるというプランも無くはないのだが、取り敢えずは少々汗ばんできているスーツを脱ぎたいという気持ちが強かったので帰ることにした。


で、このときの俺はまだ知らなかったのだが、俺が社会人学生だと思っていた人が実はそうでなかったりとか、実は現役だと思っていた人がそうだったりとか色々あった。このあたりは入学後のオリエンテーションでの簡単な自己紹介のときの話にしよう。


しかし、学科44名のうち、男は4名だけ、か。男女比1:10とか。


昔の俺なら絶対にやらなかっただろうな。きっと胃が痛くなっていただろう。


でも、ハーレムじゃないぞ。そこだけははっきりとさせておこう。




























* * * * * * *



後書に相当するもの



サブタイトル:日本のバンドであるHUCKLEBERRY FINN(ハックルベリーフィン)の2001年のメジャーデビューシングル「ハリケーン」より。作者はアルバムの「River Dance」で聴いていた。バンドの存在は中学生の頃に聴いていたラジオ「米倉千尋のSMILE GO HAPPY」内のCMでメジャーデビューを知った。

「あと少しあと少し嵐が迫ってる 行かなくちゃ行かなくちゃ荒波に船を出す」のくだりが入学という新しいスタートにいいかと思ったので。そして、間違いなくこの頃も好んで聴いていた曲でもあったので。

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