第15話 古い友人

 マニとシメオンは荷造りすら許されずそのまま村から出るよう強制されたが、辛うじて、シャープールのために制作した一冊の厚い本の所持は許された。その本をマニに渡すパーティク――彼はマニの部屋からそれを持ってくる役をかって出た――は、それでもなお二人を説得しようと必死だった。


「なぁマニ、シメオン。一緒に謝りに戻らないか? まだ今なら〈父〉も許してくれるだろうさ」


 ボロボロのマニに、それをやっと支える身体の小さなシメオンだ。そんな二人が無防備で危険な外界に足を踏み出せば、すぐに強盗や奴隷商人の餌食えじきになってしまうだろう。二人は外の世界のことを知らなすぎるのだ。


「マニ! シメオン! 〈父〉に謝ろう! 私も一緒に謝るから!」


「気持ちはうれしいよ、パーティク」マニは、先ほど痛めつけられた部分を抑えながらも、優しく笑顔で言う。「でも、おれはおれの話をしただけだ。その結果がこれというなら、どうしておれはこれを拒絶しなければいけないんだろう」


「それはお前の居場所がこの村だからだ! 外の世界は過酷だぞ! ずっとこの村で過ごしてきたお前は、外での生活に適応することができない。きっとすぐに泣きながらこの村に帰ってくることになるさ!」


「洗礼者たちにそう思わせることがシタの思惑おもわくであるということはわかってるよ」


 パーティクはハッとした。


「信者を一つの村に押し込めておくのは、その人から生きる力を奪い、自分の教えに依存させるためだろう。知らないことほど怖いものはない。未知は恐怖だ。それゆえに〝自分たちは未知なる外界では生きられない〟〝でもこの教えに従えば生きていける〟〝ここでなら生きていける〟〝この村こそが自分の生きる場所なんだ〟――そんな風に思わせて洗脳することで、〈白装束〉は今もこれからも一定の規模を保っていられるんだよ。だからおれは外に出るために医者になった。たしかにおれは外の世界を十分には知らないけど、だからこそ足を踏み出さなきゃいけないんだ。そして、もし世界各地で同じようなことが起こっているようであれば、なにか力になりたいって思ってる」


「まさか、説教のために世界各地を巡るのか?」


「説教とか宣教とか、そういった宗教じみたものではない……つもりだけどね。なんにせよ、それしかやることがなさそうなんだ。本を読めば読むほど、日に日にその願望はおれの中で強くなっている。というのも、みんな著者ごとに違うことを主張しつつも、どうやらその根底にあるものは究極的にシンプルで美しいものが単一としてあるように思えてならないんだよ。だからおれはそれを外に伝えていくことで、それを確かめたいと思ってる」


「それは神の話なのか?」


「あるいは」とマニは否定しない。


「この世界を統べる単一の神がいるということなのか? その神の名は?」


「それは……ここで語るのも悪くないかもしれない。でも、まず一番に聞いて欲しいのは、実はシャープールなんだ」


「シャープールだって! 王の王アルデシールの第一王子か!」パーティクは飛び上がって驚いたが、すぐに冷静に考えはじめる。「しかしどうして王子がお前なんかの話を聞くと思うんだ?」


「古い友人なんだ。もっとも、あちらはそう思っていないかもしれないけどね。その確認も含めて、これからおれはクテシフォンに行こうと思う」


 パーティクは足を止めた。自分の息子が、自分の手の届かない場所に向かおうとしていることにようやく気付いたのだ。二人の姿が小さくなっていく。ほかの洗礼者たちはみな遠巻きに彼ら見つめ、村の外へ足を踏み出す瞬間を監視している。厳しい視線だった。


 しかしマニにとっては、あまり価値のない視線だ。


「さようなら、父さん。村のみんな。そしてありがとう」


 彼は、最後に少しだけ足を止めて振り向いた。自分がこの共同体によって守られていたことは他でもない事実だ。だが、自分が成長を続けてきた一方、共同体はこの二十余年間でなにも変わろうとはしなかった。だとするならば、この場で過ごす時間というのは必然的にここまでになるのだろう。自分にとっての共同体は、今、自分にとってその役目を終えたのだ。


 もちろん、それが共同体に生きる〈白装束〉たちの終わりを意味するということではない。むしろ彼らにとってのマニは今をもって終わりを迎えている。世の中は常に相対的だ。空の太陽が動いているのでも、実は地球が動いているのでも、現象としてはどちらも同じことを意味している。ただ、問題となるのは真実だ。


 宇宙にははじまりがある。

 そして激動の変化を経て、現在の悠久の不変的な姿を獲得するに至った。しかし、本質的な意味での不変というものはありえない。なぜなら、不変が存在するということは、始まりも終わりもなくなってしまうからだ。


 しかし万物はみな、どういうわけか不変を求めるようにできている。〝落ち着きたい〟と思いたがる。〈白装束〉はまさにそれだった。神から目を向けてもらうために洗礼を続けながらも、今の共同体としての姿にずっと落ち着いている。そしてマニのような変化は排除の対象となるのだ。



「ところで、マニ。今日中にクテシフォンに辿り着くなんて無理だからな?」


 村がみえなくなったところで、ようやくシメオンが口を開いた。今まで息を止めていたかのように息苦しそうで、しかし解放感ある表情をしていた。


 クテシフォンまでは普通に歩いても一日はかかる。だとすれば、たしかにシメオンの言う通りボロボロのマニの足取りでは今日のうちにクテシフォンに辿り着くなど到底無理なことだろう。途中どこかの村で一泊する必要がありそうだった。


「ダストマイサーンだけは避けたいな」とマニが言う。「あの村にはいい思い出がないんだ」


「残念だけどその希望は叶えられそうにないね。ここから一番近い村がそこなんだ。まずはそこに寄って傷を治そう」


「……気が乗らないな」とは言いながらも、マニはそれ以上シメオンに言い返さなかった。


 やがて、街道に懐かしさが込み上げてくる。思い出したくもあり、思い出したくもない思い出だ。陽が落ちる頃にはマニの身体の痛みも引き、シメオンの肩がなくても歩けるようになっていた。しかし、足取りは妙に重たい。しばらくして街道の先に街の防壁が見えてくると、その入り口に、懐かしい人影があることに気付いた。


「あれってもしかしてアフサじゃないか!?」シメオンが飛び跳ねる。


 彼が言う通り、街の入り口で待っているやや小太りの男は、マニの幼少期の頃の親友、アフサだった。


「おーい! マニー!」


 アフサが手を振っている。しばらくしてようやく彼のもとに辿りつくと、シメオンとマニはそれぞれその肥えた身体を抱きしめて再会を喜んだ。


「〈やし園〉の医者が追放されたってウワサを聞いてね、ピンときたんだ! それにしても妖しい服装だなぁ!」とアフサは言った。


「ウワサが早い時代だよ、ホント」と、マニは複雑な表情をつくる。


 アフサと再会できたということは、きっと彼女との再会ももう間もなくということだろう。あの頃の記憶がよみがえり、なんとも言えないもどかしさがもぞもぞとマニの心をくすぐりはじめる。


 とはいえ、やはり再会はうれしいものだった。


「ウワサといえば。この国の国王のことは知ってるか?」アフサがマニの肩を叩きながら言う。「なんとあの王の王アルデシールが退いて……」


「シャープールが即位するんだろう? おれはそのためにあの共同体から抜け出してきたんだ」


「マジか……!」と、アフサは大げさに驚いたような様子を見せた。「お前とシャープール……。子供の頃から、なんでお前と新王の間に繋がりがあるのか疑問で仕方なかったんだよ。いったいどんな繋がりがあるんだ?」


科学スキエンティアだ」


「……あぁ」アフサは笑顔のままマニから離れ、横を向いた。「そういう話か……」


「そ。そういう話」


 そして、途端に大きな声で笑いだす。


「なんだよ」


「いや、なんか懐かしいなって」アフサの笑いはしばらく収まりそうにない。涙をぬぐいながら、彼は続けた。「相変わらずマニはマニだなって思ってさ」


「悪かったなァ、子供のままで」


「ははは。悪くなんかないよ。それどころか以前にも増してすっかりわけがわからないような感じになっちゃって、むしろ安心したくらいだよ」アフサの笑いがゆっくりと落ち着いていく。「でも、そんなマニに残念なお知らせが一つある。実はもう、クテシフォンにシャープールはいないんだ」


 マニは表情を変えないよう努めたが、心の中では動揺していた。


「ど、どういうこと?」シメオンも息を飲む。「即位式の主役が欠席するってこと? なぁマニ、そんなことってあるのかな?」


 マニも答えを探し、そして盲点に気付いた。シャープールはゾロアスター教寺院の守護者の家系だ。だとすると即位式は主都ではなく聖地ヤズドで行われるのかもしれない。あるいは、彼らの故郷になるか――


 いずれにせよ、ダストマイサーンからそこに向かうとなると十余日はかかるだろう。即位式には確実に間に合わない。ともなれば、シャープールの姿を一目見ることすら叶わなくなってしまう。


(まいったな。これじゃあ、おれが無理やり〈やし園〉を出てきたことも無駄になってしまう。いや、そもそもそういえば、結局クテシフォンでシャープールに会えたところでそのあとどうするかなにも考えていなかった。……やっぱり〈やし園〉を出てしまったことは間違いだったのか?)


 マニが沈黙を続けていると、代わりにアフサが答えた。「なんでもシャープールは〝約束の友人に合わせる顔がまだない〟みたいなことを言っているそうだよ。なんのことかさっぱりだけどね」


 思わず顔を上げるマニ。その彼の表情をみて、アフサはハッとした。


「もしかして、それってマニのことか!?」


「……どうだろうね」とマニは冷静ぶって答えたものの、内心は落ち着かなかった。


 シャープールが、もしかしたら自分のことを覚えてくれている。それだけじゃない。自分のことを未だ友人として、約束を守ろうとしてくれている。そしてそれは、彼が王となるための一世一代の催しすらも越えて優先されているのだ。

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