#7.2 善と悪の狭間で

 辺りが赤や黄色に染まる頃、クラスにひとりの転校生が現れた。

 佐賀内さがないとおると名乗る男は、見るからに気弱そうで、どことなく陰湿な雰囲気を漂わせていた。それだけならまだ良かったが、彼は自己紹介の時に事故紹介ともいえる厨二病を爆発させた自己紹介を皆の前で披露したことによって、転校初日にしていじめの標的になってしまった。

 当時からクラスのリーダー格だった横山を中心に、佐賀内はいじめを受けるようになった。彼がクラスメイトになってから一二週間の間は、内気な転入生をクラスの輪の中に入れようと積極的に接しているように見えたが、次第に佐賀内へのいじめは過激なものになっていった。

 佐賀内はクラスのグループLINEに招待されては、『佐賀内死ね』『早く転校しろ』という文字が書き込まれ、その後、強制的に退会させるといったいじめを繰り返し受けていた。また、『佐賀内は生きるに値する人間かどうか』というクズ投票を面白がって作る者も現れ、ほぼ全員が『佐賀内は生きるに値しない人間である』に票を入れた。

 教室の入り口に貼られた『クラス皆で仲良くしましょう』と書かれた張り紙を見る度に、僕は腐敗しきった箱庭の世界に吐き気を覚えた。『クラス皆で仲良くしましょう』というスローガンを掲げながら、クラス全員で佐賀内をいじめ、担任さえもいじめを黙認していた。僕もまた、自己保身のために彼がいじめられている場面に出くわしても助けようとはしなかった。

 Tellmoreの僕が「いじめられている彼を助けなくていいの?」と問いかけ、現実の僕が「下手に口出しして自分がいじめの標的になったら、誰が責任取ってくれるんだよ」と反発する。学校にいる間はずっとその繰り返しだった。現実とSNSでの自分とのギャップに悩まされつつも、僕は自分が善人であることを証明し続けるために、益々Tellmoreにのめりこむようになった。

 質問内容から相手の意図を汲み取り、相手が欲しいと思っている言葉を与えることが、Tellmoreでベストアンサーを獲得するコツだと学習した僕は、ひたすら悩みを抱える人々に偽善をばらまいた。無責任に優しい言葉を投げかけているだけに過ぎないと自覚していたが、それでも僕は、<ユキト>のような存在になりたかった。



 ある日の放課後、教室の掃除を終えてゴミ捨て場に行くと、佐賀内が持っていた漫画を横山たちがビリビリに引き裂いているところを目撃した。取り巻きたちは佐賀内が泣く姿を見て「汚い」「死ね」と言いながら、彼の腹を蹴ったり殴ったりしていた。

「これ、捨てといて」

 横山が僕の持っていたゴミ袋に漫画を放り投げた。自分の足もとに落ちた紙きれを拾うと、主人公のグレイが『俺は屈しない。何度でも立ち上がってみせる。』と言っていた。

 正義のヒーローがいないなら、僕が正義のヒーローになればいい。そう思い立った僕は、学校帰りに本屋へ立ち寄り、次の日の朝、『助けてあげられなくてごめん』と書いたメモと一緒に例の漫画を佐賀内の机の中へ入れた。佐賀内の反応を伺っていたが、彼は漫画に気づくと、何事もなかったようにそれを読み始めた。彼の喜ぶ顔を想像していただけにショックも大きく、「もっと喜べよ!」と叫びたい気持ちを必死に抑えながら、その日の授業を受けた。

 優しさは人に分かってもらうためにあるんじゃない。自己満足が十割なんだと自分に言い聞かせながら、その後も彼の漫画が破られる度に同じ本を購入しては机の中へ入れた。 



 中間テストの結果が返却された日、僕は担任から佐賀内の勉強を見るように言われた。佐賀内と関わることで、自分もいじめの標的にされることを怖れたが、優等生というイメージを壊したくはなかったので、「分かりました」と笑顔で返事した。

 悪い予感は的中し、佐賀内の勉強を見るようになってから、僕もクラスの連中からいじめられるようになった。クラスメイトのひとりが体育の授業中に熱中症になったと聞き、自販機で買った飲み物を手渡すと、「菌がうつる」と手を叩かれた。宿題を写させて欲しいと頼まれて貸したノートが落書きだらけの状態で返ってきた。貸してと頼まれた体育館シューズを教卓の上に放置され、授業をしに教室に現れた教師に大声で怒鳴られたこともあった。たくさん嫌な思いをしてきたのに、僕は自分が善良な人間であることを証明したいがために、自分が善いと思う行動をし続けた。善行は人のためではなく、自分自身のため。そう言い聞かせながらも、僕の心は次第に病んでいった。



 佐賀内に勉強を教えてから一か月が経ったある日、久しぶりに<ユキト>から連絡が届いた。

『最近、何かありましたか?』

 僕の回答を見て、<ユキト>は何かに気づいたのだろう。僕は少し考えた後、『学校で色々あって。』と返事した。

『そうですか。人助けもいいですが、ご自身のことも大事にしてください。』

「お気遣いいただきありがとうございます、と」

 文字を入力した後、先ほど入力した文字をすべて削除した。次回のランキングで上位を取られるのが怖いから、気遣うフリをして僕を陥れようとしているのではないか。一瞬でもそう思ってしまった自分に嫌気が差した。

 偽善をふりかざす僕を咎めることもなく、優しい言葉を与えてくれる<ユキト>。兄と偶然名前が同じということもあって、僕は兄の姿を想像しながら彼とやり取りをしていた。本当の彼は、一体どんな人物なのだろう。僕と同じように悩んだり、苦しんだりすることがあるのだろうか。

『もし良ければ、今度会っていただけませんか?』

 それは思いつきだった。だが、数日後に僕は<ユキト>と会うことになった。



 約束の場所に時間通りついた僕は、<ユキト>が好きだと教えてくれたビアードパパのシュークリームを買って彼が来るのを待った。だが、約束の時刻が過ぎても彼は現れなかった。<ユキト>からの連絡もなく、夜の九時が過ぎ、ついに携帯の電池が底をついてしまったので、僕は時計台の周辺に設置されたベンチに座って二人分のシュークリームを食べた。

 SNS上の付き合いで本当に会えると思った僕が馬鹿だったのだろうか。今頃、<ユキト>は騙された僕の姿を想像して笑っているのだろうか。そんなことを考えながら食べるシュークリームは涙の味がした。

 その日、家に帰ると玄関前に大量の段ボール箱が置かれていた。すべて僕宛ての段ボールで、中には大量の参考書が入っていた。段ボールの上には、『お前は自分のやるべきことをしろ。』と書かれたメモ書きが貼られていた。

「こんな時だけ父親面するなよ」

 心の奥底からどす黒い感情が沸きあがるのを感じ、参考書を放置したまま自室へと駆け込んだ。充電器にスマホを差し込み、電源ボタンを長押しすると、スマホの画面に一件の通知が表示された。<ユキト>からかと思いきや、<グレイ>からのメールだった。

『こんばんは。今日は珍しくTellmoreに一度もログインしていないから、心配になってメールしてみました。』

『心配かけてごめんなさい。今日は友達と会っていました。』

『そうだったんですね。それなら良かった。』

「良いことなんて、ひとつもなかった」

 僕は携帯を片手に項垂れた。誰かに愚痴を聞いてもらいたい気分だったので、<グレイ>に話を聞いてもらうことにした。

『僕の父親は医者で、昔から医者になるように言われてきました。僕は両親の期待に応えるために、必死で努力してきました。ですが、少し疲れてしまいました。今までTellmoreを通じて人助けをしてきたつもりでしたが、どうやらそれも僕の自己満足に過ぎなかったようです。最近は家でも学校でも、僕は自分らしく生きることが出来ません。僕にとっての幸せは、僕にとっての正解は、どこにあるのでしょうか。僕は本当にあなたのことを救えましたか?』

 送信ボタンを押してから数分後に<グレイ>から返事が届いた。

『人生に正解なんてものは存在しないと、僕は思っています。あなたの正解は、あなたが見つけるものであって、僕の正解でも、あなたの家族が思う正解でもありません。あなたが思う正解を、あなた自身で見つけるしかないんです。あなたの幸せも同様です。誰かに押しつけられた幸せは、本当の幸せとは言えないと僕は思います。ですが、これだけは言わせてください。僕がこうして生きているのは、あなたが僕に手を差し伸べてくれたからです。僕に生きる理由を与えたあなたは、これからもTellmoreを続けるべきです。』

 メールを読み終えた時、僕もきっと同じような文章を送るだろうと思った。こんなことを思うのは、僕のことを考えてくれている<グレイ>に失礼だと分かっていても、僕の代わりはいくらでもいるという事実を突きつけられたみたいで虚しくなった。

「そうだ、ユキトに連絡しないと」

 彼の名前をTellmoreの人気相談者ランキングから探そうとしたが、彼の名前が見つからなかった。ありとあらゆる方法で彼の痕跡を探したが、Tellmoreの回答だけでなく、Twitterのアカウントまでもが跡形もなく消えていた。

「そんな・・・・・・」

 僕は力尽きたように壁に沿ってずるずると床に寝転んだ。

「・・・・・・僕が会いたいと言ったから?」

 自分で言ってから本当にそうなのかもしれないと思うと、悲しくて涙が零れた。なぜという疑問と共に怒りが込みあげてきた。SNS上での軽薄な繋がりに嫌気が差した僕は、床に落ちたスマホを手に取り、『これからは将来を見据えて勉強に専念することにします。今まで応援ありがとうございました。』とTellmoreのプロフィールに書きこみ、更新ボタンを押した。その直後、母親が僕の部屋に入ってきた。

 彼女は僕の手の中にある携帯を見て、それを渡すように僕に言った。僕は彼女の指示に従い、自分の携帯を彼女に渡した。

「次の定期考査が終わるまでは、あなたの携帯は私が預かっておくわ。別に取り上げるとか、そういうんじゃないの。本当はこんなことをしなくても、あなたがきちんと勉強してくれると、お母さんは信じているんだけど、それでも念のため私が預かっておくわ」

「うん。分かってるよ。ありがとう」

「勉強、頑張ってね。お母さん、あなたをずっと応援しているから」

 母が部屋を出て行った後、僕は世間でいう正解や幸せを手に入れるために、一晩中机にしがみついて勉強した。

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