#7.1 善と悪の狭間で

 中学生三年生の夏休みが終わる少し前、僕は全国模試で一位になったご褒美にスマホを買ってもらった。普段から一緒に過ごすことが多いクラスメイトにスマホを買ってもらったことを報告すると、「これでお前も現代人の仲間入りだな」と、僕をLINEグループに招待してくれた。その後、僕は彼らに勧められるまま、SNSのアプリをいくつかダウンロードした。

 孤独を怖れていた僕にとって、SNSは夢と希望に満ち溢れていた。あっという間にSNSの虜になった僕を見て、友人たちは「お前も何か投稿してみろよ」と言った。スマホを持つ前から、自分の好きなことで収入が得られて、多くの人から称賛されるYoutuberやインフルエンサーに憧れを抱いていた。だが、いざスマホを手にすると、何を投稿すればいいのか分からず、ただ液晶画面とにらめっこすることしか出来ない自分に失望した。

 素直に「どうやら僕には向いていないみたいだから止めておくよ」と言えば、それで事は済んだのかもしれない。だが、当時グループの中で僕だけがスマホを持っていなかったせいで、彼らの会話に置いて行かれることが多々あった。ようやくスマホを手に入れて彼らと対等になれたと思ったのに、すぐに放り出してしまったら彼らに嫌われてしまう。それだけは絶対に阻止しなければならないと思った。

 散々考えた末に、見た人が少しでも前向きになれるような言葉を投稿した。独創性がない上に、共感してもらえるような要素が欠片もない投稿だったが、自分なりに満足した。投稿を終えた後、自分の発信したものが誰かを不愉快にさせてはいないか不安になり、そうかと思えば「いいね」がひとつも付かないことに苛立ちを募らせた。



 週明けの月曜日。どうすれば「いいね」を増やせるか友人たちに相談しようと、教室の扉に手を掛けた時だった。

「なあ、あいつの投稿見た?マジでくだらないんだけど。予想通りすぎて笑えたわ」

「あいつ真面目すぎてさ、正直、一緒にいても面白くないんだよね。自分がないというかさ。ノート見せてくれる以外、使い道ねえよ」

「マジそれな。真面目が取り柄の、なんの面白みもない奴に限って、社会の荷物になったりするんだよな」

「「「それな」」」

 彼らの笑い声は教室の外まで鳴り響いていた。僕は扉から手を離すと、トイレに引き籠った。何時間も考えた投稿を馬鹿にされたことも、自分が友達だと思っていた人たちにそんな風に思われていたことも悔しかった。だが、何より一番悔しかったのは、『真面目が取り柄の、なんの面白味もない奴』というのは自分という人間をとてもよく言い現わしているなと納得してしまったことだ。

「それな」

 トイレの鏡の前で呟く僕は、あのグループにいたはずのひとりだった。



 小学生の頃、当時仲良くしていた友達から好きな漫画を尋ねられた僕は、兄が好きだった漫画の名前を答えた。

「なにそれ?そんな漫画知らないんだけど」

「きも。そんな奴、放っておいて遊びにいこうぜ」

 彼らに悪気はなかったのかもしれないが、自分の好きなものだけでなく、兄も否定されたようで悲しかった。そんなことが何度か続き、僕は周りと浮かないように無難な回答をするようになった。

『自分がないというか』

『真面目が取り柄の、なんの面白みもない奴』

 自分がないのは、自分の好きなものを否定されるのが怖いからだ。

 僕は皆に好かれたかった。好かれるためなら、どんな努力も惜しまなかった。級友から好かれるために大して面白くもない話に笑い、母親に褒められるために常にテストで優秀な成績を修め、教師から優秀な生徒として一目置かれるために赤点を取った生徒に勉強を教える係を引き受けた。そうした努力もあって、クラスでは普通に友達がいて、教師からは優秀な生徒として認められ、母からもそれなりに愛されていた。

 自分のことを「僕」と呼ぶ方が、母親が喜ぶから。従順な生徒を演じている方が、教師受けがいいから。笑顔でいる方が周りの人たちに好印象をもってもらえるから。常に誰かの評価を気にしながら本当の自分を胸の奥底に沈める日々は、窮屈で溺れてしまいそうだった。

 誰にも理解してもらえなくていい。誰からも必要とされなくていい。そうやって虚勢を張っていても、誰にも愛されないことぐらい分かっていたから、僕は必死に仮面優等生を演じた。

自己犠牲は他人のためではなく、僕自身のため。本心を隠し通せた方が勝ち。どうせ新学期が来ればクラス替えがある。だから僕は大丈夫。何度も自分にそう言い聞かせた。

「全然、大丈夫じゃない」

 自室のベッドに横になった瞬間、愛されたいという思いが風船みたいに膨れあがるのを感じた。世界中の人から注目されたい。認められたい。称賛されたい。誰か、僕を助けて。

 ふとTellmoreのアプリを思い出した。母親は僕にスマホを買ってくれたその日に、Tellmoreのアプリを僕の携帯にダウンロードした。「これでいつでも幸人と一緒よ」と母は言った。アプリをクリックすると、プルメリアの花が画面いっぱいに映し出され、その後、『幸人』と『お悩み相談室』の二つの言葉が表示された。『お悩み相談室』をクリックし、年齢などの個人情報を入力した後、質問したい内容を白枠の中に入力した。


『最近、親にスマホを買ってもらい、友達に勧められてSNSを始めました。独創的なアイデアを生みだせず、ありきたりな投稿しか出来ない自分が駄目な人間に思えて辛いです。友達からも「くだらない」と言われてしまいました。自分の投稿した内容が誰かを傷つけていないか不安になったり、そうかと思えば「いいね」がつかないことに苛立ちを覚える自分が情けないです。かと言って、SNSの投稿をやめてしまったら、再び友達から距離を置かれてしまいそうで怖いです。僕はどうすれば救われますか?』


 我ながら情けない質問だと思った。投稿した数分後、一通のメールが届いた。酷いことが書かれていたらどうしようと思いつつ、恐る恐る回答ボックスを開くと、件名に『大丈夫』という文字が書かれていた。


『あなたは決して駄目な人間ではありません。人の気持ちを考えられるあなたは、この現代社会における貴重な存在です。どうか、その優しさで困っている人の心を救ってあげてください。そうすれば、きっとあなたが探している答えが見つかるはずです。』

 

 それは短い文章だったが、傷ついた僕の心を癒してくれた。回答を読み終えた僕は、ボロボロと涙を零していた。



 僕の質問に回答してくれたのは、<ユキト>という人物だった。<ユキト>はTellmoreでは名の知れた人物だったらしく、<ユキト>のプロフィールには最も多くベストアンサーを獲得した人に贈られる王冠が光り輝いていた。

 TellmoreはTwitterと提携を結んでいるらしく、Tellmoreで友達申請が許可されると、Twitter内で連絡を取ることが可能になっていた。それに加えて、友達になると相手が今までどんな回答をしてきたのかを見ることが出来ると知った僕は、<ユキト>にフォローリクエストを申請した。

 <ユキト>の回答を参考にすれば、僕もTellmoreで名の知れたユーザーになれるんじゃないか。そんな下心も少なからずあったが、彼のことをもっと知りたいと思った。数分後、<ユキト>から友達申請の許可が下り、僕は食いつくように彼がしてきた回答に目を通した。どれも相手を思いやる気持ちに溢れた内容で、そんな彼の投稿を見てすっかり毒気を抜かれた僕は、自分もいつか<ユキト>のように大勢の人の心を救えるような人間になりたいと思った。



 僕は早速Tellmoreのお悩み相談室に寄せられた質問のなかから、自分でも答えることが出来そうな質問を探した。『僕は死ぬべきですか?』と書かれた件名が目に入り、その投稿をクリックした。


『僕はどうやっても周りと同じように生きることが出来ません。それがどうしようもなく辛いです。生きていても人に害を為すばかりで、毎日がどうしようもなく辛くて、いっそ死にたいです。正直、もう限界です。周りと違う僕は死ぬべきですか?誰にも愛されない僕は死ぬべきですか?』


 一週間前に投稿されたものだったが、回答者は誰もいなかった。質問者は<グレイ>という人物で、そのユーザー名を見た瞬間、兄が生前好きだった漫画を思い出した。グレイという名の主人公は、漫画好きの兄が最も気に入っていたキャラクターで、正義感が強く、仲間思いで、人類の中で最も強いイケメン騎士という設定だった。彼に憧れを抱かない人間は人間に非ずと、生前、兄が言っていたのを思い出し、僕は<グレイ>というユーザーの質問に回答することにした。


『はじめまして。あなたの投稿を読み、あなたのことをもっと知りたいと思いました。ここで話しにくい内容であれば、Twitter内で相談してもらっても構いません。あなたの力になりたいです。お返事お待ちしております。』


 すでに手遅れだったかと思いきや、数分後に<グレイ>から友達申請の連絡が届いた。

 同性愛者である<グレイ>は、自分が最も信頼していた、かつ好意を寄せていた人物にカミングアウト兼告白したところ、クラスメイトに同性愛者であることをバラされてしまい、瞬く間に学校中の人間に広まったらしい。ショックのあまり、現在は不登校になっているとのことだった。想像以上にハードな内容を引き受けてしまったと思いつつ、自分がいま出来る精一杯の返事をしようと、何度も推敲を重ねながら返事を送った。


『自分が信頼していた人から裏切られて、さぞ辛かったと思います。僕の周りに同性愛者はいませんが、たとえ友人から同性愛者だとカミングアウトされても、僕はその人のことを嫌いにはなったりしないと思います。あなたは周りと違うことで苦しんでいますが、そもそも、この世界で自分と同じ人は存在しません。だから、あなたは周りと違うことで苦しむ必要などありません。あなたはあなたのままでいいんです。いつか、きっとあなたのことを受け入れてくれる人が現れるはずです。だから、どうかこれからも生きてください。あなたの未来を応援しています。』


 送信後、自分の回答が<グレイ>を傷つけていないか不安になったが、『あなたがそう言ってくれるのなら、もう少し生きてみることにします。』という返事が届いた。そして、はじめてのベストアンサーが贈られた。僕は自分の回答が誰かの命を救ったかと思うと嬉しくてたまらなかった。

 その後、興味本位で<グレイ>に例の漫画が好きなのか尋ねてみると、彼はその漫画が大好きだから、自身のユーザー名をその漫画の主人公と同じ名前にしたのだと教えてくれた。僕もその漫画が好きだと伝えると、<グレイ>は自分と友達になって欲しいと言った。

 学校では自分が漫画好きであることを隠していた。そうしなければ、優等生のイメージが崩れてしまうと思ったからだ。だが、ネット上なら、ひとりぐらい漫画好きの友達がいてもいいじゃないか。そう思った僕は、<グレイ>に『僕でよければ』と返事した。

 好きなアニメのキャラクターをはじめ、好きなアニメの主題歌やいま読んでいる漫画について話した。<グレイ>とのやり取りは、時間を忘れるくらい楽しくて、はじめて本当の自分を受け入れてもらえたような気がした。

 彼と連絡を取るようになってから一か月が経った頃、<グレイ>は別の中学校に通うことになったと僕に教えてくれた。転校先での友達作りに失敗しない自己紹介の方法を尋ねられ、自分と似た友達が欲しいなら、自己紹介の時に自分が好きなものを知ってもらうのはどうかと提案した。

 <グレイ>と連絡を取っている間も、僕は<ユキト>のような善良な人間になるべく、時間が許す限り、ありとあらゆる質問に誠意をもって回答した。やがて<来世はきっと深海魚>と名乗る僕のアカウントは、『お悩み相談室』人気相談者ランキング上位にランクインするようになった。

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