第14話 ロード・トゥ・パーディション⑥

(1)


 アラゴルスホテルでの一件から、更に一か月が経過した。

 あたしは一人でサンディのいない家で暮らし、ダグラスの中心地のカフェで週五日働いている。



「お待たせ、フライドポテトとミートボールスパゲッティね」


 皿の上に山盛りになったポテトと、粉チーズがふんだんにかけられたトマトソーススパゲッティの海に溺れる肉団子の群れ。カウンター席に座る、若いのに肥満気味な常連客の男の元まで運んでいく。

 ここのところ、あたしは厨房仕事だけじゃなく、給仕も時々行っていた。景気がやや下向きになりつつあるせいか、店主がサンディが辞めた後に代わりのウエイトレスを雇わなかったからだ。

 あたしには目もくれず料理にがっつき始める客を尻目に、すぐに次の仕事に取り掛からなきゃ、と、あたしは厨房に戻ろうとした、けど。あたしの背後――、カウンター席後方の四人掛けのテーブル席から聞こえてきた会話のせいで、あたしはその場で固まることになった。


「……ねぇ、今料理運んできた女ってさ……、確か……」

「……うん、間違いない。前にここで働いていた、あのやたら可愛い顏した金髪女と同居してるオバサンでしょ??」

「えぇ?!皆、あいつのこと可愛いって言うけど、そんなに言う程かぁ??だってすっごいチビだし、子供みたいじゃなーい??」


 顏は確認していないものの、声や話し方から察するにサンディとそう変わらない年頃の若い女に違いない。声を潜めて話しているつもりだろうけど、あんた達の会話は全部筒抜けなんだからね!


「まぁ、少なくともあんたよりは可愛いんじゃない??だって、あの有名なフラッパーガール、マデリン・フェルディナンドの旦那を寝取るくらいだもの」

「あ、言ったわね、ひどい!でも、本当信じられないわよねぇー、奥さんがいるって分かっている男に手出すなんて!!でも、あいつ、見かけに寄らず、気に入った男とは簡単に寝ちゃう尻軽女で有名だもんね。あたしと付き合う前の話だけど、あたしの彼も成り行きであいつと一回だけ寝たことがあるんだって」

「あんたさ、もしかして、あいつのこと悪く言うのって、それが原因なんでしょ??」


 ち、違うわよ!!と、大きな声を張り上げて必死に否定する女の声、友達を揶揄うもう一人の女の会話をこれ以上聞きたくなくて、あたしは怒りを押し殺して厨房に入っていく。

 こっっの……、口とあそこがガバガバに緩い馬鹿オンナ達が!!!!

 憤然とあたしは重ねた食器類をシンクの中に乱暴に置いた。ガシャンと、思いの外大きな音が出てしまい、しまった、割れたかヒビでも入ってなければいいけど……、焦ったと同時に「おい、フランシス……」と、店主に声を掛けられてしまった。


「あ、うわ、は、はいっ!!」

 まずいところを見られた、これは店主から叱責されてしまう……、と、恐る恐る振り返る。

「フランシス、給仕はもうやらなくていい。厨房の仕事に専念してくれ」

「……え??」

「……どうも、ゴシップ誌の記者らしき奴らが、客の中に紛れ込んでいるんだ……」

「……あぁ、そういうこと……」


 どこでどう情報が漏れたのか定かではないけど、サンディとロイの関係が各報道機関から取り沙汰されるのに左程時間はかからなかった。あたしの周辺にもゴシップ誌の記者達がやたらとうろつき始め、時には職場や家にまで押しかけてくることもしばしば。

 店や他の従業員に迷惑をかけちゃいけないと悩んだ末、一度は仕事を辞めると店主に告げたのだけど……。『ただでさえ人手不足なのに、そんなくだらない理由で辞められたら困る』と一蹴されてしまった。 無骨で不器用な店主なりの慈悲だろう。お陰で、あたしは今もこうして店で働かせてもらえていた。




(2)


 終業時間が訪れても記者達はまだ居残っていたらしく、あたしは後片付けもそこそこに厨房の奥、店の裏口からこっそりと店を退出すると足早に最寄りのバス停まで走っていく。流石にバス停までは待ち伏せされておらず、ホッと胸を撫で下ろしてスウィントン行きのバスに乗り込む。

 バスに揺られること、約三十分。スウィントンのバス停に降り立ったあたしは帰路を急いだ。


 家主のサンディがいないのに、居候のあたしがいつまでも家に住み着いている訳にはいかない。出て行くつもりで安アパートの物件を探していた時、『万が一、サンディが家に戻ってきた時のためにここにずっといて欲しい』と、彼女の兄弟達に、この家に留まるように説得されたのだ。


『サンディについて心配は大いにしているけれど……。こっちも自分達の家庭があるし、中々サンディのことまでは手が回らなくてね……。だから……、サンディについては君に任せてもいいだろうか……』


 申し訳なさそうにしながらも、結局は厄介事に巻き込まれたくないだけじゃないか!と、内心彼らに腹を立てた反面、やはりサンディを真に理解できるのはあたししかいないんだ、と使命感にも似た決意が込み上げてくる――、なんて考えている内に――

 赤茶色や灰色、白など様々な色の石が使われた、石造りの二階建ての家――、あたしが住むサンディの家へと辿り着く。そして玄関の前の人影に気付いた途端、あたしは思い切り渋面を浮かべてみせた。


「サンディ・ハッチャーの同居人のフランシス・キャッシュさん、ですよね??」


 オックスフォード・バグと呼ばれる、極端に太いバキ―・パンツを履き、パンツと同色のジャケットに山高帽を被った若い男。まだ大学を卒業したばかり、と言った体の、世間ずれしてそうな雰囲気が感じ取られる坊やだが、手にしている分厚い手帳に肩から下げたカメラ、それにさっきの台詞からしてどう見てもゴシップ誌の記者だ。


 あたしは、この坊やに鋭く一瞥くれると、サンディについてあれこれ質問を投げ掛けてくるのを一切無視して家の中に入っていく。

 めげずに坊やは、あたしが二階の自室で着替えている間も玄関の扉を叩きながらで大声で話を続けたり、しきりに呼び鈴を鳴らしたりして、あたしを中から呼び戻そうと躍起になっている。さすがにしつこい、と、業を煮やしたあたしは、部屋着に着替え終わると階段を降りて玄関に向かった。

 わざと、バンッ!と大きな音を立てて扉を開け放すと、坊やはビクッと大仰に肩を震わせて驚いてみせる。あたしよりも小柄な彼を、上からじっときつく睨み据える。あたしのただならぬ気配に、坊やの額から頬に掛けて冷や汗らしきものが一筋、ツーッと流れて行く。


 何だ、随分と肝の小さい男ね。

 心中で嘲りつつ、あたしは坊やに冷たく言い放つ。


「いいかい??坊や。サンディ・ハッチャーは、あんたらが書き立てている記事通り、顔は良くても頭も身持ちも軽い、どうしようもない女さ。それ以上でもそれ以下でもないわ。じゃ、そういうことでとっとと帰っておくれ!まだ居座る気なら、保安官を呼びつけてやるわよ!」


 警察沙汰になるのはマズい、とでも思ったのか、坊やは慌てて踵を返し、逃げるように家の前から立ち去ってくれた。今日のところは、これで免れた――、安堵と共にどっと疲れが押し寄せてくる。

 すると、今度はジリリリ、と、リビングから電話の音が鳴り響いてくる。

 次から次へと、一体何なんだ、と、うんざりしながらリビングに向かう。


「はい」

『あ、フラン?!』


 受話器越しから聞こえてきたのは、聞き慣れた、甲高いけれど可愛らしい声。


「サンディ??一体どうしたのよ??」

『うん……、ちょっと……、特に用事はないんだけど……。フランと話がしたくなって……』

「あたしは構わないけど……。何か嫌な事でもあったの??」

『うーん……』


 未だ会うまでに至ってはいないものの、サンディからは時々電話が架かってくるようになっていた。

 サンディの話によると、ロイの新作は少し前に脱稿したものの、脱稿する直前に突然マデリンが彼の部屋に押し掛け、連日のように入り浸り始めたという。

 幸いなことに、サンディがロイと同じホテルに泊まっていることまでは知られていないみたいだが、外出もままならないどころかロイとも会えずじまいでいるせいで、相当心労を溜め込んでいるみたい。


『……でね、あの女ってば酷いのよ?!この間なんて、泥酔したあげく部屋で大暴れして、部屋の家具から内装まで全部壊したらしいの!!可哀想なのはロイよ!あの女のせいで弁償金全額払わされたあげく、ホテルを出て行かざるを得なかったのだもの!!』

「えっ、じゃ、サンディ、あんたとロイ、さん……は、今は別々のホテルに泊まっているの??」

『ううん、あの女がパーティーに出掛けている隙に、こっそり同じホテルに呼び寄せてくれたの。でも、あいつがいるせいでロイとは全然会えないの……。ねぇ、聞いて、フラン。あの女はやたらと被害者ぶっているけど、あいつだって異国の若いパイロットを愛人に囲っているらしいの!あたしとロイが出会うずっと前から!!なのに、自分の事はすっかり棚に上げてロイのことばっかり責めるのよ?!どこまでロイを傷つけて、あたし達の邪魔する気なのかしら?!』


 マデリンへの憎悪の念を言い募るサンディに、あたしは次第にいたたまれなくなってくる。


「サンディ……、もう、その辺で……」

『あんな女、死ねばいいのに』


 あぁ、あんなに天使のようだったサンディの口から、よもやこんな憎しみの籠った恐ろしい言葉が出て来るようになるなんて。

 くらくらと眩暈を覚えながらも、あたしはどうにかしてサンディの気を逸らすべく、話題を変えることにした。


「……ねぇ、サンディ……。今度、気晴らしにさ、家に遊びに来ない??ただし、朝早い時間に人目を忍んで、って形になってしまうけど……。そうそう!あんた、前にあたしに美味しいパンケーキの作り方を教えてって言ってただろ?!外出できない代わりに、パンケーキを一緒に作ろうよ!」

『…………』


 どうして、こんな子供だましみたいな慰め方しか出来ないのだろうか??

 自分の浅はかさがつくづく嫌になってくる。

 サンディはあたしの提案を受けるかどうか考えているのか、もしくは白けてしまったのか、受話器の向こうで黙り込んでいる。


「……サンディ??」

 沈黙に耐え切れず、あたしはサンディに呼びかける。

「べ、別に、嫌だったら……」

『……ロイがね、甘いパンケーキが好きなんだって……』

「……え??」

『笑っちゃうよね、旧家のお坊ちゃまが庶民的なパンケーキが好きだなんて……。……でも、いつか……、ロイと一緒に暮らせるようになった時のために……、フランに教えてもらおうかな……』


 ほんの微かにだが、サンディの声が明るさを取り戻した、ような気がする。

 正直、動機は気に入らないけれど、サンディが少しでも穏やかな気持ちになってくれたなら、この際何でもいい。


 その後、美味しいパンケーキの作り方を今度の休みに教える、と約束し、あたしはサンディとの電話を終える。

 同時に、こんな泥沼な不倫関係からサンディが早く目を覚ましてくれないものか、取り返しのつかない事態に陥る前に――と、受話器を置きながら、一段と深いため息をついたのだった。



 けれど、『取り返しのつかない事態』とやらは、すぐ目前まで迫っていたことを、あたしもサンディもまるで気付いてはいなかった――

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