第15話 ロード・トゥ・パーディション⑦

(1)

 

 昼間はうだる暑さが襲う真夏であっても、深夜や早朝にかけてはぐっと気温が下がり、冷え込むことがしょっちゅうある。サンディと話した日の翌朝、あたしは毛布を頭までかぶりながらベッドでうとうと微睡んでいた。そろそろ起きる時間だと、頭の片隅で意識しながら。


(……う、ん……??)


 誰かが、あたしの名前を耳元でひっきりなしに呼びかけている。しまいには肩を叩いたり、身体を激しく揺さぶってさえくる。まだ眠くてたまらないんだけど!

 半分寝惚けたまま瞼を無理矢理こじ開ける。すると、目の前には真っ赤に泣き腫らした顔のサンディの姿が。一瞬にしてあたしの眠気は吹き飛び、弾かれたように飛び起きる。


「サ、サンディ?!こんな朝早くに、一体どうしたんだい?!」


 今度はあたしの方が床に膝をつくサンディの肩を掴んで大きく揺さぶった。サンディは激しく泣きじゃくるばかりでまともに会話できそうにない。よくよく見返してみれば、薄手のカーディガンの下は寝間着で、素足にハイヒールを履いていた。

 とにかく、まずは落ち着かせなきゃ。あたしは彼女の小さな身体をぎゅうと抱きしめ、背中を優しく撫でさすった。



 どれくらいの時間、そうしていただろう。

 ようやく落ち着きを取り戻し始めたサンディの口から、耳を疑う信じられない話の数々が飛び出した。



 昨夜未明、ロイとマデリンの部屋に強盗目的で何者かが侵入。

 恐慌状態に陥って騒いだマデリンが銃で撃たれた、らしい。

 マデリンは頭部や胸、腹に何発も銃弾を撃ち込まれて即死。

 犯人は思わぬ殺人を犯したことで怖気づいたのか、何も盗むことなく部屋から逃走――、したものの、すぐに警備の者の手により捕えられた。


 でも、話はそこで終わりじゃない。



『俺はこいつに頼まれて女を殺したんだ!』



 ロイは男と共に警察に連行。騒ぎに乗じてサンディはホテルから抜け出し、ほうほうの体でタクシーに乗り込んで逃げてきたらしい。



「ねぇ、どうしよう……、フラン……。あたし……、怖くて思わず逃げて来ちゃったけど……。ロイは……、ロイは、どうなってしまうの……??」


 マデリンを殺害した男の話が真実だとして――、依頼殺人の場合、死刑とまではいかないまでも終身刑を下されるだろう。

 ……なんてことは、錯乱状態のサンディには口が裂けても言える訳がない。


「さ、さぁ、あたしにはよく分からないよ……」

「嘘よ!フランの旦那さんは服役囚なんだから、知らない筈ないじゃない!!」

「……い、いや、あたしの亭主とじゃ、罪状が全然違うからさ……、本当に、分かんないんだ……」


 サンディはそれ以上は追及してこなかった。代わりに、一層大きな声を上げて再び泣き始めてしまった。

 サンディに掛ける言葉が見つからず、あたしはただただ、抱きしめて優しく宥めるより他に成す術がなかった。







(2)



 

 マデリン・フェルディナンド殺害事件から、およそ三週間が経過した。





「ハッチャーさん、いるんでしょ?!今回のフェルディナンド夫妻の事件についてお話を伺いたいんですけどー」

「一部では、貴女がフェルディナンド氏に妻を殺して欲しいと頼んだ、と言われていますが、本当ですかー??」


 朝から玄関の前に群がる報道陣を、二階の窓からカーテンを僅かに開いて忌々しい気持ちで見下ろす。あたしの背後――、ベッドの上では、タオルケットを頭からすっぽり被ってぶるぶる震えるサンディがいた。


 ロイが、知り合いのギャング(多分、ギャングと言っても末端も末端、そこら辺に吐いて捨てる程いるただのチンピラだと思う)にマデリンの殺害を依頼したと警察に自供したせいで、以前とは比べ物にならない数の報道陣(ゴシップ誌だけじゃない、歴としたお堅い新聞社も含め)があたし達の元へ詰めかけてくるようになってしまった。

 サンディだけじゃなくてあたしまでまともに外出できず、当然、仕事にも行けない。数日前、とうとう店主から電話でクビを言い渡されてしまった。


 でも、あたしなんかよりサンディの方がもっと、もっと可哀想だよ。

 警察から何日も拘束されての執拗な事情聴取の末、ようやく殺人事件自体には関りがないって解放されたばかりなのに。

 連絡受けて警察まで迎えに行った時の、衰弱しきった姿は今でも目に焼き付いて離れない。


 げっそりとやつれた青白い顏。死んだ魚みたいに虚ろな青い瞳。

 まともに寝させてもらってなかったのか、目の下にはどす黒いまでの濃い隈。

 乾燥しきってひび割れている青紫色の唇。たった数日の間に、彼女特有の溌剌とした愛らしさは見る影をなくしきっていた。

 どんな辛かったか、怖かったか。心細かったか……。あたしのちっぽけな脳みそなんかじゃ到底計り知れない。

 その数日後、報道陣の目を掻い潜って二人でダグラスの拘置所へ(正確に言えば、あたしはサンディの付き添い)、公判が始まる前のロイに会いに行ったサンディときたら……。

 面会室にロイが姿を現した途端、間を隔てる格子戸の網を引き千切らんばかりに掴み掛かり、涙ながらにロイの名を繰り返す姿が余りに惨めで痛々しくて。

 あたしは部屋の隅に佇みながら、つい目頭が熱くなったものさ。


 日に日に家に押しかけてくる報道陣の数は増える一方で、あれっきり拘置所には行けていない。サンディは何度もロイ宛の手紙を書いては、人気のなくなった夜遅くにあたしを付き添わせ、郵便ポストへ手紙を投函し続けている。

 あたしとしては、そんな未練がましい真似は辞めて欲しいところだけど――、無理にでも辞めさせた場合、サンディが首でも吊って自殺しかねない気がして。

『暗い日曜日』がラジオから流れてくる度に、ロイ恋しさと辛い現実に心を痛めて涙ぐむ。些細なことでむしゃくしゃしては、すぐに大きな声で泣き喚く。

 昨日だって、ロイが法廷に立つためにダグラスの拘置所から更に南へ二百五十km離れたディートンに移送された話を知った時のサンディは、よもや発狂したのではと疑いたくなる程の取り乱しようだった。


「サンディ、大丈夫だよ。何があっても、あたしはあんたを守ってあげるからね」


 嘆き悲しむサンディに胸を痛めつつ、サンディがあたしの元へ戻ってきてくれた、と、一人喜びを噛みしめてもいた。

 サンディ自身はロイに会いたい、でも周囲が邪魔するせいで面会に行けない、とひたすら打ちひしがれている。


 でもね、そうやって落ち込んでいるのも今の内だけさ。

 最初はあいつに会いたくて仕方ないだろうし、状況が落ち着き次第、まめに面会に出掛けると思うけど。

 一年もすれば、世間はまた別の事件に夢中になり、依頼殺人で妻を殺害した若き作家とその愛人など忘れてしまうし、サンディもロイへの面会の足は自然と遠のいていくだろう。あたし自身がフランキーに対してそうだったから。


 過酷な刑務所生活を送り続ける内に、フランキーはすっかり面変わりして口数の少ない陰気な男に変貌してしまった。あたしは、悪い方へと変わっていくフランキーの姿を見たくなくて……、彼が収監されて二年が経つ頃にはぱったりと会いに行かなくなっていた。

 そうしないと、彼の出所を待ち続ける決意が揺らいでしまいそうだったから。

 彼が出所したら、彼が三十年間背負い続けた苦しみを存分に分かち合ってあげよう、って思ったんだ。まぁ、今となってはもうどうでもいいことだけれどね。

 フランキーのように心身が強くしっかりした男ですら変わってしまうのだから、ロイのような苦労知らずのお坊ちゃまなんて尚更耐えられないだろう。

 きっとサンディの性格上、変わっていくロイをいつか見限るに違いない。


 そしたら、またサンディと出会った頃――、時々刺激的ではあったけど、二人で楽しく過ごしていた頃に戻れる――




「ねぇ、フラン」


 雨の中に打ち捨てられた猫のように、しきりに震えていただけのサンディが急に話し掛けてきた。サンディのか細い呼び声であたしは現実に引き戻される。


「どうしたの、サンディ??」


 振り返ったあたしを、サンディは大きな空色の瞳で食い入るように見つめてくる。雲一つない快晴の空のような青ではなく、どんよりと灰色がかった雲に覆われた昏い瞳。


「あのね、フランにお願いがあるの。あたし、またロイに会いたいの。だから……」

「ディートンの拘置所まで付き添って欲しい、ってこと??」

 スウィントンからディートンに行くには、片道だけでも電車で約半日かかる。

「ううん、違う」

「じゃあ、何なの??」

 サンディは一瞬躊躇う素振りを見せる。

「ディートンの拘置所はあたし一人で行く。だから、その……、お金を貸して欲しいの……」


 あたしは視線をサンディから徐に逸らし、右から左へ忙しなく泳がせた。

 金を貸すことはともかく、今のサンディの精神状態で一人遠出させるのは非常に危険な気がしてならないからだ。

 サンディはあたしの迷いに気付いたのか、被っていたタオルケットを取っ払って立ち上がった。困惑したまま窓辺に佇むあたしに詰め寄ると、必死の体で腕に縋りいてきた。


「ねぇ、フラン。あたしからの一生のお願いよ……。このままだと、きっとロイの刑は確定してしまうわ。あたし調べたんだけど、依頼殺人だと終身刑を言い渡されるかもしれないんだってね。刑が確定してしまったら、もっと遠くの街に移送されて面会に行くこと自体が難しくなってしまうかもしれないわ。だから、今の内に……、ロイに会っておきたいの……。だから……、お願い……」


 大きな瞳一杯に涙を溜めては、サンディは切々とあたしに哀願してくる。


「……わ、分かったよ……。その代わり、絶対にこの家に帰ってくる、って約束してくれるかい??」

「勿論よ!だって、フランはあたしの大事な友達で唯一の味方だもの!!そんなフランとの約束、守らない訳ないじゃない!!」

 胸の前で両手を握り拳の形に構え、半ばムキになって息巻くサンディに、あたしは軽く肩で息をついた。

「……分かったよ。あーあ、サンディには本当に敵わないったらありゃしないわ」

「何よそれ、フランってばひどいなぁ……」

 わざと唇を突き出してむくれるサンディに苦笑しながら、「はいはい、あんたを信用しているからね。約束通り、ちゃんと帰ってきてよ??」と念を押す。

「もう、分かっているってば。フランの過保護!」

「だって、サンディ危なっかしすぎるからさ」


 何よもう!と、サンディはあたしの腕や胸を握り拳でポカポカと叩いてくる。

 一抹の不安はどうしても拭えないけれど、サンディにやっと本来の明るさが戻ってきたことが我が事のように嬉しくて堪らなかった。


 

 ねぇ、サンディ。

 あたしは、あんたを決して裏切ったりはしないから。

 あんたもあたしを、絶対に裏切らないでおくれ。

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