第13話 ロード・トゥ・パーディション⑤

「初めまして、フランシスさん。僕がロイ・フェルディナンドです。どうかお見知りおきを。それと……、突然お呼び立てして申し訳なかったですね」


 ロイは円卓を間に挟む形であたしの向かい側の席に座ると、卓に両肘をついて顔の前で指を組んだ。ロイの指は、男の癖に女のものと見紛うくらいに白くて細長い。家事や力仕事といった労働の経験なんて何一つしたことないだろう。

 ただ一点だけ、右手人差し指の真ん中あたり(あたしにはこういう風にしか説明できない……。何ていうか、節??みたいな部分??)だけ、タコ??マメ??みたいなものができていた。


「……いえ、別に……、……って、こっちこそ初めまして。あたしはサンディの友人、フランシス・キャッシュよ」


 あたしはロイと顔を合わせるのは初めてかのように、ぎこちなく挨拶を述べる。

 ロイは本当にあたしの正体に気付いていないのか、もしくはテイタム・キャッシュのことなどとうに忘れてしまっているのか。それとも――、あたしの正体を分かっていながら知らない振りを決め込んでいるのか――

 彼の真意が全く掴めず、あたしは密かに戦々恐々とした思いに駆り立てられていた。


「あの、フェルディナンドさん……」

「僕の事はロイと呼んで下さい」

「……ロイ、さん……。早速だけど……、あたしをここに呼び出した用件は一体何なんでしょう??」

 ロイは、警戒心剥き出しのあたしを宥めるつもりか、穏やかに微笑んでいる。

「僕自身は君に用はないのだけど……。君こそ、僕に言いたい事が沢山あるだろうと思ってね。だから、今日は君の為に、こうして僕と話をする機会を作ってあげたんだよ」


 さぁ、今なら君の質問に何でも答えてあげるよ、と、にこやかに笑うロイ。

 相変わらず、温厚な物腰とは裏腹の傲慢さが滲み出ている態度に腸が煮えくり返ってくる。


「じゃあ……、この際、遠慮なく言わせてもらうわ……。ロイさん、あんた、歴とした奥さんが有りながら、どうしてサンディに手を出したのよ?!信じられないったらありゃしない……!あの子は……、サンディはね、誰よりも純粋な代わりに凄く夢見がちな子なの!!今でこそ有名人のあんたとの付き合いに舞い上がっているけど……、いずれはぼろぼろに傷つくのが目に見えているわ。ねぇ、一時の気まぐれなんかであの子を弄ぶのはやめておくれ……!あの子の傷が深くなる前にさっさと別れてくれよ!」


 感情が高ぶる余り、つい、あたしは思いの丈を包み隠さずはっきりと口に出してしまった。我に返ったあたしは言うだけ言っておいてから、慌ててそれとなくロイの様子を窺う。あの時――、あたしを誘拐する直前、みたいに、態度を一変させられた時の恐怖が忘れられないでいたからだ。

 だけど、あたしの心配は全くの杞憂だったようで、ロイは特に気分を害してはいなかった。


「サンディの話通り、フランシスさんは本当に友人想いの優しい人なんだね。ただ、一点だけ激しく誤解しているようだから、訂正させて欲しい。僕は一時の気まぐれでサンディと交際している訳じゃないし、彼女を弄んでいるつもりはない」

 ロイが口にしたサンディの名に甘やかな響きが含まれていたけど、だからと言って信用に値するかはまた別の問題。

「……口ではどうとだって言えるさ!だったら……、本気でサンディに惚れているなら、奥さんと離婚してちゃんとけじめをつけておくれよ!!」


 ロイは整った眉目をほんの僅かに顰め、自分とサンディとの関係をどうあたしに納得させようか、考えあぐねている。ロイの言葉を一つも聞き漏らしてなるもんか、と、正面から彼を真っ直ぐに見据える。

 穴が空かんばかりに見つめられているのに、ロイは一切たじろぐことなくあたしを見つめ返しながら、ゆっくりと唇を開いた。


「……あのキャンプ場で彼女を、サンディを一目見た時から、僕は彼女の事を片時も忘れられなかったんだ……。寝ても覚めても、サンディのことが僕の頭の中から離れてくれなくてね。終いには執筆もままならない程だったよ。それくらい、僕は彼女に強く惹かれてしまった……。同時に、今後僕が執筆する作品の新しいヒロインとして、是非ともサンディを起用したいと思い始めたのさ。僕が書く小説のヒロインは、必ず僕が愛する女性をモチーフにすると決めていてね。これまでのヒロインはマデリン、僕の妻だったんだけど、サンディと出会ってからは小説のヒロイン像は彼女以外有り得なくなってしまった。マデリンの美しさゆえの潔いまでの放埓ぶりや気性の激しさは、今までの僕の作品に素晴らしい影響を与え続けてくれたけど、これからはサンディの天真爛漫な明るさと何にも縛られない自由奔放さが僕には必要なんだ!勿論、サンディには僕のこの想いは全て話したし、彼女も納得……、どころか、凄く喜んでくれたよ。僕の思った通り、彼女は出会うべくして出会った理想の女性だ」


 やっぱり、あたしにはこいつの考え方は到底理解できそうにない。

 第一、質問の答えにまるでなっていない。


「ロイさん、あんたのサンディへの気持ちも互いに熱烈に想い合っているのも、嫌になるくらいによく分かったわ。で、肝心の話、奥さんとはちゃんと別れてくれる訳??」

 ロイの小奇麗な顔を思い切り平手で張り倒してやりたい!

 でも、と、必死で我慢しながら、あたしは極力怒りを見せないように努める。

「そのことだけど……。僕はサンディも必要だけど、まだマデリンも手放したくないんだ。今執筆している作品のヒロインはマデリンをモチーフにしているから、脱稿するまで彼女と別れるつもりはない」

「はぁ?!ふざけたこと言ってるんじゃないよ!!」


 ロイの、およそ男としても人としても最低極まる発言に、あたしは椅子を蹴倒す勢いで乱暴に立ち上がった。足元でずっと蹲っていた猫はあたしの剣幕に吃驚し、飛び出すようにテーブルの下から素早く逃げ出していく。

 ロイはあたしの怒りが全く理解できないのか、きょとんと呆けたようにあたしを凝視している。その様子が、益々持ってあたしの怒りに火を付ける。


「何でいちいち君が怒るのかなぁ??サンディ自身はちゃんと納得してくれたんだから、部外者の君に怒鳴りつけられる筋合いはないんだけど」


 直後、ロイの萌黄色の瞳に怜悧な光が宿り、唇が厭らしく歪む。


「ねぇ、テイタムさん??」


 頭に昇り詰めていた血が一気に爪先までサーっと下りていく。

 円卓に両手をつき、立ち上がったまま全身を硬直させるあたしを、ロイは愉快そうに眺めている。


「フランシスさん、君、テイタムさんでしょう??ダウンタウン・ヒュージニアのこじんまりとした食堂の賄い婦だったテイタムさん。あの時と見違えるくらい綺麗になっていたから、最初は全然気付かなかったけど……」

「……な、何のこと……」

「君の素性を調べることくらい訳ないよ。それよりも……、君が偽名を使い、素性をごまかしていることをサンディに暴露してもいいのかな??」


 一見優しげに見えるが、冷笑とも嘲笑とも取れる嫌な笑顔。形勢逆転。

 蛇に睨まれた蛙が身動き取れない気持ち、今のあたしなら痛い程に理解できる。


「…………い、いや…………、それだけは、やめて……」


 誘拐された時の記憶が鮮明に蘇る。

 足が竦んでいるだけでなく、足の裏から根が生えてしまったように、あたしはその場から離れることも椅子に座ることすらもできない。

 馬鹿みたいに、軽い中腰姿勢で突っ立ったままのあたしに、ロイは更に言葉をたたみ掛けてくる。


「サンディから話を聞く限り、君達は恋人同士と見紛うくらい仲が良いみたいだね。正直、僕は君達の深い友情に嫉妬心を抱いたよ。ねぇ、テイタムさん。君に言われなくても、マデリンとはいずれ別れるつもりだから安心してよ。それよりも、僕との交際でこれからサンディは各報道機関を通して世間の批判に晒されてしまうかもしれない。だから、君だけは彼女の味方でい続けてよ」

 一転して、宥めるような猫撫で声でロイはあたしを諭してきた――、というよりも、半ばほとんど脅迫を受けている様なものだが。

「僕はね、何も君達の友情を壊すつもりは一切ないんだよ。僕の邪魔さえしないのであれば、いつだってサンディに会いに来てやって欲しいんだ。ねぇ、テイタムさん」



 テイタムって呼ぶな。

 フランシスって呼べ。

 

 テイタム・キャッシュはあの夜、カルディナ山中で一人きりで死んだ。

 あくまでも、あたしはテイタムの生まれ変わりの別人、フランシス――



 あんた、馬鹿だろ??



 いくら名前や住む場所や外見を変えたところで、結局のところ、あたしはショーシャーナで暮らしていた頃と何ら変わっていないし、今後も変わらないのだろう。

 いつだってあたしは周りに振り回されるだけ。サーカスで観客から笑いものにされるピエロのような存在でしかない。


 人はこの世に生まれ落ちた時からそれぞれ与えられた役柄があって。


 例えば、ロイは虎やライオンを意のままに操る猛獣遣い。サンディは軽やかな身のこなしでくるくると宙を回る空中ブランコ乗り。

 どちらも失敗すれば、場合によって命の危険が伴う役だけど、ロイもサンディも恐れるどころか、むしろ喜々として演じるに違いない。

 臆病者のあたしは絶対にどちらも選ばない。

 玉乗りに失敗して笑われるだけ、でも死ぬことだけは絶対にないピエロでい続けるし、多分ピエロしか演じられない。


 ピエロでしかいられない癖に、腰を引かせて猛獣を操ろうとしたり、高い所が苦手なのに空中ブランコを乗りこなそうとしたのが、身不相応な間違いだったんだ。


 だったら、とことん道化に徹するしかないじゃないか―― 






 あえて本名で呼んでくるロイに返す言葉もなく、あたしは理不尽さと共にどうしようもない諦念を感じながら、黙って頷くしかなかった。


「ようやく理解してくれたみたいで助かったよ。そうだ、そろそろサンディも起きているだろうし、ここへ呼び出してあげようか??」

「サンディは……、このホテルにいるの??」

「うん。僕とは違う部屋だけどね」

「サンディからは、ダグラスで一緒に暮らすって聞いたのだけど……」

「あぁ……。現在執筆中の作品が脱稿するまでまだ一か月は掛かりそうだし、マデリンとの離婚が成立してからの話だね。でも安心して。脱稿さえしてしまえば、サンディも日陰の身から脱することができるから」


 ロイは簡単に言ってのけるが、そう首尾よく事が運ぶとは到底思えない。

 けれど、この時のロイとサンディは――、若い二人に幸せな未来が訪れると信じて疑っていなかった。


 ひどく緩慢、それでいて確実に、破滅の道へと突き進んでいるとは露知らずに。 

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