第6話 異世界に来ても、モブだった。


 女神との面会を終えて、来訪者用の住居まで案内された後、俺はアンバーと待ち合わせした場所に向かった。


 歩いているうちに日が暮れはじめ、宵闇の薄紫色のベールが、舞い降りるように町の屋根を包みはじめて、夜の気配が近づいてきたが、まだ酩酊するには早い時間帯だ。



「あ、イチロー! 話、終わったんだぁ!」


 だけど、俺が暇取り屋の入り口をくぐった瞬間に、すっかり酔っぱらったアンバーが出迎えてくれた。


「話、どうだった? どうだった?」


 アンバーは、カウンター席に座っていた。俺が隣に座ると、俺の肩に腕を回す。酒臭い息が、首にかかった。


「おう、そいつが新人の来訪者君か。こっちに連れてこいよ」


 アンバーの隣に座っていた男が、手招きして、俺はアンバーに引き摺られるように、カウンターに連れて行かれた。押し込むように俺を、開いている席に座らせると、アンバーはその隣の席に収まる。


「それで、どうだった? 話を聞かせて」


 俺は、エイレーネ様との会話の要点をまとめて、アンバー達に話して聞かせた。


「なるほど。イチローは冒険者に選ばれたんだね」


「ああ、そうみたいだ」


 俺は勢いよく袖をまくり上げて、腕に刻まれた冒険者の照合を、アンバーに見せた。


 ――――冒険者に選ばれたことを、誇らしく思っている。ゲーム大好きな俺にとっては、冒険者は夢の職業だったのだ。だからアンバー達も、無条件に褒め湛えてくれると思い込んでいたが――――次の瞬間、期待は裏切られることになる。


「ああ、やっぱりね」


 アンバーの口から出てきた感想は、拍子抜けするほど、あっさりしたものだったのだ。


「ん? どうしたの?」


 目を丸くした俺を、アンバーのほうが不思議そうに見つめる。


「いや・・・・反応、それだけ? 冒険者だよ。未開の地に踏み込んで、未知の生物と戦って色々な冒険譚を生みだしていく――――そんな素晴らしい職業じゃない?」


「ああ、あんた、冒険者を美化しているんだな」


 するとアンバーの隣にいた男が、そう言った。どの顔にも、子供の夢物語を聞いて、リアクションに困っているような苦笑が浮かんでいる。


「俺も来訪者なんだけどよ、女神様に冒険者の称号を貰った時は、本当にうれしかったぜ。・・・・だけど実際は、冒険者なんて言っても、そんな大層な職業じゃねえよ」


「え? 違うの?」


「この国における冒険者って言うのは、いわば、兵士になれなかった連中のことだ。周辺地域の調査をして、害獣や凶悪なモンスターが出たときは、それを討伐する。それが俺達、冒険者の役割さ」


「・・・・冷めてるな」


 異世界の冒険者のおっさん達は、某漫画の海賊王を目指す少年ぐらい、夢に溢れていると思っていたのに――――現実は、夢のゆの字もなさそうだ。


「というか、この世界じゃ特別なスキルがなければ、冒険者に選ばれるから。イチローも冒険者に選ばれると思ってた」


「・・・・・・・・へ?」


 俺は何度も瞬く。


「・・・・冒険者って、特別な才能で選ばれるんじゃないの?」


「ああ、あんたもそんな勘違いをしちまったクチか」


 おっさん達は、へらへら笑った。


「むしろ――――その逆だな。研究者や建築家、芸術家なんかの才能がない来訪者が、冒険者や商人に選ばれやすい。そうだな、いわば――――俺達はモブだ」


「なんで異世界の住人なのに、モブって言葉を知ってるんだよ!」


 異世界に来た。神に選ばれて、人生をやり直すために、ここに転移したんだ。――――そう思っていたのに――――現実は非情である。


 元の世界で最底辺のモブだった俺は、異世界に来ても、やっぱりモブであるという現実を突き付けられてしまった。


「そんな馬鹿な・・・・選ばれたと思っていたのに・・・・」


 力が抜け、俺はカウンターに突っ伏す。


 女神が俺の隠れた才能を見抜き、冒険者にしてくれた――――そう思って胸躍らせていた数十分前の自分に、全力で右ストレートをぶち込みたい。

そして、「どれだけ期待したところで、しょせんお前はモブなんだよ!」という言葉をぶつけてやりたい。


「ま、まあ、そんなに気落ちせずにさ。誰もが最初にぶち当たる壁だから~」


 俺の憔悴ぶりが、あまりに憐れで、見ていられなかったのだろう、アンバーが俺の肩を優しく叩いてくれた。


「あ、ああ・・・・」


 異世界で女神からチート能力を賜り、イケメンやモンスター相手に無双する――――そんな夢は砂上の城より儚く崩れ去ったが、コミュ障の俺が、こうして優しい美少女に慰められている――――優しい彼女を作るというもう一方の希望は、まだ潰えていない。


「そもそも、冒険者なんて言ってるけど、初心者が単独で外界に行くことは禁止されてるからね。ほとんどは死体になって帰ってくるだけだし」


「そうそう、もう腐敗が進んでて、誰なのかわからねえ状態になってたりするんだよなあ。勇気と無茶は違う。お前は、その境界を見極められる、賢い人間になれよ」


 アンバーや飲んだくれ達は、酒を片手に明るく笑う。


 ――――どう聞いても、酒を片手に明るく笑えるような話題じゃなかったが、その部分は流すことにした。


「今度、大規模な外界調査があるらしくて、今から調査隊の隊員を募集してるんだよね。イチローはそれに応募してみたらどう? 私も隊員に加わる予定だから、助けてあげられることもあるかも」


「・・・・そういや、女神が、外界調査隊? みたいなこと言ってたけど、外界調査隊って何だ? そもそも、外界って何のことだ?」


「そんなの、決まってるじゃない。外円壁の向こう側の世界のことだよ」


 さすがにここからでは外円壁は見えないので、代わりにアンバーは、暇取り屋の窓からも見える、第一地区の壁を指差した。


「外円壁の向こう側・・・・」


「つまり、この国の外。その向こう側はどうなってるかわからないから、調べに行くんだよ」


「・・・・どうなってるかわからない? 別の国があるんじゃないのか?」


 するとアンバーは困ったように、こめかみを掻いた。


「来訪者が来るたびに、そのことを聞かれるんだけど――――国と呼べるレベルの人口や政府があるのって、アルカディアだけなんだよね」


「・・・・・・・・へ?」


「私達が知ってるのは、アルカディアの周辺のことだけだから、他に人間の国家がないとは断言できないけど、周辺に別の国がないことだけは確か。何度も調べてるけど、他の国の人間と出会ったことがないから。あ、集落みたいな小さなコミュニティならあるみたいだけどね」


「マジか!? MAP狭すぎじゃね!?」


 クソゲーと酷評されるゲームにありがちな、狭すぎる世界観だ。神様、もう少し、MAP作りを頑張ってくれよ。俺は思わず心の中で、神様にたいして愚痴っていた。


「だから定期的に、外を調べに行ってるのよ。今後、開拓していくためにね」


「調査なんて、どこがやるんだ? 大学とか?」


「国だよ。中心となるのは国王軍だけど、歩兵部隊の人数不足を補うために、冒険者を雇っているのよ。新人冒険者の訓練も兼ねているから、新人だからって理由で弾かれることはないよ。むしろ、イチローみたいな来訪者は、積極的に隊に加えてくれるらしいから」


 ――――まるで、国が国家事業としてやっている、ニートの社会復帰支援みたいだ。異世界に来ても、変わらない社会の仕組みを実感した。


「どうする? イチロー」


「え、あ、うん・・・・やってみようかな」


 ここに来たばかりの俺には、どのみち、何をすればいいのかわからないのだ。ここは初心者の案内役と言えるアンバーの助言に、従っておこう。そう考えていた。


「よかった、それじゃ、明日さっそく申請してくるといいよ。外界調査に行くのは次の月だから、それまでに準備を整えればいいし」


「・・・・アンバー。今は、外界調査隊に誘わないほうがいいんじゃないか?」


 カウンター席に座っていた一人の酔漢が、呟くようにそう言った。


 小さな声だったのに、なぜかその声が、店内に満ちていた喧騒を萎ませてしまう。妙な静けさに、室温が下がったような錯覚を覚えた。


「どうして? ジョーさん」


 アンバーの言葉で、その男の名前が、ジョーであることがわかった。ジョーという男はカウンターに肘をつき、グラスを片手に、物憂げな息を吐き出す。


「ほらさ、最近・・・・少し、様子がおかしいだろう? ――――前回、外界調査に出かけた隊員の一部も、まだアルカディアに戻ってきてないしな」


「戻ってきていない?」


 耳を疑い、俺はカウンターに身を乗り出した。


「も、戻ってきてないってどういうことですか? ま、まさか、全滅――――」


「落ち着いて、そういうのじゃないから」


 動揺して、どもってしまった俺の肩を、アンバーが軽く叩いた。


「もう、ジョーさん! 新人君をビビらせないでよ!」


「あはは、悪い、悪い」


 ジョーさんは笑う。


「大丈夫だから。そんなにビビることじゃないよ」


「だ、だって、隊員が戻ってきてないんだろう?」


「外界調査隊には研究者も同行していて、地質調査のために現地に残ることがあるんだよ。前回の外界調査でも、希少な鉱物が出そうな洞窟が見つかったから、それらを発掘するために、研究員と一部の隊員だけ残ったの。何か月かそこに留まって、食料が尽きる前に戻ってくるはずだよ。ただ、それだけの話」


「でも、もう帰還予定日は過ぎてるだろ?」


「調査が長引いてるだけでしょ? 食料が尽きても、自力で調達する方法はたくさんあるんだし、心配するほどのことじゃないよ。上の人達も、そう言ってたじゃない」


 なんだ、そんな話か。まるで怪談話をするような口調に、すっかり騙されてしまった。怖がらされた分だけ、ジョーさんに対して怒りを覚える。


「あんた、本当に意地が悪いなあ。新人君をいびるなよ~」


「いびったんじゃないって。本当に――――少し、嫌な予感がしててな」


「またまた~。怖がらせようとしたって、無駄だって」


 ジョーさんの肩を勢いよく叩いた後、アンバーは俺の顔を覗き込んだ。


「安心してよ、イチロー。ジョーさん、きっと酔っぱらってるのよ」


「どうせ朝から飲んでたんだろ?」


「決めつけるなよ! 今日、飲みはじめたのは昼からだぞ!」


「昼から飲んでるのかよ・・・・」


 酔っ払いの、戯言だったようだ。


 ――――とはいえ、聞き流せない部分もあった。


「・・・・外界調査って、やっぱり危険なものではあるのか」


「まあ、それなりにね。怪我人も出るよ」


「そうか・・・・」


 アンバーの口調から、修学旅行のような軽いイベント程度にしか感じていなかったが、よく考えれば――――いや、よく考えなくても、モンスターがいる場所に出ていくのに、イベント気分で乗り込めるはずがない。


「・・・・つい最近になってね、あるモンスターが活発に動きはじめて、徒党を組んで、外界調査隊を襲うようになったんだよ。だから怪我人も増えた」


「モンスターなんだから、罠を張ればいいんじゃないか?」


「あいつら、妙に頭がいいんだよね。だからこっちが仕掛けた罠に、気づかれちゃうのよ」


「・・・・・・・・」


 俺は急に不安になり、自分が生唾を飲む音が、やけにはっきりと聞こえた。アンバーは俺の不安そうな様子に気づいたのか、笑顔を浮かべる。


「まあ、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」


「・・・・そんな話を聞いて、大丈夫だとは思えないんですが・・・・」


「大丈夫、大丈夫!」


 根拠のない言葉を繰り返して、アンバーは俺の背中を、乱暴に叩く。その力が女の力とは思えないほど強くて、俺は咳き込んでしまった。


「だけどそうまでして、外界調査を続けなきゃならないもんかねえ」


「馬鹿野郎、なんてこと言うんだ」


 一人の酔っ払いの何気ない一言に、他の酔っ払いが食い付いた。


「外界調査で外の世界の状況を、少しでも把握して、今後の開拓のために役立てないと、いつまでも国土を広げられないんだぞ。人口が増えても、開拓できる土地がなきゃ、この国は行き詰まっちまう」


「国土が必要か? むしろアルカディアは、少子化で困ってるぐらいじゃねえか。作物の収穫量は安定してて、国民の食い扶持は十分に確保できているし、土地なんか余ってるだろ。わざわざ危険を冒して、外に行く必要は・・・・」


「そんなの、今だけの話だろ。状況は目まぐるしく変わっていく。人口が増えすぎて、土地が必要になった時に焦っても、もう遅いんだぞ」


「人口なんか増えねえよ。むしろ減少してるって、この前、女神様の信徒が発表していたじゃねえか」


「だからそれも、今だけの話だって! 国土を広げれば、自然と人口も増えるさ!」


 ――――不穏な空気が流れる。


 国は今、安定しているのだから、危険は冒すべきではないという意見と、安定しているからこそ、今後のために、犠牲を出してでも外の世界を開拓すべきという意見。異世界に来てまだ日が浅い俺には、どちらの意見が正しいのか、わからない。


「おい、お前ら、やめろよ。せっかく新しい『来訪者』を迎えたばかりなんだぞ。新しい住人に、そんな見苦しい場面を見せるんじゃねえよ」


 近くにいた男が、二人の間に割って入って、なんとか喧嘩に発展することを食い止めた。


「・・・・ごめんねえ、変な空気になっちゃって」


 謝る必要がないアンバーが、なぜか謝ってきた。


「別に気にしてないよ。・・・・でも、この世界にも、色々な問題があるみたいだな」


 そう答えたものの、なんだか不安になってきた。


「でも安心して」


 暗い空気を吹き飛ばそうとしたのか、アンバーの声は不自然に明るくなる。


「死者が出ることなんて、めったにないから。外界調査にはいつも歴戦の兵士が同行してくれるからね。モンスターが襲いかかってきても、その人達がコテンパンにやっつけてくれるよ」


「そ、そうか・・・・」


 ――――それでも、不安は拭えない。


「あれ、だけど――――」


「何?」


「調査隊が出発するのは、一か月も先なんだろ? その間、冒険者って何をやって稼げばいいんだ? 俺、この世界のことは何もわからないんだけど・・・・」


 俺の一言で、ほろ酔いでへらへらしていたアンバーが、瞬時に真顔に戻っていた。まわりで飲んでいたおっさんたちも、一瞬で体内のアルコール成分が分解されたように、真剣な顔になる。


「・・・・俺、何か変なこと言ったか?」


「いや――――俺達が最初にぶち当たった壁に、今、お前も直面してるんだなって思ってよお」


 片手に持ったグラスをゆらゆら揺らしながら、一人のおっさんが過去の自分に想いを馳せている。


「ぶち当たった壁・・・・?」


「冒険者は、冒険してなけりゃあ、ただの無職だ。それはわかるな?」


「あ、はい・・・・」


「冒険者のスキルは何だ? 言ってみろ」


「冒険者のスキル・・・・?」


 なんでこんな学校の授業みたいな雰囲気になっているんだと不思議に思いながら、俺は答えを考える。


「戦うことか?」


「違う。モンスターがいる外界ならともかく、ここは高い壁で守られた、安全な場所だ。戦う場面なんて、めったに訪れない。そんな場所で、冒険者のスキルしかもっていない奴は、どうやって稼げばいい?」


「は、はあ・・・・」


 冒険者しかもっていないスキル。しかもそこから、戦うことを除外するという。戦うことができないのに、冒険者に残るものとは何だろうか。


 どんな窮地でも諦めない、不屈の精神だろうか。それとも、不利な状況を逆転させる奇策を思いつく、頭の良さだろうか。――――いや。


 そこで俺の頭に、さっき、アンバー達から聞いた話の内容が、蘇っていた。


「もしかして――――肉体労働か?」


「ザッツライト!」


 アンバーとおっさん達は、どっと笑い声を弾けさせる。


 アンバー達は、大したスキルを持っていない人間が冒険者に選ばれると言った。つまり、そう言うことなのだ。――――役立てるスキルがない人間は、身体を張るしかない。


「マジかよ・・・・」


「安心しな。ちゃんと女神の信徒が仕事を紹介してくれるし、ここでこうやって、酒を飲み交わしたのも、何かの縁だ。俺がいい土建屋を紹介してやるよ」


「外界調査隊に志願するんだろ? だったら、体力作りは必須項目だ。金も稼げて、体力も付けられる。一石二鳥じゃねえか」


「一石二鳥だけど・・・・だけど・・・・」


 ――――俺が思い描いていた、異世界ライフじゃない。


 そんな嘆きを零す気力もなく、俺は脱力して、カウンターに突っ伏した。


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