第5話 この国は、女神が統治しているらしい。


 ――――神殿は奥に進むほど、暗く、細くなり、華美な装飾とは無縁の、質素な場所になっていった。


「・・・・・・・・」


 窓もない密閉された空間に、響き渡る自分と、女神の信徒の靴音を、とても不気味に感じている。


 女神がどういう存在なのか、俺にはまだよくわかっていないが、女神がこんな暗い地下にいることに驚いている。神という存在は、もっと光溢れる空間にいるものだと、思い込んでいた。


 だから、通路の奥に光が見えた時は、ほっとした。暗い通路からそこに出る時、眩さに耐えきれず、思わず目を瞑る。


 そして目を開けると――――そこには広大な空間が広がっていた。


「・・・・すごいな」


 思わず、呟く。通路と同じ、家具が一切置かれていない広大な空間だが、さっきとはまるで違う。そこは、まるで。


(まるで、SF映画みたいだな・・・・)


 明らかに、地下空間の面積が、神殿の敷地よりも広い。神殿の水堀を超えて、町の一部にも、この地下空間は広がっているのだろう。


 地上の光が一切届かない場所なのに、その部屋だけは光が溢れている。一体どういう仕組みなのか、俺には見当もつかないが、壁も床も天井も、何かの力で発光しているのだ。


 そしてそんな広大な空間に、一人の女性が立っていた。薄い布で身体を包んだだけのその装いは、少し危うく見える。


(・・・・本当に綺麗な人だ)


 女神らしい、浮世離れした美しさだった。正直、アンバーから女神という言葉を聞いた時、女神という甘美な言葉に妄想心をくすぐられたけれど、同時に期待しちゃいけないと自分に言い聞かせていた。


 でも、女神は想像通りの――――いや、想像以上の美しさだった。


(・・・・まずいな。緊張してきた)


 あんな綺麗な人と、どんな風に話せばいいのか。いや、そもそも目を合わせられない。


 女神様の前に来て、女神の信徒は跪いた。それにならって、俺も跪く。


「女神様、来訪者を連れてきました」


 女神は何も言わずに、小さく頷いた。そして、俺を見る。女神の信徒も、俺を見た。


(え? 報告、それだけ? 俺に何か言えっていうの?)


 ――――困った。これは、コミュ障には難易度が高い展開だ。


「・・・・・・・・」


 女神の信徒と女神の視線は、容赦ない。


(俺に何を言えって言うんだよ? 俺、こっちの世界に来たばっかだぞ。そんな俺に何を言えって言うんだよ)


「名前を、女神に伝えてください」


「あ、あ、は、はいっ!」


 ――――突然の無言と視線は、俺に自己紹介をしろ、と促すものだったらしい。


 なんだよ、それならそうと言ってくれよ。こっちは空気を読むのが苦手なんだから。心の中で文句を言いながら、俺は口を開いた。


「古屋一郎です。ここに来る前は、日本という場所で・・・・」


「知っています。東京という場所で暮らしていたんですよね?」


「え・・・・?」


 いきなり女神の口から、東京という単語が出てきて、驚いた俺は、顔を上げて女神を凝視してしまった。女神は感情の色が見えない瞳で、俺を見下ろしている。


「あなたの名前や、以前住んでいた場所については、私もある程度知っています。記憶は、はっきりしていますか?」


「記憶? ・・・・いや、どうもはっきりしません。なんか、所々、覚えていないことがあるんです」


 自分の名前や経歴、家族のことは、はっきり覚えている。だが、それ以外のこととなると、途端に記憶はぼやけてしまう。


 まるで頭の中に漂白剤を流し込まれたように、ところどころ記憶が抜け落ちていたり、逆に真っ白な中に、一部分だけ断片が残っていた。記憶というものをタペストリーでたとえるなら、経年劣化で色が抜け落ち、まだら模様になっているような感じだ。


「記憶の欠如は、眠りによって引き起こされたものです。・・・・これから、新しい人生を歩むあなたにとっては、過去の記憶は不要なものでしょう。ですから、過去のことは忘れ、新たな人生を歩んでください」


「・・・・・・・・」


 不要なものと言われると、微妙な気持ちになる。ろくでもない人生の記憶であることは間違いないが、それでもこの記憶が、今の俺を作ったのだ。


「女神様。色々と聞きたいことがあるんですが――――」


「おやめなさい」


 この世界のことを、もっとよく知りたい。その気持ちが先走る俺を、女神の信徒が制した。


「私達は、神託を受けるのみ。こちらから質問する権利はありません。質問していいのは、女神様から許しを得た時だけです。そのことを理解して、聞くだけに留めてください」


「・・・・・・・・」


 俺は口を噤む。女神の信徒はもう一度、女神様に頭を下げる。


「女神様、どうか、この者に神託を」


 女神さまは流れるように視線を動かし、俺をまじまじと注視する。眼差しには悪意はないが、好意もなく、俺は委縮した。


 緊張のせいか、頭の中で、シャカシャカという、不思議な音が聞こえた気がする。



「――――あなたは、冒険者に相応しいでしょう」



「え?」


 驚いて、目を上げた。


「冒険者スキルを持つあなたは、冒険者になるか、軍に入隊し、兵士になるか、選ぶことができます。冒険者を選ぶなら、外界調査に参加し、給料を受け取り、経験を積めばギルドに登録して、個人の調査隊の護衛として活躍することができます。兵士になれば、国から給金が支払われます。しかしながら、兵士になるためには、国家試験に受かる必要があります。――――あなたは、兵士か、冒険者か、どちらを選びますか?」


 女神様に問いかけられた瞬間に、俺の頭に浮かんだのは、購入したゲームをはじめた時に行う、キャラクターメイキングだった。


 自由度の高いゲームでは、最初の段階で、キャラクターの肌の色や、目や鼻の形、髪型を決めた後、職業を選ぶことができる。そうだ、これはキャラクターメイキングなのだ。アバターを変えられないのが不満だが、職業を選べるだけでも十分だ。


 冒険者か、兵士。――――もちろん、俺の答えは、はじめから決まっていた。


「ぼ、冒険者になります!」


 異世界に来たならば、当然、選ぶ職業は冒険者だろう。むしろ、他の職業を選ぶ奴のほうが、レアだと言える。


 俺の答えを聞いて、女神は微笑した。


「ならば、こちらに来てください」


 少し驚いて、女神の信徒に目配せした。女神の信徒は、頷きを返してくれる。女神の言葉に従いなさい、ということらしい。


 俺は女神に近づく。


「腕を出してください」


 言われるまま、俺が女神の前に腕を差し出すと、女神の手が、さっと俺の前腕を撫でていった。


「いっ・・・・!」


 電流のような痛みが前腕を駆け抜けていく。


 思わず腕を引く。前腕に、黒い文字が刻まれていることに気づいた。


「これは――――」


「あなたの身分を表す、身分証印(みぶんしよういん)です。今後、誰かに身分を問われることがあれば、それを見せてください」


「・・・・なんて書かれてあるんですか?」


 文字はこの世界の言語らしく、俺には読めない。


「あなたの名前と属性が書かれてあります。内容が詳しく知りたいならば、信徒に文字を教わってください」


「そ、そうですか・・・・」


「しばらくは、来訪者のために用意された住宅で暮らすのがよいでしょう。第一地区の第二区画にある平屋建ての建物が、来訪者のための住宅です。彼に案内をしてもらってください」


「は、はい」


「話は終わりです。冒険者として、今後、この国に貢献してください」


 ようやく女神様は、その美しい顔(かんばせ)に、女神らしい慈愛に溢れた微笑を浮かべてくれた。


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