第4話 異世界の仕組みはわかりやすい。_後半


 その場所は、まさに神殿と呼ぶに相応しい壮麗さだった。


 真正面に立つとまず、真っ白な大理石の列柱が目に飛び込んでくる。ローマ神殿を思わせる飾り気がない佇まいが、むしろこれでもかと装飾を盛りつけた華美な神殿や宮殿よりも、心を引き付けた。


 防衛のためなのか、神殿のまわりには大きな水堀があり、人々は虹のように水堀を跨いでいる橋を渡っていた。


 入口はかなり高くなっていて、階段が絨毯のように伸びている。


 祈りを捧げに来たのだろうか、大勢の人々が階段をのぼり、列柱の奥に吸い込まれていった。


 中には、神職に就いている人だろうか、独特の黒衣を着た人達も混じっていた。


「さ、行くよ」


「あ、うん・・・・」


 緊張で立ち止まってしまっていたけれど、アンバーに背中を叩かれて、俺は止まっていた足を前に出す。


 階段を一段一段ゆっくり上がったが、いまだに異世界に来たと言う実感を得られずにいた。


「その、アンバー・・・・」


「何?」


「女神様って、その・・・・どんな人なんだ?」


 俺は尋ねてみる。女神様に会う以上、失礼がないように、事前に女神様のことを少しでも知っておきたかった。


「とても綺麗な人よ。まさに、絶世の美女って感じ」


「そ、そうなのか・・・・」


 絶世の美女――――その言葉に、俺の期待値は否応なく高まっていく。早くお目にかかりたいという気持ちと同時に、女神様の前でどう振舞えばいいのかという緊張感も高まって、手の平に汗が滲んだ。


「女神様は一人じゃないの」


「一人じゃないのか!?」


「なんで興奮してんのよ・・・・」


 興奮で声が裏返ると、さすがにアンバーも飽きれたような目になった。


「い、いや、別に・・・・き、緊張しただけさ」


「そんなに緊張しなくても、大丈夫よ。アルカディアには、三人の女神様がいらっしゃるの。一人目がエウノミアー様で、アルカディアの国事の裁定に従事していらっしゃるわ。二人目はエイレーネ様、アルカディアの秩序を守ってくださっている女神様で、住民達の問題にも対処してくださるわ。祭事なども、エイレーネ様が取り仕切っていらっしゃるの。三人目がディケ―様、アルカディアを外敵から守ってくださる女神様よ」


「へえ・・・・三人で、きちんと役割が分かれてるんだな」


「そうよ。具体的に言うと、エウノミアー様の役目は、法律の改定や制定、裁判の判決を下すことだよ。エイレーネ様は治安を守ることが役目で、治安維持部隊を統括していらっしゃるわ。問題が起こったら、エイレーネ様に訴えれば、たいていのことは解決してくださるの。災害で家が壊れたと訴えれば、エイレーネ様の部下が家を治してくれるし、天候の影響で野菜が不作になったら、エイレーネ様が野菜の価格を調整してくれる。もっと大きな問題――――たとえば、住居区画の拡張だとか、法律の抜け穴を使って、悪事をする連中を取り締まる時とかは、エウノミアー様の分野になるね。エウノミアー様が、法律の制定という形で、犯罪の抜け道を消してくれるの」


「犯罪とかには、どうやって対処してるんだ?」


「たとえば犯罪者がいたら、エイレーネ様の部下の治安維持部隊がその人を捕まえて、エウノミアー様の部下の裁判官が裁いて、投獄する、って感じかな。捕まえるのはエイレーネ様の役目で、量刑を決めるのはエウノミアー様だよ」


「なるほどね」


 警察組織と、検察組織の代表、と言ったところだろうか。


「最後の――――ええと、ディケ―様は?」


「ディケ―様は、この国の軍事組織を統括していらっしゃるわ。有事に、門を閉じたり、武器庫を開放するのも、ディケ―様の役目よ。クーデターとか起きないように、ディケ―様でなければ、武器庫は開かないようになってるの」


 最後の女神の役目は、軍事を統括しているようだ。あの巨大な門も、ディケ―様が閉じるのだろう。


「三女神のおかげで、アルカディアは数百年もの間、外敵に侵略されることなく、人類の平和は守られてきたのよ」


「へえ・・・・」


 ――――なぜか、一抹の不安が頭をかすめる。


 もし俺が迷い込んだのが、JRPGの世界だったのなら、数百年の平和が守られてきた、というナレーションの後に、「だが、その平和は突如として壊されたのだった」――――なんていう一文が続きそうだと思ってしまった。


 押すなよ、絶対に押すなよ、というフリの後には、必ず、お約束の展開が入る、という思い込みが、そんな考えを生んでしまったのだ。


(考えすぎだって!)


 俺は頭を横に振る。


「どうしたの?」


「え? い、いや、何でもないよ」


 無意識のうちに、おかしな挙動になってしまっていたらしい。俺は慌てて、誤魔化しの笑顔を浮かべる。


「来訪者をアルカディアに招くかどうかも、エウノミアー様が決めてるって話だから、イチローがこの場所に来ることができたのも、エウノミアー様のおかげだね」


「だったら、お礼を言わなきゃな。女神に、会うことはできるのか?」


「残念。民衆の前に姿を現すのは、エイレーネ様だけなんだよね。私も、他の女神様の姿を見たことは、一度もないの」


「そうなのか・・・・」


 落胆したが、それでいいという思いもあった。ハーレムに憧れていたけれど、実際に三人の女神の前で喋らなきゃならない状況なんて、コミュ障の俺には難易度が高すぎる。


「この国を動かしているのは、女神様達だけなのか? たとえば――――政治家とかはいないの?」


「政治家?」


 アンバーは怪訝そうに問い返してくる。その反応で、この国には政治家と呼ばれる人達がいないのだと、もう答えがわかってしまった。


「法律とか、国家予算の内容を決めたりする人」


「国家予算?」


「税金とか、取られたりしないの?」


「税金?」


 常識が違いすぎて、話が通じない。国の構造が違いすぎるのだ。俺はだんだん、不安になってきた。


「・・・・どうも、イチローがいた世界と、この世界は、ずいぶん違うみたいね」


「・・・・そのようだな」


「それで、税金って、何?」


 まさか異世界に来て、税金の話をすることになるとは思わなかった。当然のように生まれた時からあって、当然のように誰もが知っていた税金のことを、どんな風に説明するべきか、迷ってしまう。


「国が、道路を工事したり、夜に街灯をつける費用を捻出するために、国民から集めるお金のことだ。全国民に支払うことが義務付けられているんだ。そのお金が国家予算となって、政治家がお金の使い道を決める」


「へえー、イチローの国は、そんな構造だったのね。この国にはそんなものはないから、よくわからなかった」


「税金がなくて、どうやって国を維持してるんだ? 道路の修復工事とか、夜に街灯をつける費用とか、お金が色々と必要だろ?」


「全部、女神様がやってくれる。お金を取られたことはないよ」


「一度も? 住んでるだけで、住民税とか取られたこと、ほんとにないの?」


「ないない! 最初に土地代と、家を建てる費用は必要だけど、税金? とか、そういうのはないよ」


 ――――なんて羨ましい世界だ。税金がないというそれだけで、天国のようだと思った。


「だから、政治家がいないのか?」


「イチローが言う、その政治家と同じなのかどうかはわからないけど、女神様を補佐する総督達が、それに近いのかもね」


「総督?」


「六人だから、六総督って呼ばれてるよ。軍事、企業、医療なんかの、それぞれの道に秀でた六人が占拠で選ばれて、女神様の補佐をするの。神殿の最上階にある、調停の間と呼ばれる会議室で、この国の政治について考えるのよ」


「最上階に人間の会議室があっていいのか? 普通、一番高い場所は、神様の場所じゃない?」


「女神様がいらっしゃる女神の間は、最下層にあるよ」


 女神に選ばれたに過ぎない政治家の会議室が最上階にあって、最高位にいるはずの女神が、最下層の部屋にいるというのは、何とも不思議な構図だ。普通は逆じゃないのか、と考えてしまう。


「でも、だったらどうやって、道路の修復や、設備、街灯の維持費を捻出してるんだ?」


「女神様が全部、魔力で維持したり、修復してくれてるそうだよ。詳しいことは知らない。それに関して、維持費を請求されたことがないことだけは確か。生活が困るほど貧しい人には、最低限の生活費の支給もあるしね」


「さすが、ファンタジー・・・・」


 素晴らしきかな、異世界。賛美せよ、ベーシックインカム。――――もう俺は、帰れと言われても、税金や年金や協会の集金に怯え、徴収されたお金がどんな風に使われているのか、よくわからない世界には、二度と戻らないぞ。


「じゃ、この国には、貴族みたいな特権階級もないのか?」


「貴族・・・・」


 やはり、貴族という単語すら通じない。


「身分が高いとか、家柄がいいとかで、特権を持ってたり、大金持ちだったりする人達のことだよ」


 貴族のことを説明しようとして、俺は知識が足りないことに気づく。


 そもそも貴族や国家というものを説明するのは難しい。


 貴族と言っても、王様から領土を与えられている人もいれば、ただの金持ちなだけの人もいるし、国家となるともっと難しい。君主制だの共和制だの、各国で政治形態が違っているのに、共和国の代表が実は世襲で代わっていて、実質君主制と同じという、ややこしい状況になっている国まであるのだ。


「身分については、職業とか生まれによって制度化することを女神様が禁じてるから、アルカディアにはそういったものはないよ。ただ、家柄については多少はあるかな。神殿の守りを任された薔薇七家っていう名家があって、特権を与えられてたりするらしいよ。ものすごく優遇されてるって程じゃないけど」


「へえー。・・・・それじゃ、女神様がこの国の支配者で、選挙で選ばれた六人が、女神様を補佐してるっていう、シンプルな構造なんだな」


「そうだよー」


 俺の世界に比べて、この国の構造はシンプルで覚えやすくて助かる。


「それじゃ、あの神殿が、政治と信仰の中心になってるんだな」


「そうそう」


 宗教と政治が一体化しているというのも、不思議な話だ。俺の国では、その二つを混ぜるのは危険と見做され、政教分離が基本だった気がするが、ここでは「神様」が国の代表者なので、問題ない――――のかもしれない。


「それ以外にも、女神の神殿には、音楽堂や劇場もあるの。文化の中心でもあるんだよ」


「そりゃすげえな。かなり広いのか?」


「すごく広いよ。今から中に入るけど、くれぐれも女神様に粗相をしないようにね」


「わかってるよ」





 中に入ると、まず礼拝堂のような造りの広間に出た。シンプルだった外観と違い、モザイク模様の床や、精美な彫刻で壁や柱が彩られている。


 奥には祭壇のようなものが置いてあって、信徒達は床に膝をついて、祈りを捧げていた。


「・・・・女神様に会うには、時間がかかりそうだな」


 長い列を見て、俺は呟く。彼らが女神への拝謁を求めてここに集まったのなら、順番待ちで何時間も待たされることも、覚悟しなければならないだろう。


「大丈夫、来訪者は、優先して拝謁できるようになってるから」


 会話の途中で、俺は群衆の中に真っ白な狼がいることに気づいて、跳び上がりそうになった。


「あ、アンバー! 狼がいるぞ!」


 思わず、アンバーの腕を引っ張ってしまう。


「落ち着いて! あれは、女神様のしもべの、下位神獣だから。誰かを襲うことはないよ」


「しもべ? 下位神獣? ・・・・なんだ、それ」


「――――神殿から出られない女神様の代わりに、女神様の目となり、アルカディアの治安を守る、聖なる獣のことです」


 アンバーの代わりに、誰かが俺の質問に答えてくれた。



 振り返ると、黒い長衣をまとった男が立っていた。



「信徒様、こんにちは」


「信徒・・・・」


「女神教の信徒様だよ。女神様の手足となって、働いている人達なの」


 女神の信徒は、俺に向かって深く頭を下げた。


 彼が着ている黒衣には、模様すらないのに、首には首飾りが光っている。身を飾るものというよりは、それはキリスト教徒の十字架のような、信仰を表すための装飾品なのだろう。



「来訪者様ですね?」



「・・・・え?」


 どうして来訪者だと気づかれたのかと、俺は狼狽えてしまった。


 だけど、すぐに気づく。冷静に考えれば、俺はこの世界の「一般的」な身形とは、まったく違う服を着ているのだ。アンバー曰く、「余った布で作った」ようなこの服を見れば、誰もが俺が来訪者だと気づくはず。


 だが疑問は残る。どうして、来訪者が来るとわかったのか。


「・・・・どうして、来訪者が来ると知っていたんですか?」



「――――女神様は、何でもご存知ですから。あなたの名前も、女神から聞いています。フルヤ・イチローさんですよね?」



 名前まで知っているのかと、二重に驚かされた。


「本来なら、私があなたを迎えに行くはずだったんですが、何の手違いか、予定より早く、あなたが目覚めてしまったようです。出迎えが遅れてしまい、申し訳ありません」


「い、いえ・・・・アンバーに会うことができたから、何の問題もありません」


「ごめんなさい。森で会ったから、勝手に連れてきちゃいました。でも、あの場で待っておくべきだったのかもしれませんね」


「いえ、むしろ感謝しています。さあ、フルヤ・イチローさん、こちらへどうぞ」


 女神の信徒は身を翻し、歩きだす。


「きっと話は長くなるだろうから、私は先に出てるね」


「え・・・・」


 アンバーの言葉に、俺は少し不安になった。今後のことを女神が決めてくれるのだとしても、親切心だけで俺をここまで導いてくれた人物がいなくなるのは、とても不安だ。ゲームの始まりの町に、システムの説明役がいないようなものだった。


「私、行きつけの酒場に行ってるからさ。仕事終わると、いつもそこでだべってるの。エイレーネ様との話が終わったら、イチローも来なよ。目抜き通りにある店で、『暇取り屋』っていう大きな看板があるから、すぐに見つかると思うよ」


「そ、そうか」


 さすが初回MAPの親切な案内役だ。冒険初心者に世界観を説明した後の、事後のケアまで忘れない。俺は心から、アンバーに感謝した。


「それじゃ、私は行くから」


「ああ、また後で」


 アンバーは軽く手を振って、身を翻し、外の光に向かって歩いていく。


 その後姿を眩しく思ったが――――ふと、気づく。


(・・・・あれ、よく考えたら――――こんな昼間から、酒場?)


 酒を飲むには、まだ時間が速すぎる。こんな時間から酒場に行こうとするなんて、もしかしたらアンバーは――――嫌な想像が頭を駆け巡って、俺は考えることを止めた。


(いや、あんな可愛い子が飲んだくれであるはずがない)


 俺は自分に言い聞かせた。

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