第7話 なんだか様子がおかしいんだが。
長い間、俺は、ひたすら酒を飲み、くだを巻いている酔っ払い達に付き合っていた。
「あー、もうすっかり夜だねえ」
そして俺達が外に出た時にはもう、夜のカーテンは包み込むように、アルカディアの上空を覆っていた。
――――だが、上空は闇に支配されていても、地上は明るい。一定間隔で設置されている常夜灯が、蝋燭の灯火のように、橙色の光で、闇を遠ざけてくれている。
その光のおかげで、アルカディアの住民は夜が怖くないのだろう。人通りの多さは昼間と変わらない。
「・・・・綺麗だな」
思わず、呟く。昼間の町も十分に美しかったが、夜の町には昼間とは違った美しさと、人の心を引き付ける雰囲気があった。
「さ、明日も忙しいんだし、真っ直ぐ帰ろうぜ」
「えー? 二次会行かないの?」
「行くわけねえだろ、俺は明日、仕事なんだよ」
アンバーが二次会、二次会とぐずっていたが、誰も耳を貸さなかった。
「おう、それじゃあな。イチロー、明日から頑張れよ」
「お、おう、頑張るよ」
笑い声を散らして、気のいい酔っ払い達は町に散っていく。
――――来訪者なんて言っても、どんな人間なのか、はっきりしない俺にも、親切に接してくれる、いい人達だった。
異世界に来た興奮と同時に、心のどこかに不安も抱えていたが、アルカディアの住人の優しさに触れて、その不安も薄れた気がする。
――――だがそこで俺は、あることに気づいた。
「・・・・いや、どうするんだよ、これ」
泥酔して、真っ直ぐ立てなくなったアンバーが、俺の肩に寄りかかっている。全体重をかけられて、支えている俺までふらついてしまった。
アンバーの飲み仲間が、笑顔で去っていった理由が、今わかった。泥酔しているアンバーの面倒を見たくないがために、俺がその事実に気づく前に、早々と逃げやがったのだ。
まだこの町に来て間もない来訪者に、酔っ払いの世話を押しつけるとは、あいつら全然、いい人じゃなかった。たった数秒で、俺の評価は百八十度変わる。
「アンバー。どうするんだ? 一人で帰れるか?」
「うーん・・・・」
アンバーはまるで突っ張り棒のような体勢で、さらに寄りかかってくる。
「・・・・駄目そうだな」
逃げることを諦めて、俺はアンバーの腕を自分の肩に回し、彼女の身体を支えた。
「家、どっちなんだ? 送るから、早く教えてくれ」
「うーん・・・・あっち」
「・・・・ざっくりしてんな」
アンバーが指さした方向に向かって、俺は歩きだす。
雑多な流れの中に入ると、まるで歩行者天国にいるような気分になって、ここがどこなのかを忘れそうになる。不思議なことに、世界が違うのに、金曜の夜のような開放的で、どこか気怠い空気が漂う夜の雰囲気は、俺がいた世界とそれほど変わらなかった。
「この街灯の灯り、いつまでついてるんだ?」
「朝までよ。だから第一地区の夜は、いつまでも明るいの」
「税金は取られないって聞いたけど、燃料とかはどうなってるんだ?」
気になるのは、夜でも昼間のような明るさを維持しているエネルギーが、どこから捻出されているのか、という点だった。
「エイレーネ様の魔力で、維持されてるんだよ。町を照らす常夜灯や水道設備も、エイレーネ様が管理してくださっている。だから時間が来ると、常夜灯は自然と灯るし、明るくなると消えるの。本当に第一地区は、住みやすい町だよ」
まるで、俺達の世界のようだと思った。俺達の世界では、こういった公共の設備のために、税金を取られていたわけだが、こちらの世界では、それらの資金も必要ないというのだから、まさに天国だ。
「なあ、次はどっちだ」
「うーん・・・・あっち」
「・・・・間違ってないよな? 酔っ払いを抱えながらうろうろするのは、さすがに勘弁だぞ」
道を間違えてしまったら、一人の人間を抱えて、うろうろしなければならないのだ。それだけはご免被りたい。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ! 間違ってはいないからさ!」
「・・・・ほんとかよ・・・・」
アンバーの口調に不安を誘われつつ、俺は教えられた通りに、暗い路地に入っていった。大通りは昼間のように明るかったが、路地の中はさすがに暗い。
「アンバーの家、こんな暗い場所にあるのか? 危なくない?」
「だいじょーぶだよー、確かに一度、変な奴に羽交い絞めにされそうになったことあったけど、顎アッパーからの足払いで引っ繰り返して、ヘッドロックしてやったら、涙目になって逃げていったからー」
「・・・・・・・・」
――――強い。この女、強すぎる。小柄なのにやけに重たく感じるのは、筋肉量のせいなのだろう。
「んん――――」
「アンバー、こんなところで眠るなよ! まだ――――うわっ!」
街灯の光が届きにくく、暗いせいで、俺は正面に誰かが立っていることに気づかなかった。
「あ、すみません!」
条件反射で、俺は謝りながら後退る。
――――正面に立っているその人物は、月光を背にしているためか、黒く、そして距離が近すぎるせいで、顔が見えなかった。
だが、ぶつかった時に、奇妙な肌触りがあった気がする。まるで、毛皮に振れたような感覚だ。
数歩下がれば、その人の顔が見えると思っていたけれど、その人の頭は、なかなか見えてこなかった。
背の高い人――――そう思っていた俺は、その人の頭と呼べる部分が、俺の頭よりも、かなり高い位置にあることに気づく。
二メートル――――いや、その人の身長は、二メートル以上あった。
俺はその人の肩にぶつかったと思っていたが、実際ぶつかったのは、胸のあたりだった。
「――――」
――――何かが違うと感じ、身体が凍り付いた。
(もしかして、人間、じゃない?)
一応、人型ではあるものの、体格に比べて、頭がとても小さく見えた。さらに両腕がとても長く、それと反比例するように、足が短かった。
その逆三角形の巨体は、俺にとっては壁そのもので、光を背にして、黒く塗り潰され、姿に厚みがないようにのっぺりとしていることも、俺の恐怖心を膨れ上がらせた。
(こいつは何だ? この世界には、人間以外の種族が存在しているのか?)
ファンタジーの世界に、別種族はつきものだ。たとえば、巨人族などが存在するならば、目の前の存在にも説明がつく。――――だが、第一地区に入ってから一度も、俺は人間以外の種族を見ていない。
俺と、その影は、どのぐらいの間、睨み合っていただろうか。恐怖で金縛りにあっていた俺は、目を逸らすこともできず、震える膝で、何とか立っている状態だった。アンバーも、何も言わない。
そして、壁のようなその人影も、長い間、微動だにしなかった。影の中では、その人物の表情を窺うこともできず、睨み合いの時間を、俺は永遠のように感じていた。
逃げるべきか。だけど、道は一本道、大通りに引き返すか、路地の奥に進むか、どちらかしかない。俺はどちらのアクションも取れなかった。
――――先に動いたのは、巨大な人影のほうだった。
犬の遠吠えのような声が、遠くから聞こえてくる。
すると、それの尖った耳がわずかに動いた。そしてそれは、頭を動かす。誰かの声を聞いた、という仕草だったが、俺には、誰の声も聞こえなかった。
影はのそりと、右手の塀に近づく。
そして、予想外の行動に出た。
人影は壁のわずかな窪みに足をかけると、信じられない高さまで跳躍し、あっさりと塀に登ってしまう。
そこから、彼は塀の向こう側にある民家の雨樋に飛び移り、するすると登って、屋根に立つと、その向こう側に姿を消してしまった。
俺は呆然と、立ち尽くすだけだった。
(何だったんだ、あれ――――)
どう見ても、人間の動きじゃない。影があまりにも簡単に屋根に登ったために、俺でも簡単に登れるんじゃないかと錯覚してしまいそうになるが、実際は、俺には逆立ちしてもできない動きだった。
「んん・・・・」
突然、静寂を切り裂いた誰かの声に、俺は跳び上がりそうになっていた。
「・・・・あれ、まだ家についてない?」
アンバーが喋らないと思っていたら、どうやら彼女は眠っていたようだ。
「あ、アンバー! い、今、二メートルぐらいありそうな何かが、お、俺達の前にいたんだ! お前は見なかったか!?」
アンバーは億劫そうに頭を持ち上げ、怪訝そうに俺を見つめる。
「何言ってんの?」
どうやらアンバーは、あの影を見なかったらしい。
「本当だよ! 確かに、俺達の目の前に――――いや、もしかして、この町には、人間以外の種族も住んでるのか? たとえば、巨人族とか」
「巨人族・・・・?」
俺は真剣そのものだったが、アンバーは巨人族と聞いた瞬間に、風船が弾けたように、勢いよく笑いだした。俺は目が点になってしまう。
「もしかして、巨人族の話を聞いた? そんなの、子供に約束を守らせるために作った、作り話だから! 本気にしないでよ!」
「で、でも、今、確かに――――」
「巨人族なんて、いないから。この町に住んでるのは、人間だけだよ」
アンバーはまだ笑っている。酔いが冷めきっていない彼女は、俺の表情が真剣だということにも、気づいていないようだ。
(この町には、人間以外の種族は存在しないのか?)
だとしたら、今、目撃した人影も、人間だったというのか。いや、確かに人型ではあったが、あれは人間ではなかった。身長がとても高い人間は、俺の世界にも存在していたが、あれは、身長が高い、などというレベルを超えている。それにシルエットも、人間というよりは、チンパンジーやゴリラに似ていた。
「多分、何かを見間違ったんだよ。ハイヒールとか履いてなかった?」
「違う、見間違いじゃ――――」
言いかけて、俺は何を言えばいいのかわからなくなってしまう。あの影から感じた不気味さは、実際に見なければ伝わらないだろう。
「・・・・?」
――――その時、大通りと路地の境界線に、一人の少女が立っていることに気づいた。
印象的な少女だった。
色が失われたような真っ白な肌をしていて、発光しているような銀色の髪には、わずかに紫色が混じっている。驚くほど色素が薄いのに、瞳だけは赤という強い色だった。
それとは対照的に、身に纏っているドレスは黒一色だ。同じく黒いベールを被り、ドレスの裾は引き摺るほど長く、スカートの襞が花弁のように、彼女のまわりに広がっていた。
「・・・・・・・・」
少女はじっと、俺を――――いや、何かが去っていった方向を見つめていた。
「あの――――」
その少女のことが妙に気になり、声をかけようとしたけれど、その前に少女は身を翻してしまう。そのまま彼女は、雑多の中に消えてしまった。
「イチロー、ここから先は、一人でいいよ」
俺が少女に気を取られている間に、少し酔いが醒めたのか、アンバーは一人で歩き出していた。
「送ってくれてありがとうね。気をつけて帰って。それじゃ、また明日」
「あ、ああ、また明日」
アンバーは家の中に入り、扉は閉められる。
俺は目抜き通りに出て、少女の姿を捜した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます