7-3 天使みたいだ

「…………」

 まばたきふたつ、みっつ。コテン、と傾ぐ首。お、おかしいな。僕、白昼夢とか視ちゃうような感じだったっけな?

「なん、なんかいま、非常に都合のいい言葉が、聴こえたような気がする、んだけど。これって、僕の妄想?」

「あーっ、失礼なんだぁ。妄想なんかじゃないもんっ、わたしちゃんと言ったもんっ。『真志進くんのこと好き』って」

「ハグァ」

 ぷうと膨れる皆本。はい、かわいい。デフォルトプラスアルファでかわいい。そして、胸が苦しいっ。なんだこの威力?! いままでのそれらとは桁違いだ!

 皆本は、僕のことが好き……皆本が僕を好き? 皆本が僕を好きィ?!

 感じたことのない充足感と高揚感、そして、包まれるような幸福感。受け止めきれない新事実に考えが纏まらない。

「真志進くんは、わたしのこと、どうとも思ってない?」

「どっ、なんっ、えっ?!」

「ほ、他に好きな人、いるんだった?」

 思いの外ぐいぐいくる。ど、どうしよう、想定外だ! あぁ、こんなときライナルトならなんて言うだろう?

「そんっ、そんなことないっ!」

 思わず立ち上がる。アイスティ入りのグラスがわずかにカタカタと揺れた。もしもライナルトだったらと考えたら、それだけで行動しなければという使命感が勝手に前へ出た。

「ぼ、ぼぼ、ぼぼっ僕も、皆本に憧れてますっ。去年、クラスが一緒になったときから」

「憧れ?」

「つつっつまり、その。すす、好きだという、こと」

 恥じらいが先立って、俯いてしまう僕。気持ちを吐露しようと意気込んでいたわけではないのに、突発的に自然と口からこぼれ出ていく。

「僕には、仲良くしてくれる女の子なんて、いままでいなかった。まして下の名前で呼ばれるなんて、一度も。だから皆本がなんの躊躇いもなく僕と接してくれることが、毎日夢みたいに思えてた」

 それも、初めは皆本が剣と仲良くなりたいからだと思っていたんだ。剣と一緒にいるときに皆本が話しかけてくれていたから。

「皆本の明るい笑顔とか、笑ったときにきゅっと上がる肩とか、前向きなところとか。あ、挙げてくと、キリないんだけど」

 自分の後頭部に触れて、メガネの位置を直して。

「僕が直したいと思ってるところをさりげなく手に取って、『次はこうしてみようか』ってプラスに換えて寄り添ってくれる皆本が、僕は、とても好きなんです」

「……真志進くん」

 顔から火が出るとはこのことだ。顎から上がまるで燃えるように熱い。言ってしまったという羞恥心と、言おうとしていたことを言えた安堵の気持ちが混ざって、僕の頭部に着火したみたいだ。

「ありがとう、とっても嬉しい。わたし、こんな嬉しくていいのかなぁ」

 そろりそろりと目を上げる。頬を紅潮させ、目尻に溜まった涙を拭う皆本がいた。

「あっあの、嬉、嬉しいって。ぼ、僕が好きなことが、嬉しいの? ホントに?」

「当たり前! 好きな人から好きって言われて嬉しくないわけがないよ」

 僕、皆本の『好きな人』なんだ? ぐうう、まだ実感がわかない。ああ、胸が締め付けられていくぅ!

「あー、その顔。さては、わたしの言うことまだ信じてないなぁ?」

「ギクゥ」

「もー、失礼なんだから。親友の告白場面を覗いちゃったのまでは仕方ないにしろ、わたしと成村くんの好きな人を勝手に予測して勘違いしたり、わたしの気持ちまで疑うなんて!」

 プイとそっぽを向く皆本。はわわ、そんなつもりでは! 慌てて皆本の傍に駆け寄る。

「ごめっ、違うんだ皆本それにはわけが――」

「――ふふっ」

 僕には見えないように顔を隠していた皆本。身を縮めるようにして、クスクスと笑っていた。

「ウ、ソ」

「はぅ……」

 くるりと僕を向き直る。いつもの彼女の笑顔が咲く。ぐうう、ズルい、反則だ。こんなあざとかわいいことをされてキュンとならないわけがない!

「わかってるよ。真志進くんが慎重すぎなことも、だから事実確認の前にいろいろ察してこじれちゃってたんだろう、ってことくらい」

 しかもお見通しだ。皆本も剣と同じくらい僕の思考を見通せるようになっている。恥ずかしさで顔を両手で覆う僕。

「そういう、回転が早くて二歩も三歩も先を読んでしまえる真志進くん、カッコいいよ」

「ん?」

「わたし、頭の回転早い人が好きなの。けど真志進くんはそれだけじゃなくて、気ィ遣いで、照れ屋さんで、緊張したりから回ったりするの」

 うぅ、僕の格好悪いところだ。

「さっきも言ったけど、真志進くんのそういうの、わたしにとっては全部全部愛おしいんだ。他の誰も気が付いてない、真志進くんの愛おしいところ。まぁ、成村くんだけはずっと知ってただろうけど」

 顔を覆っていた手を外される僕。

「信じてくれる? わたしの気持ち」

「う、あの」

「わたしだって、挙げきれないくらい真志進くんが好きよ」

「皆本……」

 みずからの嫌いで仕方がなかったウィークポイント全部を、まさか愛おしいと思ってもらえる日が来るなんて。

「僕、自分のことずっと好きじゃなかった」

 泣き出しそうな声が出ていく。僕は皆本を目の前にしたいま、感情がどうかしてしまっていた。

「本当に冴えなくて、勉強くらいしか取り柄になり得るものがなくて。おまけに静電気で周りを全部傷付ける。どんどん引っ込み思案になる自分を、いつまでも変えられなかった」

 鼻の奥にウズウズするものが迫っている。

「剣は気にしないで傍にいてくれるし、ありがたいし、かけがえのない親友だよ。それは揺らがない。けど、剣と並ぶ僕は、いつまでも添え物でしかなかった。主役は剣で当たり前、僕は名前もない脇役の立ち位置がお似合いだって」

 そう、思い込んでいた。

「けど、ライナルトがそれをちょっと変えてくれた。この五日間の出逢いが、僕に主役を演ってもいいんだって気付かせてくれたんだ」

 皆本の右手が僕のひたい付近に近付く。さやさやと前髪辺りを撫でられる。

「ライナルトを連れてきてくれたのは皆本だ。僕の方こそ、ライナルトと逢わせてくれてありがとうって、ずっと皆本に言いたかったんだ」

「うん」

「天使みたいだ、皆本。ずっとずっと、そう思ってた。皆本に気遣ってもらえる僕は、誰よりも幸せです。……リタさんと再会したライナルトより幸せ、かも」

「ふふっ、うん!」

 ポジティブすぎることを、自然と吐露できた。大それたことと普段ならば掻き消したくなるところだけれど、不思議とそんな風には思わずに済んだ。

「あれ? 真志進くん、なんかおかしいよ」

「ん?」

 ふと目を見開く皆本。垂れそうだった鼻水を啜る僕。

「ちょっと目ェ閉じてみてっ」

「は、はい!」

 な、なんだろう、一体? 皆本は不思議そうな顔をしていたけれど、なにか変わったことでもあったのだろうか?

 僕は言われたとおりにぎゅっと目を瞑る。すると、一拍置いてから僕の唇に柔らかくて温かいものが押し当てられていることに気が付いた。

 慌てて目を開ける。すると、押し当てられていたものもそっと離れる。

「電気の味、しなくなってるね」

「え」

「なんちて。ふふっ!」

 トスッと、皆本は僕のペラペラの胸板に抱きついた。背中に腕を回され、ぎゅうぎゅうと柔く締められる。

「えっ、あの、いま」

 もしかしなくても、僕。

「キス、されませんでしたか?」

「えへへ。しちゃった、思わず」

 大、正、解!

 ええええ?! キッキキキキ、キスゥー?! しかも僕、ふぁ、ふぁあすときっすだが?!

 落雷にあったように棒立ちでいると、そっと離れた皆本が頬を染めて笑んだ。

「だって真志進くん、静電気なくなってるんだもん」

「えぇ?」

「ビリッときた? わたしが抱き付いたときも、頭撫でたときも、キスしたときも」

「き、きて、ません」

「ほら、普段と違う。ね? 『おかしい』でしょ?」

 確かに。目を白黒していた僕は、さりげなく皆本の二の腕に指先を近付ける。

「あ、あれ? 本当だ。ビリッとこない」

「ね? 不思議」

「消えちゃったのかな。それとも、ライナルトが持っていってくれたのかな」

「あながち、そうかもしれないね」

 両掌を見つめる。眉間が詰まる。

 僕のもっとも取り払いたかった部分を綺麗に持ち去ってくれたかもしれないと思うと、ライナルトはおつりが出るくらいの恩返しをして去っていったことになる。

「ライナルト、とんだカッコつけの天の邪鬼だ。体質改善なんか、わりに合わないじゃないか。僕のが儲けだ」

 死神だなんて、ライナルトはそんなんじゃあない。けど、死んで神さまに近いものになったっていうのは、案外本当だったかもしれない。

「ライナルトは、僕にいいことばっかり残して、ズルい」

 鼻水を啜って、潤んだ視界を拭う。

「ライナルトのとこ、戻ってみる?」

 皆本に左手を取られる。下から覗き見上げる双眸そうぼうが麗しい。けれど、僕は小さく首を振った。

「ううん。きっと離れがたくなっちゃうから、やっぱり気持ちが落ち着いたら改めて会いに来させてもらってもいいかな」

「うん。いつでもどうぞ」

 握られた左手で、皆本の華奢な手を握り返す。右手も取って、彼女の体温を掌に感じ取る。

「み、皆本。たくさんありがとう」

「ふふ、ううん。こちらこそ」

「あの。ぼ、僕もその、名前……」

「うんっ、真志進くんの好きに呼んでいいよ」

「すっ、好きに……えと、そのじゃあ、あー……ゆ、ゆゆ、柚姫、ちゃん」

「えへへ、照れちゃうね」

「んんんっ……そういうとこ、かわいいと思うんだよなぁ」

「ええ? 本当に?! わあい、真志進くんに褒められた!」

「なっなん、一日に何度も、思ってるよ! 皆……じゃなくて柚、姫のこと、その、かわいいなって」

「ふふふ、たくさん嬉しいね」

「ああー……もしこれが夢だったら僕は泣く」

「じゃあ、もっかい目ェ閉じてみる?」

 挑戦的な発言。真っ赤な彼女の頬と、緊張しているような口角。従順に、僕はやっぱり目を閉じた。

 今度は身長差に合わせて、ちょっとだけ膝を曲げてみた。


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