4 マシン、傾聴

4-1 まるで我が身

 二三時五〇分。あとは寝るだけという状態になったところで、自室にこもる。眼鏡を取ってベッドに横たわり、「いつでもどうぞ」と告げるように思い浮かべる。途端、ライナルトは僕をぎゅんとその内側へ引き込んだ。

 まばたきを二度、三度重ねる。暗闇のここは、僕の精神世界だ。

「よぉ、マシンよ」

 真後ろから声がかかる。左向きに振り返ると、約二日振りにライナルトと『対面』した。


 足先まで隠れた、真っ黒のフード付きローブ。

 明らかに東洋人系ではない、蒼白い肌色。

 金の延べ棒のような、濃い金色の頭髪。

 左目目尻の傍に一本垂れ下がる、細い三つ編み。

 奥まった双眸そうぼうは、相も変わらず美しい孔雀石マラカイトのようだ。


「こんばんは、ライナルト」

「ブハッ、『こんばんは』けェ。ずっと一緒にったわいね」

「顔を合わせたら挨拶しなくちゃって思うんだよ、条件反射で」

「ほんまオリコーさんやなァ、マシンは」

 瞼を伏せたライナルトは、ユラユラと揺れるように僕に歩み寄る。三歩手前で立ち止まり、以前と同様、その文字どおりの『テキトー』加減でドサリとその場に腰を下ろした。

「マシンも座られ。立っとるん落ち着かんげん」

「う、うん」

 言われるがままに、僕もライナルトにならう。はたして『ここ』がきちんと地面で正解なのか疑問なのだが。

「さっそくやけど――」

 落ち着いた声色のライナルト。ソワソワと姿勢を正し、正座になる僕。

「――ワシとリタの話、マシンには知っといて欲しいんや? いいけェ」

「いいもなにも、それはこっちの台詞というか。むしろそんな大事な話、僕なんかが聞いちゃっていいの? 皆本のが優先的かと思うけど」

「ワシがマシンに話しときたいげん」

 強い口調に、思わず圧倒されてしまう。ぼくは息を吸うように、目を見開いて口をつぐんだ。

「マシンを通していろんなこと見られたから、こんな急展開になったようなもんやちゃ。何十年間もワシが知りたかったことが、いよいよ解消される手前まで来よったんやぜ? 宿主に知っといてもらうくらいが対価やないがけ?」

「あの、まぁ。確かに情報共有はしておくに越したことはないと思うし、ライナルトがいいなら聞かせて欲しい、かな」

「やろ? な? やから遠慮せんと、聞いといてくれっちゅーこっちゃ」

 ええな? と笑んで念を押して、ライナルトは顎を引いた。

 まぁ、ライナルトか話したいなら聞いておいてあげよう。特別でもない僕にわざわざ話したい理由については、後から反論したっていい。

「ワシは二一ンとき、ある男に殺された」

「え?」

 殺された、って。なんとも穏やかじゃない話だ。身構えていた話題想定範囲を越えている。

「あの、だ、誰に」

「リタの、婚約者や」

 ライナルトの発言ひとつひとつをタイムリーで呑んで消化したくて、絞り出すように言いなぞる。

「ワシの親父は家具職人でな。椅子、テーブル、タンス、チェスト……木材使つこて何でも作って売って、細々なりとも家族食わしてくれる人やった」

 どうやら、殺されたであろう頃よりかなり前段階まで話を遡っているようだ。ライナルトの口調は珍しく穏やかで、僕は次第に引き込まれていく。

「親父ン店は街にあったけどォンね、実家は小山の上にポツーンある、ちっさくて簡素なとこに住んどったん。他の家族は山で畑やったりしてな、男兄弟の何人かは親父と家具作るようんなった」

 仲の良さや、平和的な家庭環境であったことがうかがい知れる。ライナルトが僕をたまに褒めてくれるのは、こういう温かな家庭環境が起因していたのかもしれない。

「国外との貿易で上手くいっとったリタの親父さんは、ワシの親父からよぉく家具買うてくれて。まぁ、仲介業みたいなもんけェ。がんことてもえらいスゴいお値段で近隣諸国とかにまで、どんどん売ってくれはったんやァ」

 鼻で長い呼吸をして、ライナルトはあぐらの後ろに両手を付いた。上方へ顎を向けると、目深に被っていた真っ黒のフードが頭から外れて、重厚感のある金髪があらわになる。

「そんうちに、ワシの作った家具も売ってきてくれるようなってやね。えらい嬉しかったン思い出したが」

「ライナルトも作る人だったんだ?」

「ほーや? ワシ長男やしな、跡継がんなん思とったが。しかもワシの椅子……あー、ロッキングチェアやったかいな。あれはかなり出来がよくてェンね、リタの親父さんが自分用にって持ってってくれたくらいやったんやぜ」

 かつての腕前まで思い出したのか、と僕はうっすら口角を上げる。

「リタに初めて会ったンが、一五、六くらいンときやったかな。そんロッキングチェア作った人に会いたいー言うからやな、ワシから会いに行ったったんよ」

「リタさんの家柄の方が上だった、ってことか」

「それそれ。いうて、リタの家もご大層に大きいいうワケやなかったから『あんま気にしなやー』言われとったけンど……片や山小屋、片やお屋敷やぞ? 気ィ遣うやん、普通に」

「ふふ、取引先相手だしね」

 ライナルトは中空を見上げながら、切れ長の孔雀石マラカイトを細めていく。

「初めてリタ見たとき、電気走ったみたいに衝撃的やったん。あんまりにかい可愛らしくてかい可愛らしくて、ワシの妄想の産物かいや思たくらいやった」

 若い頃のリタさんは、あの皆本とそっくりらしいことをライナルトは言っていた。なるほど、と頷ける。すごくよくわかる。きっと一目見た途端に胸が詰まって、鼓動が耳に貼り付いて、いくらライナルトとはいえしどろもどろになったことだろう。

「ちょっと話したら、ほんますぐ仲良うなって。互いに昔っから知っとるみたいな、なんや不思議な感じやったわ。『意気投合』やったけェ、こういうん?」

「うん、正解」

「ほーか。でやね。ワシらはそれから、暇見つけてお互いの店ェしょっちゅうき来したり、ちっさい街ン中やけど一緒に歩いたりしとった。休みの日ィにゃ、二人で小山の連なる山道散策したりしてなァ。……ブッ! これだけ聞いてりゃ相当清純な青春やな、ワシら。マシンより眩しィてかなんな」

「僕、別に眩しくなんて」

「まあいいがいちゃ」

 視線がそっと僕を通過し、膝元へ下りていく。襟足の金髪が、柔くほろほろと肩にかかる。

「そうしとるうちに、あっちゅう間にリタのことを好きになった。ワシのくだらん話にようわろてくれるリタを、好きにならんわけなかった」

 花の咲くようなあの笑顔とよく似ていたのだろうとわかる。ライナルトが彼女に夢中になっていたであろう気持ちは、まるで我が身だ。

「で、二年くらい経った頃にはお互いにだんだん深い関係を望んでもおかしないとこまでなってやね」

「ふっ、深いっ、て……」

 あっさりそう言うけれど、僕にはじわじわとその刺激が効いてくる。ボンと火照る顔面をライナルトに見られたくなくて慌てて俯いた。

「けど、ワシは迷っとった」

「え、どうして?」

「いまとちごて、結婚なんて気軽にでけん世の中やったからな。さっきも言うたけど、ワシとリタじゃあ身分違いやし、そもそもワシん家の商品取り扱ってくれはるお方の娘さんやん」

「まぁ、ちょっと気まずいことだけはわかるよ」

「幸いやったんは、リタの親父さんがワシんことあっさり承認してくれはったことや」

「二人を、認めてくれてた?」

「そーなん。ワシ珍しく意気込んでやね、親父さんにリタとのこと話さしてもらったんや。ほしたら『ワシとワシの親父さえよかったら』て言うてくれはったんね」

「トントン拍子じゃないか」

「話さしてもらう前から、親父さんはそういう心づもりで居ってくれたらしいが。ワシの親父とも仲良うしとったしィンね、ワシらがそうなりゃ親父ん店も安泰が約束されるし。パパパッとワシんとこに良いこと尽くしの話になってったんよ」

 なんて幸せな青春時代の話なんだ、と、僕は呆気に取られていた。ライナルトにとってリタさんと出逢えたことは、彼の人生に於ける幸せのいただきだったのだとさとる。

「あ」

 しかしそれが『頂だった』ということは、つまり近く『下りが待っている』ということと同意だ。

「相変わらず察しいいじ?」

「え」

「マシンの顔、がんことても険しなってきよった」

 ドキリとして、眉間を指で擦った。ここにシワが寄っていただろうか。口角も下がっていたかもしれない。

「プフッ! お前を精神世界ここに留めとる間は、さすがに考えとることは読めんけどォンね、そん表情でちょっこしくらいならわかるようになったわいや」

 粘着質な笑みが向けられる。挑発的ともとれるその表情は、憎らしくも整っているので見ていて飽きない。

「『良いこと尽くし』がどういうことか、ワシと答え合わせしよか」

 僕は視線を据えて、ひとつ首肯を向けた。


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