第2話 股くぐりは男のロマンだ
街道まで出てみると人だかりが出来ていた。
幸い俺は他人より頭ふたつ分ほど背が高い。少し背伸びをするだけで、それがやって来るのを見る事ができた。街道を埋め尽くすように大勢の人馬が列をなし、ゆっくりと進んでいるのだった。
「なんだろう、あれは」
「皇帝の行幸なのだとよ」
隣に立ったひげ面の男が教えてくれた。
「皇帝とはなんだ。王とは違うのか」
俺が生まれた土地は『
かつて、ここには戦国最大の雄国『楚』があった。
時勢に疎い俺だが、それでも西の『
最後の王、懐王の悲劇は巷間に語り伝えられているからだ。
隣に立つ男もかなりの長身だった。滑稽なほど長い顔に、こすっからそうな目付き。おそらく街の小悪党といったところだろう。年齢は俺よりもかなり上のようだ。
「おお、来たぞ。あれが王をすべて殺して、王の中の王『皇帝』になった野郎だ」
延々と続く行列の中程に、巨大な馬車が進んでいた。
窓をあけて、一人の男が顔を出している。
視線が合った気がして、俺は思わず一歩退いていた。
怖い、初めてそう思った。
あれは本当に人なのか。人があんな冷たい目をしているものなのか。
「おお、さすがは皇帝だ」
隣の男が声をあげた。この男は何も感じていないようだ。
「男として生まれたからには、ああでなくてはいけないな。いや、見事なものだ」
うんうん、と腕組みをして頷いている。
暢気な親父だな、そう呟いて俺はその場を離れようとして気付いた。
「劉兄ぃ、こいつイイ体してますぜ。仲間にしてはいかがです」
俺の周囲はこの親父の仲間で囲まれていたのだ。小悪党は小悪党でも、結構な有力者には違いないようだった。
「ああ? 体はデカいがまだ子供ではないか。まあ、あと十年ほどしたら、だな」
劉兄と呼ばれたその男は下卑た笑みを浮かべた。
「たしかに。こいつ、ビビってやがるぜ。役には立たねえよなぁ」
一斉に笑いが起こる。
俺は、それを機に逃げ出した。
「危ない危ない。あんな連中に関わってたら長生きできないからな」
どうせすぐに役人に捕まって、首を斬られるのがオチだ。
☆
ろくでもない事は重なるものだ。
「ちょっと、そこの強そうなお兄さん。……助けて!」
俺は嫌々ながら振り向いた。
背中に大きな荷物を背負った少女が数人の若い男に絡まれていた。見覚えがある男たちだ。俺とも何度か諍いを起こしたことがある連中だった。
「おう、韓信じゃねえか。この前はよくもやってくれたな。どうだ、ここでその時の決着をつけてもいいんだぜ」
人数を頼んで、男たちはニヤニヤ笑っている。
「そんな事より、早く助けてってば!」
少女が金切り声をあげた。
うるせえ、と一人が少女の頭をはたいた。
「いたいー。あんたね、こんな事をしたら『秦法』刑の部、第19条3項に抵触して、三年以下の懲役に処せられるんだからね。路上往来妨害罪、傷害罪、監禁罪も加わるんだからね、分ってるの?」
少女の苦情は止めどない。だんだん耳の奥が痛くなってきた。
やつらも今ではこの少女を持て余しているのが明らかだった。
「ま、まあいいだろう。おい、韓信。許して欲しければ、おれの股をくぐれ。出来ないならば、この女をその剣で刺してみるんだな」
「何で私なのよ! いい? 殺人罪はね、『秦法』第3条で……」
やかましい! また男に殴られている。まったく性懲りの無い女だ。
「で、どうするんだ、韓信。おれはそろそろ我慢の限界なんだぜ」
それはこの女に対してだろ。
もう、こんな連中は放っておいて、街を出るのが一番のような気がしてきた。
今更こいつらと喧嘩するのも面倒だし。
「さあ、どうする。股をくぐるか、この女を刺し殺すか、どっちだ」
俺は暫く考え込んだ。ある意味で究極の選択だったが。
「わかった」
俺は心を決めた。
「その女の股をくぐる事にする」
「は、はあっ?」
少女は絶句した。男たちが俺を見る目付きも、いかがわしいものを見るものに変わっている。
「どうだ、それなら文句あるまい」
俺は堂々とした態度で胸を張った。
「あ、まあ。お、お前が良いなら、それはいいけど……」
リーダー格の男はしどろもどろになっている。人は意表を突かれると、咄嗟の思考力を失うものなのだ。
「私は良くないですからっ!!」
少女が悲鳴をあげた。
「刺されたいの? 痛いよ、これ」
俺は剣を抜いて見せる。
少女は口をぱくぱくさせて何か言おうとしていたが、やがてがっくりと項垂れた。
「ちょっと服の裾をあげてくれない?」
別にいやらしい意味ではない。足首まで服に包まれていると、物理的に股くぐりは不可能だからだ。
少女は真っ赤な顔で、服をつまむと少しだけ持ち上げた。
「もう少しかな」
せめて膝上まであげてくれないと。
「もう、これ位でいいでしょ」
涙をうかべ、少女は訴えた。服の裾は彼女の太ももの辺りまで持ち上げられている。白くてほっそりとした脚だなと俺は思った。
「そうだな。ところで……」
俺は新たな提案を彼女に伝えた。
「なによ」
「仰向けでくぐってもいいか?」
真っ赤だった少女の顔が一気に青ざめた。
この当時、下着をつける習慣はないから、当然彼女も服の下は、そういう事になっているのは間違いない。
「し、信じられない」
ただ、これも四つん這いでは小柄な彼女の股をくぐるのは困難だから言っているだけであって、決して他意はないのだ。
俺はゆっくりとしゃがみ込んだ。
「お、おい韓信。それはいくら何でもやり過ぎだ!」
「そうだとも。それは鬼畜の所行だぞ。そんな事、男としてやっちゃいけねえ。見損なったぞ、韓信」
なぜか俺の方が責められていた。
「なんだ、お前たちがやれと言ったんじゃないか」
男たちは目に見えて動揺し始めた。
「言わねえよ。おれ達はそこまで下衆じゃねえんだから」
「もういい。後はお前らだけでやれ、この変態どもがっ!」
捨て台詞を残して男たちは走り去っていった。
「あの、ありがとうございます。結果的に、助けていただいて」
少女は頬をひくつかせながら俺に言った。
別にそんなつもりでもなかったのだが。
「私は、
少女は名乗った。父親と一緒に行商をしているらしい。
「まあ、気にするな。じゃあ続きをするから、もうちょっと脚を開いてくれないか」
持ち上げたままだった彼女の服の裾が、すとんと落ちた。
ん? 俺は彼女の顔を覗き込んだ。
「やっぱり変態じゃないかっ!!」
その途端、ちいさな握り拳が顎の先端を直撃し、俺は意識を失って昏倒した。
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