第二章 追憶・賢者は魔王父娘と語りたい①

 あれは……そう……。

 魔王を倒して王都に凱旋し、国をあげてのお祭りが行われていた時だった。


 どうしても祝宴で盛り上がる気分になれず、私は喧騒から一人外れ、魔王軍に黒く染め上げられていた世界を、白く塗り返そうとするかのように降りしきる雪の中にいた。

 傘もささず、私の胸部みたいに薄く積もった雪面に、意味もなく延々と足跡をつけていく。

 誰に訴えるでもなく、人間の勝利に対して、ささやかな不満をぶつけるように。


 魔王と戦って以来、ずっと心にしこりが残っている。

 魔王はこれまで戦った、どんな敵よりも強かった。何度もやられそうになった。


 それでも……。


 どこか本気で戦っていなかったように思う。

 手を抜かれていたのとは、少し違う。ただ、私たちへの殺意がなかった。

 いや、もしかすると、勇者の剣によって倒れる最期の瞬間まで、敵意すらなかったかも。

 私たちの気迫に臆したんだろうと仲間たちは言っていたけれど、あの目に浮かんでいたのは怯えなんかじゃなかった。こちらを、じっと観察していた。


「魔王……。あなたは、何を考えながら戦っていたの?」


 深々と舞い落ちる粉雪を見上げながら、返ってくるはずもない答えを待った。


「……ん?」


 あれは、なんだろ。

 ふわり、ふわりと、揺りかごのように宙をたゆたいながら、何かが落ちてくる。

 それは地面に落ちず、私の目の高さで停止した。なんらかの魔法がかかっている。

 真っ白な封筒だ。


「……読めってことなのかな」

『読む必要はない』

「キャッ!?」


 驚きすぎて、普段なら絶対に出さないような声が漏れた。

 手に取ってすらいないのに封筒が勝手に開き、中から手紙――ではなく、魔王が現れた。

 何を言っているのかわからないと思うけど、起こったことをありのまま話している。


『また会ったな、賢者よ』


 柘榴石ガーネットのように透き通ったワインレッドの瞳。肩よりも少し長いストレートの金髪。そして両のこめかみからは、ヤギのようにカールしたツノが生えている。ツノを除けば童話なんかに登場する王子様風の美青年にしか見えないけど、世界中の魔物の頂点に立つ男だ。

 まさか、生きていたなんて。ここでる気か……。


『構えずともよい。これは我の思念体だ。実体を持たぬ故、このように話すことはできるが、戦うことなどできぬ。先の戦いの最中さなかに思念の一部を切り離しておいたのだ。其方とこうして話をするために』

「私と?」


 勇者じゃなくて?

 まさか、油断させて、一人ずつ始末しようってつもり?

 私は魔王に細心の注意を払い、周囲への警戒も緩めず、誘いに乗る振りをすることにした。


「話って?」

『その前に、一つ確認しておきたい』

「仲間ならすぐ近くにいる。妙な気は起こさないでね」

『誤解するな。そうではない』

「じゃあ、何?」


 先を促すと、魔王はどこかバツが悪そうに、もじもじと不気味に身をよじった。

 その様子は、最終決戦で対峙した時の威厳ある風格と、イメージが全く重ならない。


『…………我、ちゃんと死んでる?』

「は?」


 素っ頓狂な声を出してしまった。


『いやな、このような回りくどい演出をしておきながら、なんやかんやで生き延びていたら、後で凄まじい羞恥に見舞われること請け合いなのだ。うっかり悶死しかねないほどに』

「それ、どう転んでも死んでいるじゃない」

『故に、確認しているのだ。この思念は途中で分離してしまったため、戦いの最後を知らぬ。いらぬ恥をかきたくないと考えるのは、人間とて同じであろう?』


 目の前の思念体からは、必要最低限の魔素しか感じない。本当に会話するためだけなのか。

 噓をついているようには見えないけど。


『ふむ、疑われているようだな。無理もないことだが』

「とりあえず、話は聞くよ」


 隙を見て魔法を叩き込むか。いや、離脱するべきか。


『助かる。ここで断られたら、途方に暮れていたところであった』

「……あなたは、私の言葉を疑わないんだね」

『話を持ちかけているのは我だ。その我が相手を信用せずしてどうする? 常識であろう』


 呆れたように言われてしまった。魔物に常識を疑われるなんて……。


「あなた、想像していたキャラと違う。魔王なんだから、もっと他人を見下しているのかと」

『何を言うかと思えば。親しみやすい上司として、部下からの支持も厚かったのだぞ?』


 死闘を繰り広げた相手だというのに、その返しに、ぷっと吹き出してしまう。

 なんだろう。戦意を削ぐ作戦か? だとしたら、大した役者だ。


「言っとくけど、あなたを倒したこと、謝らないからね」

『其方には其方の使命があり、為すべきことを為しただけだ。其方は何も悪くない』

「大物だね」

『それよりも、先の質問に答えてくれまいか』


 魔王がちゃんと死んでいるかどうか。


「死んだ――……と思う。勇者の剣は、あなたの左胸を貫いた。心臓が別の場所にあるとか、何個もあるとかじゃなければ、確実に死んでいたはず。火葬もしたしね」


 ……私が。


『で、あるか。安心した、と言うのも奇妙な話だが。我のように、人間に近い姿の魔物を手にかけるのは、さぞかし気が引けたであろう。特に其方は』

「どうしてそう思うの?」

『勇者一行については、我のところに逐一情報が入ってきていた。賢者、其方は別の世界から来たそうだな。おそらく、戦いとは無縁な環境で育ったのではないか?』

「戦争がない世界ってわけじゃないけど、少なくとも、私の周りは平和だったかな」

『やはりな。でなければ、何度も失禁したりはするまい』

「そんなことまで報告に上がってくるの!?」

『勇者一行が旅に出てしばらくの間、其方は部下の間で、お漏ら師マジション呼ばれていた』


 私の方が恥ずかしくて死にそう。


『其方は強いな。一年やそこらで、よくぞそこまで成長したものだ』

「その実感は、あんまりないんだよね。素質とか言われても、努力して得た力じゃないから」

『魔法の才を言っているのではない。人としてだ。想像を絶する苦行であったろうに』

「それは……まあ」


 魔王に労われるなんて……調子が狂う。


「それで、話がしたいって言ったけど、どうして私なの?」

『其方は別の世界から来た。ならば、偏見なく物事を判断できるのではと考えたからだ』

「何について?」

『魔物という存在について。其方の目で見て、我々魔物をどう思う? すべからく滅ぼすべき悪だと思うか?』

「思わない」


 魔物という言葉自体、人間本位で使われているものだ。

 人間に害を為す種族。それを魔物と呼んでいる。

 だけど、種族を一括りにしていいとは、私には思えない。人間だってそうだろう。悪い人もいれば、いい人もいる。種族によって、その割合に偏りがあるのは事実だけど。

 だとしてもだ。どんな種族にも、無害な存在は確実にいる。

 単純だと思われるかもしれないが、この魔王のことも、私にはもう悪だとは……。


『即答されるとは思わなんだ』

「考えたことがないわけじゃないから」


 これが勇者なんかだと、物心ついた頃から魔物と戦うための教育を受けているので、魔物のいない世界をひたすら実直に目指し、それが正しいと信じて疑っていない。


「人間と魔物が争わなくてもいい道を探すことって、できないのかな」

『無理だな。人間と魔物は共存できない』


 こちらもまた、即答だった。

 感情的になっているわけではなく、ただ事実を、結果を口にした。そんな感じだ。

 そう思わせるほどに、魔王の口ぶりは確信に満ちていた。


「理由を訊いてもいい?」

『幾度となく試みたのだ。遥か昔のことだが』


 当時を思い出しているのか、魔王は遠くを見つめるように目を細めた。


『賛同してくれる者もいた。人間と盟約を交わしたこともあった。しかし、百のうち、一でもこれをたがえば、それは種族全体の評価を一変させてしまう。土台無理な話だったのだ。歩幅も歩み方も違う種族が、同じ道を、同じ歩調で進もうとすることの方が不自然なのだから』


 淡々とした物言いとは裏腹に、その瞳の中には沈痛な色が漂っている。

 魔王は続けた。


『そもそも、価値観が違いすぎる。魔物が人間を襲うのは本能であり、人間が魔物を忌み嫌うことも同じく本能だ。本能に抗って得た共存など所詮はハリボテ。いつか必ず綻びは生じる。否、抑圧していた分だけ、より大きな歪みとなって跳ね返ってくる』


 そうなる未来を想像しているのか、魔王が長い間を取った。

 その様子からも、魔王がどれだけ理想の実現に尽力したのか、おぼろげに伝わってくる。


『我はもう人間との共存を諦めている。なればこそ、我は我と同じ魔物を生かす道を選んだ。人間もまた、人間を生かす道を選んだ。そうする他になかったのだ。信じた者に背を討たれるくらいなら、最初から敵として、正面から戦って敗れた方が幾分マシというものだろう』

「……ままならないね」


 ああ……そうか。

 魔王に敵意がなかったワケがわかった。

 この人は、どんな結末を迎えても受け入れるんだ。人間と敵対することを選んだ代わりに、自分が滅ぼされた今も恨み言一つ言わない。互いに譲れないものがあると知っているから。


『そろそろ本題に入らせてもらおうか』

「まさかとは思うけど、人間と魔物が共存できるよう、自分に代わって頑張ってほしいとか、そんなことを私に頼むつもりじゃないよね? 言っておくけど、それは無理だから」


 人間と魔物の共存。叶えばいいとは思う。

 だけど、魔王でも成し得なかった大業を、私なんかに託されても困る。


『そのようなつもりはない。だが、頼みたいことはある』

「まあ……聞くだけは聞くけど、無茶振りはやめてよ?」

『子を一人、引き取ってほしい』

「誰の?」

『我の子だ。8歳になる。母親は、あの子が生まれてすぐに他界している』

「それ無茶振り。私に親代わりになれっていうの?」

『無茶は承知している。だが、其方にしか頼めないことだ。人間と魔物の戦いは、今や人間が優勢となっている。魔物は日陰に追いやられ、安住の地はなくなっていくだろう』

「だから、私に保護してほしいって?」

『あの子に外の世界を見せてやりたい。人間の世界で、光の下で生きさせてやってほしい』

「簡単に言わないで」

『切なる願いだ』


 ……だろうね。その目を見れば、本気だってことはわかるよ。


「あのさ、ちゃんと理解してる? 私は父親であるあなたを殺した人間だよ? そんな奴に、子供が懐くと思う?」

『その点は心配いらぬ。我はあの子に、親だと名乗ったことはない。父親らしい愛情も何一つ与えていない。言葉を交わしたことさえ数える程度。我の顔を覚えているかも定かではない。我が死んだところで、あの子が悲しむとは考えられぬ』

「それは、どうして……」

『こうなると予見していたからだ。我は人間に討たれ、魔物に対する迫害は、これまで以上に強くなっていくだろうと。我が父親として接すれば、別れが辛くなるだけではない。あの子は人間を恨むようになるかもしれん。その先に、幸せなどありはしない』


 だからって……。

 子供の未来のために、親子の関係を犠牲にしたっていうのか。


『このとおりだ。人間と魔物の戦いに、あの子を巻き込みたくはない。なんの罪もないのだ。虫のいい話をしていると思う。これを聞き入れてもらえるのなら、我の命くらい、いくらでも差し出そう』

「差し出した後に言うなんて、ずるくない?」

『少しでも断り辛い状況を作っておきたかったのだ』


 笑えないよ。体張りすぎでしょ。

 魔王の頼みを聞き入れ、その子供を引き取る。それはつまり、人間に対する反逆行為だ。

 発覚すれば、教団は黙っていないだろう。仲間だった勇者が、次は敵になるかもしれない。

 そもそも、子供を育てるなんて、私にできるの?


『其方ならできる』

「心を読まないで」


 頭が痛くなる。

 断れるものなら断りたい。けど、ここで私が断れば、ほぼ確実に子供が一人、不幸になる。

 魔王の嫡子だとわかれば、問答無用で討伐対象にされてしまうだろうから。

 自分の知らないところで誰かが不幸になるのと、自分の選択で誰かを不幸にするのとじゃ、胸に刺さるトゲの大きさがまるで違う。


「あなたは本当にずるい」

『其方の優しさに付け込んでいる自覚はある』

「まともに子供を育てられる自信なんてない」

『其方で無理なら、他の誰であろうと無理だ』


 信頼より、この場合は消去法だろう。魔王は私に、藁をも掴む思いで助けを求めている。

 私は悩みに悩み、頭に雪が積もるくらい悩み抜いた。


 まさか。本当にまさかだよ。

 子供は欲しいと思っていたけど、まさかこんな形でなんて。

 私は過去最大の溜め息をついた。


「…………引き受けるよ」

『まことか!?』

「どうなっても知らないよ。子供を育てた経験なんて、私にはないんだし。無理だと思ったら途中で誰かに投げるからね」

『しないな。其方はしない』

「根拠なんてないでしょ」

『ただの直感だ。だが、人を見る目は確かだと自負している』

「私はあなたのお眼鏡に適ったってわけ?」

『其方と共に歩んでいく道も、悪くはないと思った』

「口説いているつもり?」

『そうしたいところだが、この身では、それも敵わぬ』


 やめてよ。魔王となんて、いろいろと大変そうだからお断りだ。いくらイケメンでもね。

 まあ、旦那はナシでも、友達くらいになら……なれたかもしれない。


「あなたが生きている時に、もっとゆっくり話をしてみたかったよ」

『我もだ』


 そう言って微笑む魔王の姿は、十年来の友人に向けたもののように和らいでいた。

 娘の居場所を聞いた頃には、思念体を維持している魔素も尽きかけているのか、擦り切れたビデオテープ(と言っても、若い子には伝わらないんだよね)を再生したみたいに、声と姿にノイズが混じるようになった。


『賢者よ、其方の名はなんと言ったか?』


青葉あおば……長田おさだ青葉。あんまり好きな名前じゃないけどね」

『その名に込められた意味はわからぬが、良い響きだと思うがな』

「それはどーも。他に言っておくことはない?」

『そうさな……。娘の名はアグリ。此度のこと、移転の可能性があることだけは伝えている。賢者である其方が迎えに来るかもしれないとな』

「かもしれない、ね。断らせる気なんてなかったくせに」

『賢い子だ。それだけで、我が勇者に討たれたことも察しよう』


 少しホッとした。普通の親子間で築くべき関係を築いておらず、いくらショックを受けないとしても、8歳の子供に誰かを殺した、殺し合ったなんて説明したくはない。


『アオバ殿、娘をよろしく頼む』

「できるだけのことはするよ」

『恩に着る。ああ、それと、近々、四帝獣も顔を見せに伺うだろう。良くしてやってほしい。彼らの賛同を得られるのなら、我の後を継いで、其方が魔王を名乗ってくれても構わぬ』

「はいはい、わか――……え?」

『では、さらばだ。我が娘と、我ら親子の恩人の行く末に、幸多からんことを』

「ちょ、待って! とんでもない台詞を、さらっと残していかないでッッ!!」


 最後の最後で爆弾を投下した魔王は、後顧の憂いはないとばかりに穏やかな顔をしていた。

 ゆっくりと、音もなく消えていく様は、静かに溶けていく雪のようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る