第二章 追憶・賢者は魔王父娘と語りたい②

「またここに戻ってくることになるなんてね」


 ――魔王城。

 元々薄気味悪い外観ではあったけど、あるじを失い、残った魔物たちもクモの子を散らすように敗走したため、廃墟のような不気味さが加わっている。


 空間魔法で近くまで転移してきた私は、物陰からこっそりと城の様子を窺った。

 盗掘を防ぐため、今は城の周りに規制線が張られ、バロル教団員が数名常駐しているけど、事が事なので、彼らに説明なんてできない。説明したところで通してくれるはずもない。

 そこで私は、周囲の景色と一体化できる迷彩魔法を自身に施した。

 これなら直接体に触れられたりしない限り、私がいると知覚される心配はない。


 見張りをしている教団員とすれ違い様、「ご苦労様」と口パクで労い、ステルスモードなのをいいことに、正面から堂々と城の中に入っていった。

 空間転移もそうだけど、この魔法も大概ヤバいよね。誓って私はやりませんけど、泥棒し放題だもの。

 明かりを使うと教団員にバレるおそれがあるので、代わりに暗視魔法を使う。

 ――――。よし、これで視界は良好。


「我ながら、なんでもアリになったものだわ」


 トラップの類が無いことは、一度目の訪問で確認済みだ。

 石畳の長い廊下を突き当たりまで進むと、体育館のように開けた大広間に出る。

 本来なら、壁に等間隔で並んだ燭台に火が灯り、派手さはなくとも上品で落ち着いた空間を演出しているはずなんだけど、今は床がボルダリングの壁面みたいにでこぼこになり、石柱の何本かは無残にも折れてしまっている。所々に焼け焦げた跡がつき、斬撃痕が無数に刻まれた光景は、全フロアの中で最も酷い惨状を呈しているのは間違いない。


 それもそのはず。この場所で魔王と戦ったんだから。

 広間の最奥には、魔王だけが座ることを許されていた玉座がある。その玉座も、背もたれや肘掛けが砕けており、魔王の時代が終わったことを強く意識させる。


 喪失感にも似た哀愁を覚えながら、みすぼらしく変わり果てた玉座にそっと触れた。

 魔王を悼んでいるわけじゃなく、ここに隠し通路があると魔王本人に教えられたからだ。

 玉座に触れたまま手の中に魔素を集め、同じく魔王から教わった呪文を唱える。


「セイウチ・ハチノス・ムイカメ」


 手の中の魔素が、自動販売機の入札口のように、ひゅっと玉座に吸い込まれたのを確認した直後、足下に青白い光のサークルが出現した。


「ああ、なるほど。転送なのね」


 玉座の後ろに〝おりる階段〟でも現れるのかと思っていたけど、予想が外れた。

 みるみる光量が増し、あっという間に視界はホワイトアウト。

 目を痛めないよう閉じて身を委ねていると、不意に周囲の温度と匂いが変わった。

 外では雪がチラついていたはずなのに、春のように暖かくて心地良い風が、花の甘い香りを乗せて頬を撫でてくる。転移が完了したようだ。


 眩んだ目をこしこしと擦りながら、薄く目蓋を持ち上げていく。

 魔王城と、いったいどれだけ距離が離れているのか。あちらは夜だったのに、こちらはまだ日が高い。大陸を何個かまたぐほどの超長距離転送だ。


「……わ」


 視界に飛び込んできた三六〇度のパノラマに、思わず感嘆の声が漏れた。

 島だ。

 それも、空に浮かぶ孤島。

 覆い被さるようにして澄み渡った青空。眼下には厚い白雲が所狭しと敷き詰められている。

 胸のすくような絶景に浸りながら、お決まりの台詞を零してしまう。


「異世界だなー」


 空島の面積は、私の通っていた小学校の運動場よりも少し小さいくらいか。それをここまで空高く浮かべようとすれば、上級魔法使いが一〇〇人は必要だろう。

 魔法使いの力量を計るのに、重量挙げが採用されているのは有名な話だ。もちろん、筋力で持ち上げるわけじゃない。魔素を空中に集めて固定し、その上に重しを乗せる。密度や強度を見ることで、手っ取り早く魔力の強さを計れるからだ。

 持ち上げられる重さによる格付けが、だいたい次のような感じ。


【初級】……人間の大人一人分(五〇キロ~)

【中級】……人間の大人一〇人分(五〇〇キロ~)

【上級】……人間の大人一〇〇人分(五トン~)

【特級】……人間の大人一〇〇〇人分(五〇トン~)


 初級止まりが全体の一割。上級が、これまた全体の一割。

 魔法の素質自体が珍しいものなので、これを認められた者は無償で高等教育を受け、才能を伸ばすそうなので、ギルドに登録されている魔法使いのほとんどが中級に格付けされている。


 特級ともなると、世界規模で見ても片手で数えられるほどしかいないのだそうな。

 辺りに漂う魔素に、ほんのりと魔王の残り香がすることから、おそらく、玉座に座っていた魔王が、長年にわたって魔素を供給し続けていたんだろう。

 わかってはいたけど、魔王は魔法使いとしても超特級だったってことだね。


 もう一度、周囲の景観に視線を一巡させた。

 色とりどりの花が風に踊り、ひらひらと楽しそうに蝶が舞う牧歌的な光景の先に、ぽつんと一戸だけ、こぢんまりとした三角屋根のログハウスが建っている。

 あそこに魔王の娘がいるはず。

 のどかだし、別荘としては申し分ないだろうけど、ずっとここで暮らすとなると……。


「外の世界を見せてやりたい、か」


 気持ちはわかるよ。自分の子供だもんね。

 でも、だからってさ、普通、それを敵である私に頼むかな。


「ふぅ……」


 扉の前に立ち、薄い胸をさすりながら大きく息を吐いた。

 ああ……緊張する。このドキドキ、最終決戦で魔王に挑んだ時と変わらないよ。

 8歳の女の子か。あっちの世界だったら、小学二年生くらいだよね。私がその年の頃って、どんな子供だったっけ。うまくやっていけるのか、不安で仕方ない。


 だけど……。

 あのイケメン魔王の娘さんなわけでしょ? 母親がオーガとかミノタウロスじゃない限り、二〇〇パーセント可愛いよね。そこはまあ、正直楽しみ。

 そんな子とお近づきになる想像でニヤついた顔をペチペチと叩き、表情を引き締めた。


「さて、行きますか」


 呼び鈴みたいなものは見当たらないので、コンコン、と木製扉を控えめにノックし、「ごめんください」と呼びかけた。入室許可を待つこの時間、就活で面接に臨んだ感じに似ている。

 あ、しまった。面接時のノックは二回じゃなくて、三回がマナーだっけ?


 などと場違いなことで若干テンパりながら、待つこと約一分。

 中から申し訳程度に、同じくコンコンと扉が叩かれた。

 場所が場所だし、必要ないのか、鍵も付いていない。これは、入っていいってことだよね?

 おそるおそる扉を手前に引き、「お邪魔します」と断りを入れる。

 覗き込むようにして顔から入っていくが……。


「あれ?」


 誰もいない。いや、いないはずはないんだけど。

 扉を開けると、すぐそこがリビングになっていた。家具が少ないため、小ざっぱりしていて幼い子供が暮らしている感じはしない。部屋は他にもあるようなので、ノックだけ返して奥に引っ込んでしまったんだろうか。


 ――かと思いきや。

 ソファーの後ろに、魔王と同じ、くすみ一つない綺麗な金色の頭がちょこっと見えている。

 まず、その小動物めいた行動に萌えた。

 ヤバいヤバい。ニヤつきを抑えないと。最初が肝心だ。


「はじめまして」


 さらさらの砂山を崩さないよう、外周部分に軽く触れるくらいの気持ちで優しく声をかけたつもりだったのに、ビクッ、と身を強張らせたのがわかった。

 リアクションが、臆病な子ネコみたいだ。家に入れてくれたってことは、迎えが来ることも想定していたはずなんだけど、8歳という年齢を考えれば、初対面の相手にあれくらい過剰な警戒を見せるのも当然なのかもしれない。


「私は長田青葉。あなたのことを頼まれた人間です」


 自分でも硬いと思うけど、会話のキャッチボールを始めるためにも、肩慣らしの自己紹介は必要だ。小粋なトークがウケるとも限らないしね。

 すぐには返事がない。それでも急かしたりはせず、相手の反応を気長に待つ。


 とはいえ、キツい……。

 一〇秒の沈黙が、一〇分にも、一時間にも感じる。

 手土産に、子供が喜びそうな菓子折りでも用意すればよかったか。

 意外に思われるかもしれないけど、こう見えて、お菓子作りは得意だったりする。

 特に、薄力粉から作ったパンケーキはなかなかのものだと自負しておりまして、飽きるほど試食させた両親からも、ホットケーキミックスに迫る味だと絶賛されたほどだ。

 暗に、ホットケーキミックスの方が美味しいと言われていたような気がしなくもないけど、不味くはないはず。私だって自分で何度も食べているし。

 こちらの世界でも材料は揃う。この子にも食べさせてあげたい。


 どれくらい経っただろうか。

 おずおずと、金色の頭部がソファーの背中から持ち上がり始め、左右のこめかみについた、小指サイズのちんまいツノが見えるようになった。

 いよいよだ。これが初顔合わせになる。

 第一印象は大事だからね。親代わりなんて大役は務まらないかもしれないけど、歳の離れた姉役くらいにならなれる努力をしようと思う。そのためにも、優しそうで、しかもカッコイイお姉さん(※おばさんじゃないよ)のイメージを持ってもらえる……よう…………。


「にひぇ?」


 声が裏返った。

 少女の面立ちを目の当たりにした瞬間、肺が空気を取り込むことに失敗してしまった。


 かなり可愛いであろうことは予想していた。していたつもりだった。

 でも実際は……。

 例えるなら、走高跳の高校記録くらいに想定していたバーの高さを、棒高跳のオリンピック選手が軽々と飛び越えていった、みたいな感じ。

 それほどまでに、現れた少女の可愛さは、私の想像の遥か上をいっていた。

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