真・ファイルNo.2:宇宙(ソラ)を見た、東の翼

 『スペースシャトル・オービーター』。それは、アメリカが1980年代に開発した再使用型宇宙往還機である。ある時は人工衛星を打ち上げ、またある時は人工衛星の修理・点検を行ない——そして、それ以上に数少ない実用化された再使用型宇宙往還機として、宇宙開発の歴史に爪痕を残した偉大なる機体だ。

 もはや知らない者は誰一人いないであろう本機であるが、その一方、当時アメリカ合衆国と世界を二分するまでの超大国であったソヴィエト社会主義共和国連邦(以降ソ連)も、同系列の機体を開発していたことは意外にも知られていない。歴史の波に揉まれ、そしてその開発が途絶えた幻の再使用型宇宙往還機——『ブラン・オービーター』を。


 『ブラン・オービーター』は、ロシア語で『吹雪』の名を冠するソ連が開発していた再使用型宇宙往還機だ。

 本機は1960年代、当時ソ連のソ連宇宙飛行士第一期生であった、かの有名なユーリ・ガガーリンとともにその模型が撮影されており、随分と昔から構想されていたようである。一方の『スペースシャトル・オービーター』も、この当時アポロ計画よりも早くにその概念が構想されていた。

 とは言え、考えれば勝手に完成する、なんて都合のいい話はどこにもない。この当時はまだ人類が宇宙に到達、地球周回後地球に帰還していた時代であり、地球—宇宙間を往還可能なロケットや機体といったものを実現するには技術力が不足していたと考えられる。

 だが、ソ連はアメリカ合衆国にて『X-20』と呼ばれる、いわゆる『宇宙爆撃機』が開発中であるとの情報を掴み“スピラーリ計画”を始動した。本計画は軍事色の強い、再利用可能な宇宙飛行を可能とする航空機の開発を企図したものであり、その計画過程で『MiG-105』と呼ばれるリフティング・ボディ機や、『BOR』といった機体が生まれている。

 そうして“スピラーリ計画”は進められていたのだが、やはりソ連は世界を二分する超大国。アメリカ合衆国は『スペースシャトル・オービーター』を開発していたわけだが、共産主義圏の盟主たる国家として、自国も同様のソレを保有せずして面子が保てるわけがない。結果として、“スピラーリ計画”は中止、ソ連の宇宙開発は“ブラン計画”へとその舵を切ることとなる。

 

 さて、こうして『ブラン・オービーター』の開発計画である“ブラン計画”が開始された。本計画は1970年代(ちょうど『スペースシャトル・オービーター』の開発時期と重なる)より開始され、1980年代にその開発が本格化している。

 この計画段階で様々な要求スペックが定められたわけだが、言わずもがな『ブラン・オービーター』という機体は通常のロケットでは運搬できないほどの大重量になることが予想され、結果的にその最大離陸重量は105tとなる。これはアメリカ合衆国の『スペースシャトル・オービーター』とほぼ同等(最大離陸重量100t)であり、当時一般に使用されていた軍事衛星と比べて相当重量差があるのが明白であった。

 そこでソ連は、同時期に“中央空気流体力学研究所TsAGI”および”S.P.コロリョフ ロケット&スペース コーポレーション エネルギア”の手で設計・開発中であった新型ロケット『エネルギア』を転用し、この『ブラン・オービーター』の運用を可能とする『エネルギア-ブラン』として使用することを決定した。

 このロケットは、以前開発が中止された『N-1』ロケットで得たノウハウなどを元に設計されている最新鋭ロケットだ。これはアメリカ合衆国の構想していたSDI計画、いわゆる“スターウォーズ計画”に対抗するためソ連が構想した、対人工衛星兵器『ポリウス』の打ち上げが可能なほどエンジンの推力が大きく、それをもってすれば100tを超える重量の『ブラン・オービーター』すら打ち上げることが可能だったのである。

 こうして打ち上げに用いるロケットが決定した“ブラン計画”ではその後、ペイロード質量テスト用の常温静荷重試験や、この『ブラン・オービーター』運搬用に開発された規格外輸送機『VM-Tアトラント』による輸送試験、『エネルギア』との結合試験に用いる『OK-M』や、製作された試作機としては唯一飛行可能な『OK-GLI』など、数々の試験機の製造による試験を重ねた。


 そうして1988年11月15日、『ブラン・オービーター』初号機の『1.01』は巨大な『エネルギア』に背負われた状態で、ついにバイコヌール宇宙基地のロケット発射台へと姿を現した。

 一応の完成を示したこの『1.01』は、アメリカ合衆国の『スペースシャトル・オービーター』とは異なる点がいくつか存在する。その中でも大きい相違点が、”エンジン部”だ。

 アメリカ合衆国の『スペースシャトル・オービーター』は機体後部に3基のロケットエンジンSSMEを備えているが、このエンジンは高性能であるぶん推力が低く、重量があるため周回軌道に到達するには高推力エンジンよりも多くの燃料を必要とすることから、外部燃料タンク(オレンジ色の円筒部がそれに該当する)による燃料の提供・補助ブースターの搭載が必要となる。

 その一方、『ブラン・オービーター』は機体後部に2基の小型ロケットエンジンを備えるだけである。もっと言えば、そのロケットエンジンはもっぱら姿勢制御・大気圏突入時の逆噴射用としての運用が想定されており、本格的な飛行能力は有していなかったのである。『スペースシャトル・オービーター』のロケットエンジンにあった役割は、『エネルギア』が全てを務めることとなっていたのだ。これによる恩恵は、重量物を搭載しないぶん機体が軽くでき、それはすなわち積載量の増加を意味する。その証拠に、『スペースシャトル・オービーター』の積載量が24tなのに比べて『ブラン・オービーター』の積載量は30tと、6t近い差が存在した。また、重量が軽いということは失速しにくいということでもあり、アメリカ合衆国のそれと比べて着陸が幾分かしやすいことも特徴だ。

 そのほかの特徴としては、搭乗員全員分の射出座席を備えていることである。これはアメリカ合衆国の『スペースシャトル・オービーター』には搭載されていない機材であり、おそらく1986年の『スペースシャトル・オービーター』チャレジャー号爆発事故が少なからず影響しているものと思われる。

 また、『ブラン・オービーター』シリーズ内での特徴として生命維持装置が搭載準備のみで、実際には搭載されていなかったこともあげられるだろう。これはこの機体のみに関わらず、ロシア語で”小鳥”の名を冠する後続の『1.02』こと『プチーチュカ』も同様である。

 運搬方法に関しても、アメリカ合衆国において『スペースシャトル・オービーター』シリーズの空輸はB-747旅客機の改造機『シャトル輸送機』が担当したが、この『1.01』に関わらず、『ブラン・オービーター』シリーズは前述の『VM-Tアトラント』に変わり、現在もなお世界最大、そして現役のジェット機として名を馳せる超大型機『An-225ムリーヤ』が担当したことが特徴だ。これは、『VM-Tアトラント』が既存機の改造機であり操縦性が劣悪であるのと対照的に、『An-225』が高性能エンジンと高度な機械制御により、『ブラン・オービーター』を搭載してもなお良好な性能を有するためである。


 さて、話を戻そう。1988年11月15日、バイコヌール宇宙基地に巨大な『エネルギア』に背負われる形で姿を現した『1.01』は、この日、無人機として高空へと打ち上げられた。打ち上げは滞りなく終了し、206分という短い軌道周回を終えると、そのまま自動操縦でバイコヌール宇宙基地へと帰還した。

 さらっと言ってのけるが、この自動操縦というのはアメリカ合衆国の『スペースシャトル・オービーター』では成せなかった技であり、部分的ではあるがソ連の技術的優位性が伺える。


 その後は1989年に二度目の無人飛行が、1992年には待望とも言える有人飛行が計画されていた。だが、その夢はあえなく潰えてしまう。


 ——ソヴィエト社会主義連邦の崩壊である。


 これはソ連経済のみならず当時ソ連国内で計画されていた様々な兵器の開発・研究に影響を与えたわけで、その影響は当然この『ブラン計画』にも現れた。そもそもこの『ブラン計画』自体、困窮するソ連経済下で200億ルーブルという莫大な資金を投じて行われている状態であり、一説ではその開発費がソ連崩壊の原因になったほど、とまで言われている。

 詳しいことは言わずもがな、資金不足に陥る新ロシア政府において、この“ブラン計画”が“凍結”されるに至るのは必然であった。事実、ソ連崩壊時に製造中であった『1.02』こと『プチーチュカ』や、初めて生命維持装置を搭載した『2.01』こと『バイカル』、そのほか『2.02』や『2.03』と言った機体は全て、その製造に放棄または解体処分が下されている。


 米ソ宇宙開発競争、その一つの終着点とも言える再使用型往還機のソ連における開発は、ここで一時中断したと言ってもいい。『ブラン・オービーター』運搬のために製造されていたとも言える『エネルギア』は、ロケットを補助ブースター・本体の全てを再利用可能にする完全な後継機と言える『エネルギア2ウラガン』、補助ブースター8基を搭載する『ヴァルカン』の開発計画は、全て過去の遺物と成り果てた。『ブラン・オービーター』の『1.02』は、今やバイコヌール宇宙基地の格納庫にて埃をかぶり、静かに眠っている。『1.01』は、既に格納庫の崩壊とともに消え去った。もう、この世にその姿はない。


 時代に翻弄され、悲しき運命を辿った『ブラン・オービーター』、そして『ブラン計画』。それは、ソ連の威信をかけた国家プロジェクトであった。宇宙へ向けた、一つの夢であった。

 最後に、ロシア政府のドミトリー・ロゴージン副首相が2013年9月、高度1万メートル以上を飛ぶ航空機が将来的に成層圏(10~50キロ)を飛行する可能性を指摘した際に述べた、ある言葉をここに引用する。


 「遅かれ早かれ時代を先取りしたブランのような計画に立ち戻らざるを得ない」


 ——私は、どこかで『ブラン・オービーター』の復活を願っているのかもしれない。

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