第四十一話 首尾と造船

第八編 足利尊氏

第二話


-元徳元年(1329年) 10月中旬 土岐氏在京用邸宅-


 屋敷を訪ね、応対者と向かい合う度に思う。コイツ、肉体の完成度がありえないほど高い。


 土岐七郎頼遠、それが彼の名前だ。“史実”では味方が奉じていた北朝の院を、酒に酔った勢いに任せてよりにもよって犬扱いし、牛車ごと蹴倒すというトンデモ狼藉を働いて斬首されたというヤバ過ぎるエピソード持ちの武将でもある。けれども智勇兼備で戦功は抜群、歌人としての側面もあったんだよな。多分酒癖が酷かったのと、自己過信との合わせ技で権威を嫌う実力主義が人並み外れて強かったんじゃないかな。まあ時代が時代だ、性格はともかく新興の武家勢力は誰しもそういう思想を有していたのだろう。もっともこの歴史においては、朝廷から実権が分離されていないこともあって、そうした風潮は皆無に等しい。対外戦争が片付いて国内の経済も落ち着き、管領制が回り始めたことで豪奢さを重視した文化がぽつぽつ出てきてはいるみたいだが。


『いつ見てもよく鍛えているな』


 しなやかな体つきだ、流行りのゆったりとした服装に隠れているのもあって一見すると華奢にさえ思えるんだが、皮膚の下は全身筋肉の塊だ。まるでネコ科の大型肉食獣を連想させられる。


 声をかけると四白眼を細めて笑みを浮かべた。普段かっぴらいているその目と彫りの深さも相まって、何かしらのブツに手を出していそうな危険人物感が凄まじいが、シラフであれば割としっかりした人間だ。これは多分、この歴史だからこそなんだろうが。


『役目でございますれば』


 美濃、尾張、そして伊勢において近衛軍のまとめ役を務めてきた土岐氏の現当主、土岐頼貞の息男である彼に出会ったのは5年ほど前だったか。その有り余る力は当代無双と持て囃され、軍の上層部に対して一定の影響力を有する私に対してボンボンの文官が偉そうにしてやがると喧嘩を売ってきたのがきっかけだった。


 まぁ、“オモイカネ”がいるこの体にかかれば軽く返り討ちに出来てしまうのだが。模擬戦と将棋を提案してどちらでもボコボコにした。人体の能力を限界まで自在に引き出せる、思考速度に至ってはそれを超越出来るというのはやはりチートにも程があるだろう。実力を見せつけるというのはこの時代で最も手っ取り早い相手を従える方法で、まあ過去の転生時にもちょいちょいやってきたことではある。もっともそれらが逸話として残っているのは小恥ずかしいものがあるが…


 それ以後、頼遠は随分と反省したらしい。顔役を務めて在国している親父土岐頼貞と異なり、兄の頼清を支える立場として見習いも兼ねて在京している。その結果会う頻度が高くなったのもいい方向に働いたようだ。


『それで、本日はどのような御用向きで?』


『七郎、何やらそれでは用がなければ来てはいかぬように聞こえるぞ』


『これは一本取られ申した』


 二人して笑う。まさか現代では婆娑羅大名の中でも特にイカれていることで知られていたこの人物と和やかな会話をするようになるとはねぇ…皮肉も既視感も揃い踏みなのが歴史というものなのだろうか。


『ま、用事があるのは事実ではある』


『と言いますと?』


『蝦夷地よ。若狭、敦賀、輪島からの交易は今もあるが、これを津島や長島、大湊などからも取り扱うのは如何かと奏上してな。それで航路と現地での警護を一部そなた達に委任したいという話が出た。蝦夷人と揉めることや海賊が出ることもあろうというわけでな』


『なるほど』


 興味が出てきたらしい、目のぎらつきが一層増した。落ち着きが出たとはいえ本性はバトルジャンキーだからな、ひょっとするとアイヌや海賊相手に大立ち回りの戦をする妄想でもしているのかもしれない。


『もちろんただとは言わん。実は船を新たに作っていてな、日ノ本のどこを探してもない新型だ。皆は遠早船と呼んでいてな、遠洋まで漕ぎ出すことを前提としている故、そちらで使って具合が良ければ大陸に沖縄、さらにその南との交易とその警護にも使おうかと思っている』


『それを我らに?』


『そうだ。遠慮は要らぬぞ、交易で富が増えれば巡り巡って出した費えも戻ってくるからな。国府と連携してドンと儲ければ良い』


 “史実”と違って戦乱は無い、政治を回すのも重要だが他にも手を出したほうがいいと思って色々首を突っ込んだ。そうしたら人口増加による土地が足りない問題と軍縮に伴った軍人の食いっぱぐれ問題があったんだ。管領制で多少は改善したが、艦隊、つまり船乗りの方がまだ余っていた。船乗りや造船技師というのはそれだけで貴重で簡単には増やせない高度人材だ、退役リストラで帰農というのはあまり良策とは言えない。何とかして雇用の創出を、と思って考えたのが北海道への足がかりと航路の開拓だった。


 今でも既に交易は多少されているが、これを本格的なものにしたい。そしてロシアの東進にも早いうちから備えておきたい。何世紀後になるか分からんが、樺太と千島はどちらも取っておきたいんだよな。そういうわけで関係各所を巻き込んで、遠洋航海を重視した船種の開発を提案した。ダウ船…気がついたら南海船と名付けられていた。南国で使われることが多かったかららしい…だと荒れやすい北の海では難破のリスクがあるからな、“史実”を先取りしてキャラック船がベースなのは内緒だが。


 ばらまいてた資料を引っこ抜くのと仲間を作るために久々に過去の転生先の邸宅に向かったよ。橘家、菅原家、藤原北家御堂流の子孫たる近衛家…今世で二条宮尊治殿下とお近づきになれていてよかった、足利家の家格ではとてもではないが口実なく交渉出来る家々じゃない。まあそもそも、秘蔵資料の存在書いたのをなぜ知っているは私ですという話に関しては過去の功績からひょっとするとそちら様にそういうのありませんか? などと誤魔化して拝借したわけだが…お陰様で朝廷の方針を固めることは出来た。コネも金もフルで使っての政治工作だ、何回やっても骨が折れるわ。


『では有難く検討させていただきまする。父も兄もまず間違いなく色良い返事をいたしましょう』


『うむ、期待している。そちらで船を出すようになる頃には式目も整備するつもりだ、条目については漸次知らせるからそれに則る形で頼むぞ』


『委細仕りました』




































「遠早船は西洋のキャラック船との類似が指摘されていますが、時系列を考えると収斂進化と言うべきでしょうね。計画の中心となった尊氏が何故船舶に関する技術に精通していたのかは諸説ありますが、高兄弟や近衛軍の知己、尊治親王の伝手を頼ったというのが現行の有力説です。過去造船に携わっていた家を親王の紹介で訪ね、資料を探していたという『基嗣卿記』の記述もありますからね」


この功績をもって、尊氏はその公卿としての地位をより確かなものとします。尊治親王の懐刀として偏諱を賜り、高の字を尊の字に改めたのがこの頃です。一方で尊氏同様に為政者として名高い弟の場合はその名が高国から変えられた形跡が見あたりません。当時の北条氏当主の名前は高時、足利兄弟に高の字を与えていた本人でしたから、これが目上に近い立場であった北条氏に一定の配慮をしていた傍証なのは間違いないでしょう」


朝廷内部での存在感を増した足利一族に伴い、その庇護者、擁立者として振舞った尊治親王の政界における影響力も増大します。既に認可されていた三男護良親王の大塔宮家に加え、四男宗良親王の桃花宮とうかのみや家、五男恒良親王が立てて後に七男義良親王が継いだ唐花宮からはなのみや家と後年彼の子から世襲親王家を複数輩出しているのは、当時における尊治親王の天皇家との近さと貢献度の高さに由来しています。加えて有能と判断した人材は身分を問わず各機関に紹介・推薦していましたから、ここで活躍の場を与えられなければそのまま埋もれていた氏族や人物も少なくなかったでしょう。楠木正成はその筆頭と言えますし、新田義貞も代表格の一人ですね」


そして彼らの中でも近衛軍で出世を重ねた者たちが中心となって活躍したのが蝦夷地、今の北海道本島への進出でした。当時は組織的な商業活動地域がありませんでしたが、既に後の北山文化に繋がる華美・豪奢な文物の誕生に経済面から寄与していました。何と言っても昆布やニシン、ラッコの毛皮などの特産品は非常に高値になります。それらを南方に中継貿易しても、そこでまた莫大な利益を得ることが出来ました。それで一攫千金を夢見て旅立つ者はもちろん、横取りしようと企む者もいました。また現地のアイヌとも取引の条件などを巡り度々抗争が起きています。これらを安定させ、朝廷の権威が根付く範囲を広げた立役者となったわけですね」


もっとも、厳しい自然環境と当時は北方から侵略されるということがなかった故の国境策定への意識の希薄さも一因となって、今の北海道本島において道南と呼ばれる地域より先への進出は随分と後になりました。しかしここで築いた足がかりは、樺太、千島、ひいてはその先に至るための大きな礎になったと評価できることでしょう。北海道を日本の勢力圏に収めることに対して、積極的に働きかけていたのが尊氏であることは各種の資料から疑いの余地がありませんが、その動機が歴史的事実や書簡を参照するに、国防と通商にあったと推定できることは、非常に興味深く明確な定説の無い研究上の課題です。貴方が今まで足跡を追ってきた人々、そしてこれから探求するであれう人々にも共通したことかもしれませんが…明らかにその思想や思考が近現代のそれに近似していることへの明確な原因を確定するには至っていないのです」


いえ、思想や思考の点でいけば薫陶を受けた人物を辿ることでそこに一連の流れがあること自体は把握出来ます。ただ、彼らがそれに従って才を遺憾無く振るうために必要な政治力と、流れを汲んで発展させる応用力はどこで身につけたのかが問題なのです。発展の方向性は基本的にいくつもの試行錯誤、失敗の連続を通して確からしいと認められたものに至ります。しかしそれが根底の部分で見受けられない…むしろような感触を受けるのです。関東平野の開拓、新田や干拓地の開発、鉱山の開山等々私の専門分野に限っても最初に目を付けた所に大きな収穫が含まれていることが多々ありますから」


「…話が逸れましたね。この北海道航路開通により、今の松前に相当する地域を中心として諸国から多数の商人が訪れるようになりました。それと関連して一枚噛んだ足利氏や土岐氏のみならず、貴族の一部や北陸に土着していた氏族などにも後年移り住んだ人間がいます。この話は北方仕置の際にまた詳細を取り扱いますが、それだけ利益があったということですね。北方の産物を南方に、あるいはその逆を行う中継貿易というのは今日の我が国のあり方にも通じる部分がありますから、ある意味において我が国の外交方針を決定づける歴史的に重要な出来事であったと言えるでしょう。これは遠早船の竣工と就役により、さらなる加速を見せることとなりました。」




































-元徳5年(1334年) 7月下旬 大湊-


 目の前に浮かぶ船は全長40mに近く、積載量も250トンを優に超えて300トンに迫る。南海船でさえ30mと200トンが関の山だ、この時代の日本ではありえんほどの巨船と言っていいだろう。同道してきた高師直は目を丸くしている。頼貞、頼遠父子に至ってはため息をついている始末だ。


 都から離れて伊勢は大湊まで来たのはこいつ、松湊丸しょうそうまるの初航海に乗り合わせるのと、後続して建造中の同型船がどの程度出来上がったか、その進捗状況を視察するためだ。自分が中心になって図面から設計させた物だからな、無闇に京を離れるのはよろしくない公卿の立場ではあるが、そこはお目こぼしを貰っている。それに北方の産物を介した貿易で都も地方もウハウハとなれば朝廷内部の権力闘争も少しは大人しいものになる。やはり豊かさは面倒事の解決に大いに寄与するようだ。もっと発展させていかないと…


 風の便りだが高麗もその影響を受けていい調子らしい。元もいよいよ末期だからな、国境の不安はあるがそれなりに凌いでいるということなのだろう。このままいい関係を続けたいところだ。


『これは何とも…大きゅうございますなあ』


 呆けたような声で師直が絞り出した。若くから親父の師重共々足利家中の補助役を務め、海千山千の爺連中ともやり合う肝の太い男でも、呆然とすることはあるらしい。顎髭を無心で扱いている。


『二十間はあるから、南海船の大きいものに比べても一回りは大きいな。その分物も多く積めるぞ、千五百石だ』


 土岐親子がまた揃ってため息をついた。頼貞は細目で淡白な顔立ちのイケジジイだから、顔はあんまり似ていないんだけどな。こういうところで感性の類似点が出るらしい、ちょっと可笑しく思ってしまった。


『話は五年も前から伺っておりましたが、これがいずれは無数に造られるというのは、この目で見てもとても信じられませぬな』


 首を振って感想を述べる頼遠。それもそうだろう、実現すればヨーロッパでさえ半世紀は早い光景だからな。南海船の定期的な建造、竜骨を有する船体の研究、そして元寇・高麗戦役における造船需要の拡大とそれによる技術革新。菅原道真二周目からの積み立てがここに至ってようやく花開いた形である。建造の金もシャレにならんかったことを考えれば、貿易黒字も無くてはならない要素だな。


『商船だけではなく、軍船としても使えるぞ。これに大銃を載せて撃つ、まず海戦で負けることはあるまい』


『なるほど』


『確かに』


『左様でございますな』


『もっとも当てるのは至難の業だろう、数で補わねばな。ざっと一隻あたり百門は欲しいところだ』


『…………』


 あらら、大銃大砲百門なんて言ったら皆目を丸くしちゃったよ。まぁ今の大砲は試作段階に過ぎないし、これもまた馬鹿みたいにコストがかかる。それを一隻で百だからな、想像しろというのが無茶か。すぐにでも類似品を作りたければ火車で代用という手があるが、射程では大砲に、コスパでは火縄銃にそれぞれ劣る。大火筒共々、いずれはその二つに取って代わられる運命だろう。もっともこの発想があった、という事実はいずれより洗練された技術で再び日の目を見たときに大きな意味を持つ。ロケット砲と対戦車ロケット弾、どちらも現代戦において重要な役割を持つ兵器だ。それを考えれば決して無駄では無い。それに今の鋳造技術で大砲を量産しようとしても、カルバリン砲やセーカー砲はもちろん、フランキ砲だって夢のまた夢だし、日本の鉄の品質も考えるとなあ…この辺りは大航海時代で外からの材料流入に期待かな。


『随分と先の話だ、そう何度も呆けた顔をするな。それ、乗船の準備が出来たようだぞ』


 告げて乗り込むと慌てて三人が続く。いずれだ、だがここで技術を培っておくことは将来的に大きな意味を持つ。良くも悪くもこのままいけば戦国時代、それによるウン十万人単位の動員による戦争が起きる確立が低い以上、文明の停滞は植民地化の破滅をもたらしかねない。いや、それ以前に明の成立と永楽帝の親征もこの歴史では最悪の場合、日本をも含んだ華夷秩序への再編に至る可能性さえある…これらはなんとしてでも避けなければ。備えるに越したことはない。金、資源、技術、領土、現状に満足するのは怠慢だ、それが歴史を変えていくことへの責務なのだから…


〔……………………〕




































「当初は商船、あるいは商船護衛のために兵を載せての運用が主な使い方をされていた遠早船ですが、実は当初から火砲を搭載した軍船としての用途が模索されていたことは、近年の研究でようやく見えてきた驚くべき事実です。『高階武蔵守記』、つまり高師直の日記が高階男爵家で発見されたことで判明しました。師直の立場を鑑みれば、これは尊氏の意向を受けてのものであったと考えられます」


火縄銃が世界で類を見ない早い時期に開発されて以降、軍事的技術の革新は日本においては下火になっていました。各地の貿易、商人町・日本人町の形成、それに伴う近衛軍の護衛とその戦術発展はあれど、大規模な戦闘が国内で発生していなかったことが主たる原因と言えるでしょう。むしろ細々とはいえ大砲の製作、改良が成されていたことの方が驚きです。これは元朝でも使用の記録があるのと、高麗との交流がもたらした部分もあるとは思われますけれどね」


とはいえ、それを多数搭載して戦闘に用いるという発想が最初期から存在したのは些か想像の埒外にありました。これは遠早船が通商上の必要に迫られて開発したというより、後々海上戦、あるいは対地艦砲射撃が発生することを念頭に置いたものであった可能性を示唆するからです。この時期、この地域でそれらを行う場合、どこを想定していたのか? まず考えられるのは北方における対海賊船、あるいはアイヌ系の抵抗勢力への威圧・示威を目的としたものです」


しかし沿岸地域から横腹を突く上、遠早船に近い大きさの船舶を運用することは技術・財政両面から見て困難と言わざるを得ない海賊勢力に対し、大口径砲の射撃が当時の技術で効果的であったかは甚だ疑問です。むしろ銃を装備した兵を多数乗船させ、狙撃か面制圧を試みる方が良かったでしょう。早合も実戦使用されてから半世紀は経過していましたから。威圧目的であっても火車がありますし、攻城戦でも海上からの投射では射程不足の感が否めません。そもそも城と呼べるような堅牢な建築物があったかと言われると…まあ、チャシという砦として使うことの出来る施設があったようですが、当時の日本の領土に建築されていたものと比べればそこまでの威力が必要だったとは思えません。資料が少なく、専門分野としても比較的新しい部分ですから断定は出来ませんが」


では他の候補はどこかとなりますが…高麗半島、中華大陸、南西諸島以南、いずれも北方と同様の理由で大まかに説明がついてしまいます。この時期、東アジアから東南アジアにかけてもっとも活発に海上交通を利用し、外海への進出も出来る有力な海軍戦力を保有していたのは我が国だけでしたから。だからこそ砲艦の開発は当時優先度が低い下火の研究になっていた、とも言えますが…基本的に合理性を重視する立場にあったという点において専門家の合意がある尊氏のやり方にしては少々不自然です。そのため邪推というか結果論からの辻褄合わせとして、明の海上進出に対する楔説やスペイン・ポルトガルのアジア植民地化に対する防衛説が出たことも感情の上では理解出来ます。とはいえ明の台頭自体は大陸の歴史の流れを追うことで予兆できるかもしれませんが、永楽帝の政策まで読み切ることは困難でしょうし、後者に至っては言うまでもないほど非常に無理のある話とは思いますけれどね」


「…ふむ、時間が時間ですから今日はこの辺りにしましょうか。そうですね、時間軸に合わせて事象に言及していくなら次は檀上君も呼びましょう。北方仕置の話となれば前日譚として蝦夷大乱、松前川口の戦いは外せませんから。尊氏が武官としても台頭するきっかけでもあるこれらの戦いは、経済上の要因があったことも見逃せません。それは交易だけでなく、国内の貨幣鋳造にも関連していました。重商主義の萌芽がこの時点で存在していたことは、要因を一つ一つ見れば妥当な展開ではあります。しかし欧州と比べて二世紀近く早期に発達が始まったことは、非常に先進的であると評価できることでしょう。」

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