第二十二話 膨れ上がる

第六編 北条義時

第二話


-治承4年(1180年) 6月26日 韮山金谷山中-


『放てー!』


満月のために松明を使わずとも山中を行動出来た。作戦が漏れた感じも無い、向こうは完全に油断している。


『この戦いこそ怨敵平氏を破るための最初の戦ぞ、雌雄を決してその吉凶を占うべし! 忠義に厚き武士もののふ達よ、その腕存分に振るうが良い! いざ、突っ込め!』


『『『おおおおおおおお! ! ! ! !』』』


 火車と火筒の一斉射撃によって眠りから叩き起された山木勢は、既に混乱状態。希義の発破を受け、雄叫びを上げて軍勢が一気に山を下る。館に火がついた、いいぞ、さぁ走れ!


 火車は同士討ちを危惧して最初の斉射でしか使わなかったが、火筒は近距離でも歩兵の機動力を大きく損なうこと無く使える。狙うのは山木伊豆目代山木兼隆の首一つ、それを取れればこの戦いは勝ったようなものだ!


 弓隊と迫撃隊の攻撃が終わった、長さ5メートル程の槍を担いだ密集陣形が突入する。その異様な光景に敵の動きが鈍った所に大槍が頭上から振り落とされる。脳天に直撃! 兜なんて着けてないから一発で昏倒だ。想像以上の効果に怯んだ敵の後続に対して槍が振り上げられ、再度ぶっ叩かれた。信長の真似事だが、効果は大きいようだ。両翼を率いるのは佐々木定綱・盛綱兄弟。太刀で血路を切り開き、それを時折軍中央から火筒が掩護する。燃えている館の内部に誰かが侵入したのが見えた! よし、目代を探せ! 組織だった抵抗はほぼ消えた、いける、勝てるぞ!


 館がいよいよ黒煙を吹きながら倒壊し始めた。すんでのところで若武者が誰かを背負って転がり出てくる。あれは...義忠、佐奈田義忠か! 背負われた方はかなり豪華な服を着ている。さては山木兼隆だな! 周りの兵たちも次々に降伏している、勝鬨が聞こえ始めた。とりあえず、初戦は成功か... 大きく息を吐いて、額の汗を拭った。振り返って義兄上希義を見ると、彼もまた緊張の糸が解けたのか、竹筒を供人から受け取って水を飲んでいた。


『殿、佐奈田の嫡男殿が山木目代を捕らえたようにござりまする。我々も陣を畳んで山を降りるべきかと』


『そのようだな、この煙も既に加藤や堀らの目に届いておろう。目代の後見、堤の屋敷が落ちるのも時間の問題よな』


 深夜には密かに加藤景廉、佐々木経高・高綱兄弟が率いる別働隊が動き、堤信遠の館を襲う手筈を整えていたはずだ。こちらが火をつけたのを皮切りに向こうも襲撃を開始する予定としていた。実際農民の飯炊きとは違う色の煙が上がっているのが見える、現在も戦闘中のようだ。


『こちらからも応援を出さねばなりませぬ、奇襲とはいえ兵が多いに越したことはありませぬから』


『そうだな、太郎定綱三郎盛綱は特に心配していよう。二人が疲れていなければ、同じように元気な兵を与えて向かわせよう』


『良きご思案にございまする、早速使番を走らせましょう』


 うむ、と頷いたのを見た使番がすぐに走っていった。この辺の教育は大したものだな、希義あにも満足そうだ。何年間も訓練させたのは伊達じゃない、実戦でも円滑に機能していて安心した。


義時おとうとよ、此度の戦略は見事であったぞ。次も上手くやりたいものだな』


 顔を綻ばせて労ってくれた。


『は、ありがたきお言葉にございまする。されど戦はまだ始まったばかり、精進致しまする』


『うむ、頼りにしておるぞ。次は伊東の調略をせねばならんからな...厄介な』


 何故こんな無茶苦茶とも言える作戦を立てなければならなかったのかというと、ひとえに“史実”での石橋山の戦いが悪手を連発した上に運にも恵まれなかったことが原因だ。最初の山木館襲撃は祭礼で人が出払っている隙を突いたために成功した。だが台風の時期だったせいで援軍の三浦一族が遅れた結果、大庭景親率いる3000もの軍勢にわずか300で対する羽目になってしまったのだ。オマケに様子を伺っていた伊東祐親はこれを見て出兵、頼朝の背後を断つように布陣。間の悪いことに三浦氏が焼き討ちをしたせいで上がった煙によって挟撃されていることを知った景親が暴風雨に紛れて夜襲を仕掛けてきた。つまり、10倍というとんでもない兵力差がある敵の奇襲を受けるという最悪の状況だったのだ。


 これを免れるためにはまず最低でも後背の憂いを無くすために伊東氏をどうにかせねばいけない。そして折角“史実”以上の海上戦力があるのだから、それを殺してしまうような時期...すなわち台風によって荒れ模様になりやすい“史実”同様の8月...以外で挙兵するべきだという判断だ。本当は冬から春にかけての出兵が最適なんだが、そこまで悠長にしていると攻め込まれかねないからな。だからこのタイミングでの挙兵がベターだと進言した。


 挙兵時期が早い方が良いというのは皆が理解してくれたが、では祭礼の時期を狙わない分抵抗が大きそうな山木をどうするのか?というのに対して出した答えがこれだ。山をつたって移動し、油断している所を予想外の方向から襲撃。夜間、それも山中の隠密行動で危険ではあったが、満月の日を選べばある程度マシではあると言った。皆唸っていたな、決して悪手では無いと思ったのだが。


 結局、これに優る名案や妙案は出なかった。兼高の後見である堤信遠も討つべきであるというのはこの世界でも父上が提言した。これも深夜に行動して布陣、本隊が襲撃したのを煙で確認後に同様に攻撃開始ということで話がまとまった。別働隊は騎馬があるが、やはり間道である蛭ヶ島を使うべきだとも進言した。決して遠い訳では無いからな、多少難渋するだろうが夜間だ、朝までに着けるはずだ。希義あに頼朝と違って物分りが良くて助かった、ヤツなら「挙兵の草創に間道を使うなど不届き千万、それに言葉戦いもせずに夜襲など礼を欠く」なんて言いそうだからな。武士は勝てればよかろうだろうが。奇襲、夜襲、調略に暗殺、正攻法で勝てない相手とわざわざ正面切ってぶつかり合う必要なんざ皆無なんだよ。流石にほうほうの体で逃げた後はそんなことはおくびにも出さないようにはなったが、この歴史では敗戦は許されん。だからこその先制攻撃、そして調略による伊豆の平定だ。山木、伊東という親平氏の氏族を叩き潰す、あるいは取り込んでしまえば内実がどうあれ簡単には兵を動かせなくなる。完全統一をした下国伊豆国と内々が分裂している上国相模国、さてどっちが勝つかな?


『この正念場を乗り切れば、坂東の統一が見えてくる。日ノ本の統一... 壮大な夢をぶちまけてくれたな、だが決して不可能ではないこともその方は教えてくれた。その日が来るのを楽しみにしているぞ』


『御意、必ずや共に成し遂げましょう』


 日は高く昇り、狩野川がきらきらと輝いているのが見えた。さて...もうひと仕事だな、なるべく間を置かないうちに伊東祐親の館へと赴かねば。

































 非常に大胆な賭けではあったが、希義ら挙兵軍の第一段階である山木兼高の排除には成功した。燃え盛る館に飛び込んで、わざわざ本人確認をするために兼高を引っ張り出してきたのは猛将、佐奈田義忠だ」


 彼は天下統一に至るまで希義配下の中でも勇将、猛将として名高いな。最初期から信頼されていた佐々木兄弟と並んで武勇に優れたと称されている。火薬兵器の有効性は知られていたとはいえ、やはりそれが万能になる...戦場から英雄が消えるまでにはまだまだ時間が必要だったからな、彼のような戦働きが得意な人間は重宝されていた」


 わずか一夜にして奇策をもって有力な氏族を陥落させた源氏方だが、伊豆にはまだ伊東氏が残っている。この伊東氏の当主だった伊東祐親は義時の祖父で、さらには希義の配下となった宇佐美祐茂とその兄工藤祐経の叔父なんだがな、そこにはややこしい因縁が存在していたんだ」


 伊東祐親の父、祐家は早くに亡くなっていた。それを見た祖父祐隆は後妻の子である祐継に総領としての地位を与え、祐親を冷遇した。屈辱を感じた彼は感情を押し殺して祐継亡き後に遺児であった祐経の後見人となり、祐経が京に奉公してる間に彼の所領を奪い取り、更には妻まで豪族の土肥遠平に渡してしまう。祐経が気がついた時には後の祭り、訴えも祐親の根回しで無駄となった」


 恨みを抱いた祐経は配下に命じて暗殺を行うが、この時に殺されたのは祐親ではなくその息子の河津祐泰であった。憎しみの連鎖だな、つまり希義から見れば祐親は配下の仇だし、祐親から見れば希義は仇の主君だ。当然だがそのままでは調略なぞ不可能だ、祐親は平家とも懇意だったしな」


 そこで義時の奇策、第二弾だ。ほぼ同数の兵力を有しているはずの伊東氏の本拠地に、なんとわずか10騎で話をしようと乗り込んだんだ。無茶苦茶だよな、たとえ警戒されないようにと言ったって少なすぎだぜ」


 事前に協議をしようと伝令は出していたから、会談自体は開かれた。場所は彼らの本拠地である伊東館、今の伊東市にある物見塚公園ってところだ。しかしいざ集合してみるとあまりの人数の少なさに伊東側が絶句したと伝えられている。なにせ自分らは100騎、全兵力の3分の1を動員してるのにそこへ来たのは源希義、北条義時・時政、宇佐美祐茂、佐々木盛綱・高綱、佐奈田義忠、加藤景廉、土肥実平、天野遠景のわずかに10名。源氏方の中枢部と断言してもいい錚々たる顔ぶれだが、この人選も策略の内だった」


「山木の襲撃に成功した二日後の協議の場において、主導権を握ることに成功したのは希義だった。祐親はこの協議で降伏し、伊豆国は源氏がその全てを支配することに成功した。調略が上手くいったのはやはり、義時がその智謀を働かせて、希義を掩護していたからだな。」

































 -治承4年(1180年) 6月28日 伊東館(現物見塚公園)-


 100人か、思ったよりは少なかったな。もう少し集めてきてくれてもよかったんだが...ま、いいや。。...大丈夫だよね?


〔たとえ300人全員が村にいたとしても計算通りなら問題はありません〕


 なんか心配だな... まぁ今更遅い、再度腹を括るか。


 全員が座ったところで、協議が始まった。


『さて、それでは始めよう。単刀直入に言うとな、その方は私の力となってくれまいか? ここにいる祐茂から説得があってな、工藤一臈祐経もそうなれば一切を水に流すと言っておるのだ』


 義兄上、初っ端から飛ばしますね。祖父じじさまが湯気出しそうになってますよ。


『本気でそんな言葉にのると思っておるのか? ここに10騎で来ておいて? 出せるものも無ければ話も無い、気が変わってそちらを皆殺しにする前に帰るのだな』


『はて、本当にそうかな? いい話だとは思うのだが。故祐泰公には男子がいるそうだが、その子らの養育費も出す、所領は今の場所に功労次第で加増、そしてそれを因縁の相手も認めておる。長年のいがみ合いに決着をつける良い機会だと思うのだがそれを蹴るか?』


 小首を傾げ、にこにこと余裕を見せる義兄と怒りのボルテージが上がって茹でダコのようになっている祖父。脇差しに手をかけていないのを見る限りはまだ理性があるか、あるいは脅しの演技かな...


『儂を愚弄しておるのか? そもそもそちらは未だ伊豆半国と言った所であろう、そのような状況で平家はおろか相模の大庭殿にも勝てぬわ。早うお引き取りなされ、河内源氏やそちらの臣下の血を途絶えさせたくなければな』


『あぁ、血の心配ならせずとも良い。ここに来ているのは私も含めて跡を継ぐ者たちがいる、殺されたところでそのような運命さだめであったのだということだ』


『......本気で言っているのか?』


『当然だ』


 俄に表が騒がしくなった。義兄上が微笑む、私も口角を上げた。訝しげだった祖父の表情は、直後に転がり込んできた物見の兵の言葉によって一変した。


『ふ、ふ、船が...南無八幡大菩薩を掲げる船が浜に押し寄せて来ております!』


 船団が掲げる南無八幡大菩薩七文字は、武家の棟梁河内源氏の証。当然それを知る祐親は再度顔を真っ赤にして吠えた。


『儂をたばかったか!』


 今度は本気で怒ったな。脇差しに手を添えた。だが義兄は余裕綽々だ。


『ははははははは!』


 笑い声を上げた。


『謀る? これは人聞きの悪いことを言う。私は付いてくるなと言ったのだがな、どうやらようだ。なに、私の身が安全なうちは何もすることは無い。安心せよ』


『何...?』


『まもなく巳の刻が半分過ぎるという頃か... 時間は無いぞ、伊東入道。彼らは心配性でな、正午になるまでに浜へ行って安心させてやらないと私が殺されたと勘違いしてこちらへ上陸して攻めて来るぞ』


『阿呆な、それでは主君ごと儂を殺すというのか...?』


『それだけでは無いぞ。我らは二代源頼義様の頃よりまず船の上から徹底的に叩く。火車を使って弓の届く外からな。領民の家は海に近かろう? 間違って射てしまうかもしれぬな。船から降りても補給の続く限り射掛けるぞ、ここに火筒の槍が届くようになるまで四半刻もかかるまい、その方も含めて荘に住む者の全てが殺されような』


『気でも触れたか、或いは鬼か...』


 さっきまでの威勢はどこへやら、顔を青ざめさせて声が震えている。まぁ、立案した自分でも中々にキチガイ沙汰だと思うよ。でもな、これに反対しなかった皆もどっかおかしいよな。やっぱり武士は畜生ってか、えげつないものがあるよ。


『さぁ、時間切れまであと半刻も無いぞ。早う答えを出すが良い。私や領民と共に心中する道を選ぶか? それとも私に従って家を大きくする道を選ぶかな?』


 うー...と声にならない唸り声を上げる。もう一押しかな? “史実”の頼朝と違って彼の娘は義兄と情事の関係にはなっていない。その結果最初の子である千鶴丸に相当するような子も産まれていない。つまり祐親じいさま目線で勝手に何処の馬の骨ともしれない男に娘が取られることがなく、それなりに良好な関係ではあったのだ。祐経とはややこしい因縁があるが、わざわざ誘いを断ってまで平氏に付く理由は無い、我々が将来大きくなると確信を得させることが出来れば、可能性は“史実”よりも高いのは間違いないのだ。


『入道よ、平家に対しての義理立てはせずとも良い。確かに清盛入道は強い、したたかで皆を統率する力量も、銭も、兵も持っておる。私も小さい頃に会って確信した、これが大将たる者の纏う覇気かとな。だがな、その息子達はどうだ? 先はあるか? 確かに先内府平重盛はそれを継ぐだけの力はあったように思うぞ。噂を聞いた限りではあるがな、如才無く政をこなしておったようだ』


『...............』


『しかしその弟達はどうもそうでは無いのではないかな? だからこそ隠居のはずの入道が実権を離してはいない、私はそう見ているぞ。入道も歳だ、いつ死んでもおかしくは無い。となれば死んでも尚、世継が不安なままであれば屋台骨から崩れるはずだぞ。日ノ本は揺れような、現に殿の挙兵は既に府中だけではなくありとあらゆる土地の者に平氏への反旗を翻すことを決意させた』


『...............』


『このままでは平家が勝とうが反旗を翻した者が勝とうが国が荒れるのは間違いないな? そうなれば再び戦乱が起こらぬ確証は無いぞ。国中が戦乱の渦に叩き込まれる。末法どころか、全てが亡ぶぞ』


『...............』


『だが、私は違う。今は確かに率いる兵も多いとは言えぬ、一介の小領主に過ぎぬ。しかし伊豆を固め、坂東を掌握し、いずれは天下に武をもって統一を成す。日本を帝の名の下に一つにまとめて亡国ではなく興国とする大志がある。そして大志だけでは無く、人も、金も、必要なものは全て揃える算段は立てているつもりだ。一人では出来ぬ故、皆にも手伝って貰わねばならぬがな』


 すっ、と立ち上がって祐親の方へ寄る。我々を含め、部屋の中の全員の視線を集めた希義あには真っ直ぐに彼の目を見つめて一喝した。


『なればこそ、その方の力が必要なのだ。この伊豆国から日ノ本を変える、変えてゆくのだ。一人では足らぬ、天下万人に協力してもらわねばならん。伊東入道、その最初の協力者と相成ってはくれぬか? この希義、忠義には全力で応えようぞ!』


 覇気。今まで見てきたどの人間よりも強い意志の力を感じた。やはり源希義この男こそ全てを賭けるに値する者だと改めて実感した。自分が音頭を取ってもこうは行かない。


『............その覚悟、しかと受けとり申した。我ら伊東氏、殿の下で戦働きをさせて頂こうと思いまする』


 落とした! 一か八かと言ったところだったが、これで伊豆国の統一に成功した! 義兄も、皆の顔も一気に綻ぶ。


『良くぞ決断してくれた! その方らを決して軽んじることはせぬぞ、これからの働きに期待する!』


『は、ありがたき幸せにございまする』


 部屋にいた、全ての人間が頭を垂れた。

































 祐親を服属させたことで、希義は伊豆国の全てを掌握するに至った。これによって動員可能な兵力はおよそ1000、挙兵当初から3倍以上になった」


 だが、相模国はさらに兵が多い。内部に三浦一族という親源氏の勢力がいるにも関わらず、石橋山の戦いでは3000もの兵が布陣したのだからな」


 三浦一族が500の兵を率いて船で参上することになっていたが、それでも半分にしか満たない。山木兼高の襲撃と伊東祐親の調略から一週間程時間が空いたのは、襲撃の連絡が遅れていたからだ。わずか一週間とはいえ、船を使える時期だったのが幸いしてその間に兵の移動が出来たのは僥倖だったと言える。これがあと一月後ろに延びていれば台風が来ていたからな、兵の数の差を埋めてくれる長所...火力の大きさと船による高速輸送、奇襲上陸の可能性による敵側の意思決定の阻害がまとめて消し飛びかねなかった」


 ま、結果的には晴れた時期を狙ったしその心配は杞憂に終わったがな。三浦一族を加えて1500程に戦力を増強した希義軍は、船で熱海まで移動し、そこから陸路で相模国へと侵入した。旧暦7月12日だから...8月3日くらいか」


 知らせを受けた大庭景親率いる平氏軍は急遽出陣し、両軍は石橋山にて相対することとなる。山頂付近に源氏、その麓に平氏が陣取った。平野ではなく山という立体的な土地を戦場に選んだのは、兵数で劣る希義らにとっては当然のことだっただろう」


 それでも、二倍というのはやはり脅威だな。兵を分けられて二方向から挟撃されれば対応出来ずに蹴散らされるか、あるいはこちらも兵を分けた所を各個撃破される危険性は否定できない」


 が、既に軍師としての地位を確立した義時は、ハナから常道で行くつもりは無かった。先程話した山木兼高襲撃からこの合戦までを総称して石橋山の戦いと言うのは、その全ての作戦を彼が立てていたというのも理由の一つだ。源希義が率いる軍勢の最初の戦いは、相模国制圧までを想定して計画されていたんだ。恐れ入るぜ、その全てが針の穴を通すような作戦だったが、裏を返すとそれをこなすだけの力量があると看破していたわけだからな。もちろん、それを成功させた大将の希義も、適切な指示を行った武将たちも、その作戦通りに動いた兵士たちもそんじょそこらの奴らとは違うってことだがな」


「戦闘とは言っても名乗りを上げて言い争いをする言葉戦いをしてから始めるものだと思い込んでいた平家の軍勢は、相対した軍がどこの末裔で、その総大将が誰の子孫だったのかを嫌という程思い知らされる羽目になったんだ。」

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