第十九話 演者は踊る

第五編 藤原忠実

第三話


「保元の乱の一つのきっかけとなったのはやはり、鳥羽法皇の崩御であるだろうね」


鳥羽院は近衛天皇を溺愛していたから、血筋的には継子が産まれればそれで万事が納まった可能性もあった。しかし、結局帝の早逝によってその望みは絶たれた」


次代の帝をどうするのか。王者議定と呼ばれる天皇選定会議にその名が挙がったのは2人だった」


崇徳院の弟、雅仁親王。そして妹の暲子内親王。結局は雅仁親王に決定したが、実はもう一人、議定で上がらなかったものの候補とされかけた御仁がいる」


雅仁親王の長子、守仁親王だ。しかしこれは流石に父を飛び越えるのは不味かろうということで却下されている。しかしこの推挙をした人間が微妙によろしくなかった」


原因は藤原頼長が提案者であったからだ。崇徳上皇の側近と見られていた彼がそのような提案をしたのは、背後に幼帝を擁立して自らの権力を磐石としたい崇徳院の意向があるのではないか...そう噂が立った」


間の悪いことに近衛天皇を呪詛して殺したのは頼長ではないのかという風説が流布していたのも良くなかった。この風説はすぐに消えたようだが、鳥羽院の耳に入ってしまった結果余計に崇徳上皇への風当たりが強くなってしまう。これを危惧した忠実は何とか事態の悪化を回避しようとするが、今度はその噂を原因として忠通、頼長兄弟間の不和が発生する。事ここに至り崇徳院側と雅仁親王側の決裂は決定的なものとなった。崇徳院と仲がいいとは決して言えなかったが、辛うじて両者の繋ぎの役割を果たしていた鳥羽院の死後にそれが爆発するのは必然だった」


雅仁親王擁立派ではあるが、崇徳院との協力体制を画策していた忠実はそれでも緊張緩和に努め、また頼長を説得することによる態度の軟化、事態の軟着陸を図ったが...頼長からの謝絶によってそれは水泡に帰した。既に血を分けた者たち同士で物理的な戦いになる危険性が極めて高くなっていた」


基盤の弱い院は軍兵を集めて武力による闘争を図るのは当然の帰結であったと言えるだろうね。これを察知した忠実はすぐに雅仁親王...践祚して天皇となった後の後白河帝に報告、勅令によってそれを禁じることによって強制的に和解をさせようとするが...既に京には子飼いの者やその縁者が集結していた。それに対抗するように後白河天皇もまた武家勢力を集めるのも順当であった」


船棟梁としてその名を馳せていた河内源氏棟梁、源義朝。そして義朝をも凌ぐ勢いで急成長を果たし、武家の中で特に有力と言われる力を持っていた伊勢平氏の棟梁、平清盛。二大巨頭とも言える彼らの召集に成功し、上皇方の戦力の補充の妨害も成し遂げた後白河帝は、崇徳院の暴発を招くことで自らの権力を磐石にしようと挑発を開始する。忠実の策は崩壊し、彼自身の立場を明確にすることすら必要とされつつあった」


苦渋の決断として、忠実は後白河天皇側へと帰順する。経済力が当時日本で最も高い彼の...そして融和のために腐心していた最後の一人である彼の立場の表明により、戦闘の勃発とその際の帝の勝利は確実を期すことがほぼ明らかであった。しかし、それまで帝位とは無縁の生活を送ってきた後白河帝はそれ故に現実主義者であり、まだ自身の体制を固めるには不十分であるとして院だけでなくその周辺ごと正統性の欠落に誘導し、爆発せざるを得ない状態にさせた上で自らが勝利することでその地盤を確固たるものにするよう謀を巡らせたんだ」


「『上皇右府同心して軍を発し、国家を傾け奉らんと欲す』...そんな風説が流れ始めたのは鳥羽院が崩御してからわずかに三日後のことだった。これを受けて崇徳院は突然の洛東白河への脱出を行い、そこで再起を図る。後白河帝はそれを口実として兵を差し向け、当時はまだ禁じ手に近かった夜襲をかけることを許可した。平安時代末期の戦乱として大きな影響を与えた保元の乱の始まりだ。」

































-保元元年(1156年) 7月11日 平安京-


 嗚呼、遂に始まってしまった。“史実”と同じ過ちは繰り返すまいと動いていたにもかかわらず、守仁親王殿下の擁立を提案した人間が忠通から頼長に変わり、院の御子が歴史から消えたことで似たような事態に陥ってしまうとは。藤氏長者の件は忠通が左大臣となったことで不和が回避出来たと思っていたのに...歴史の修正力なのだろうか、私が行ってきた数々の改革は本当に功を奏してきたのだろうか。


 今からでも遅くない、院と関係を絶ってこちらに従属する意志を見せろ...そんな文を鳥羽院が倒れてからすぐに頼長に届けたが、返ってきたのは養育の恩と感謝、腹違いの兄忠通によろしくという...ものであった。


 我が子が二人、相争うことの悲惨さよ。私にそれを止める手だてはもはや存在していなかった。情報を意図的に漏らすことは絶対出来ないし、せいぜいが“史実”のような最後を迎えることのないように祈るくらいだ。帝も酷なことをする、完全に自分側についたことを確かめるために私を名指しで兵の集結を要請するとは...どこで間違えてしまったのだろうか...いや、悩んでいてももはや意味が無い、取れる選択を最善と信じて選び続けるのみだ。


 帝は夜襲をかけたが、“史実”でそれが功を奏したのは院側の貴族が「夜襲をかけるなど不届き千万、向こうもそんなことをするわけが無い」と油断していたからだ。この歴史においてはその可能性は低いとみていいだろう。陛下の憎悪は恐らく“史実”以上、取れる手は全て打ってくると考えておいた方がマシだ。下手をしたらこちらが夜襲を受ける危険性すらある。唯一のアドバンテージは火薬兵器はほぼ全てこちらが所有しているということか。相手とする武将は名の知れた猛将もいるが、軍略、装備、兵の質、どれをとってもこちらが上回っている。未だ火車すら配備されていない僻地と最新の装備をすぐに受け取れる京の差が明確に出ているのだ。勝つことは勝てる、だが被害は両者共に大きくなるだろう。現に両軍の総兵力は3000を超える“史実”の五倍以上...大通りが尽く燃えかねん。


 吶喊の声が地響きのように響き渡り、徐々に遠ざかっていく...つまり味方が押している。闇夜に火矢が放たれ、俄に明るさが増した。どこかの家屋に火がついたな、風向きは...我々が風上か、まだ焦る段階ではないが、念の為に神器や御璽と共に帝に今少し北へ避難して頂くよう進言するべきだな。


 立ち上がった所で、“オモイカネ”から声がかかった。


〔来客です〕


 諜報組織か。ここ最近はその総力を都に集中させている。一部の部隊は前線偵察に向かわせていたのだが、どうやら動きがあったようだ。


『報告せよ』


『流石は関白様、こちらからお声をかけさせていただく前にお気づきになられましたか』


 声色が嬉しそうだな。私自身の力では無いんだがね、これ...


『ご報告させていただきます、御味方が優勢ですが、実情は決してよろしいわけではございません。左馬助源義朝様率いる北面武士筆頭軍に攻撃が集中し、極めて大きな損害が発生しています。ただし安芸守平清盛様らその他の軍は軽微なようでございます』


 不味いな。“史実”同様帝の私兵にして朝廷直属である北面武士に前世源頼義の子孫である義朝が後継者として率いていた一団が抜擢されたまではよかった。彼がそのリーダー格として振る舞えるようになった時には内心ガッツポーズを決めたほどだ。しかも“史実”よりも昇進が早い。言うことは何も無かった。


 だが今回の損害の規模によってはその実力順位に入れ替えが発生する可能性がある。そうなれば“史実”とほぼ同様の状態での平治の乱が確定...義朝が賊軍となるならば、私がそれまで生きていればという但し書きが付くが、対抗して荘園から兵を送らねばならん。そして“史実”通り義朝が敗走すれば、武家政権の始まりになりかねん。せめて足掻かねば...公武両支配状態ですら危険なのだ、武士の台頭とそれに連鎖して続く戦国時代など起こす暇はないというのに!


『勝てはするのだな?』


『間違いはありませぬな。ただ、院や右府様ご子息の確保が出来るかは今戦に出ている方達だけでは微妙な所かと...』


『...頼めるか?』


『お望みとあらば』


『ならば、その方に命ずる。何としてでも無事に院と右府を保護せよ。そして一つ注文をつけるが...左馬助の兵に紛れてそれを達成してくれ。毎度の事ながら...奇妙かつ危険な注文だと思うが、その分恩賞は弾む』


 これは保険だ。政治的な功労として義朝に箔をつけることで恩を売り、信頼との関係を薄くしておく。そうすることによって平治の乱の発生確率を少しでも下げるのだ。どのくらい影響が出るかは分からないが、可能ならこれを機に源氏を子飼いにしてしまいたい。


『承りました、良いご報告が出来るよう身を粉にして働く所存でございます』


 気配が消えた。彼らは良くやってくれている、いずれは公の場できちんと賞与できるようにしてやりたいのだが...期待しよう。そして時間を稼ぐ間に策を...乾坤一擲の布石となるべく打つ策を考えねば...

































保元の乱で何故、義朝軍にのみ被害が集中したのかは資料が少ないせいで断定はしかねるが、軍政両側から見た有力説を俺から話そう」


結論を先に言ってしまうとな、んだわ。頼義公から連綿と続き、その武力を朝廷に奉じることで権勢を保ってきたわけだが、それが上手くいってたのは頼義公とその息子の義家公まででな...それ以降、特に頼義公が亡くなってからは家督争いとかもあって朝廷から危険視されてた節があるわけよ」


それで、義朝が棟梁を継いだ頃には規模が全盛期からかなり縮小してしまってて...まぁそれでも北面武士筆頭になれるだけの強大な軍事力を誇ってはいたんだが。当然、その武勇は全国的に鳴り響いてるもんだから上皇方もまずは河内源氏を抑えれないと話にならんとばかりに集中させたというのが通説だ。ついでに言えば敵対したとはいえ河内源氏に次ぐ有力者であった清盛の義母が崇徳院に近しい立場にいたからそこさえ撃破できれば清盛の恭順も見込めるのではないかという希望もあった可能性が高い」


で、政治的な面からみると後白河帝は私兵化したとはいえやっぱり不安なんだな。その影響力は頼義以降刀伊の入寇から九州北部、さらに前六年の役から関東以東にも、支持者が多数存在している。平将門の乱や藤原純友の乱を知っているからそういうことが起きた場合に手の施しようが無くなる可能性を恐れたんだ。手網は握っているとはいえこの辺りはかなり...それこそ病的と言っていいほどに敏感だったと推測されている。だから河内源氏の全国的な支持を少しでも削ぐために最前線を任せたのではないか、と言われているな」


「うーん、強大すぎる故に危険視されて弱体化工作を仕掛けられる例は枚挙にいとまがないですけど...実際、河内源氏はそれで転げ落ちていきますが、伊勢平氏は跳ね除けて権力の絶頂を迎えますからね」


「おうよ、ありゃ俺から言わせれば義朝と清盛の政治力の差...そして機を視る力の差だな。それが異なる結末を招いたというわけだ」


「しかし、忠実はそれすらも見越して河内源氏を自分の意に沿って動くように仕向けていた...と」


「あれは政治力と戦略眼の塊みたいなバケモンだわ。荘園からわずかとはいえ手勢を集めて義朝軍に派遣して、道に迷って裏口から突入する形になってしまったら上皇と頼長が逃げようとしていたから捕縛した?で、義朝軍のカッコしてたから義朝が恩賞貰って、その数年後にあれは実は忠実の私兵でしたーってか?どう考えても偶然じゃねーだろ。義朝に恩を売るための策略以外に考えられん。あとただの貴族の私兵にしては練度が高すぎだろが」


「ですよね...そうとしか考えられませんし、彼の暗躍は凄まじいとしか言いようがないです...さて、話を戻そうか」


保元の乱は上皇方の敗北に終わった。崇徳院は出家して許しを乞おうとしたが、当時は法皇として権力の座に舞い戻る可能性が否定出来ず、結局讃岐国に配流、頼長もまた佐渡に流された」


頼長に関しては忠実の取り成しがあったとされている。息子を斬罪に処すのは酷であったとも、また忠通との不和も本来はそこまで大きくなく、崇徳院に対しての忠誠を貫いたとしてむしろ民衆が同情的だったのも影響していると言われているね。この辺り、忠実が理想としていた法治国家との乖離が未だ存在していたことが伺えるかな」


後白河帝の勝利に終わった保元の乱は、京において史上最大級の戦闘としてその傷跡を大きく残すと共に、軍事貴族の台頭のきっかけとなっていく。しかし、完全にその争いを制する人間が登場するのは平治の乱を待たなくてはならない」


それは、この乱でもっとも権力を伸ばした人間が別にいたからだ。その名は信西、俗名を藤原通憲という法師学者だ。彼が実権を握り、その家系は著しく栄えた」


これを不安視したのが後白河天皇であった。保元の乱終結後に忠実は引退、忠通も既に鬼籍に入っていたため、忠実を呼び戻すと共に彼らに対抗出来るような近臣を育成することを考える」


大抜擢されたのは藤原信頼、後白河帝の寵を得て過去に例を見ないほどの勢いで昇進していく。三年間で彼の位は従四位下から権中納言、正三位にまで到達した」


身分に値するだけの能は無く、野心だけは大きかった信頼だが、不安定な政情もあり敵対していた信西の殺害に成功する。政変は、成ってしまった」


「何故、彼がそこまで上り詰めたのか。そして平治の乱に至ったきっかけは何であったのか。そういった観点からも説明をしないと後の平氏政権...そして国内最大にして最後の内乱と呼ばれる源平合戦に至る経緯は分かりにくい。それほどまでに、京を震源地とした国を巻き込んでの長い長い33年戦争は様々な事象が絡んでいる。それでは、私が主として話せる最後の出来事、忠実の最後の活躍についての話を始めようか。」

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