第十八話 運命の輪:逆位置

第五編 藤原忠実

第二話


「1129年に白河法皇が崩御すると、鳥羽天皇...この時点では上皇になっているね...は忠実の補助を受けて院政を敷き、また天皇在位中には彼の娘である得子を入内させるなど早くからその地位を確固としたものにする努力を続けていた」


しかし、白河法皇は一つ置土産を...後世から見ればよろしくは無い置土産を遺していった。鳥羽帝の中宮とされたのは、先ほど述べたつきの女人、藤原璋子だったんだ。これは鳥羽帝が幼かった頃に自らの都合をよく聞かせるための楔として法皇がねじ込んだと言われている」


もっとも、仲がよろしくは無いとかそういうことがあった訳では無い。むしろ良好ですらあったんだが...彼女の産んだ第一皇子である顕仁親王、後の崇徳天皇はその出自にケチがついてしまっていた」


『崇徳帝の本当の父親は亡き白河院である』...彼女の放蕩癖が予想外のところで妙な真実味をもたせてしまった。その結果皇太子どころかわずか数えで5歳で天皇に践祚した身であるにも関わらず、宮中で浮いた存在となってしまっていた」


帝の疑り深い性格、猜疑心の強い性格というのはあるいは、この時に形成されたものなのかもしれない。父は異母弟である近衛天皇を寵愛した。母は自らよりも弟である雅仁親王...後の後白河天皇を偏愛した。関白忠実、忠通父子は気にかけてはくれるもののそれ以上のことはしてくれない...忠実は特に鳥羽院と近く、例え案じるような素振りを見せていても信頼ならない。鬱屈した仄暗い感情を持っていることを察した忠実は何とか理解を得ようと努力を重ねるが、上皇として譲位してもなお院の心を開くことに成功しなかった」


そのため、崇徳上皇の周辺には当時の主流から外れたような人間、特に家族あるいは近しい人間が栄達していく影に隠れてしまった人間が集まることとなる。保元の乱の召しに応じた人間がわかりやすいだろうね。例えば、源義朝の父為義や弟為朝。平清盛の叔父、忠正。信西の女婿である源為国。しかし完全に忠実の計算外だったのはおそらく、手塩にかけて育ててきた次男頼長の上皇側への帰順だろう」


いや、手塩にかけて育ててきた故...かもしれないかな。頼長は若く、そして純粋だったんだろう。忠実はそこを失念していた。政治的判断から中々口には出せなかったようだが、忠実は崇徳上皇の境遇に同情していたようで、それなりに慮るような言動を取っていたことが知られている。その結果が息子の崇徳上皇の最側近という立場の確立であったんだろう」


それに、最初は忠実や忠通らも派閥を異にし、その中でも重要な役割に納まったことに対して危機感を持っていたわけではない。むしろ微妙に浮ついてしまっている院との緩衝役として機能するとして歓迎していた部分もあった。例え心理的に距離があったとしても上皇は上皇、鳥羽院政を支える立場であったことには変わらないのだからね」


だから忠実もその薄氷のような関係を案じつつも政務と仲介、それから科学研究所の視察などを行っていた。関白として藤氏長者の地位に就いてから数十年もの間、藤原氏と他氏族の利益調整を行っていたことで彼が喜寿を迎える頃にようやく連合体制の大まかな形が見え始めた。ひとえに彼の超人的とも言える政務能力と熱意、尋常ならざる体力の賜物と言えるだろうね」


「まあ、荒削りのまま保元・平治の乱に突入して最終的に離散してしまうのではあるが...しかし決して無駄ではなかったことは歴史が証明している。保元の乱について話す前に、彼のその卓越した能力による改革や洞察力の結果について語らなければならないだろう。」

































-康治元年(1142年) 10月中旬 平安京-


 ぱち、ぱちと玉を弾いて工面しなければならない銭の量を算出する。こればっかりは一周目橘逸勢からの癖だな、どうにも自分の使う金だけはきっちりと管理しないと虫が収まらない。それに筆を執る時は“オモイカネ”に任せっきりだからな、物思いに耽けることは可能だがやはり自分の意思で手を動かしていた方がしっくりくる。「社畜」と自嘲していた頃を思い出して少し苦笑しそうになった。


 中国では既に三国志の時代に流通していたそろばん。水車を作る際にこれがまだ伝来していないことに気がついて慌てて和算の奨励と共に普及させたのであった。“史実”より700年近く短縮されての登場だな、以降かなり広まったようで私も転生の度にお世話になっている。


〔...私に命じてくだされば一瞬で終わるのですが〕


 “オモイカネ”がぼやいた。いいじゃないか、どうせの実力じゃ和歌や筆、蹴鞠なんぞはからっきしだ。現代人がなんの事前準備もなく対処できるのはこのくらいだぞ。元中年を舐めるな。


〔その中年だったのは何年前の話ですか?〕


 ええと、今が1142年だろ?だから...時間経過なら360年前か。


 今年で360歳+αか...どこからどう見ても仙人の域じゃねーか。勘弁してくれ、歳のことは考えたくない。というか唯一とも言えるストレス発散の時間にそんなことを考えさせるな。思わずため息が出たじゃないか。


 近くできょとんとした顔で見ていた師子がころころと笑いだした。


『貴方様は昔から変わりませんこと』


 お前もだよ、全く。長年連れ添ってきたが、彼女には多くの場面で助けられた。多分、“オモイカネ”や...に匹敵するかもしれない。


 この人生は、人のどす黒い感情と感情のぶつかり合いや私利私欲の数々、悪辣な陰謀を今まで以上に多く見てきた。戦いに何度も何度もその身を投じた前世源頼義。藤原氏との権力闘争に明け暮れていたさらにそ橘逸勢・の前の人菅原道真生の数々・源高明。振り返ってみると今までよく部下たちがついてきてくれたなと苦笑せざるを得ないほどに無茶苦茶ばかりやってきたにも関わらず、ここまで人の心の闇を覗くことはなかった。神経は図太い方だと思っていた分、対立を調停しようとする度にそれを上回るほどの怨念、情念、人間のカルマを嫌という程叩きつけられる現実に直面して挫折しかけた。歩き続けることが私が背負うべき十字架であることが分かっていても、“オモイカネ”のサポートが無ければ廃人になっていてもおかしくなかったと思う。そして、彼女がいなければここまで「まとも」な精神を維持し続けるのは困難であっただろう。


『面白いから、一番近くで見ていてもよろしいかしら?』


 そう言って彼女は嵐のように駆け込んできた。まさか“史実”とは全く違うアプローチから契りを結ぶことになるとは思わなかったが、彼女に心を許せたのはきっと、似たものやもめ同士だという事実があったからだろう。当初は確かに、今は亡き白河院が政略の有用な道具として扱うために...そして私の行動の牽制のために送ってきたというのはある。最初は私は彼女に対して申し訳なさすら持っていた。だから院の「どうもお前が気になるらしい」というのはただの方便だと思っていた。


だが、彼女自身が私に興味があることに嘘偽りはなかった。周りには自分が惚れたと言って言いくるめたが、その時も「どうせそのうちばれるのに」、と彼女は笑っていた。不思議な女性だと思う、どこかと似ていることも含めて。


 転生が始まって以降、例を見ないほどに気の合う師子との連れ添いが始まって数十年が過ぎた。その間何度も何度も深淵を覗き、世辞の行間に潜む罵倒を、侮蔑を、憎悪を、嫉妬を、欲望を、ぶつけられてきた。最初にそういった話を相談したのは...ああそうだ、仕事のことではなくて忠通息子のことだったっけ。今までは権力を勝ち取ることに必死であった、高明三周目ですら子供が生まれた時はそうだった。だが今世は藤氏長者ということもあって我儘が通用し、比較的時間がとれたのだ。初めて...そう、二十一世紀現代を含めても初めて赤ん坊の養育に参加することになったのであった。


 この時代では、「産の忌」と言われるほど出産というものに対しての忌避感は凄まじいものがあった。神話を例にみてもヒノカグツチを産んだことによってイザナミノミコトが死んでしまったように、ただの死よりも忌まれるものであった。だがそんなもの知るか、私は妻と子が気がかりだ。謹慎の75日間くらい共にすごしてやるわ。仕事?対面しなくてもいいなら文だろうがなんだろうがやってやる。そう息巻いていたわけだが、侍従らに止められてしまった。いくらなんでも非常識すぎます、お願いですから後生ですから...なんて泣きそうな声で言ってたな。のちのちその話を聞いた彼女は大爆笑していたらしい。全く、こっちは本気だったんだぞと言うとまた笑い始めたっけ。


 “史実”通りに無事すくすくと育ち、息子忠通を抱きかかえられる日が来た。温かく、小さく頼りない赤みのかった手のひら。おっかなびっくり触ろうとすると、小指をぎゅっと握り返してきた。つぶらな瞳で見つめる我が子に多少の照れと、そして愛おしさを覚えた。父親とは...このようなものだったのか。長き時を越え、ようやくその感覚を得ることが出来た。込み上げそうになった涙に、彼女は気づいていたのだろうか。いや、気づいていたとしても彼女はそんなことを指摘しないだろう。も...そういう女性ひとであった。


 対面を終え、久しぶりの会話の時間がとれた。


『私は...父親としてやっていけるのだろうか』


 ふと零れた、それは愚痴...だったのだろうか。師子は少しだけ真面目な顔になり、


『やっていけますよ、愛を注いでいただければ』


 そう言って、再び微笑んだ。そこから先はよく覚えていないが、堰を切ったように悩みを吐露した...気がする。彼奴は何処其処がなっとらん、誰某はもっと私欲を抑えてくれないと他との帳尻が合わせられん、件の奴に至ってはそもそも律をなんだと思っているのやら...云々...云々......気がついたら、日が暮れていた。じっとそれまで黙って聞いてくれていた彼女は、そこで初めて口を開いた。


『貴方様にはそんな悩みなど無いと思っていましたが、それを聞いて安心しました。仕事をなさる時にはまるで人が変わったように色んな物事を解決してしまわれるんですもの、てっきり生活も似たようなものかと』


 こんなことを女にお話になられるのも、貴方様位のものでしょうけどね...照れを隠すかのように付け加えた彼女を見て、私はこの女性ひとを妻にしてよかったと、まるで異世界とも言うべき常識の通用しない世界に投げ込まれてから初めてそう思ったのであった。


『すまなかったな、長年些細なことで愚痴を聞いてもらって』


 あれから長い時が過ぎた。常人よりも遥かに長い時間を生きてきた私ですらこの数十年は一番長く感じている。そんな中を、彼女は本当によく支えてきてくれたと思う。


『何ですか、いきなり改まって。私も充分、幸せな時間を過ごさせてもらっていますとも』


 共に生きられるのもあと僅かであることを私は知っている。“史実”通りで6年、もし上手く行ったとしてもその先は未知数......いや、今は考えるのはよそう。今はただ...この時間を噛み締めていたい。


 ふう、と息を吐いて計算結果を書き記す。今回の調停に出せ、向こうがそれで納得して事態を落ち着けるのにかかりそうなのはこのくらいの金か。現代換算なら余裕で豪邸が買えるな。ったく、民から必要以上に収奪しなければ自然に増えるというのに。どいつもこいつも呆れんばかりの強欲だな、血圧が上がるなんてものじゃない。何とか工面出来ているからいいが...


 財源繋がりで思い出した、寺社の高利貸し、あれはどうにかしないとな...ああやって阿漕に金を増やしてるから政治への介入が可能になっちまうんだ、鎮護国家の時代を早く終わらせねばならん。貴族が保有している兵力の結集が可能になったら最優先でやるべきことなんだよな...とは言ってもそこまで生きていられるか分からんし、なるべく角を立てないように穏便な解体を目指すのが理想なんだ...だが今のままではあまりにも国家の中枢に浸食しすぎていて手をつけるにつけられん。後白河天皇の御代になって可能性が芽生えるかどうかだし、例え芽生えても御本人が帰依する可能性が高い以上政教分離がままならん。坊主は政治に口を出すな、というのがここまで難しいとはなぁ...


 気分が落ち込むと連鎖して嫌なことばかり考えてしまう。新院崇徳上皇と今世の次男、頼長はこの歴史でも繋がりを深めていた。そのこと自体はなんの非難も浴びせられるものでは無い、むしろ私は暗い目をした院の力となれるのであれば良いと思い頼長に積極的なパイプ役になることを求めていた。忠通もそうだが、彼もまた根は優しいのだ、きっと荒れた御心を慰撫してくれると信じていた。実際、どうやら陛下は少なくとも頼長は信頼してくださったように見えた。だが、同時にそれはその他の人々への怨嗟の念の増幅にも繋がってしまったのではないのか。そんな危惧が心からこびりついて離れない。法皇陛下はそこに気がついていないようで躰仁親王後の近衛天皇殿下への譲位を迫り、半年ほど前に代替わりが成立した。上辺を見る限りでは、父君に恭順しているようにも見えるが、動向にかなりの不安がある。私個人としては中宮の産まれ、そして長子である院がきちんと法皇陛下の権力を継ぐことが望ましいと思う。“史実”と違って重仁親王殿下もお生まれになっていない、院は正当性があっても権力基盤が弱すぎる。だからそれが無理なら、せめて雅仁親王殿下との協力体制を敷く地盤を作る。それさえ出来れば心理的には緊張の緩和が図れるはずなんだ...

































橘逸勢が示した皇位継承問題の法律による解決と、忠実が示した寺社仏閣の特権性、政治への関与の排除。これらは近代国家...立憲君主国家にとって必要不可欠なものであった」


特にこの時代は強訴が激しいせいで、割と簡単に高位の僧侶が政治に口出しできる環境になってしまっていたのは否めない。忠実は軍事力によって押さえつけるだけではなく、もっと根本からの改革が必要だと思っていたと推測される」


その結果が高利貸しの禁止を含めた律令の改正案だろう。まつりごとに仏を絡めてはならぬ、人々の不安を無闇に煽ってはならぬ...政教分離という概念を我が国で打ち出した、記録に残る限り最初の為政者であることは間違いない」


忠実は懐柔のため、全国的に消費を奨励している。朝廷の名で鋳造貨幣を作り、それを流通させることで民を富ませ、暮らしに安定をもたらそうとしたんだ。「たとえ石ころであっても、帝がそれは銭としての価値を持つと仰ればそれは銭となる。そのような世にするのが望ましい」と常々語っていたのは割と有名な話だろう」


そして近年、その経済政策の裏には政教分離政策の布石としての効果を狙っていたのでは無いか?という論文が提出された。民衆を豊かにすることでその心に余裕を生じさせる。余裕があることによって神仏へ縋らなくともやっていけるのではないかという理性を植え付ける。余裕と理性は健康を呼び、健康は宗教の出てくる機会を減少させる。そのような循環によって宗教そのものの力を減衰させる...そういったことを企んでいた節が見られるんだ」


「おいおい、ちょっと待てよ。そりゃ本当か?だとしたら俺は忠実を過小評価していたことになるんだが...」


「信憑性は高いかと。実際、それによって後の世の一向一揆の数は少なくなっていたのでは無いかとの報告がこの前学会でありましたから」


「うわマジか。バケモンじゃないか...本当に平安時代の人間なのか?忠実という人は...畑違いだから詳しくは知らんが、思想がその時代の人間のソレとは異質過ぎやしないか?」


「そういった人間が時代の節目節目に彗星の如く出現するのがこの国なんですよ...故に今の地位を築き上げれたとも言いますが」


「あぁ、近代以降でも「発明家宰相」とか「救国の宰相」とかいるからな...神風は吹くわ、技術が世界の最先端を走り続けるわ...「救国の宰相」なんて未だに組み上げた理論が現代戦争の叩き上げの土台を構成してるんだぞ、あの御仁は今から何年前の人だよって話だろうに」


「本当にその通りですよね...あぁ、話が逸れた」


「ともかく、まだ平穏だった時期に彼が考え出した思想や政策は大なり小なりその効果を発揮していたのは間違いない。しかしその裏で少しずつ進行していた諸問題がついに、爆発の時を迎える。1156年7月2日の鳥羽院の崩御をきっかけとし、保元の乱が勃発したんだ。」

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