第五編 藤原忠実

第十七話 五周目

第五編 藤原忠実

第一話


「おー、清岡君と...そちらが例の生徒君だね。初めまして、檀上だんじょう 秀明ひであきだ。専門は、平安時代末期から南洋時代最初期にかけての我が国の軍事学...特に水軍についてをやっている。よろしく頼むよ」


「檀上さん、お手数お掛けします。この方は専門誌で寄稿もしているから、その間についてのことならなんでも聞くといいよ」


「おいおい清岡君、そりゃ買い被りすぎってもんだぜ。南洋時代なんざほぼさわりだけだし、だったら俺なんかに聞くよかじーさんに聞いた方がよっぽど為になる」


「下坂教授をじーさん呼ばわりですか...」


「遠い親戚だからいいのいいの、気にしたら負けってやつよ」


「...ええと、今日語ろうと思っているのは、藤原忠実についてなんです」


「藤原忠実か...なるほど、納得がいった。確かにかの御仁は33年戦争の最初期において重要な役割を果たしているし、影響はその死後にまであるからな...専門分野から見た補足がきちんと出来るかは自信が無いが、とりあえず聞かせてもらおうじゃないの」


「分かりました、お願いします」




さて、彼のことを話す前に少し院政について語っておかなくてはならない。忠実はその特徴的な制度を上手く利用する形で改革を行っていったからね」


藤原道長、頼通親子の時に摂関政治はその全盛期を迎えるが、後三条天皇という藤原摂関家とは血の繋がりが薄い帝が誕生したことによりその力は弱まる。独自に荘園を広げていた摂関家に対して荘園整理令を発したことからも伺えるだろうね」


跡を継いだ白河天皇もまた、中央集権化を図っていた。とは言え天皇在位中の摂政であった藤原師実とは協調をとるなど、最初は決して権力が強かったわけではなかった。状況が変わるのは、上皇となった後の1107年、実子である堀河天皇が急逝したことにより孫の鳥羽天皇の擁立があったこと、そして忠実が院政の強化に賛同し、関白となったにも関わらず実質的な最高権力者は上皇のままであったという異常事態がほぼ同時期に発生したからだ」


なぜ、摂関家当主という立場にありながら彼が天皇家の権力強化に動いたのかは現在でも明確に理由が分かってはいないが、推測される原因の一つとして武士団の影響力の増大があったと考えられている」


はるか昔に血を分けたと言え、源平両家は元は帝の一族だ。武力という当時では何にも勝る力をもっているのだから、何かの間違いで貴族社会の崩壊が発生しかねないと危機感を抱いたのではないか...そう考える人もいる」


事実、彼の後年の行動を見る限りでは武家勢力の政治への影響力の排除に暗躍していたとも言えるわけで...そのように見通しを立てていたのだとすれば、その先見性はやはり歴史に名を残すに相応しいものであったと言えるだろうね」


「彼を語るためには、その逸話として最初に出てくる、堀河天皇がその提言を聞きつけて以後ただの童にあらずと重用するようになるという、後三年の役の褒賞を与えるか否かという議論についてから始めなくてはならないだろう。この時の彼の判断が後に、平家の台頭に対しての大きなカウンターとなってくるのだから。」
































-寛治2年(1088年) 2月1日 平安京-


この私が...実に最初の転生から300年以上闘い、抗い、戦ってきた私が藤原摂関家に産まれることになろうとは。今までできる限りのことを尽くし、挫折を経て、それでもなお自らに鞭を打って贖罪のために駆け続けた結果としてはあまりにブラックジョーク過ぎるではないか。皮肉にも程がある。


とはいえ、長い時を経て世代交代を繰り返し、少しずつその力を摩耗させ...今ではその影響力は斜陽となってしまった。栄枯盛衰、枯れ始めたそのタイミングで私に再度切り盛りしろと?笑う以外に出来ることなどなかったわ。


それでも、貴族社会において辛うじてではあるが人臣中最大の権力を持ちうる立場に立てたのは僥倖といえる。“史実”であれば忠実という人物は悪手を取り続け、結果として武士の台頭を招くと共に朝廷そのものの力の失墜をも見ることとなるのだが...まだ、間に合う。武家政権なぞ成立させた日にはいつかは国中が大混乱に陥るのが目に見えている...その結果世界の動きに出遅れてたまるか、だったら旧来からの権威とその枠組みを上手く利用して民主主義体制に繋がる王朝国家を構築する方がマシだ。そして今取れる手立てはそれが最善だろう...


過去最高レベルとも言える出生時の生まれのランクの高さは、わずか数え8歳という幼子にすら絶大な権力をもたらした。元服とともに正五位を叙位、侍従への任官すら許されたのだ。しかし流石に最高意思決定会議たる陣定に参加できる官位は貰えない。いくら摂関家でもガキに任せられるほど国政は甘くないということだ。だが...何とかして次の評議には首を突っ込みたい。何とか情報をかき集めたところ、次回は後三年の役のことが議題に上がるそうなのだ。これを「私闘」と定義し、恩賞を与えるどころか費用請求を行ったのが“史実”であった。その結果が関東以東の有力者の武士への期待と朝廷への失望である。これは不味い、僅かでいいから恩賞を与える方が長期的にはいいに決まっている。


では、誰に働きかけてそのように仕向けるのか...というと候補が微妙なのであった。まず最初に思いつくのは関白である祖父、藤原師実。しかしなぁ、子供の言うことなど聞いてくれようか...他に候補と言うと父である藤原師通なのだが、私の今世の母である全子とは疎遠となってしまっている。なんとなく気まずい感じもするが、しかし両者の他に伝手などない。こちらも子どもの言い分など聞いてくれるだろうか...ええい、一か八かで双方に文を出してみるしかあるまい。父は“史実”通りであれば論理を重んじる人間であったとの評判があるし、説明すれば理解してもらえるという可能性に賭けるか...





-寛治2年(1088年) 2月30日 平安京-


なかなかリスキーな賭けではあったが、どうにかなったようだ。祖父あるいは父は提言として陣定において恩賞を与えることを決定させることに成功したらしい。その結果、18日の右近衛権少将転任からほとんど日を置くことなく右近衛中将への昇格となった。本来より4ヶ月も早い、これは目をつけられたか。父からも『面白い目線だ、帝も注視しておられる』というような概略の書かれた文が届いた時には結構驚いたが...今上陛下は後世の堀河帝だったな、のちのちかの方の父である白河上皇とは対立するのが“史実”なのだが、そこを捻じ曲げられるのであれば都合がいい。というか私が擦り寄るのだけれどもね...


支出する財源も転生後に再び諜報組織との連絡がついたことで目処がたった。個人の資産から捻り出すというのはちょっと無理だしな、上手く誤魔化さなくてはいけない。義家ら河内源氏武士団前世の家は朝廷お抱えなので、恩賞がきちんと出されれば兵の鍛錬すら出来ないような状況まで困窮することは無いだろう。こちらからも滞ることの無いように支援する予定だしな。
































祖父と父、そして堀河天皇からの注目を得た忠実はその後も度々私領から珍品の類を献上していたようで、その出自もあって1091年8月、数え13歳で権中納言へとのし上がる。本格的に国政へと関われるようになった後は関白に就任した師通と協力して摂関家と天皇との橋渡し、協力体制を築き上げる。当時は白河上皇が准母の逝去を機に出家して政治への意欲を失っていたためにそのようなことも可能であった」


しかし1099年に師通が急病で亡くなると、状況が一変する。いくら聡明とはいえ20歳を少しすぎたばかり、前例のない若さでの藤氏長者就任は白河上皇の目に好機に映った。まだ家内を完全に束ねきれていなかった忠実はそれでも上手くバランスを取って自らの影響力を必要以上に落とさないように腐心していたが、1107年の堀河天皇の崩御に伴い幼帝たる鳥羽天皇の擁立、その後見として白河上皇自らが政務を担うことが不可避となった時点で方針の転換を行った」


『今後は天皇家を政務の中心とする国家体制の再構築を至上の目的とし、摂関家を含む全貴族はそれに従うために結束を密とする』...壮大な計画ではあったが、白河上皇の眼鏡にかなったこともあり天皇家の下に摂関家が従属するという状態での協力体制が構築された。忠実自身がこれを良しとしたことに加えて、貴族勢力の結集は急務であった」


「その辺は俺が説明しよう。」


なぜ貴族勢力がその力をまとめあげる必要があったのか? その答えとして挙げられる主な原因は当時の気候と相次ぐ戦乱による民草の宗教への頓着だ。強訴ってのは知ってるな?」


そう、天皇が上皇、そして法皇として仏教へ帰依することが多くなるにつれて寺社仏閣勢力の力が急速に増大した結果、自らの都合の良い結果を望んで御神体だかなんだかを担いで主張したんだ。わっしょいわっしょいやってるだけなんだが、なんでか分からんがこれを鎮圧した人間がまぁ片っ端から死んじまう。当時の衛生環境が劣悪だったから決しておかしくは無いんだが、そうやってお偉いさんがくたばるから坊主連中は調子に乗ってな、神罰だなんだとどんどん力をつけていくって訳よ」


先程清岡君が言った師通の急逝にしてもそうだ。強訴を鎮圧した直後だったもんで向こうが勢いづくんだ。これに対抗するために貴族が取ったのは、武士という新興勢力の取り込みだ。特に摂関家は源氏や平氏と関係をもって鎮圧に利用しようとしたんだな、彼らは神罰を恐れなかったから」


その結果が朝廷への武士の進出なんだが...彼はそれによって権力が全く新しい勢力に奪取されることを...正確には、軍事力という古来から人間を押さえつける最強の力を手にした人間が土足で日ノ本を支配する場に入り込むことを恐れたと言われている」


末恐ろしいもんだぜ、全く。その分析が正しいのであれば文民統制の萌芽が既に存在していたって話だからな。まだ中世初頭だぞ? 世界史的な目線で見れば第二回十字軍遠征が終わったばかりの頃だ。ありえねー以外の感想が無いね」


そしてその結果、元々源高明の頃から独自に軍事力を蓄えていた貴族たちをまとめてソトの源平連中に頼らなくても良いような状態を作ろうとしたってわけだな。まぁ、これが内側から崩壊してしまうんだが...こっからは清岡君に解説を頼むか」


「檀上さん、ありがとうございます。それじゃあ...彼が関白に就任した前後の動きからみていこうか。」
































-寛治8年(1094年) 8月上旬 平安京-


ふーむ、微妙に歴史が変わっているな。“史実”であれば法皇陛下の元に嫁いでから来たはず...忠実が一目惚れしたのが原因であったらしい...の師子が自分から嫁ぎに来てしまった。陛下の|お手つき(傍点)ではあるが御子である覚法法親王が産まれたという事実が無い。どうやら陛下が意思疎通を密にしようと言うことで送ってきたらしい。確かに美人だけどね...政略の道具に使うのはいかがなものかという感覚は拭えないし、根本的に私はどちらかと言えば年下の方が好きだとは口が裂けても言えないが。


しかしこれはこれで困ったことになった。彼女との間に子供が出来てしまうと、多分政争に巻き込まれて保元・平治の乱にストレートに繋がっちまうんだ。“史実”での息子、忠通と頼長がそうであった。仕方ない、養育を疎かにせず、確執を生まないように気をつける他ないか...ますます失脚は出来ないな、身の振り方に注意するしかない。まぁ、幸いにもやんごとなき方々には嫌われずに済んでいるみたいだし、まずは今までの貴族間の対立を和らげてひとまとめにしていくことを最優先にしないと。技術の発達とその恩恵の分配、科学研究所への技術提供...やるべきことはまだまだ沢山ある、気は全く抜けない。
































関白就任後は特に大きな問題もなく、順調に政務をこなしていく忠実だが、当時の貴族にしては極めて珍しく、正室である師子の他にはあまり妻を増やしたくなかったという説もある」


なんというか、現代人と似たような感性であるように感じるんだよね...端々の言動を見る限りは。二人目の妻である播磨、藤原盛実の娘にしても元々は困窮を哀れんで拾ったという意味合いが強かったようだし...次男頼長が生まれた際には忠通と相争うことがないように願いたいと零していたみたいだし」


まぁ、ともかく順風満帆の出だしを切った忠実だが、ここで一つの転換期を迎える。彼の長子にして嫡男である藤原忠通と、白河法皇の養子として寵愛を受けていた藤原璋子との間に縁談が持ち上がったのだが、璋子に|よからぬ噂(傍点)が立ち上がっていたことが問題となり、破談となってしまう」


|よからぬ噂(傍点)というのは、つまり私生活が放蕩...異性との付き合いが多く、結婚してもなお不倫関係を築かないとも限らないというのがあったんだ」


忠実はあくまで噂であるうちは...と許容する姿勢を見せていたが、それが事実であることが徐々に発覚していく中で悩み始める。白河法皇と何度も相談をし、聞き取りをして苦悶していた日記の写本が残されているんだね」


白河法皇も最初は不信感を滲ませていたようだが、次々と上がってくる証拠に否定をすることが出来なくなってくる。忠実にとってはこれら証拠は到底無視出来ない。いくら法皇の養女とはいえ、貴族勢力の結集を求めていた彼の息子にそういった噂のある女性を娶らせる訳には行かない、それは求心力の低下につながる...ひいては、武家が台頭してきた際に抵抗が出来なくなる。そう述べて説得したようだ」


まさに、神がかり...未来を見通していたというしかないね。保元・平治の乱はほぼほぼそのまま忠実の危惧通りに事が運んだのだから。彼がもう少し若ければあるいは、平家の栄華もあそこまでではなかっただろうね」


しかし、白河法皇が崩御して以降彼は思い通りに動けなくなっていってしまう。自らの息子と法皇の遺児らとの間に板挟みを強いられ、それを調停していく中で武士団の力が徐々に強まるのを阻止できなくなっていく」


「決定的だったのは、崇徳上皇との決裂だろう。頭を下げ、尊重し、様々な人物の仲介役として精力的な活動をしていた忠実が、唯一信頼関係を築くことに失敗した御仁であり、33年戦争の引き金を引くこととなった保元の乱の鍵ともなった御方だ。」










******以下あとがき******

ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。

この1年現実が忙しくなるので令和2年度も月一投稿が基本になることが確定しました(吐きそうな顔)

Twitterの方も低浮上になるかもしれませんが、ちょこちょことネタバレにならない程度に設定を放出していこうと思いますので、もしよろしければそちらもご覧下さい。1年間でとりあえず第二章までは投稿できる(はず)なのでどうか長い目で読んでいただけると幸いです。

檀上教授のモデルは何人かいるのですが、そのうち1人は名前を、1人は笑い方(そのうち笑います)を見ていただければ分かるようになっています。ちなみに清岡君は江戸川乱歩のシリーズ小説に出てくる探偵さん、サキさんは某ガンでゲイルなオンラインゲームを舞台にしたライトノベルのヒロイン(の中の人)が外見イメージに近しい感じです。つまり2人とも美形です。

個人の戦闘から国を巻き込んだ大乱へと移行する過程で、大変きな臭くなってきております。そこに少々色恋の話も絡み舵取りが一層難しくなっていく中、忠実がどう動いていくのかに注目していただければと思います。

ご意見、ご感想お待ちしております。

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