【資料】陸奥話記より考える、武士道の根源(一部抜粋)

 天喜四年、十月のある日に多賀城(多賀柵)に朝廷から褒美として酒が届いた。兵は皆喜んで飲み始めたが、ある者が些細なことから乱闘を始めて刃傷沙汰になりかけた。将軍頼義は直々に仲裁し、木刀で双方を殴って両成敗とした。曰く、「我々武家は戦働きをしなければならない。故に五体を無駄に失うような真似は慎むべきである。また戦とは規律に従って動く者が勝つ。故に無闇に乱闘を起こし、風俗を乱すような真似も慎むべきである。規律に従ってこそ真の侍である」

部下は皆感嘆し、以後その言葉をよく守り付き従った。合戦で常勝と言われたのはこのように将軍の力量があったからこそであるよ......(陸奥話記 「源頼義、陣中騒ぎを治めること」より現代語訳を行い抜粋)



 武士団というのは、この当時は酷く粗野なものであった。北欧のヴァイキングには、例え仲間内であっても些細なことから喧嘩はおろか真剣での斬り合いに発展に及ぶことが少なくなかったという伝承も伝わっているが、それに勝るとも劣らない。


 軍事歴史学の観点から見ると、この頼義の行動は当時の日本の観念で言えば極めて「お行儀がいい」と言えるだろう。だが、彼はそれが戦場でのモラルブレイクを食い止め、より高度な戦術を扱えるようになることを認知していたと考えられる。引用文にも見られるように、その内実は決して優勢ではなかった前六年戦争を上手く乗り切り、その後の清和源氏台頭と朝廷の懐刀と言われるまでの精鋭としての実力の根底には、彼が訓示したこの言葉があったと推測できる。頼義より始まる、他の武士団とは一線を画した様々な暗黙の了解を中興の祖である源希義がまとめる形で成文化させた「武士心得もののふのこころへ」。これを朝廷近衛軍へと反映させたものが今日の我が国に広く浸透している「武士道」と呼ばれる精神の原点だと言えよう。

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