【資料】大鏡 「師尹の死」

 円融の帝の御時、この大臣、右大臣の位にておはします。西宮の大臣、左大臣にておはします。その折、帝御歳いと若くおはします。左右の大臣に世の政を行ふべきよし宣旨下さしめ給へりしに、その折、左大臣、御年五十四、五ばかりなり。右大臣の御年四十八、九にやおはしましけむ。右大臣は才よに優れめでたくおはしまし、御心おきても、ことのほかにかしこくおはします。右大臣は腹悪しく、才もことのほかに劣り給へるにより、左大臣の御おぼえことのほかにおはしましたるに、右大臣安からず思したるほどに、左大臣をなくなさむと欲し給ふれども、さるべきにやおはしけむ、見顕され、安和二年三月■■■流さるるべくおはせしも、左大臣の目のあたりに毒飲みて果てたまひぬ。左大臣、ひざうに狼狽へ倒れ給ひて、二日ばかり潜まれたまふ。床より起き出でて後も、心あくがれ月日を過ごしたまひきなり。



訳 円融天皇の御代に、この大臣(藤原師尹)は右大臣の位でいらっしゃいました。西宮の大臣(源高明)は左大臣の位でいらっしゃいました。その時、帝(円融天皇)はたいそうお若くていらっしゃいました。(そのために)左右の大臣に御代の政治を行いなさいという旨の宣旨を申し渡させなさったのですが、そのとき左大臣は五十四,五歳ほどでした。右大臣のお歳は四十八、九歳ほどでいらっしゃったでしょうか。左大臣(源高明)はとても学識に富み立派でいらっしゃって、ご性格も、格別にすばらしくていらっしゃいました。(一方)右大臣は意地が悪く、学識も随分とひけをとっていらっしゃるので、左大臣への帝のご信頼は格別なものでございましたが、(そのことを)右大臣は穏やかでなくお思いになるうちに、左大臣を失脚させようとなさったけれども、そうなる運命でいらっしゃったのでしょうか、(左大臣に)見破られ、安和二年三月■■日(注:資料破損により詳細不明。日付部位と思われる。おそらく下旬か。)に配流されることになりましたが、左大臣の目の前で毒を飲んで亡くなられました。左大臣は(それを見て)大いに狼狽なさり、二日ほど寝込んでしまわれました。布団から起き上がって以降も心ここに在らずという感じで(死ぬまで)お過ごしになったとのことです。

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