第二編 菅原道真

第五話 二周目

第二編 菅原道真

第一話


「やあ、ようやく時間が取れたね。すまないすまない、最近は私も研究が忙しくて…」


うん、ネットには既に情報が出回っているみたいだね。今日話そうと思っていた御仁に関する資料が発掘調査で見つかったんだ、お陰で界隈が蜂の巣をつついたような騒ぎだよ」


そうそう、ところで貸していた橘花記は役に立っているかな?」


そうかい、それはよかった。あぁ、まだしばらく持ってていいよ、君の研究の何か手がかりになるかもしれないし。それじゃあ、今日は橘逸勢の死後間もない頃に現れた時代の寵児の解説をしていこうか」


「天神様として今も信仰の厚い、菅公…菅原道真についての話を、ね。」
































-貞観12年(870年) 12月 平安京-


 今更ながらため息をつきたくなってくる。


 橘逸勢として“史実”よりも長い期間の前世を終え、往生したと思ったら再転生。まぁこれはルールなので覚悟はしていた。だが…なんでまた転生先が左遷、冷遇の代名詞なんですかねぇ? 菅原道真とか流石に私でもある程度は知っている。


 ちなみに家の位は橘家よりも落ちるので、前回よりもさらにボロい家だった。思わず「知らない天井だ…」とか考えてしまったくらいだ。そして誰に憑依したのかを“オモイカネ”に教えてもらった時に「こんな時、どんな顔をすればいいのか分からないの」と振ってみたら〔笑えばいいと思うよ〕と返ってきた時はちょっと感動した。現実逃避でしかないけど。


 一応ある程度の先進的な技術に関する情報は橘家に置いてきたし、年代ごとに公開するものを遺言で取り決めてはあるので、今後しばらくは藤原氏の排斥を防げることだろう。死ぬ前に甥っ子も教育してあるから彼らが生きてるうちは何とかなるんじゃないかとは思う。現に私が再び平安京へ戻ってきた時もしっかりと存続していた。もう赤の他人だとはいえ、少し安心したのは言うまでもない。またどこかで接点を持てたら、蔵書を引っ張り出してきたいな。


 そして今年、私は方略試を受けて無事に合格した。成績はわざと“史実”通り、中の上に調整したのに、何故かスタートの位階は一つ上の正六位上であった。解せぬ…だが、とりあえずは今後20年程は中流貴族相応の生活を送ることになるはずだ、その間に再び情報の蓄積と財力増強を図るとしよう。


 向こうが現状大御所状態なせいでちらりとしか見ていないが、良房のヤツも元気そうであった。“史実”では2年後に亡くなることとなるが、まるでそうとは思えない。情報を集める限り、応天門の変は発生していないようなので他氏排斥は進んでいないのだろう。これがどう転ぶかは分からないが…ロマンこそあれど内乱と読み替えることの出来る、かの戦国時代につながる鍵が一つ無くなったらありがたい。


 そして、これからの方針だが…“史実”で菅原道真が失脚した原因の一つとして、急速な改革による保守派、すなわち身分に応じた生活を望む下流及び中流貴族の一部からの不満がある。しかし、この歴史ではそのような動きはある程度緩和されるだろう。前世橘逸勢でもそういった不満はあったが、全て論理的にやり込めた上に金にものを言わせて黙らせたのだ。上流貴族ならではの汚い戦略である。説得した中には本当に賛同してくれるようになった家も少なくないため、彼らが長として纏めていた記憶がある今なら多少無茶してもなんとかなると思う。順当に昇進したらまずは遣唐使の廃止をしなくてはならないが、そのまま事実上の鎖国状態に入るのも勿体ないし唐土以外…具体的には朝鮮半島や南西諸島以南…との交流を考えてもいいだろう。船も毛が生えた程度とはいえ発達し始めたようだし。
































30代まで中流貴族相応の仕事を行っていた道真だけど、実は最初に取り立てられた時から試験官の間では注目されている人間だったんだ」


当時面接をしていた試験官は、彼から無視できない強烈な存在感を感じたようだ。現代的に言えばカリスマ、と呼ぶのが妥当かな? さながら殿上人、それも三位よりも上の人と同じような感触を受け、これは将来の傑物になると悟ったらしい」


だから彼の事を色々な人間が注目していてね…例えば橘家なんかはかなり初期から目をつけていたみたいなんだ」


そうそう、それが今回の調査で発見された菅原道真の死後、彼の逸話を集めた寄稿集...通称、菅公伝に記されたものの内容の一部だよ。やってる事は逸勢と似てるし、性格も2人を知ってる人からすると似ていたようで、中には本当に生まれ変わりだと考えてた人もいたみたいなんだ」


とはいえ、流石にいきなり奥の院にまで聞こえるような事にはならないね。彼は地道にやってきた事が評価されたタイプの人間だから、遅咲きなんだよ」


そして、父親が死んだ後は山陰亭、今は菅家廊下とその名が伝わる私塾の主催者を引き継ぎ、文人に独自のコネを作っている。講義の内容も菅公伝からある程度判明してね、驚くべきことに地球が球体である事の証明を説明していたことが分かったんだ。彼の功績をその詩的感覚や外交に認める人は数多くいるけど、実際にはこの国での理系分野の先駆者でもあったという訳だよ」


どうして古代インドにおける天文学の傑作書であるアーリヤバティーヤじみた書物、それも現代の測定法と誤差がほとんど無い計算結果を記したものがこの時代の日本にあるんだろうね? お陰でまた学会がパニック状態だよ。もう発掘調査はやめた方が心の平穏を保つにはいいんじゃないかな」


おっと、話が逸れた。彼はそんな異質とも言える当時からすれば先進的な研究をする傍らで地道に仕事をこなしていたわけだけれど、886年に讃岐守を拝命して任地に赴いてから2年後、ようやく才能が上に認められる転機が訪れた」


「橘家と藤原家の間で拗れた権力闘争、阿衡事件。その調停者となったのが菅原道真その人だったんだ。」
































-仁和4年(888年) 8月 讃岐国-


 承和の変...いや、既に歴史は変わり承和の乱、か...を筆頭とした他氏族排斥をある程度阻止したとはいえ、それが藤原氏の権力の失墜に繋がる訳では無い。現に、今も要職の多くにかの氏族に連なる人間がいることがそれを示している。私が生涯をかけて行った改革がほとんど効果を発揮していないような感触を受けて何とも言えない気持ちになるが、こればかりは少しずつやって行くしかあるまい。何せ私には時間だけは腐るほどあるのだから。


 生活水準の向上に繋がる技術はある程度育ってきた訳だが、のちのちに西洋世界の進出に対等に向き合っていくためには、物理法則の究明や科学技術の育成が必要だ。ヨーロッパではその発展に錬金術が貢献したというのはよく言われることだが、これを日本のあるものに当てはめる事が出来る。安倍晴明の名で有名な陰陽道だ。元々天文分野では一定の成果を出しているため、呪術に化学の要素を組み込めば近代科学に発展させていくことが出来るだろう。そしてそれはさらなる生活水準の向上につながり、良い循環をもたらす事になる。


 都の事情はある程度把握しているが、やはり阿衡事件は避けられなかったようだ。そもそも良房が摂政となることは無かったが、その養子たる基経がついに人臣初の摂政職に就いて、陽成天皇を宮中殺人事件にかこつけ退位させている。つまり現時点でもなお藤原氏の権力は臣の中でトップである。今後は光孝天皇、宇多天皇、醍醐天皇の傍流が主となるのは間違いない。故にそのまま基経は関白として政権を握る訳だが、この任を受けた時の詔書の内容が不味かった。「阿衡」というのは故事に基づいて引用された貴い役職の例えだが、権力の無い名ばかりの名誉職と読むことも出来たのだ。これを利用して詔書を書いた橘広相を排除し、さらに自身の権威を見せつけようとしたのが事件の真相である。国政が滞るのは勘弁してください…ということで、基経にこれ以上の対立は不利益しかないと説得する手紙を出すのが私のお仕事だ。中流とは言っても菅家廊下での勉学の内容はお上にも伝わっているから、これでさらに覚えを良くしてもらえるはずだ。まずは取り入るところから始めないといくら“史実”の学問の神様とは言っても何も出来ない。…よし出来た。任せて安心、“オモイカネ”の自動筆記モードである。立ち上がって下人を呼び、京に届けるよう頼む。何故かものすごいペコペコしながら宝物でも扱うかのように持っていった。こっちも申し訳なってくるんだが…もう2年も経つのになんで慣れないんだろうか?


〔…貴方の身に纏う気配のせいです〕


 どういう事だ? 別に普通にしてるじゃないか。


〔人よりも長く精神が育成されているためと推測します。平たく言えば、相応のカリスマが形成されています〕


 そういうの早く言えよな! 今までやけにへりくだる人が多いと思ったらそういう事かよ! 全く、もっと上手い出世の仕方もあっただろうに…次の人生は絶対上手く使ってさっさと政権に関われるようになってやる!
































阿衡事件を調停した後、道真は宇多天皇に信任された事で出世を重ねていくことになる」


今風にいえば総理と官房長官を兼任しているような人間が職務放棄していたわけだから、そこを宥めた道真はほとほと困り果てていた宇多天皇にとって非常に好印象に映ったわけだ」


結果、讃岐国から帰国したわずか一年後には蔵人頭を補任、式部少補と左中弁を兼任し、さらにその翌年に式部大輔に昇進するといった出世街道にのし上がっている。家柄的に非常に珍しい例だと思うよ。源平藤橘の四家ならともかく、この時代にしがない下級役人の家系でここまで取り立てられた人間はそう多くはない。藤原氏の圧力に対抗するという目的はあっただろうけど、与えられた仕事を難なくこなしていく彼は瞬く間に要職を歴任していく。その中でも特に辣腕を奮ったのは外交分野だ」


「中学生でも知っている、894年の遣唐使廃止をはじめとした彼の外交手腕…と言うよりは国際情勢の読み方は尋常ではなく、まさに正鵠を射るものだった。彼の残した他国交渉方策という書物は外務省で今でも教科書替わりにされるような逸品なんだ。当時彼がつくりあげた外交の骨子は、千年の時を経た今でも変わることはなく連綿と続いているんだよ。」

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