第四話 正念場

第一編 橘逸勢

最終話


「薬子の変以降、嵯峨天皇が実権を握り朝廷を安定させた事で表沙汰になるような大規模な政争が発生する事は無くなった」


逸勢はその間順調に出世し、事実上藤原冬嗣の右腕、後に藤原氏と双璧を成す有力者と見られるようになる。冬嗣死去後の830年には正二位、右大臣にまで昇進し、自らの政策を実行していったんだ」


そして、冬嗣の遺児にしてその最有力後継者である藤原良房の指南役としても活動したんだ。もっともこれは、数ヶ月程度の講師としての形だったけれどね」


成長した良房は嵯峨天皇に信任され、凄まじい勢いで栄達を遂げていく。かつての父、あるいは指南者の様にね。臣籍降下していたとはいえ、嵯峨天皇本人の娘である潔姫を降嫁されているということを考えると、両者よりもさらに信頼されていたとも言えるだろう。二人と違って嵯峨天皇自身よりも年下ということもあって、可愛がられていたのかもしれない」


そして良房の妹である順子は嵯峨天皇の皇子たる正良親王、後の仁明天皇の中宮として810年には道隆親王を産んでいる。良房は甥である彼が天皇となる事を望み、一族を絶対的な地位にするためにも他氏族の排斥を計画するようになる」


「皇位継承順位を統一し、政権の安定を図ろうとした一方で謀られた悪辣な企み。忠誠と悪意に彩られた、この時代。その非常に大きな転換点である承和の乱は、実に30年の時を経て復活した亡霊のような火種の再燃がきっかけだったんだ。」
































-承和7年(840年) 7月 平安京-


 薬子の変から実に30年。気がつけば既に前世よりも長生きをしてしまっていた。髪や髭は白くなり、目と耳は遠くなった。だが、やるべき事は山のように積もっている。立ち止まる事は私には許されない。


 政権の安定したこの間に、私は“史実”とは比べ物にならない程の権力を手に入れた。ひとえに後ろ盾に帝…今は譲位して上皇陛下となった…がいたからだ。もっとも、それだけではなく未来知識を元にした技術の発達による家そのものの財力の強化もあったが。これによって藤原家に対してある程度牽制を行うことも出来るようになった。とは言え、内乱と一家系による権力の独占を防ぎながらこの国の国力を育てる下地を作る…いくらファンタジックな転生特典付きでも簡単なことではない。むしろ挫折の方が多かったくらいだ。


 桓武天皇の遺勅が発端の、皇位継承権の混乱を利用した貴族同士の争い。これを鎮めるための私が考えうる最適解である、法の制定による継承順位の確定は結局認可されなかった。正確に言うと、陛下の御世での制定は止してくれとの事だった。理解はして頂けたものの、父君の遺言に背きたくはないと仰られたのだ。薬子の変という前例があるのも影響しているだろう。この時代ではこのような法を守るメリットは残念ながら少なかった。なるべく早く、政治と王権の切り離しを考えていきたいところである…


〔籠が到着したようです〕


 皇位継承権の優先順位を制定する法律草案の、細かい部分のまとめをしていた所に“オモイカネ”から来客の知らせがあった。筆を休め、客座へと移動する。さて、今日話をするのは“化け物”だ。気を引き締めなくては。


『お時間を割いて頂いた事、感謝します。先生』


 にこやかに話しかけてきたが、目の奥は冷え切っている。いや、感情が読めないのか…全くもって裏で何を考えているのか分からない男だ。それに先生という程物事は教えていない。


『その様子だと根回しは順調そうだな、中納言』


『ええ、お陰様で』


 藤原中納言良房。帝に冬嗣殿の後継者として信任され、末恐ろしい程のスピードで出世を果たした“史実”での承和の変における黒幕である。しかしこの世界では皇位継承順位を規定するため、その根回しを私と共に行っている部下となっていた。


 国家は、その政治機構と国の中心となるモノが安定しなければ脆く崩れ去ってしまう。歴史を見れば簡単に分かる事だ。そして、早いうちからそこを固めておくに越したことはない。早ければ早いほど国力は増強され、将来的にそのアドバンテージが活きてくる。1000年以上先となるが、二度…あるいはもっと増えるかもしれない、世界全てを巻き込んだ戦争に備える為にも打てる手は全て打っておきたい。そのため、多くのコネクションを持つ彼と共に暗躍する日々を送っていたのだった。


『父君の西院帝淳和天皇がお隠れになられた事もあり、皇太子殿下は出来れば皇位は辞退したいとのご意向です。一部の者達は上皇陛下のご要望通りそのまま次の帝の地位に収まって欲しいようですが…』


『気持ちは分からないこともないが、そのままにするといつか朝庭が滅びかねんぞ。律をもって権力闘争を制するようにしなくては30年前の再来だ』


『同感ですね』


 理想的なのは上皇陛下が崩御された後に養老律令の改正でねじ込む事だ。陛下は薬子の変以降、ずっと後悔されていた。遺勅に従う事は新たな火種を産むかもしれないと分かっていても、高岳親王殿下を立太子しておけばあの政変は起きなかったかもしれない、と。だから問題の先送りを決意した。自身が生きている間はその権威をもって内乱を押さえつけ、自らの死をもってケジメをつける。どうしようもないほど、不器用なお方だ。


『私としても道隆親王殿下が皇位につくことは吝かでは無い。反対派で説得できる人間についてはこちらも動いてみよう』


『助かります』


 例えば、伴健岑。“史実”で逸勢の盟友だった彼は、私が出世したこの世界においてもそれなりに良好な関係を築いていた。彼は恒貞親王殿下に非常に近い人間だが、殿下が皇位継承について憂慮している事は気がついていないらしい。説得に時間はかかるかもしれないが、やる価値は大いにある。


『それと、中納言。間違っても拙速はするなよ、穏便に済ませられなければそれが新たな火種になる』


『十分承知しています』


 神妙な顔で頷く良房。やはりその真意は読めないままであった。
































842年7月、淳和天皇に続いて遂に嵯峨上皇も崩御する。そのわずか2日後に良房は、恒貞親王を東国に移送してそこで蜂起しようとした罪で藤原愛発以下、多くの恒貞親王に近しい人間を捕らえ、処罰を行った」


恐らく、その中に本当にそんな事を計画していた人間はほとんど居なかっただろうけど…情勢を見る限り他氏族を排斥して権力を握ろうと画策したという面の方が大きいからね」


逸勢は発覚直後から自らの手勢に命じて詳細な調査をしている。落とし所を考えると同時に自分も被害を被ることの無いように布石を打ったのだろう」


「いよいよ橘逸勢の人生、その大詰めだ。我が国の現国体の形成に大きく寄与する事となった彼が政治の中心にいた時の最後の事件について、語るとしようか。」
































-承和9年(842年) 7月18日 平安京-


 …あの大馬鹿野郎が!


 あれだけ釘を刺したにも関わらず、ありもしなさそうな罪を鳴らすとは…クソっ、もっと財力があったり、コネクションが広かったりしたら力づくで抑え込めたかもしれないのに…


 一応私に対して思うところがあるのか、あるいは密偵を使って影から牽制していたのが功を奏したのかは分からないが、承和の変で謀反人として流されるという最悪の状況は回避することが出来た。しかし、こちら側に旗色を変えた者の派閥からは捕縛者は出てない分、“史実”よりは甘いというべきなのだろうか?


 とにもかくにも、良房を問いたださなくてはならない。私は良房の屋敷へと急いだ。



『中納言、あれほど言ったにも関わらず事を起こすとはどういう訳だ』


 挨拶も早々に顔を合わせた彼に対して真意を尋ねる。


『先生…先生のやり方では遅いんですよ。皇位を一本化するのであれば、強い力を持つ貴族が違う派閥にいる状態では出来ません。上皇陛下がお隠れになったことで皇太子殿下が庇護を失ったと考え、殿下を次の天皇にしようとする者達は動揺しています。それに私と先生が同じ立場にいる今こそが好機だったんです』


『それこそが新たな火種となる原因だろうが。上から強権をもって押さえつけるのは愚以外の何物でもなかろう』


『しかし、彼らが納得するわけがないのは先生も承知しておられるでしょう?一部の貴族の中には権力を握る事しか考えず、陛下の座を自身の位を高めるための道具としてしか見てない輩もいることくらいは』


 ブーメラン。あるいは、お前が言うな。思わず出かかった言葉を飲み込んだ。自分は忠臣だとでも言いたげだがお前ほど野心に満ちた人間も中々いないじゃないか。君の親父殿はそこまでではなかったぞ。面の皮が厚いというか、よくその口からそんな言葉が吐けるな…


『はぁ…捕らえたということは証拠はあるのだろうな?』


『ええ、持ってこさせましょうか?』


 頷くと、ぽんぽんと手を打って下人が呼ばれ、いくつかの書簡が目の前に並んだ。なるほど確かに大量にあるが、直接的な証拠となる部分は微妙に少ない気がする。“オモイカネ”、これをどう見る?


〔阿保親王の密書など、何か水面下で動いている事を悟らせるようなものは本物のようですが…核心的な証拠となるものは偽書の可能性が高そうです〕


 多くの真実に少量の嘘を混ぜ、その嘘ごと真実に偽装するパターンか、狡い手を使いやがって…私は“オモイカネ”がいるから騙される事は無いが、良房を信任している陛下は疑う事もしないだろう。下手したらこれに一枚噛んでいる可能性すらある…そうであったのならば、私の出来ることは非常に少ない。ヘマをしたら保身を考えなくてはいけないレベルである。してやられたな、ある程度鍛えたはずのこちらの間諜すら欺くとは…


『…私はもはや何も言わん。こちらにも利益になることだから、たとえが混じっていたとしても関係の無いことだ』


 これが若い時であれば間違いなくリスクを考えずに彼の罪を糾弾しようとしていた事だろう。歳をとり、私も随分と汚くなったものだ。何だか情けなくなってくるが、1000年先を見据えるのならここで戦いの構えを取るのは下策だろうと言い聞かせる。暗黙の了解を感じ取り、笑みを深める良房。それを尻目に席を立ち、暇を告げる。


『だが…これ以上何か企もうとはするなよ。私の家に万が一の事があれば、それは自分の身に降りかかると知れ』


 障子を開けた状態で、後ろを振り返ることなく告げた捨て台詞。返ってきたのは肩を竦めたような衣擦れの音と、『肝に銘じておきましょう』という言葉のみであった。




 初めの藤原氏との暗闘は、私の不利な状態での引き分けに終わった。こののち、200年以上に渡って繰り広げられる高位貴族同士の政争は、日本という国そのものを大きく変え、やがて世界の大きなうねりに飲み込まれていくこととなる。
































承和の乱によって大きく変わったのは、天皇の直系王統が成立したという点に尽きる」


これは他氏族及び自分の派閥以外の排斥という目的を差し引いても、非常に大きなものであるといえるね。少なくとも政権を安定させるために一本化を行う必要があるという点については、逸勢も良房も合意していたところだから」


そして、逸勢は承和の乱から2年後に老いと病を理由に政治の場から身を引く事になる。一説には良房の圧力があったとも言われているけど、彼の手勢の存在とその実力を考えると、普通に引退したかっただけじゃないかなと私は思うよ。実際隠居した後は死ぬまで新技術や理論の組み立てを行っていたみたいだし、日記を見ても良房とは割と良好な関係は築いていたようだし」


隠居した2年後の846年、逸勢はその生涯に幕を下ろした。この時代には非常に珍しい事に、彼には伴侶がいなかったから直系子孫は存在していない。その人生の全てを未来の国体形成に捧げたと言っても過言では無いね…こんな人間が次々と出てくるこの国もおかしいんだけれど」


とりあえず高校生までに習う部分を掻い摘んで、より深く専門的な解説をしてみたけど、どうだったかい?」


「それはよかった。まぁ学説としては割と新しいものも含んでいたから新鮮味は大きかったかな?解明されればされるほどその異常性が際立って来る人物はまだまだ沢山いるからね…とりあえず今日のところは帰りなさい、もう夜も遅いし。また空き時間が出来たら知らせるよ。次に説明をするのは…そう。菅公こと菅原道真公だ。」










******以下あとがき******

 ここまで読んでいただき誠にありがとうございます。

 一人の人間の人生に対しての文章量が少ない?しょうがないじゃない、だってあと1100年以上残ってるんだもん(爆)

 とりあえず、こちら側での掲載予定としましては1時間後(7月1日午後9時)に設定資料集を、明日(7月2日)午後8時に第五話の掲載を行う予定です。あとは「小説家になろう」同様毎月一日午後8時更新を心がけたいと考えております。

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