第六話 正当なる進出

第二節 菅原道真

第二話


「遣唐使の役割については橘逸勢の生涯を解説する過程で既に説明したね」


そう、大陸の進んだ文明を学んで自国にもたらすのが主な目的だった。ところが彼の地は歴史を見れば分かるとおり、思想・文化・風土などの要素が一定条件で重なると統一国家が崩壊する危険性を孕んでいる。そして道真が台頭し始めたその時期もまた、比較的長く続いていた唐は滅亡の危機を迎えていた」


そんな所に人を派遣したらどうなるか? そもそも、逸勢が多少外洋に強い船を考案したからと言って、当時の未発達な航海術では狙った場所にたどり着くことすら難しい。もし難破した先で一揆が発生していたら、たまったものじゃないしね」


道真はそんな不安定な大陸の情報を、若い時から疎かにすることは無かった。大陸の貿易商と独自に繋がりを持ち、最新の情報を手に入れることに心血を注いでいたことが、記録から分かっているんだ」


「承和5年...838年を最後に遣唐使は派遣されなくなっていたけれど、正式に廃止されたのは894年、道真が遣唐大使に任命されてからだ。唐の滅亡が近いと予感しただけでなく、近隣の情勢も決断に影響を与えたと考えられている。」

































-寛平6年(894年) 9月30日 平安京-


『…以上の理由をもって、遣唐使は廃止することが妥当だと思われます』


『まぁそうよの、以降は唐国が安定するまでは送らない方が良かろ』


 あるいは新たな国が出来て平定するまでよの、とクスクスお笑いになるのは左大臣の源融。源氏物語の主人公、光源氏のモデルの一人とも言われる人だ。帝の計らいによって現政権のトップとの渡りをつけることが出来るようになったのは大きい。“史実”では有耶無耶になったまま自然消滅した遣唐使だが、この世界ではハッキリと文書に残すことが出来るだろう。


『しかし、全く交易をしないというのも宜しくはありませぬので、代わりに他の国や地方、主に二つとの交わりを深めようと考えております』


『ほう? して、どこにするのだ?』


『一つは新羅の地の弓裔きゅうえいなる人物の勢力にございます。彼の地は今幾つかに分かれて争っておりますが、私が調べたところその勢力が優勢なようでして。代表たる弓裔は賢明で、その配下の将軍の王建なる人物も人望が厚いようでございます』


 これは微妙に嘘が入っている。王建が台頭してくるのはこれから10年ほど後だ。それに弓裔も後に失政を重ね、妻子を殺害するなど暗君と言える行動をとることになる。だが、高麗の太祖になる王建とは絶対に接触して可能なら建国時に恩を売っておくべきだ。“史実”では向こうからせっかく来てくれたのに拒絶したからな。儒教が浸透していない今なら我が国のことも多少は尊重してくれるだろうし、上手く行けば朝鮮半島を肉壁として元寇を未然に防ぐことが出来るかもしれない。非道かもしれないが、この国を存続させる確率を高めるためにはこの位は割り切ろうと既に私は決めている。


『ふむ、将来的にはそちらがかの地を治めることになると申すか。だが...彼らが新羅の後継者として振る舞わない確証はなかろ? 』


 多少不愉快そうにそう話すのは、新羅と日本との浅からぬ因縁...つまり白村江の戦い以降伝統的に仲が良くないことを不安視しているからだろう。事実、使者を拒んだ理由の一つにその不信感があった。それに、海賊による襲撃も悩みの種となっている。


『船の発展は海賊の拿捕に優位に...ひいては抑止に繋がりましょう。わたくしも橘家に顔が利きます、協力して蔵を探せばより技術の進歩が見込める書物が見つかるやもしれませぬ。唐に渡るよりは遥かに楽でございましょう』


 暗に造船に造形があることとそれなりに強力なコネクションの存在、また実現させるだけの可能性は決して低くないと考えていることを仄めかすと、彼はそれを理解したのかしばし考えるような素振りを見せた。


『確かに船は葛城大臣かずらきのおとど殿の頃から発展しておるし...そこは問題はなさそうよの』


 葛城大臣とは橘逸勢前世がその死後に贈られたおくりなだ。曽祖父にして橘家の初代、橘諸兄の別名である葛城大王からつけられたんだそうだ。幼少期何度か話したことがあるからか、少し懐かしそうである。本人目の前だけど。


『それと、かの国由来の海賊ですが...これは実際に協議をせねば分からないとは思いますが、ある程度少なくできる腹案はございます。御一任頂ければ...』


『分かった、分かった。その方の裁量でやってみるとよい。遣唐使の廃止の件と言い、きちんと考えがあってのことであろうし陣定じんのさだめにて援護はしてやろうぞ。認可されるかは分からぬが...』


 四位以上の参議と大臣を含む公卿のみが出席可能な最高意思決定会議、それが陣定だ。私も出席は可能なのだが、まだ身分が決して高くはないため認可される可能性は低いと言わざるを得ない。まぁ、ここで賛成が貰えればまず通るとは思うが...失敗した時のことを考えると割とリスク高い提案だろうしな、これは彼...左大臣の「一任する」という言葉が欲しかっただけだ。それが貰えれば充分だ、いずれ自分が政治の主導権を握った際に、滞りなく進められる。


『それと、地方...というのはどこかね? その方が推すということは相当に益となるのであろう?』


 まぁ「国と地方」と言ったからな、地方とはなんぞや? となるのは当然だ。多分本州の中、北陸辺りを考えているかもしれないが…あちらも切り開いていかなければならないが、今はコストが馬鹿にならん。蝦夷の反乱の可能性も考えなくてはいけないしな...それに対してもっと優先して開発すべきである上に、切り開く時に障害が少ないと思われる、将来的にも発展の見込めるいい場所がある。


『ええ、今後千世に渡って恩恵を受けることが出来ましょう。後高句麗との国交はこれを済ませてからでもよろしいかと。その場所は…南の果ての島、阿児奈波にございます』

































南西諸島までであれば、大陸に交易しに行くよりは多少その困難さは軽減される」


それに米以外に主食となる作物を作り、飢饉に備えることも彼は念頭に置いていたんだ。存外育てることが難しいものである米は、土地を選ぶからそう大量に作ることは出来ないからね」


その点、沖縄というのは非常にうってつけの場所だったんだ。あそこは気候が温暖だから作物が育ちやすい。それはつまり、熱帯地域の主食であるタロイモやサトイモなどのイモ類の大規模耕作が可能であることを意味している。鑑真の伝記、唐大和上東征伝に出てくるこの島々に目をつけた道真は、情報を集め始める」


ほどなくして彼は、かつて一部の島々に住んでいた人間に朝廷が位階を与えていたという事実に至った。つまり、対外的に見てもそこは既に日本の領土だったと言えたわけだ。この記述を根拠として、彼は南西諸島への大規模な移民を行うことを決意する。当時の沖縄は未だ農耕文化の根付いていない先史時代状態。自国化してしまうには非常に好都合だったわけだ」


「この事実はすぐに宇多天皇に奏上された。既にある程度かたちが整っていた遣唐使は急遽、大規模な移民船団として再編成されることとなる」

































-寛平7年(895年) 10月下旬 遣南船団船上-


 奏上した後、計画そのものはトントン拍子に進んだものの、大規模な移民を募ったために編成の途中で殺人的なスケジュール変更があった。部下には「殺す気か」とか「何でこんな無茶を…」とか恨みつらみの呪詛を吐かれまくったが、陣頭指揮を執って率先してデスマーチやったのは私だ。“オモイカネ”によって身体が最適化されているので平気平気。三徹した状態でにっこり笑って「私が一番大変なのだよ」って言えば、一応最低限は休ませている部下たちは何も言えない。残念だったな、おそらく日本で最初となるブラック企業の悲哀を味わうがいい、と愉悦していた。


 で、その結果何とか1年で追加の船も揃えられた。三角帆を利用したイスラム圏で使用されるダウ船、その中でも特に大型なバグラと呼ばれるものを参考に私が設計して建造させたこれらの船は、最大積載量100トンを超える。とはいえ本来なら200トン近いものも用意出来た事を考えれば即席だから致し方ない、か。もっともこの船は旧来の遣唐船同様に釘で固定されていないため、現地でバラして乾かせば建築用の木材に使えるという、まさに植民にうってつけの船であった。


 大洋横断を見据えるなら本当はこのような簡素な構造の船では不味い。キャラベル船やキャラック船のような船の研究をした方が良いのだが、技術的な蓄積がない今はまだ無理だ。せいぜい竜骨を有し、それなりに荒海にも耐えうる小型のロングシップが50年以内にできれば御の字だ。内政の安定も加味して、本格的に長距離航海に耐え得るものの完成まではあと200年は欲しいところだな。


 900年代というのは、日本周辺で火山活動が活発化する時期だ。それに連動して地震が多発し、時には津波による害すら発生する。結果、起きるのはこの時代最悪の災害…飢饉だ。品種改良や農地の開墾、先進的な農具の普及を地道に行ってはいるが、未だ近畿地方以外への拡大は思わしくはない。流通網の整備が進んでいないのが原因だが、それによって租税すら払えなくなるのには厳しいものがあるだろう。だから、移民を決めた人間には5年の制限付きだが租税を免除し、自由に農耕や商売を行えるように令を出すことにした。そのお陰か募集人員は5000人だったが、その2倍の希望者が各地で見られたという。全国の人口は500〜600万と言われる状況でこれだけ集まったのは、生活が貧窮している人の多いことをよく表している。募集から漏れた人間にも優先的にいい農具や肥料などを支給する事を決定したが、これで少しは収穫量が増えてくれるとありがたい。


 それにしても意外だったのは沖縄の扱いだ。“史実”では島津が侵攻占領するまでは明に対して朝貢していたからてっきり独立国だと思っていた訳だが…正確にはこれは違ったという訳か。まさか南西諸島で官位を与えていたなんて…なんでこれ放っておいたんだか。海上勢力倭寇に押されたのが主な原因か? 交易が増えれば増えるほどあそこは重要な役割を果たすようになってくるんだ。だからこそ様々な人間や組織が彼の地をものにしようとしたんだろうが、正当性で言ったら圧倒的にこちらが有利だぞ...あぁ、尚一族は統一を行う頃から親明派だったかな? まぁ、現時点では関係ないことか。


 海流がみるみるうちに船を押し出していく。帆は風を孕みさらに前進するのを助けてくれる。台風の影響を避けるためにこの時期を選択したのは正解だったな。暴風雨に遭遇することも無く行程を進み、うっすらと沖縄の島々がその影を見せ始めた。よし、ここまで来ればあと少しだ。

































1隻も欠けることなく無事にたどり着いたこの大船団は、現地の人々の驚きを持って迎えられた」


この時代では他に例を見ないような規模の船団による植民だからね、それに現地の人間はこのサイズの船を見た事はほとんど無いはずだし、圧倒されたことだろう」


そして、道真が日本への再復帰を宣言したことで阿児奈波…この時をもって沖縄と正式に名前が決まった…は正式に領土となった。国司が置かれ、流通もより活発になったことで益々発展していくことになる。そして、最も危惧されていた現地の人間の反発はその宣言によって完全に沈黙した。まぁ、これは農耕文化が根付いたことによって安定した食糧供給が出来るようになったことが主な理由だと言えるかもしれないけれど」


道真は移住した人々の土地区画の整理などをして、一年後の迎えの船で都へと帰った。後釜は、彼と交流があり、信頼されていた紀長谷雄だ。竹取物語の作者とされるうちの一人、と言えばちょっとは伝わるかな? ちなみに、この結果によって沖縄守と言うのは出世への道筋の一つと認識されるようになっていくんだ。今でも沖縄の県知事が抜きん出た秀才である場合が多く、さらにあそこの国立大学から大臣を含む多くの政治家や官僚を排出しているのはその名残だね」


もう一つ、彼が遣唐使の代案として出したのは後高句麗…後に高麗となる国だ。文献だと890年代の時点で王建に関する記述があるとされているんだけれど、この時代まだ王建は台頭していなかったはずなんだよね…それどころか後高句麗の建国すらまだだし。だからこれは後の事象との混濁によるものだと思う」


902年に道真は最初の使節を派遣した。これは上手くいったものの、次の使節を派遣した911年は完全に失敗に終わった。弓裔は先の使節の時から豹変しており、横柄な態度をとって使者を相手にしようとせず、収穫はほとんど無かったらしい。しかし、道真が口を酸っぱくして言っていた将校との繋がりを築くという目的は大成功を収めた。そう、この中に高麗太祖となる王建がいたんだ」


彼が少しでもそうした道を作ろうとしていたのは、現在から見たら大正解であったと言えるね。地政学的な観点から見ても、今の状況を考えると…ね」


これらの事業の成功をもって、道真はその実力を明らかにした。しかし、彼の業績はそれで終わりじゃない」


例えば…天下五剣というものを知っているかい?」


そうそう。童子切、鬼丸、三日月宗近、大典太光世、そして数珠丸。これらがだいたい天下五剣に数えられるものなんだけれど、他にも一期一振や兼思光晴かなおもいみつはるなどが挙げられる」


で、この兼思光晴というのが道真の打った業物なんだよ。いわく、主人の思いを兼ねるかのように切れ、その輝き陽の光の如し…ということだ。伝承ではそう伝わっているんだけれど、光晴というのは彼が刀剣を制作する時の偽名でね、無銘のものも何本か伝わっている」


…言っていなかったかもしれないけど、実は、ウチは道真の血筋だという口伝があってね。この無銘の光晴が一振り我が家にも保管されているんだ」


あはは、ビックリしたかい? 私がこの時代の学者を志すようになったのもその影響さ。…おっと、すっかり話し込んでしまったね、今日はここまでにしよう。もし良ければ次の連休の初日にうちに来なさい。話の続きをしながら光晴、見せてあげるよ」


お、空いているかい。よしよし、なら烏丸御池駅の二番出口で待っててくれ。時間は…そうだね、10時半でどうだい?」


「よし、決まりだ。それじゃあ連休初日、駅で待ってるよ。」

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