21


 すぐさま、オバケが、ふりかえる。

 オバケと目があった。


「きょうちゃん。きょうちゃん。そこにおったんやね」


 うれしそうな声をだして、オバケは本だなの下にやってきた。ハシゴをのぼってくる。

 こうなると、もう逃げようがない。

 かおるは、ただ、ふるえていた。


 一歩ずつ、オバケがハシゴをのぼる音。


 ついに、かおるの目の前に、黒いボサボサの髪の頭が見えた。にゅうっと、その頭が上がってくる。


 オバケの顔が、すぐそこに!


 オバケは、かおるを見て、にやぁっと笑った。


「きょうちゃん。見いつけた」


 ちがうよ。ぼく、きょうちゃんじゃないよ、と思うけど、声にならない。


 オバケの手が、こっちに伸びてくる。


 かおるは奥に行こうとする。が、それ以上、奥には行けない。本だなの奥行きは、子どもが一人、乗ることがやっとだ。


(そうだ!)


 奥には行けないけど、前へは進める。本だなは大人には乗ることはできない。とりあえず、オバケから離れることはできる。オバケが宙に浮かんだりしなければだけど……。


 かおるは必死で本だなの上を前進した。


 オバケは、かおるをつかもうとする。だけど、せまいし、片手はハシゴをつかんでないといけない。肩がつっかえて、うまく手を伸ばせないでいる。


 そのすきに、かおるはカベのかどっこまで逃げた。足をちぢめたいけど、足をまげるスペースはなかった。


「きょうちゃん。お母さんよ。なんで逃げるん?」

「ちがうよ。ぼくのお母さんは、じこで死んだもん」


 それにお母さんなら、ぼくをきょうちゃんなんて呼ばない。たとえオバケになっても、こんなに、こわいはずない。


 かおるは涙がこぼれるのを止められなかった。


 すると、なぜか、オバケも泣きだした。


「きょうちゃん。きょうちゃんは、ここにおるやろ? きょうちゃんは、じこで死んだりせえへんよ。なあ、そうやろ? きょうちゃん」


 泣きながら、うでを伸ばしてくる。

 かおるの足をつかもうとする。くつの上から、何度かオバケの指がひっかかった。


 もう、かおるは大泣きだ。


「にいちゃん。たけるにいちゃん! たすけて。こわいよ」


 と、そのとき、きせきが起こった。


 げんかんのほうで、ガタガタと大きな音がして、だれかが入ってくる。かおるたちの泣き声をきいて、書さいにかけつけてくる。


「ゆみ子! なにしてるんだ! あぶない」


 あの男だ。ボウシをかぶった男。

 女のオバケは言った。


「ここに、きょうちゃんがおるんよ。きょうちゃんが」

「いるわけないだろ。きょうこは、もう死んだんだ。交通事故で」

「ウソつき! きょうちゃんは、ちゃんとおるやんか。なあ、きょうちゃん。こっちにおいでえな」


 交通事故で死んだ、京子ちゃん……どっかで聞いたような気がする。


(そうだ! 学校の七ふしぎの京子ちゃん。交通事故で死んだんだっけ。あの優しいアメちゃんのおねえさんの、めいなんだ)


 ということは……もしかして、この人は京子ちゃんのお母さんなんだろうか?

 じゃあ、このボウシの人は、お父さん?


 ぼんやり考えてると、女の人とボウシの男が、もみあいになった。


「おねがいだから正気に戻ってくれ。ゆみ子。京子はもう、どこにも、おれへんのや」


 もみあううちに、男のボウシが、とばされた。

 男の顔を見て、かおるはビックリした。見たことのある人だったのだ。いや、見たというか、知っている。


 それは、理科の杉浦先生だ。


「な……なんで、杉浦先生が?」


 顔を見られて、杉浦先生は、きびしい目をした。


「君たちはイタズラ心だったかもしれない。でも、世の中には知らなくていいことがあるんだ。君たちは知りすぎた」


 こわい。ほんとに、ころされる。


 かおるがガタガタ、ふるえていたときだ。

 ガラッと、げんかんで勢いよく戸のあく音がした。


(えっ? なんで? ほかにも誰かいたの?)


 おどろいてると、のんびり声がした。


「あれ? ほんまにカギ、あいとるなあ。やっぱりホームレスが入りこんどるんかな」


 こっちは大変なことになってるっていうのに、なんだっていうんだろう?


 すると、今度は、ちょっと、あわてた声がする。


「あっ! こら、ぼく、かってに入っちゃあかん。どうせ、また、かんちがいやろ? もう、これが最後やからね?」


「まあまあ、そんなこと言わんと、この子の言うこと信じてあげてください。うちも、お姉さん、さがしてるんです。ここにおるかもしれんて、この子が言うんです」

「あなたが、そういうから、特別ですよ」


 数人の大人の声に、まじって——


「かおる! いるんだろ? かおる!」


 たけるだ。たけるが来てくれた。


 かおるは叫んだ。

「にいちゃん! たすけて!」


 タタタ——と、すばやく、かけてくる、かろやかな足音。


「かおる!」


 戸口に、たけるが立つ。

 たけるは中のようすを見て、杉浦先生に体当たりする。自分より、ずっと大きな大人の先生に。


 杉浦先生は、よろけた。


 今度は女の人に、とびつきながら、たけるは大声をだした。


「おれの弟に、なにするんだ!」


 そこに、やっと制服をきた警官がやってきた。あのアメちゃんのおねえさんも、いっしょだ。くらやみになれた目には警官の手にした、かいちゅう電灯の光が、まぶしい。


「あんたたち、何しとるんや!」


 杉浦先生と女の人は、つかまえられた。


 かおるは、ようやく本だなから、おりることができた。


「にいちゃん……」


 たけるは何も言わず、かおるを抱きしめる。その手が、ふるえてることに、かおるは気づいた。

 たけるにも、こわいことがあるのだと。

 かおるがいなくなることが、何より、こわいのだと……。

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