姉は強い

 次の日、愛海は国旗掲揚を迎えた後、休暇を使ってとある所へと向かい始めた。

 手には「舞鶴→京都市内」「京都→大阪市内」と書かれた二つの切符が握られている。

 大阪にある実家へと向かうのだ。そこには同じ海上自衛官である三つ歳上の姉の恋海れみが住んでいる。母は数年前に病で亡くし、彼女達の実の父は北海道で単身赴任をしている。父とは会わない、ということは無い。だが顔を合わせる機会は年に一回あるかないか程度であり、生存確認程度に連絡を取りあっているだけで、お互いのことは何も話さない。しかし親子仲は良い。小さい頃には海までドライブへ連れて行ってもらったし、極寒の中ワカサギ釣りにも行った。それなりに思い出があるため、母が連絡を取るなと言っているにも関わらず、それをシカトして連絡を取り続けているのが現状である。

「……はぁ」

 重々しくため息をつくのには理由がいくつかある。

 元々恋海は愛海が中学生の頃に家を出ていったため、姉妹同士では疎遠だった。姉が自分と同じ海上自衛官……しかも防衛大卒だったとは知らず、昨年の二○三六年に阪神基地隊へ視察に行った際に偶然再開したのだ。初めは恋海の顔を忘れていた愛海も、徐々に思い出して声をあげたものだ。恋海も恋海で妹が海上自衛官になったことは知っていたが、こんな形で会うとは思ってもいなかったのだろう。姉が相当驚いていたのを愛海はよく覚えている。

 しかし会ったのはそれきりで、連絡先を交換したはいいもののどう話しかけたらいいか分からず戸惑っていると、向こうから、

『休暇取れたんだって? そっちの司令から聞いたよ。せっかくなら帰ってきたらどう? 愛海も艦長なんだし、たまにはゆっくりしたいでしょ』

 愛海も、という発言は、横須賀から阪神基地隊へ転籍した後に女性自衛官が乗艦できるようになった掃海艦「あわじ」の艦長をしている恋海だから言えることであろう。

 ───行くのはいいけれど、あいつ誘っといて私を追い出したりしないわよね?

 なんて考えている間も、特急列車は京都へと向かっていく。

 マナーモードにしている携帯が震える。スリープモードを解除してみると、従姉妹の三月琥珀みつきこはくからメッセージが来ていた。

「琥珀……? 文面で見るのは久しぶりかも」

 琥珀は元々おしゃべり上手な性格であり、それが文面にも滲み出ている……いや、滲み出すぎている域にまで達しそうな程の長文を送り付けてくる。

 しかし今回のメッセージはそこまでの長文ではなかった。

『おひさ、元気? 休みでたんだってね〜。船空けて大丈夫なの?

 暇な時に横須賀においでよ! 久々に会いたいし、いいものが見られるよ』

 ───いいもの?

 心の中で思ったことをそのまま分に記し、送信する。するとすぐに既読がつき、たちまち返信が返ってきた。

『そ、いいもの! 私もびっくりしてさ〜……とにかく、それは会った時のお楽しみね! 空いている日にちあったら、いつでもいいから教えて!』

「……琥珀がびっくりする程ってことは、確実に艦艇案件だな。まぁ、船は好きな方だし、行こうかな」

『分かった。また予定調整して連絡するね』と打って送信し、ひとつ息を着く。その間にうとうととしてしまい、結局終点の京都駅まで眠ったまま車内で過ごすことになったのであった。

 

 ***

 

「あ、いたいた。愛海!」

 新大阪駅について電車を降りると、駅名電光掲示板の真下に私服姿の女性が立っていた。愛海が少し早足で女性の前まで向かっていくと、唐突に頭を撫でられて一瞬硬直してしまう。「何故頭を撫でた?」と言いたげな目で彼女を見つめた。

「あっはっは! 愛海は相変わらず変な目をするのねぇ」

 自身と同じ焦げ茶色の髪の毛を揺らし、愛海の頭に手を置くその女性、恋海は笑う。

「うるさいなあ、最初に頭撫でてきたのは姉ちゃんでしょ?」

「あら、まだ姉ちゃん呼びなの? いい加減恋海でいいのに」

「姉ちゃん呼びじゃないと私が落ち着かないの。ダメって言うなら変えるけど」

「んなこと言わんよ。私も姉ちゃん呼びの方がしっくりくるしねぇ」

 顔を合わせ、二人で笑う。幼い頃から二人は仲良しだった。愛海が小学校に上がる頃には、見た目がそっくりでお互いのクラスメイトを困惑させたくらいだ。見た目はどちらとも母譲り、性格は父譲り。そのため姉妹揃って大雑把な性格をしている。しかし恋海はA型、愛海はO型と、血液型はそれぞれ違う。同じなのか同じじゃないのかよく分からない姉妹だ、とよく周りに言われたことを思い出す。

「さ、お腹空いてるっしょ? 姉ちゃんが手料理を振舞おう」

「姉ちゃん、旦那さんいたっけ?」

「いるわアホか。今は同居してるけどな!」

「うわ、アホ言われた! これはパワハラ案件だなぁ。上司に報告するために帰ろうかな?」

「待って?」

 さりげなく愛海の荷物を持ち、先を行く恋海を後ろから追いかける愛海。小さな頃からずっとそうだ。姉に連れられて、姉に手を引っ張られて立っていられた。今度は自分が姉を引っ張っていける存在になりたいが……これまた難儀だ。どうも引っ張られる立場で慣れてしまったようで、自分が引っ張るということが想像できない。

 ───姉ちゃんは強いな。

 手を握っただけで分かる、「苦労した手」。母のかかとが固いように、姉にもそれ相応の手の感触がある。しかし、それは愛海には表現出来ない感触、手触りで、愛海が勝手に苦労した手と呼んでいるだけなのだが。

「姉ちゃん」

「んー?」

 改札を通り、一瞬愛海を見たあと、また前を向いた恋海。

「私、姉ちゃんみたいになれるかな」

「どうしたの、急に? 何か心配事でもあるの?」

「い、いや、そういう事じゃなくて……その……」

 慌てて話題を変えようとするが、そこまでいい話題が思いつかず愛海は黙り込んでしまう。ホームに着いて足を止めた恋海は愛海の左横に経つと、

「ははーん? さては好きな人が出来たな?」

 ニヤニヤしながらそんなことを口にした。

「私が恋をする人だと思うかー?」肘で恋海の脇腹をつつき、嫌そうに言う愛海に「妹のあんたならありそうだなぁ。この私が旦那出来たんだし」と意地悪そうに笑う。

「うーん、残念ながら恋ではないんだけど。というか恋はしないし。ちょっと悩みというか」

「おー? なんだ、癖のある新人ちゃんが来たか?」

「それも違う。うちの副長のことよ」

 つい三ヶ月前に自殺で大切な親友を亡くした自身の副長、垂井逢鈴のことだ。艦長の愛海にとっては部下も当然だが、亡くしたその星野燕という人物は逢鈴と同期なため、愛海も敬語を使っていた相手である。

「燕さんがそんな人とは思えないっていうのが本音だけど、色々な船の艦長や艇長の話を聞いていると、それは言い訳だって気がついたんだよね」

「なに、自殺者が出たの? あんたの船で?」

 有り得ないとでも言うかのように、恋海は少し声を荒らげる。

「うん。うちの砲術長がね」

「そっかぁ、遂にあんたの船にも……ってか、燕ってあの星野さん?」

「なんだ、知ってるのね」

「そっちの副長さんの同期ってのは知ってるけど、それ以外はあんま知らないかなぁ」

 電車通過のアナウンスが流れると、少しして警笛が聞こえ始めた。

「物は失くしても亡失届を出せばいい話だけど、命は亡失届を出しても戻ってくることはない。捜索願を出したって、見つかることなんてないんだよね。

 命は物じゃないし、亡くなった命を探すことなんてまず無理だから」

 ゴオッと音を立てて電車が通過していく。風に煽られ、二人の髪が揺れる。ホーム柵があるのにも関わらず、自身の妹が今にも飛び出していきそうで、恋海は何気なしに愛海の肩に手を置いた。

「……どしたの、手なんか置いて?」

「いや、心配になった」

「?」

「私が見となかったら、あんたが飛び出しそうでなんだか凄く怖くなったの。なんでかしらねぇ、もうとっくの間に姉ちゃん面は卒業したはずなのに」

 その時愛海がどう思ったのか、恋海には到底知ることもない。が、少なくとも悪いことを思っている顔ではなかった。しかし何も言わずに、通り過ぎた電車の後光を見つめる。

 何も言うべきではないと感じたのだろう。恋海にはそれだけは分かっていた。


 電車の中、恋海はスマホを弄りながら、自身の肩に頭を預けて眠る愛海を時折見つつ、電車が通過した時に愛海が言ったことの意味を考えていた。

 確かに、命は物では無い。亡くなれば、焼かれて形としては残らない。探しても何をしても、二度と戻ることはない。

 亡くなった星野燕という人物は、どのように亡くなっていたのだろうか。詳しく聞いていない恋海は、知り合いから聞く限りの星野燕をイメージしてみる。ガサツで面倒くさがり、されど凛々しく格好よく、時に女の子らしく振る舞う……燕という名前にピッタリな性格を持ち合わせる人だ。そんな人物がもし自分だったら、死ぬ時はどう死ぬだろうか。練炭、首切り、OD、飛び降り、自傷、色々あるが一番無難なのは首吊りだ。前者の四つは場所によっては人に簡単に見つかってしまう。海上自衛官問わず、自衛官というのは異常事態が起きた時は『全身を使ってくまなく原因を突き止め、出来る限り短い時間で対処する』と言われているほど五感を使って探知をするのが基本的だからだ。

 練炭は炭臭いだろう。首切りはもしかしたら血が床に広がって誰かが踏み、それで気づくかもしれない。ODはもし失敗した時に体調の異変が現れるかもしれない。飛び降りは地面に何かが強く打ち付けられる音がする。それで気づく人がいたり、その場に居合わせる人がいるかもしれない。

 しかし首吊りは一番静かに、かつ場所を問わず出来る最短で最速な死に方だ。運が良ければ直ぐに意識が無くなる。「ひうち」の副長であり、星野燕の同期である垂井逢鈴たるいあぐりが言うには、落ち込んだ時は一人にして欲しいというような人だったと聞いている。

 そんな星野燕なら、場所を選ぶこともなく何も考えずに楽に死ねる最善の方法だと考えたのだ。断定出来る訳ではない。ただ憶測を立てているだけであって、本当はほかの自殺方法を選んでいるのかもしれない。

 ───こればっかりは聞いてみないと分からないな。ちょっと情報を集めようか。

 スマホをスリープモードにし、パタン、とスマホケースを閉じる。

「にしても、寝顔可愛いなぁ……」

 寝ている愛海の頬を触ると、くすぐったそうに顔をゆっくり振る。起きることなく、再び頭を預けて眠る妹に、姉は嫌なことを少しだけ忘れられたような気がした。

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