後輩

「今だって、大海原に出ることを怖く感じることはある。

 色んなことを考えて、私たちは船に乗る。それが護衛艦でもなく、特務艇やミサイル艇などでなくても……か」

 伊藤翡翠いとうひすい准海尉は今、ある一人の人物の心配をしていた。

 応急工作員の栗原鈴くりはらりんのことだ。現在海士長の鈴は、今現在行方不明になっている「かが」の乗組員として乗艦している。翡翠は鈴の入隊期の分隊士であったため、まさかこんな事態になるとは思ってもおらず、連絡が取れない鈴を密かに心配していたのだ。

「大丈夫かな、栗原」

 一一四五ヒトヒトヨンゴー、課業やめの隊内放送が流れると同時に、誰かが後ろから翡翠の目を隠した。

「わっ⁉」

「だーれだ」

「……木下曹長」

「どうして!」

 目を隠すのをやめて翡翠の前に現れた女性、木下美晴きのしたみはる海曹長は、頬を膨らませて「伊藤准尉って、本当に人の見極めがいいですよね」と不満げに言う。

「木下曹長の声は特徴的なんですよ。こう……某なんとかモンスターのピカ〇ュウ? でしたっけ。あれの中の人とそっくりなんですよ」

「それよく言われるけど、自分では全く似てないと思ってますからね? というか、なんで伊藤准尉って私よりも階級が高いのに敬語なんですか?」

「木下曹長の方が年上だからでしょうか? 私はまだ三十代前半ですし。別に、私には敬語を使わなくても差し支えありませんよ」

「出世頭がよく言うよ……。まさか後輩に抜かれるとは思っていなかったなぁ」

 美晴は手を頭の後ろに回す。翡翠はため息を一つつき、

「その癖、「さみだれ」の頃から変わっていませんね」

「あの頃の伊藤はおどおどしていて、でら可愛かったねぇ……舷門で一緒になった時は電話対応もろくに出来なかったって言うのに、今じゃ教育隊の分隊士にまで成長して……先輩は嬉しいよ」

「黒歴史をわざわざ引っ張りださないでください、恥ずかしいです!」

 翡翠は兵上がり……つまり、自衛官候補生や一般曹候補生から入隊した隊員であり、ここ舞鶴教育隊で教育訓練、海曹予定者課程を受けた隊員でもある。二等海士の時は部隊実習で呉に在籍しているむらさめ型護衛艦六番艦「さみだれ」の乗員として配置につき、そこで当時海士長であった美晴と顔を合わせたのだ。

 美晴が海曹予定者課程で呉教育隊に行くまでは直属の先輩後輩の関係で、特技も同じ運用であったため、顔を合わせる機会がとても多く一緒にいる時間も二人が多かったと周りの乗員が話していたそうだ。

「サイドパイプ失敗する度に涙目になってたし?」

「ああやめて、恥ずかしい……誰か私を殺して……」

「でも、そんなあんたでもこんなに立派に成長したってんだから、本当大したもんだよ」

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