数を数える

 瞼を開ける。さっきまで重たかった瞼はいつの間にか軽くなっていて、開けるのにも苦労しなかった。

 寝る前の記憶が無い。あれ私寝る前に何してたっけと考える前に、そばに誰かが居ることに気が付きそちらに意識がいってしまう。

「……あ、おはようございます、艦長……いや、今は「汐奏さん」の方がいいですか?」

 目が霞んでよく見えない。伸びをして目を擦りよく見てみると、そばにいたのは通信士である友近三尉だった。

「んん、おはよう友近、どれくらい寝てた?」

「ざっと五時間程でありましょうか? まだ寝ていても差支えはないでありますが」

「いや、いいよ……起きる」

 身体の反動を利用して起き上がる。疲れが取れたのか、愛海の身体の疲労はだいぶ無くなっていた。そういえば夢を見たんだっけか。あれはなんの夢だっただろうか、内容がよく思い出せない。うんうんと愛海が唸っていると、「やはり、もう少し寝られては……?」と、友近の心配そうな声が聞こえる。

「ん、いや大丈夫、ほんとに大丈夫だから! ちょっと夢を見てたから、その内容が思い出せなくて」

「夢、でありますか〜。自分、夢はあまり見ない体質なので、人の夢の話を聞くのが好きなんでありますよ。差し支えなければ、聞かせていただけませんか?」

「いいけれど、内容が良く思い出せなくて」

「あるあるでありますな。夢の内容を覚えていないのは、脳が働いていないからだと言われていますが」 

「へぇ。……ああ、思い出した、夢の内容」

「お、なんでありますか?」

 ずい、と身体を寄せて聞く体制に入る友近。まだ少し霞んでいる目を擦りながら、愛海はゆっくりと話し始めた。

「えっとね、おじいちゃんが出てきた夢」

「祖父殿でありますか。以前お話を聞きましたが、旧海軍軍人なのでありましたっけ?」

「うん、父方のね。小さい頃の夢かな。おじいちゃんと庭で遊んでいたんだけど、急におじいちゃんが立ち上がって「愛海、あれはなんだと思う?」って言って一羽の鳥を指さしたの。でも私、それが見えなくて。なに? 分からない、って聞いたら、「あれは鳶だよ、鳶。言えるか?」って」

「祖父殿優しいでありますね?」

「でしょ? んで、鳶って言ったらめっちゃ褒められた」

「そりゃそうでありましょうよ!」

「どうして?」

 愛海にはそれが分からなかった。首を傾げていると、「もう、分からないでありますか!」とぷんすこ怒りながら友近は言う。

「誰だって、自分の子どもが言葉を覚えて、喋ったら嬉しいに決まってるでありましょうに!」

「そ、そういうものなの? ごめんなさい、私、まだ結婚してないから……」

「友近には子どもがいるでありますよ? んで、続きをどうぞ」

「あ、うん。褒めてくれた後に、おじいちゃんが言ったの。

「鳶はゆっくりと飛ぶだろう? あんなに優雅に飛べる鳥がいるのも、じいちゃんらの同期のおかげなんだよ。じいちゃんはね、それに気づいたのは戦争が終わった後だったね」って。

 なんだか複雑な気持ちになったよね。おじいちゃん、元は海軍軍人だったからさ」

「ああ、あの「スーパーおじいちゃん」でありますか?」

 友近の言う通り、愛海の祖父である汐奏海斗しおかなでかいとは、元は海軍軍人で「響」の通信兵であった。のだが、怪我が原因で海斗は船を降り、響は後にロシアに引渡された。海斗はその時陸上勤務で、鹿児島の防空壕の中にある第一無線室という所で特攻隊のモールス信号を受信する役割を担っていた。その間に終戦を迎え、余生は北海道で過ごす事にしたという。

 しかし愛海が十四歳の頃、「せんだい」体験航海で、「みょうこう」と艦艇同士の衝突事故を起こし、その衝撃で亡くなってしまった。

「スーパーおじいちゃん……まあ、うん。あってるかも。

そういえばおじいちゃん、第一無線室にいた時のことをよく話してくれたんだけど、その中でとある人のモールス信号を聞いた時に泣き崩れた女性の海軍軍人がいたって話してくれたっけ」

「その女性のお名前は?」

醒ヶ井歩乃華さめがいほのかって言っていたかな。実を言うと、「ひうち」にいる醒ヶ井誠也さめがいせいや海曹と、佐世保にいる「ちょうかい」艦長の醒ヶ井或華さめがいあるか二等海佐の祖母なのよ」

「へぇ! あの方々、双子の姉弟でありましょう? 弟君は一般曹、姉君の方は防衛大卒と聞いたであります。祖母ということは……苗字変えずにそのままだったんでありましょうな」

「私の三つ上だから……茉蒜と同期かしら。思うけど、今の護衛艦長、茉蒜の同期が多いわね」

 言いながら左の髪の毛を触る。いつもあるはずの桜のピンが無い。慌てて場所を聞くと、「見たところガラス製のようでありますし、割れたら困るので、勝手ながら外して移動させておきました」と、友近はテーブルを指さした。ベッドから降り、愛海はピンを両手で掬いあげる。

「そんなに大事なものなのでありますねぇ、それ」

「おばあちゃんからのもらい物だからね。うちのおばあちゃん、戦争に巻き込まれて死んじゃったんだよ。「いつか私に似た子が産まれたら」って、おじいちゃんにあげたらしい。私は夢でも会ったことないけど」

「優しいおばあさまだったんでありましょうねぇ」

 優しい、という言葉が愛海の胸をつんと突く。はたして自分は祖母のように優しい存在なのだろうか。そんな考えが頭に過ぎった。

 部屋の光に反射してピンが艶めく。鏡のように自身の顔が映り、それが嫌で顔をピンから背けた。

「うん。おじいちゃんが「結婚して良かった」とまで言っていたくらいなんだから、きっとそうだと思う」

 代わりにそう言い、左横につけた。天井についているスピーカーから日没五分前の令が流れる。もうそんな時間かと部屋の時計を見ると、時刻は既に十八時を過ぎていた。

「今日の当直は伊藤准尉と猪井准尉でありますなあ」

「ああ、伊藤さんと猪井さんなの? あの方達、まだここで分隊士をしているのね」

「応急工作の栗原士長と出港前に会ったのでありますが、その時に言っていたであります、「分隊士のお二人はとにかく優しくしてくれて、色々と手助けをしていただけました」って」

 伊藤翡翠いとうひすい准海尉と猪井氷雨いのいひさめ准海尉は、現在応急工作員として「かが」に乗っている栗原鈴くりはらりん海士長が、かつて二等海士だった時の教育隊教官だったのだ。栗原は職場内でもプライベートでも二人の名前をよく口にするため、自然と耳に入ったのだろう。

「ところで、食事が運搬されてきているでありますよ。はやぶさの艦長から。

「そいつ、今疲れて寝ているからあまり起こしてやるんじゃないぞ」って言いながら防犯扉の前まで持ってきてくれたであります」

「本当? あ、テーブルに置いてあったこれ?」

 ピンが置いてあったテーブルを指さす。今日は金曜日だ。銀の器に盛られたカツカレーは少し冷めている。水滴のついたサランラップを取ると、ふわっとカレーのいい香りがした。

「……いい匂い」

「舞鶴のカレーは、冷めても美味しいでありますからね。私、総監がある基地は一通り行ってカレーを食べたことがあるのでありますが、その中でも一番美味しかったのは舞鶴であります」

「確かに、それは分かるかも」

 スプーンを手に取り、カレーを口に運びながら愛海は言う。

 少し辛い。舞鶴のカレーはこんなに辛いものであっただろうか。

「そういえば、吉川艦長は?」

「あのお方なら、カレーを運んでくれた後に実家に帰っていったでありますよ。「妻と子どもが待ってんだ、たまには顔出してやんねえとなぁ」……って」

「持ってきたあとなんだ……」

 どこか遠出して土産でも買わないと、などと思いながら、愛海はスピーカーなら鳴るラッパの音に身体をびくつかせ、国旗が揚げられている方向を向いて姿勢を正した。友近もそれに続いて同じ動作をする。

 音楽隊が奏でる録音の国歌に懐かしさを覚えながらも、段々と沈む太陽を横目で見ながら数を数えた。

 あと十四日、と。

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