ご一緒しませんこと?

 袖口の空いた燕尾服を着た若い貴族たちはミセスを歓迎した。彼らが連れていた街娘たちの評判を気にすれば、いまやミセスを無視することはできなかったのだ。


「まったく目がさめるようでしたよ、ミセス」

「この一夜だけで名門の仲間入りですね」

「そのドレスは誰の仕立てですか? 私などが着ても似合わないかしら?」


 その人気ぶりにはアイリ自身が最も驚いていた。


「ごきげんよう、ミセス」


 そうした一人に、ソフィア・リュティがいた。いくらミセスが目も眩むような印象を残したとはいえ、それは同時に男たちを遠ざけるようでもあった。だからこそ、ソフィアのクラシックなドレスと美しさに人々は再び吸い寄せられていた。


 そうした注目の中にあって、二人の会話はさながら新旧の美女の対決のような印象ですらあった。ソフィアの腕を取るマティアスにとって、そうした注目は気まずくてしかたのないものだった。


「ごきげんよう、マティアスさんも、ソフィアさんも」


 辺境伯の子息をマティアスさんと気軽に呼べる人物は実は少ない。そう呼ぶように言われても、最大限の敬意を乗せてしまうものだ。

 マティアスは周囲でちらちらと視線を送る人々に苦笑いしている。


「素晴らしいダンスでしたよ、ミセス。大佐は?」

「あちらでご自身のご用事を。私は私でみなさんにご挨拶がしたくって」


「さすがは新女性ですわね。他のどのご婦人とも違っていて、それでいてこんなにお美しいなんて……」


「いろいろな方が新しい美しさを纏わせてくださいましたの。中身が土だらけの測量士でしたから、みなさんご苦労なさってよ」


 アイリが肩をすくめて笑うと、マティアスとソフィアも顔を見合わせて微笑み合う。二人の親しさを見ると、アイリは胸のあたりに寂しさを感じた。フロアの反対側で、大佐は副総督と話し込んでいる。全てが終わったら、大佐に尋ねなければならないことがたくさんある。


「またお踊りにはならないの? 私もたくさんの方からお声かけされて、マティアスがよしと言った方だけお相手していますわ」


 マティアスが頬を赤らめ、そういうことを言うなと慌てたが、その様子すら二人の仲むつまじさを感じさせた。

 アイリはマティアスに聞かれないよう、ひらりと身を寄せてソフィアに囁く。


「新女性というのはね、ソフィアさん。お声かけいただくのではなく、こちらからお誘いするものでしてよ」


 アイリはソフィアが組んでいなかった左手を取ると、自身たっぷりにウィンクする。そうした振る舞いは、本来なら大佐のような色男が得意とするもののはずだった。実際、相手が女性であるにも関わらず、ソフィアは思わず頬を赤らめそうになる。


「では、またお伺いしますわ、ソフィアさん」


 スカートの裾を振った挨拶を残して風のように去るアイリの背中に、二人は異なる視線を向けていた。一人の目は新しい時代に目を輝かせ、もう一人は変わり行くことへの恐怖をにじませていた。


 しかしソフィアもまた一人の淑女レディだった。伯爵夫人の訓練をうけてもなお、アイリにその戸惑いを見抜くのは難しかった。また人々の中に分け入りながら、アイリは目指していた人物を見出した。


「ごめんくださって?」


 上流の貴族ともなれば中年も多く、すでに同じ名のある貴族の妻を連れている。彼女たちにとってみれば、美しいとはソフィアのことを指す形容詞であり、ミセスの新しい女性像は受け入れがたいものかもしれない。


 そうした輪の中に最も威厳を持って立っているのが、ほかならぬヒエタミエス新大陸総督であった。


「おや、ごきげんようミセス。総督府にいらっしゃるときとはまるで別人だ」


 総督の肩幅はアイリの3倍はあるようにさえ見えた。撫で付けられた髪に深く窪んだ目はどこか威圧的で、海軍出身というのも頷ける気がする。といって、同じ海軍の大佐が同じような威圧感を有しているわけでもなかったのだが。


「その話はよしてくださらなくって、総督? 私、今は舞踏会を楽しみたくってよ。ねえ、奥様」


 総督の隣の女性は怪訝けげんな表情をしている。ミセスの女性像が受け入れられないのか、あるいは夫を誘惑しようとしていると誤解しているのか。はたまた舞踏会そのものが好きではないのかもしれない。

 それでもアイリが奥様と呼びかけたことで、総督に一つの動作を強いることができた。


「そうですな、紹介いたしましょう。こちら私の妻です」


 そのぶっきらぼうな紹介にも関わらず、奥方は丁寧にドレスをあげて挨拶する。


「そしてこちらがミセス・コッコ。新女性でらっしゃる」


 。その言葉にアイリは勝利を確信した。つい1時間前までは、新女性がどういう見た目をしているかなど、誰も描くことはできなかった。しかしそれはもはや1時間前までの過去の世界での話だった。

 今となっては、ミセス・コッコのその姿こそ、新女性であり、新大陸であり、王国の新しい価値に違いなかった。総督でさえも、そのことを無意識に認めてしまっていたのである。


「初めまして、奥様。お名前は?」


 アイリの側から奥方に握手を求める。女性から握手を求め男性が応じるマナーが身に染み付いた彼女にとって、握手を求められるのは初めての経験かもしれない。


「クリスティーナですわ。名前を尋ねられるなんて、いつ以来かしら」


 クリスティーナ・ヒエタミエスの顔が明るくなる。その変化を総督も見落とすはずはなかった。そしてミセスの後ろから近づいてくる伯爵夫妻を見たとき、総督はようやくミセスの意図を理解した。しかしすでに最後の関門は陥落してしまっていた。


「なるほど。新女性というのは実に狡猾こうかつですな」


「あら、何か失礼があって?」


「よく言う」


 その会話にクリスティーナが首を傾げたとき、伯爵の手が総督に伸びた。


「これはこれは総督、この度はようこそ我が屋敷へ」

「いえ伯爵、こちらこそようこそ新大陸へ。開発に努めておりますが、いかがですかな」


 アイリはクリスティーナの横に品よく立ち、その会話を聞いていた。


「実に素晴らしい。総督の港も拝見いたしましたが、もう本土さながらの様相ですな」


「光栄です。いずれ全土を本土並みに豊かな土地とし、国王様の栄華を支えたいと考えております」


「総督、そのためには


 伯爵は控えていたアイリを示す。総督の舌打ちが聞こえるようだった。


「先ほどご覧になられましたか? 私は本当のところ、新大陸に新しい時代とか新しい気分というものがあるのか疑っておりましたが、こんな女性は見たことがない」


「まったくですわ」


 伯爵夫人が上機嫌に相槌あいづちをうつ。


「なんだかこちらまで春風に吹かれたような心地で」


 愛想笑いながらもクリスティーナまでがそう言ったとき、いよいよ総督は観念した。


「まったくです。新大陸の誇りと言うべきでしょうな」


 アイリの内心では叫び回って拳を突き上げたいほどだったが、ミセスはそんな様子を何一つ覗かせない。頬に手を当てて、わざとらしく謙遜する。


「総督までそうおだてないでくださって?」


「いいえミセス。実に素晴らしかった。本日の席と新大陸のますますの発展を祈念して、いかがですかな、総督。ミセスとお二人でのダンスをここでご披露なさるというのは」


 クリスティーナが最後のひと押しをするはずだ。


「よろしいのではなくって? みなさまにこれからの新大陸の希望を感じていただけますわ」


 ついにアイリは総督を交渉のテーブルに引っ張り出すことに成功した。その意図を読み取っていた総督は、目尻にだけ苦味を残して、それを快諾する。


「なるほど。みなさまがお望みなら。よろしいですかな、ミセス?」


「ええ、ぜひ」


 差し出された右手をとる。ドレスの裾を振って頭を下げ、誰もいないダンスフロアに二人が進み出た。

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