お尋ねしたくってよ

 まさに新しい時代を象徴するその舞踏を前に、人々は加わるよりそれを見ることを選んだ。


「お集まりの皆様」


 伯爵が手を打って注目を集める。


「お楽しみいただけているでしょうか? 私は今宵新大陸にたどり着いて、そこに新しい王国の姿を見ました。貴族と庶民がともに宴を楽しみ、男女同権の象徴のような女性が現れ……」


 総督がミセスを示し、ミセスはスカートを振って四方に頭を下げる。


「これからの新大陸と王国のますますの発展を祈念し、総督閣下とミセス・コッコに、私から一曲をお願い申し上げました。今宵は新大陸の記念すべき夜となりましょう」


 拍手が巻き起こり、総督とミセスは揃って頭を下げる。


「うまくやりましたな、ミセス」


「面会謝絶などするからですわ」


 二人が手を取り合うと、会場の視線が集まる。伯爵の合図でワルツの演奏が始まる。アイリは総督の腕に身を預け、その足でひらりと線を描き始める。


「4月18日に港に軍艦をお停めになって」


「なんのことだ?」


 2人が息を揃えてターンするとアイリのスカートがきらめき、会場にため息が漏れる。


「財務税の輸送日ですわ。機密情報ですの」


「我々に関税をとれと?」


「130を私に出していただける? 30はお戻ししますわ」


 踊りながらも総督は勘定する。


 観客の目には、伯爵の言うが見えていた。

 しかし当の二人はといえば、王国に対する不正の密談をしていた。


「こちらの損は35か」


「総督のご施策の費用には見合わなくって?」


 難度の高い短いステップを可憐にこなすと、2人の流れるようなその動きに会場からはそれだけで拍手が起こった。


「財務にはなんと?」


「手違いとでも。そのあとはお任せしますわ」


「ふむ……」


 総督はアイリの腰を支えてゆっくりとアイリの体を反らせる。曲は終わろうとしていた。あとは総督の決断一つだった。アイリにできることは、この一曲で会場を魅了し、伯爵の期待に沿うことだけだった。


 せわしない視界の中には、伯爵夫妻だけではなく、ソフィアやマティアスの姿もあった。そしてもちろん、大佐の姿も。その一人一人がアイリに自信をみなぎらせる。

 大佐に支えられなくとも、自らの力でこの会場を魅了し、自らの力で総督という難攻不落の相手を陥落させようとしていた。


 曲が終わり、2人は互いの手を取って掲げあい、四方に頭を下げる。


 万雷の拍手の中、総督は決断した。


「よかろう」

「ご内密に」


 フロアから戻るとき、アイリは自分が鼻息荒く鼻高々と自慢げな表情をしていないか不安で仕方がなかった。アイリにとって、ミセスという人格を使いこなして難題を成し遂げたのはこれが初めてのことだったのだから。


 迎えた総督夫人クリスティーナはミセス・コッコをいたく気に入り、ぜひ屋敷にいらしてとその手を取った。伯爵夫人はアイリの成功を確信して優しい微笑みを向けた。


 今すぐにでも子供じみたアイリ・コッコに戻って、あのベッドで足をばたつかせて奇声をあげて喜びたかった。しかしアイリがこの2週間で学んだ余裕と狡猾こうかつさは、そうした喜びを自信によって包み隠した。


 総督夫妻と伯爵夫妻にお礼を伝えて、アイリはこの新大陸で唯一、この喜びを表に出すことのできる相手がどこにいるのかと首を伸ばした。


 長身のその人はすぐに見つかった。テラスのあたりから、フロアを挟んで目を合わせると、微笑んでうなずきテラスの暗闇に姿を消す。アイリはそれでもはやる気持ちを抑え、優美な歩調で人混みを進んだ。


 石造りの美しいテラスにたどり着いたとき、大佐は椅子に座って星空を見上げていた。


「大佐、ご覧いただけましたか?」


 まだ大佐がそこで待っていてくれたことに胸をなでおろしながら、アイリは柵にもたれる。その顔はダンスフロアから漏れる光に艶やかだ。かたや大佐の顔も月明かりに照らされ、その色男ぶりが際立っている。


「見ていましたよ。見事な手腕です」


「……やっぱり。初めからそのつもりだったのですね?」


 アイリはわざとらしく鼻を鳴らして不満を表明する。


「舞踏会でなら総督とお話しできると思っていたのでしょう? そういうことははじめから言っていただかないと困りますわ、大佐」


 月明かりに大佐の白い歯が薄ぼんやりと見える。まったくいたずらな人だと思いながらも、アイリは感謝するより他なかった。もしそれをはじめに言われていたら、アイリは今日の成功を掴まなかっただろう。結局すべては大佐の描いた通りになったということだ。


「大佐は本当に女性の扱いがお上手ですわね」


「先日はずるいとばかり」


「ええ、だってずるいではありませんか。何もかもお見通しなんですもの」


 アイリは体をひねって大佐の見上げる空を見る。ドレスはその魅惑的な曲線を強調していた。


「お尋ねしたいことがあと2つありますわ。3つあったのですけれど、1つ目はもうわかりました。初めからそのつもりだったと」


 大佐は足を組んで両腕をその上に組む。


「今日のご成功の記念です。なんでもお答えしましょう」


 これまで幾度となく目にしてきたその余裕綽々の紳士然とした姿に、アイリは安心する。これから尋ねる二つのことは、大佐を傷つけるかもしれなかったのだから。


「あの夜の話ですけれど……大佐、これもわかってらっしゃったんですか?」


「どれですか?」


「とぼけないでください。『そのときあなたがお望みなら』の件です」


———淑女になったら、結婚してくれるんですか?


 大佐の答えは含みのあるものだった。その言葉はアイリの負けん気に火をつけ、2日後には彼女を伯爵夫人の元へいざなった。そうなってしまうことはあの瞬間にアイリも理解していたが、あのときは自分を鍛えてもういちど求婚してみせようとばかり思っていた。


 月明かりしかなくても、アイリにだけは大佐の表情がつぶさに想像できた。


「そうですね、いかがですかミセス。あなたは今や立派な淑女レディだ。もしお望みなら、私も真剣に答えなければ」


 組んでいた両手を広げて尋ねる。それだけで、大佐の答えは明らかだった。


「……不思議ですわね、今は全然、ああいう風には思いませんわ」


 大佐を見ながらその言葉を口にすることはできなかった。新大陸の星は王都の星とは少しだけその位置が違っている。ここでなら別の星座の物語が作られるのかしらとアイリの頭をよぎる。


「あなたが淑女レディを知った証です」


 大佐に成長を認められるのは悪い気分ではなかった。しかし大佐の予想通りになってしまったことは、やはり少し悔しくもあった。


「……日々が苦しいばかりに、私は大佐にしがみつこうとしてしまいましたわ。そうして自分で進むことをやめて、大佐に甘えて生きていた方が楽だと、心のどこかで」


 首を振って漏らした溜息ためいきは、身勝手すぎた過去へのせめてもの羞恥心だった。あんな幼稚さで大佐を困らせていたことを、アイリは詫びたいとまで思っていた。


「私は決してあなたを曳航するための大型船ではございませんからな」


 大佐は肩をすくめた。海軍大佐らしいその冗談は、ほんの2週間前ならアイリをすっかり怒らせていたことだろう。しかし今となれば、その冗談はまさしく的を射た言葉だと理解できた。


「ほんとうに。私はまだ自分の足では立っていなかったのですわね」


「ご自分を責めなくともよいのです。それはことだったのですから」


 その言葉とその調子に、いつかの大佐の言葉を思い出す。


『つまり、船員たちはもちろん、私自身も知らないのですよ。どのようにして共に働く仲間として女性を迎えるのかをね』


 その言葉の意味が、今ならわかる気がした。


 大佐はあのときから、この夜を思い描いていたに違いない。人々がどうやってのかを知る、こんな夜を。


「恐ろしいお人ですわ、大佐は」


「それを成したのはあなたですよ、ミセス。過去より、を」


 立ち上がった大佐はアイリの横に立ち、また空を見上げた。その星空に何を見ているのか、アイリは気がかりで仕方がなかった。教えの通りなら、大佐は星空にアイリが最も気にしている人の姿を見ている。


「それで、最後のご質問というのは?」


 大佐はアイリの顔を見ないまま、星空に問いかけるように言った。

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