参りましょう、大佐

 カレルヴォ大佐とアイリは、あの夜以来一度も会っていなかった。


「いつのまにこんなドレスを?」


 着付けるイーネスは驚きを隠さない。彼女の目から見ても、そのドレスはあまりにも、人々が求め信じている新女性ミセスの姿を体現していた。


「あら、淑女レディには秘密があると美しく見えてよ、イーネス」


 そこにはほんの2週間前に見せた生娘きむすめのような姿はなかった。胸を締めるドレスに不平もこぼさなければ、ずっと楽しみにしていたはずのカレルヴォ大佐とのダンスパーティに浮かれる様子もない。

 髪飾りも新しい銀細工が用意されている。前のものより洗練された印象で、ミセスにはよく似合いそうだった。


「これも大佐のために?」


 束ねた髪に挿しながら尋ねられ、アイリは微笑む。


「いいえ、私らしくなるためよ」


「そうですか。私にはよくわかりませんが……ともあれ、よくお似合いですよ」


 この間にたった3回しか会っていないイーネスには、ミセスの中で起こった心境の変化の正体はわからない。それでも、ミセスがいっそう魅力的になり、何かの自信を得たことだけは確かだった。


「もう今日はよろしくってよ、イーネス」


「はい、ではお片づけだけ済ませておきます」


 頭を下げると、ドアノブを開く音がする。しかし例の弾むような足音が続かない。頭を上げたイーネスに、ミセスが微笑む。


「いつもありがとう、頼りにしているわ」


 スカートの裾をひとつ振って頭を下げた。噂に聞いていたコッコ・スカートでの礼は、メイドを相手にするにはあまりに上品なものだった。


「もったいない言葉を」


 イーネスが再び頭を下げる。


「いいのよ、あなたなしには私らしくいられないんだから。それでは、いってきましてよ。大佐がお待ちですわ」


 イーネスは頭を上げられないまま、ミセスの足音を聞いた。


「お待たせいたしましてよ、大佐」


 あの夜の別れ方を思えば、とてもこの二人が平然と会うことはできないはずだった。しかしカレルヴォ大佐は何事もなかったかのように定刻に迎えに現れ、アイリも何事もなかったかのようにそのつもりで用意をしていた。


「新しいドレスですか。よくお似合いですよ、ミセス」

「大佐、これからはこの仕立てを『コッコ・スカート』と呼ぶことになりましてよ」


 アイリはスカートの裾をつまんで小さく振る。


「ヒエタミエス総督に次いで名を冠しましたか」

「それもこれも大佐の口利きあってこそですわね」


 タキシードをまとった大佐の微笑みには安堵も混じっているようだった。


「伯爵夫人に?」


 大佐に説明は必要なかった。これほどのドレスをアイリが自分の給料でたったの2週間で仕立てられるわけもない。


「はい。お役目も仰せつかりましたわ。私は今日、新大陸の新女性の象徴を演じますの。大佐の言う一流の淑女レディですわね」


 アイリの方から手を差し出すと、大佐がその甲に口づけをする。


「でも、身も心もというわけにはいかないものですわ。着くまではいつものミセス・コッコでよろしくて?」


「もちろん構いません。参りましょうか」


 口づけした手をそのまま引いて、大佐は扉に手をかける。

 そのとき、アイリは大佐の手をほんの少しだけ、強く握った。手を止めた大佐に、アイリはささやく。


「ちゃんと見ててくださいね、頑張りますから」


 背伸びの高さははるかに高くなっていた。それでも、アイリ・コッコがすっかり変わったわけではない。

 今日の舞踏会でアイリが演じようとしていたのは、人々が求めていた新大陸を象徴する淑女レディアイリ・コッコだった。それは19歳の肩にはあまりに重い役割に違いない。だからこそ、自分がそれに挑もうとしていることは、彼女の最も信用している人に理解しておいて欲しかった。


「私のできうる範囲で、お支えエスコートさせていただきますよ」


 新大陸から上流貴族が集うこのパーティでなら、必ず総督とも接触することができる。そして人に満ちたパーティの席で唯一密談ができる場所は、人の少ないダンスフロアの中に違いなかった。新大陸の象徴的女性の喝采かっさいを勝ち取れば、必ず伯爵が総督との一曲を推薦すいせんするだろう。そうなれば、総督も断るわけにはいかない。


 いま特別認証問題を解決できるのは、最高の淑女レディだけなのだ。


 アイリは握った手を緩める。そして大佐に代わって扉を押し開き、大きく外の空気を吸う。目を開けば、心の中でが目覚める。


 晴れ晴れとした覚悟の表情は、陽に照らされて眩しかった。


「では参りましょう、大佐。私の舞踏会へ」


 ◇◇◇


 そして物語はあの瞬間にたどり着く。


 新女性ミセス・コッコの鮮烈せんれつなる登場に。


 ミステリアスでエレガントな新しい女性像を目撃した人々は、王国の新時代をそこに見いだしていた。

 言うなれば、新女性という概念にじつを与えたのである。その会場にいた全ての人は、これからさき三つの性別について考えることになる。男性、女性、そして新女性、はばからずに言えば、それはミセス・コッコという新たなカテゴリーだった。


 二人は拍手の中で退場し、その熱狂の中に伯爵夫妻が踊り始める。

 伯爵夫妻にとってそれは幸福な時間だった。胸踊る青春時代のような煌めきに満ち満ちたこの空気こそ、閉塞した貴族社会から抜け出した二人が本当に求めたものであり、伯爵夫人がその愛する夫に感じさせてあげたいものだったのだから。


「大佐、少しよろしくって? 私、ご挨拶しないといけない方が」


「ご一緒しなくともよろしいので?」


 アイリは手招きして顔をよらせて、耳打ちする。


「財務の臨時所長が男なら、大佐は口利きなさらないはずよ」


 はっきりそれとわかる心配を向けられ、アイリは安心させようと微笑む。おそらく大佐は今からアイリが上流貴族たちのもとへ順に挨拶するつもりだとわかっているのだろう。


「とはいえ、こうした席で女性が一人でいらっしゃっては……」


「あら、お分かりじゃないのかしら? 私はもう誰もが認める女性でしてよ、大佐」


 余裕綽々の態度は、今はアイリの側にあった。いたずらな誘うような微笑みを残して、アイリは身を翻して大佐の手を離れる。


(大丈夫そうだ)


 以前部下にそう伝えたときよりも、その言葉の意味ははるかに大きくなっていた。

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