ニュー・サルマント魔材鉱

もうすぐ会えるのね

———親愛なるソフィア・リュティへ


 新大陸にも同じ冬が来るものでしょうか。大陸をまたぐ時候の挨拶というのも、難しいものですね。


 こちらフロランシエには今年初めての雪が降り、農夫たちの収穫期の終わりをなげく吐息を集めたような低い雲に覆われております。しかしそうした雲の切れ間から注ぐ光の筋は美しく、同じ光を新大陸でも見ていたらと願うところです。


 さてソフィア、無事に新大陸に到着したとのこと、まずは安心しました。新大陸の賑わいに目移りして、しばらくは手紙どころではないのではないかとも案じていたけど、新しい土地でもこうして手紙を寄せてくれたこと、ほんとうに嬉しく思うよ。それに、そちらでの生活の様子も聞けてよかった。


 なによりもまず、辛い船旅に耐えたこと、よく頑張ったと思う。こうも苦しい船旅に分かたれれば会いにゆくこともできないと嘆いていたけど、そのときには僕の方が船に乗るから安心して待っていておくれ。


 それから、屋敷からの美しい景色! 君の言葉のおかげで目に浮かぶようだったよ。馬に乗って駆ければ、きっと清々しい風に胸も踊ることだろうね。新大陸にはどこまでも続く大地があると聞いていましたが、その広々とした大地が農地に変わってしまう前に、是非ともこの目でも見てみたいものです。


 そしてソフィア。実は、この手紙に乗せて運ぶのは素晴らしい知らせなんだ。


 この手紙が届く頃には、僕もヒエタミエス港に着くんじゃないかと思う。父上が同じように新大陸に土地を買って、僕にしばらくそこで過ごすようにと命じたんだ。まぁいつものやつだけど、今回ばかりは少しは感謝の気持ちもある。


 なんといっても、君に会いにいくことができるんだからね。


 そういうわけでソフィア。この手紙を読んだら、次の返事はまだ書かないでおいてくれ。直接君の口から聞くことにするよ。


 それから、僕の屋敷にはまだ読んでいなかった本を持っていくことにした。読みたいものがあったらいつでも訪ねておくれ。君が親しくしていたイェレナも一緒だ。君に会いたがっていたよ。


 手紙は短くなってしまうけど、残りは直接話そう。なんならフロランシエにいた頃よりも、気軽に会いにいけるはずだから。


 では、また。


あなたの

マティアス・サルマント


 ◇◇◇


 手紙を読み終えたソフィアは、窓の外に広がる大平原に変わらぬ美しさを覚えた。しかしその口から始めに漏れたのは、やはり冬の曇り空に立ち上る溜息ためいきだった。


 整った金髪にリボンを結び、青の瞳は透き通っている。くるみのテーブルの上には蜂蜜につけたリンゴを乗せた紅茶があった。ポットを抱えたままの女性の召使いは、その目尻にただよう物悲しさに大陸を隔てた愛の苦難を誤解している。


 恋人が新大陸にやって来ると知っても、不思議とソフィアの心は踊ってはいなかった。もちろん、嬉しくないと言えば嘘になる。

 しかしマティアスが内心でそのことを喜んでいないことが、文面に感じられたのだ。それは両親がマティアスとの婚姻を決めたときからもう6年にもなる付き合いがなければ感じられないことだったかもしれない。

 どこかで読んだことのある時候の挨拶。楽しげに書かれている領地の散歩や景観への興奮も、マティアスその人が滅多に窓を見ない人物だと知っていれば、何か手紙の中でだけは別人のように振舞っているような奇妙さに不安を抱かされる。


 これほど本人と異なる文面にも関わらず、到底とうてい代筆とは思われないその筆致が、なおさらソフィアの気を重くしていた。


「お嬢様、マティアス様からはなんと?」


 笑みのない物憂げな横顔に、召使いは恐る恐る尋ねる。


「新大陸にいらっしゃるんですって。サルマント様のお屋敷とお噂は聞いていたから、もしやと思っていましたけど」


 召使いはわざとらしく両手を合わせて高い声をあげた。


「まあ! それは素敵なお話じゃありませんか、お嬢様!」


 その姿を見て、ソフィアはようやく自分が取るべき態度を思い出す。


「そうね、嬉しすぎて呆然としてしまったわ。マティアスに会えるのよ、ロッタ!」


 その笑顔を可憐と言わない者は世界に一人もいないだろう。王国でも随一の権力を持つ辺境伯サルマントの子息の許婚いいなずけとして、彼女ほどふさわしい者はいなかった。


「あんまり不安な顔をなさるから何かあったのかと心配しましたわ……あっ、まさかマティアス様も他の方々のように新大陸でお乱れになるやもとご心配に?」


 マティアスのように、若い貴族の子息が領地経営を学んだり、爵位しゃくいを得る前の余暇として新大陸を訪れることは多かった。新大陸は王国のしきたりと監視の外にあり、満ちあふれる若さの渇望かつぼうを満たすには格好の場だった。

 まったく貞淑ていしゅくなソフィアでさえも、自分と同年代の女性たちが陰ながら複数の男性と関係を結んでいるという噂を耳にしていた。真面目で出不精のマティアスに限ってそういうことはないと信じてはいるが、新大陸の空気が若者を豹変ひょうへんさせるのもまた事実ではある。


「いえ、そのようなことは。本当に驚いてしまっただけよ」


 コロコロと鈴を鳴らすように微笑むと、その表情に召使いのロッタは胸をなでおろす。


 その作り笑顔の裏で、ソフィアはマティアスが抱いている不満の正体をはっきりとわかっていた。そしてそれは、そういう放蕩ほうとうな若い貴族たちと同列に並べられるということではない。


 むしろ今回も、それは彼の父親、ほかならぬ辺境伯サルマントとの関係こそがマティアスを苦しめているに違いなかった。たとえばこの文面を見る限り、屋敷の建設は前から始まっていたのに、新大陸行きがマティアスに伝えられたのはほんの20日ほど前ということになる。おそらくはマティアスには選ぶ権利すらなかったのだろう。ただ気づけば新大陸へ渡ることにに違いない。

 そこで待っているのは自分の知らぬ間に建てられた屋敷と、勝手に与えられた領地と、いつの間にか決まっていた許婚だ。そういうことが重なり続ける人生に、マティアスはずっとわだかまりを抱き続けている。


 マティアスと恋文を交わし、しばしば逢瀬おうせを重ねてきたソフィアにとって、彼が隠そうとするそのわだかまりは、会うたびに心にチクリと痛みを残す小さなトゲとなっていた。


 もしマティアスがソフィアに対して愛情を抱いていなかったなら、それも気にはならなかったのかもしれない。しかしマティアスとソフィアの間には、互いに対する明らかな慕情ぼじょうがあった。しかし両親が決めた婚約という関係が、その不安と苦しみを互いに触れられないトゲにまで変えてしまっていたのだ。


 だからソフィアがその手紙を読んだときに抱いたのは、喜びというより不安だった。


 ソフィアの願うのは、このまま何事もなくその小さなトゲが消えてゆくことだった。そして愛しいマティアスと結ばれ、新大陸で穏やかに二人の領地を望みながら生活できること。それ以上を望んではいなかった。


 しかし祈りを聞き届ける空にはにごった雲が垂れ込めて、マティアスのいう美しい光の筋は差し込んではいないようだった。


「もうすぐ会えるのね」


 甘い紅茶を口にしてそう微笑むソフィアの横顔は、ロッタの目にさえも屈託くったくのない笑みに見えたかもしれない。しかしその可愛らしい笑顔の裏側で、その心はチクリと痛んでいた。

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