ずいぶんなお屋敷ですこと

 御者が緊張の面持ちを見せるのもやむを得ないことだった。大平原でカタカタと音を立てて、なぜついたのかもわからない轍に沿ってただ一台だけが走っている。

 その客は栗毛の貴婦人ただひとり。払いのいいこの女性を乗せるのは10度目を超えるが、いまだ名乗られたことはない。しかし独特の仕立てのスカートに帽子と見れば、それが噂の新女性ミセス・コッコであるのは明らかだった。


「このわだちの先に本当にあるんです?」


 小窓を振り返って大声で呼びかける。そうぶっきらぼうに呼びかけでもしなければ、その様はさながら未亡人との逃避行である。家で待つ妻のことを思えば、あまりかんばしい状況とも言えなかった。


「ええ。ここもサルマント様のご領地ですわ」

「こんな何もないところがですか?」


 いぶかしがる首を前に戻すと、わだちの先に何か尖塔せんとうめいた建造物が姿を現した。


「あやぁ……」


 御者は丘の陰から姿を現したその屋敷に舌を巻いた。新大陸には珍しい3階建ての白壁に緑の屋根を備えたその屋敷は、相当な富豪の邸宅と見えた。


「まるでハルダウンですわね」

「は……はる?」


「本国では知らぬ者のいない方ですのよ、辺境伯サルマント様は。とはいえ、こちらにいらっしゃるのはそのご子息と伺っていますけれど」


「へぇぁ〜……これはお城か何かで?」


 近づくにつれ、御者はその屋敷の広さにも肝を抜かされた。ヒエタミエス港で見た大型船に引けを取らない。自分の家を10は入れられそうなその邸宅に、いよいよ新大陸もまた貴族社会に沈むのかと口を曲げる。


「荒くれ者ばかりの新大陸で息子を守ろうというんですから、まぁ……そういうものかもしれませんわね」


 ミセスの姿は見えなかったが、肩をすくめたような物言いだったことはよくわかった。


 馬車がその門にたどり着くと、すぐに傭兵が門を開く。

 手入れが行き届いた庭を過ぎると、屋根付きのエントランスに物憂げな青年が一人立っている。馬車はその青年の待つ扉の前に静かに停まる。


「ありがとう。忘れ物を確かめておいてくださる?」


 アイリはずいぶん弾んだチップを座席に残して、御者の開いた扉から歩み出た。


「ご機嫌きげんうるわしゅう、サルマント様」


 踏み台から降りても、青年は迎えのためにアイリのもとに歩み寄ることはなかった。やむなくスカートをつまんで小さく振り、頭を下げる。


「ようこそ。歓迎します、ミズ……」

「ミセス・コッコ。名をつけずにミセスと呼んでいただけると」


 青年の顔には戸惑いが見て取れた。予期せぬ出迎えの態度に、アイリも内心首をかしげる。むろん、が首をかしげることはないのだが。


「おそらく、父上でしょうな」

「はい?」

「いえ。こちらの話で。申し訳ありませんが、どういう事情でこちらに来たのか、中で説明いただけますか?」


「はい……」


 青年はようやくアイリの手を要求した。召使いたちがアイリに代わって測量機器を運び入れる。


「あ、荷物は……」

「構いません、部屋はいくらでもありますし、それだけのお荷物なら当面ご滞在なさるのでしょう?」


 エントランスから中に入ると、アイリの知らぬ世界が広がっていた。大きな吹き抜けのホールには磨かれた石灰岩の階段が光り、その中央にサルマント辺境伯の大きな肖像画しょうぞうがが飾られている。左右にはアーチ状の装飾のついた柱の間から、長い廊下が続いている。背後と正面の大きな窓には外からの灯りが差し込み、天井にはその装飾を見せるためなのか、王冠型のシャンデリアに火がともされていた。


「なんとまあ……」

「父の趣味なのです。さ、こちらへ」


 当のサルマント青年はといえば、恐らくは名のある画家や彫刻家によるそれらの作品を一瞥いちべつだにしない。名残惜しくそれらを見ようと体をひねったアイリの口は開いていたが、幸いその姿を見た者はなかった。

 進んだ廊下のすぐそこで、召使が扉を開く。


「何か好みのものがありますか?」

「いえ、お気遣いなく。客人というわけでもございませんの」


 座るよう促されたテーブルは、木材の机とはわかったが、細工が施されて色も塗られている。それだけでくるみの木目がむき出しだった副総督の部屋よりよほど豪勢ごうせいであることは知れた。

 椅子の一つに座ると、そこに敷かれたクッションは柔らかく、馬車の揺れに痛んでいたアイリの尻を柔らかく包む。


「客人でもないというのは?」

「私、財務局から派遣されました、測量士のアイリ・コッコと申します」


「財務? なるほど。では徴税ちょうぜいの件ですか?」


 召使いが机の脇に現れ、ワインを一つ示す。


「仕事の話のようですが」

「かしこまりました」


 青年のはっきりしない言葉を聞いただけで、召使いの男性は頭を下げて静かに下がる。ワイン以外のものでもてなすことに決めたらしい。


「禁欲的でいらっしゃるのですね」

「そうでしょうか?」

「はい。こちらでは仕事中にもお酒をお飲みになる方もいらっしゃいます」

「ではそちらに?」

「いえ。当主様のお好きな方を」


 青年はそう言われると口を閉じた。少し思案したが、これといって声を出すこともなく、ただ「それで?」と尋ねた。


「サルマント辺境伯からのご依頼で、御領地の地質調査をと申しつかりました」


 辺境伯は伯爵より一つ上の地位に当たる。旧カルッティアラ王国領の周辺に広大な土地を与えられ、その軍事統帥権を含む強大な権限を有している。いわば地方の管理を任せられた、小総督のようなものだ。


「地質調査ですか。何を探せと?」


 アイリは立て続けの質問にようやくこの青年の置かれた立場を理解し始めていた。つまりは父親の駒として使われるばかりで、この屋敷にも望んで住んでいるわけではないのだろう。


「魔原石の鉱脈です」

「……本当にこの辺りに?」


 魔原石は火山噴出物が凝塊した地層にしばしば産出される緑色の鉱石だった。火山岩を化学的に取り除いて純度を高めたあと、国家機密の方法で魔材火薬に加工される。少し湿った粉のようなそれは、反応性の高い銀で突けば炸裂し、砲弾や弾丸を飛ばすのに使われている。

 実はアイリも魔材火薬を一包み持っている。荷物の中にしまってある歯車式の銃と一緒に保管されているが、それを使うことがないように祈り続けていた。


「それを調べます」

「なるほど。……ご滞在はどれほど?」


「御領地の広さもわかりませんけれど、これより10日ほどを予定しております。本土との手紙の遅れで突然の来訪となったことは、私からもお詫び申し上げますわ」


「いえ、それについてはよくあることなのです。父上によく言っておきます。私はまだしも、客人に失礼があっては困ります、と……とはいえ」


 そこまで応じると、召使が紅茶を差し出し、アイリは軽く会釈を返した。馬車の長旅を終えてすぐにでも飲みたい気分だったが、ミセスという気取った立場の都合、少しだけ間をおくことにした。それにしても、あまりに香り高い紅茶にアイリは目移りしてしまう。


「そういうことならわかりました。警護や手伝いは必要ですか?」


「このあたりで魔獣や野盗の噂はありまして?」


「今のところございませんが、もし鉱脈があるならいてしかるべきでしょう」


 窓の外に広がる見通しのよい大平原には、のどかにも牛や馬がちらほらと見えるばかりだった。これほどのどかな土地に魔獣が現れれば、その地平の先に現れたその時には存在に気づくことができるだろう。


「では念のため若干名ほどいただけると助かりますわ。地平を見張っていればじゅうぶん間に合うでしょうから」


「ではそのように申しつけておきます」


 サルマント青年はそのまま席を立った。アイリも慌てて立ち上がったが、押しとどめるようなハンドサインをして、青年はそのまま出ていってしまった。


「ごゆるりとお過ごしください。ティーフーズをお持ちしましょうか?」


 老召使いがすかさずアイリに声をかける。どうやら客のもてなしを担当しているらしい。


「いえ。これを頂いたら、お部屋に案内いただけるかしら?」


「かしこまりました」


 老召使いは再び静かに下がる。美しい調度と窓から見るのどかな景色、背後に控える敏腕の老召使い……。


(お姫様になったみたい!)


 アイリは危うく口に出しそうになった言葉を胸にしまう。


 内心はそんな調子であっても、その姿は美しい淑女レディに違いなかった。アイリは背筋を伸ばしてティーカップを手に取り、窓の外を何か思わしげに眺めながらそれを口に運ぶ。もちろん、その光景に三角網を描きながら。

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