第17話 母よ、ほどほどに。

 優雅な足取りで樹の陰から現れたジュリオの母・エルシーリア。

 長い銀髪は暗い森の中でも輝いて見え、スラリと長い腕にはあまりにもゴツすぎる弓が携えられている。


 見た目はどう見積もっても20代半ばの美人母は、その涼しげな外見に合わないキャピキャピした調子でダンテたちに近寄った。


「も~!ダンテ君ってば、いつになったら『お母さん』って呼んでくれるの?なんなら『ママ』でもいいのに~」

「や、そう呼ぶにはちょいと抵抗が……」

「かーちゃん、ダンテに変なちょっかい出すのヤメテ。俺見てらんない」

「なによ、いいじゃないの~。ね~?」


 そう言って頭を撫でるエルシーリアに対し、ダンテは「ははは」と愛想笑いだけ返しておいた。

 久しぶりに息子2人に会えてご機嫌なエルシーリアは、そのテンションのままハイリーに笑顔を向ける。


「で、そちらの綺麗なお嬢さんは?どっちの彼女さんなのかしら~?」

「「「彼女だなんてとんでもない」」」


 3人は今まで以上に心を一つにして、いたって冷静に反論した。

 キリッと凛々しく表情を整え、ハイリーは一歩前へ出る。


「はじめまして。私はハイリー・ライアンズと申します。今代の勇者として、彼らと共に旅をしている最中でございます」

「どうも息子たちがお世話になってます~。勇者だなんてあなたも大変ね~」

「えっ?あ、はい、そうですね……??」


 まるで「今日は雨だね」と言うような軽い調子で労われ、返事に困るハイリー。

 今までは勇者と名乗った瞬間に歓声を浴びたり、握手を求められたり、時には地に伏せて祈り始める人もいたため、エルシーリアの反応は彼女にとって予想外の軽さであった。


 困惑するハイリーとマイペースに微笑む母を見かねたジュリオが、呆れた調子で腕を組む。


「……で?かーちゃんは何でここにいるんだよ。村はもう少し先だろ?」

「ああ、そうそう。私はちょっと迷子を探しにね……ラウラちゃん!」


 諭すようにエルシーリアに呼ばれ、ずっとジュリオの後ろに隠れていた少女がおずおずと顔を出した。


「ぅう、ごめんなさい……」

「森の奥へ入っちゃダメって言われてたでしょう?お姉ちゃんもお母さんも、みんな心配してたんだから」

「ごめんなさい」


 二度目はきちんとエルシーリアの顔を見て謝った少女は、クルリと振り向きダンテたちに頭を下げる。


「お姉ちゃんたちも、ごめんなさい。ラウラのことお猿さんから守ってくれたり、怪我を治したりしてくれてありがとう」

「どういたしまして、ラウラさん」


 しゃがんで目線を合わせたハイリーが優しく微笑み、ラウラに手を伸ばしたところで


 ぐぎゅるるるるるぅ~~~っ


 それまで大人しくしていた腹の虫が盛大な鳴き声を上げ、しばしの沈黙を作り出した。虫の主である勇者ハイリーは顔を真っ赤にして汗をかき、笑顔のまま固まっている。

 呆れた様子を隠しもしないジュリオの声が、沈黙を破った。


「……飯にするかー」


 ◆


「……というわけで、俺たちはここまで来たんだけど」

「ジュリオ、あんた本当に料理上手になったわね~」


 空になったスープ皿を抱えて、エルシーリアはカラカラと軽快に笑った。


「エルシーリアさん、話聞いてる?」

「ちゃ~んと聞いてますよ。全部ね!……うん、ちゃんと全部ね」


 笑顔が徐々に沈み、寂しげな表情になる。

 その様子から、彼女が努めて明るく振る舞おうとしていたことがわかった。

 しばらくの間、第二の故郷に思いを馳せ、悲しみを静かに受け入れていた様子のエルシーリア。やがて彼女はポツリと、皿の底の水滴に向かって、いろんな感情を込めて呟いた。


「そっか。ミルティーユ村が、ね」

「……まー、祭りが終わる頃までには村も回復してるだろうし。かーちゃんは安心して祭りの手伝いに専念してていいよ」

「うん。ありがとね、ジュリオ」


 母親に対する照れ隠しなのだろうか、ジュリオは黙って空の食器を集め始める。

 カチャカチャと鳴る洗い物の音を背に、ダンテは隣にちょこんと座るラウラへ話しかけた。


「なあ、ラウラはどうしてあんな森の中にいたんだ?」


 ラウラは自分の爪先を見つめながら、モジモジした様子で小さな声を発した。


「えっとね。お姉ちゃんと一緒に、お祭りに使う薬草やお花を探してて、でも気がついたら森に入っちゃってたの」

「お姉さんがいるのか」

「うん。お姉ちゃんはルチアっていうの」

「そうそう。ルチアちゃんも本当に心配してたのよ。真っ青になって走ってきて『妹がいない!』って大声で騒ぐから、だから私や森に慣れている大人何人かで捜索にでたのよ~」


 エルシーリアの言葉を聞いて、ラウラの表情が叱られた子犬のように潤んだ。


「ぅう~、お姉ちゃんにもごめんなさいってしなきゃ」

「そうだな。お姉さんを安心させないとな」


 そう言ってダンテが頭を撫でると、ラウラはくすぐったそうにはにかみ、ダンテのローブを軽く掴んだ。

 その様子を微笑ましく見守りながら、エルシーリアが心から安堵したような口調で話す。


「しかも、ここ数ヶ月で何度か砂猿の目撃例があったからね、ヒヤヒヤしたわ~。あなたたちが近くにいて本当に良かった」

「砂猿は、昔から森にいたわけではないのですか?」


 ハイリーからの問いに答えたのは、片付けを終えたジュリオであった。

 彼は濡れた手を拭きつつ、豊富な知識の倉庫から必要な情報を取り出した。


「そもそも砂猿って、本来は海沿いに暮らしているはずなんだよ。ほら、やつら毛の色が砂の色だっただろ?」

「じゃあ近隣でいうと……エクリアル町から来た、ということですか?」

「たぶん、そう」

「ではなぜ、こんな森の中に……?」

「それがわからなくて困っているのよ~」


 頬に手を当てため息を吐くエルシーリア。

 その様子を見ながらラウラを膝に乗せていたダンテが、呑気な調子で口を挟んだ。


「でも、まあ。さっきでっかいボス猿は退治したし」

「あれはボスじゃないわよ」

「「「えっ」」」


 ダンテたち3人が声を揃えて驚き、膝上のラウラは僅かに体を震わせた。


「あれはただのでかい猿。本当のボスはね、鼻筋に傷があるの。私たちは『傷アリ』って呼んでいるわ」

「倒したと思ったのに、まだ猿いるのか」

「私の弓くらいで死ぬような猿が、ボスになれるわけないじゃないの~」


 弓の弦をビンッと弾き微笑むエルシーリアの目は、狩人のごとき鋭い光を宿している。

 その目を見てダンテは思い出した。モリスとエルシーリアは毛皮や角などの売買がきっかけで出会ったのだと。

 美しき狩人は話を続ける。


「私たちも何度もボスを討伐しようとしているけれど、上手くいかなくてね」

「森に慣れている皆様でも、ですか?」

「雑魚猿は欠伸してても打ち落とせるけど、流石にボスはね~。伊達に群れを統率してないわ。賢いもの。ああもう、ズドンとければいいのに」


 エルシーリアが可憐なため息を吐き出し、弓を握りしめる。

 そこからは村人としての苦悩と、狩人としての悔しさが滲み出ていた。


「ボスが無理なら、地道に雑魚猿を減らしていくしかないんじゃないか?」

「ダンテ君の言うとおり、時間をかけて減らすことはできるわね。でも早いこと討伐しないと、危険でみんな森に入れないし、森に入れないとお祭りの準備が遅れちゃうし……」


「私たちが何とかしましょう!!!」


 ハイリーの大音量宣言に、ダンテたちは耳を塞ぎ、ラウラは驚いて転がり、森の鳥たちは慌てて飛び去った。

 人助けという使命感に瞳を輝かせたハイリーは、エルシーリアの手を握り、顔を近づけ、力強く頷いて見せた。


「困っている人を助けるのも、勇者の役目!森での戦闘には不馴れですが、村の皆様と協力すればきっとこの状況を抜け出せることでしょう!エルシーリアさん、どうか私たちを戦力としてお使いください!!」


 太陽のごとき凛とした美少女が、涼風のごときたおやかな美女に迫る姿。

 それは見るものが見れば垂涎ものの、百合の花が咲き誇るような美しい光景であったが、ダンテとジュリオは死んだ魚のような目をしていた。

 また首を突っ込むのか。と、心の中で愚痴りながら。


 そしてエルシーリアはというと。

 ハイリーの勢いに驚き固まっていたものの、やがてゆっくりと天を見上げ、首を傾げ、たっぷり時間をかけて考えた後、こう答えたのであった。


「お気持ちはとっても嬉しいわ~。だけど、とりあえず村長へ相談しましょうか」

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