旅の序章

第16話 風よ、助けて。

「ジューリオさーんっ♪今日の昼ご飯はなーんでーすかーっ?」

「燻製鶏、酢漬け野菜、スパイス入りスープ」

「せっかくなので一緒にパンも焼きましょう!それと食後の焼き菓子もほしいです!」

「焼き菓子?え、食べるの?じゃあネルプのジャム乗せて……」

「あのさーお前らさー、頼むから食費掛かりすぎなの自覚して?」


 ご機嫌なコンビに囲まれて、ジュリオは頭を抱え深いため息を吐いた。


 グラース町を通り抜けてからおよそ2日。

 残念ながらグラース町にはマチルダの弟・ロニーの情報はなく、買い出しをしただけで終わった。

 今はシエラート村を目指し、西に向かってひたすら歩いている。


「俺の想定ではさ、12日分は買ったんよ。肉から野菜から、ちょっとしたおやつまでバランス考えて安く大量に!なのに何でもう5日分しかないのかな!?」

「そんなこと言われても腹は減るし」

「ジュリオさんのご飯が予想外に美味しくてですね……」


 すっかり胃袋を掴まれた2人は、子犬のように目を潤ませてジュリオを見つめる。

 実際は2人ともジュリオより大きいので、子犬は子犬でも大型犬の子犬だが。


「だからって食べ終わった矢先におかわりおかわりって……せめて手伝え!」

「「はーい」」


 クルリと背を向けブツブツ言いながら、ジュリオはようやく昼食の用意を始めた。

 鞄から次々と食材を取り出し、迷いのない手捌きで切っていく。細かく均一に刻まれる食材を見て、ダンテは感心したように呟いた。


「ほんと器用だよな、お前」

「言ってるヒマあったら手伝えー」

「お手伝いと言われましても、えーと……いったい何をすればいいのでしょうか?」

「えー……それくらい自分で考えて?」


 呆れたような声を上げつつ、調理するその手は止まらない。


「あーもう。ハイリーは焚き火用の枝とか拾ってきて。ダンテはここら辺キレイにして」

「承知しました!」

「へいへい」

「いつもやってんだから、言われる前にやってほしいんだがなー」


 ジュリオの愚痴を背に、足取り軽くハイリーは森の中へ入り、ダンテは魔法で落ち葉を集めたり、魔方陣を描いたりし始めた。


「なんか俺たち、ハイリーにお願い事するのも慣れたな」

「まー、本人があんな感じだしなー」

「しかし一国の王女様が枝拾いって」

「しかも選ばれし勇者様だしなー」


 などと会話しながら、そこら辺に落ちていた枝で地面に大きな円を描いていくダンテ。ガリガリと音を立て作り上げるのは、結界の魔方陣だ。

 虫や砂ぼこり防止のためだけでなく、食事の匂いに釣られた獣が来ないよう、野営の際には必ず結界を張る。旅人の常識である。


「ま、勇者だから女子でも安心して森に行かせられるってのは利点か」

「俺たちの中で一番強いからなー。腕力だけなら」

「やっぱあいつ聖剣いらねぇよ。あ、魔方陣できたぞ」

「了解。確かにあいつお前のち◯こ握り潰しそうだしな」

「ジュリオっ!!!」


 勢い余ってダンテの手の中にあった枝が握り折られた。

 ゲラゲラと笑いながら、ジュリオは刻んだ食材を持ち、魔方陣の中へ移動する。


「お前マジで言い方なんとかしろ」

「おー、スマンな」


 適当な返事に不満気なダンテが、渋々魔方陣に魔力を流す。すると地面がフワッと柔かな風を吐き出し、春の新緑のような爽やかな空気が辺りを満たした。

 柔かな光を放つ結界が機能したのを確認し、続いて火の魔方陣を描き始めるダンテ。

 ところが描き始めてから間もなく、森の中から微かに悲鳴が聞こえてきた。

 ジュリオも包丁を持つ手をピタリと止め、顔を上げる。


「ダンテ、今の」

「聞こえた。ハイリーの声ではないと思うけど。……一応確認しに行くか?」

「何かあったら困るしな。一応王女様だし」


 2人は顔を見合わせ頷き合うと、森の中へと足を踏み入れた。


 濃い湿った土の匂いに、絡み合う植物。名も知らぬキノコが群生する森を、奥へ奥へと進む。

 汚れるローブの裾を気にしながら歩くダンテの耳に、再び声が聞こえた。そして金属音と、轟く獣の唸り声も。


「ジュリオ、こっち!」

「今行く!」


 少し離れていた所を捜索していたジュリオに声を掛け、ダンテは足早に進む。

 走ること数分。見えてきたのは細く狭い獣道。


 そこへ足を踏み入れた瞬間、排泄物めいた獣の体臭が鼻を襲った。


 そこにいたのは、数十匹に及ぶ砂猿サンドモンキーの群れ。

 その群れと相対するハイリーと、蹲って震えている少女。

 短剣を構えたハイリーの周囲には砂猿の死骸がいくつも転がり、赤黒い臓器がぬらぬらと光っている。


 一方、砂猿の群れは獣道で、樹の上で、歯を剥き出し、跳びはね、少女2人を威嚇していた。

 一匹一匹は大したことないが、その数の多さは脅威であり、厄介である。薄茶色の毛皮が薄暗い森の中で蠢き、まるで砂嵐のように獲物をグルグルと囲う。


 襲いかかってきた3匹を叩きつけるように切り捨て、血で顔を汚したハイリーが声を上げた。


「この方は足を怪我して動けません!猿は私が何とかしますので彼女を!」


 どうやら既にダンテたちの存在に気が付いていたようだ。その言葉を受け、ダンテたちはハイリーの背後へ回り込み、震える少女のもとへ駆けつける。


「大丈夫?動けそうか?」


 ダンテが声をかけたが、少女は泣きじゃくるばかりで返事はなかった。

 蒼みがかった銀髪を土で汚し、涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃだ。緑色のワンピースから覗く足は靴が片方脱げて、くっきりと赤黒い歯形がついている。


「うわー、結構がっつりいってるな」

「ジュリオ、お前一人でこの子連れて脱出できそうか?」

「相手が5~6匹なら行けただろうけど、この数はなー……」


 難しい顔をするジュリオの肩を叩き、ダンテは立ち上がる。


「じゃあ俺とハイリーで猿は何とかするから、その子の治療を」

「りょーかい」


 すぐに柔かな音程の古代言語が耳をくすぐり、ジュリオの詠唱魔術が展開される。

 略式詠唱ではなく、より効果の高い旧式詠唱を使うあたりに、早く治療してこの場を脱しようという彼の意図が感じられる。


 一方のダンテは、敵対する砂猿へと意識を向けていた。

 30匹、いや40匹はいるだろうか。

 毛色が薄いお陰で見つけるのは簡単だが、すばしっこくなかなか狙いがつけられない。


「くっそ鬱陶しいな!風槍ランスデュヴァントっ!」


 細く鋭い槍となった風が飛び出し、砂猿1匹と樹木に突き刺さる。

 密集するように生えた樹々に邪魔されて、思うように攻撃できない。

 ハイリーも同様で、積極的に仕掛けてはいるものの、一気に仕留めることができないでいた。


 身軽な砂猿たちは、集団で襲いかかっては逃げるのを繰り返し、ジリジリとダメージを与え、獲物を弱らせていく。

 決定打を与えられない状況に苛立ちながらも交戦を続け、どれ程経過しただろうか。


 突如、砂猿たちの様子がおかしくなり始めた。


 猿同士の連携が乱れていき、鳴き声ばかりが激しくなる。それも威嚇の鳴き声ではなく、怯えるような、慌てるような、落ち着きのない鳴き声だ。


「……なんだ?どうしたんだコイツら」

「ダンテ、前!」


 少女を抱きしめたジュリオが前方を指差した。ダンテとハイリーはその指先を辿る。


 目線の先に、一際大きな砂猿が、悠々とこちらへ近づいて来ていた。


 巨体を揺らし、鼻息を荒げ、歪んだ口からは蛇のように鋭い牙が飛び出している。

 あまりの風格に、周囲にいた砂猿は悲鳴を上げて森の奥へと逃げていった。

 そんな雑魚のことなど気にも掛けず、大きな砂猿は真っ直ぐにこちらを見つめている。


「ギャギャギャッ!!」


 金属が擦れるような不快な鳴き声。

 青紫の舌で舌舐めずりをし、欲に満ちた目がハイリーを捕らえた。


「ひいっ!」


 ハイリーが体を抱きしめ震え上がる。


「な、な、なぜだか今とても嫌な感じがしましたっ!!」

「あのボス猿っぽいやつ、絶対ハイリーのこと見てたよな」

「お前、獣を引き寄せる体質なの?」


 ジュリオが疑問に思う間にも、ボス猿はジリジリと距離を詰めてくる。

 戦わなくては。そう思った戦闘用員2人は、迎え撃とうとしてわちゃわちゃしてしまう。


「お前、前出るなって!なんか狙われてんだから!」

「しかし魔術が不得意な私が後ろにいても何もできないので!私が前に出ませんと!」


 そうしてポジショニングで騒いでいる時のことだった。


 ボス猿の動きが止まった。


 そのままゆっくりと傾き、重たい音とともに地面に伏した胴体。後頭部には、深々と矢が突き刺さっている。

 一発でボス猿を絶命に追い込んだ武器を見て、ジュリオが驚いたように声を上げた。


「この矢……まさか!」


 澱んだ森の中に、涼やかで清らかな泉を思わせる美声が通る。


「ジュリオ、久しぶりね。ダンテ君も」

「かーちゃん!」「エルシーリアさん!」


 煌めく長い銀髪を揺らし、『涼風の妖精』ことジュリオの母・エルシーリアが、樹の陰から現れた。

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