第13話 乙女よ、奮闘せよ

 夕食を食べ、風呂に入り、清潔な服を着てベッドに寝転がる。

 それだけのことに幸せを感じてしまうくらい、大変な2日だった。


「……ああ、まだ2日しか経ってないのか」


 宿屋の一室に、ダンテの静かな独り言が溶け込んだ。


 ダンテたちの生還はすぐに村人たちに伝わったようで、何人かが会いに来てくれた。

 中には「さすが勇者の息子だな!」という、まったく嬉しくない言葉を掛けてくれる者もいたが。

 しかし、そんなこと今はどうでもいい。ただただ気だるい眠気に身を任せ、目蓋が重くなるのを感じる。

 ふわっと気持ちよく意識を飛ばせそうになった、その時。


 ドバァンッと、凄い勢いで扉が開かれた。


 つい最近の記憶で同じような事があったな。と思いつつ、眠気も一緒に吹き飛ばされたダンテは嫌々ベッドから起き上がった。


「ハイリー。お前は静かなドアの開け方を学ぶべきだな」

「すみません、力加減が難しくて……」


 恥ずかしそうにしながら部屋に入り、近寄ってきたハイリー。


 時間は夜中。当然彼女も寝る前の姿である。

 鎧から解放された胸は大きく前に突きだし、ネグリジェの前側だけ丈が短くなってしまっていた。下ろされた金髪がしっとりと輝き、それだけで随分と印象が変わることに驚く。

 昼間の弾けるような活発な印象とは異なる、お嬢様然とした(正しくは王女様だが)ハイリーがベッドの脇に立った。


「ダンテさん、あなたに折り入ってお願いがあるのです」

「なんだよ」

「聖剣を私に譲って頂けないでしょうか」


 ダンテはじっとハイリーの顔を見つめた。

 彼女はいたって真剣で、表情に悪意や嘲笑は見てとれない。生真面目な性格から考えて、本気で言っているのは間違いない。

 しかし本気だからこそ、その言葉は厄介である。ダンテは只でさえシワの寄りがちな眉間に殊更深いシワを寄せた。


「自分の言った言葉の意味理解してるか?聖剣は俺の……体の一部なんだぞ」

「ええ、ち……体の一部であることは承知しております。でも、でも!」


 気を高ぶらせたハイリーはベッドに上がり込み、壁に手を突いてダンテの逃げ場を塞いだ。

 ダンテの視界いっぱいに、大変よく実った双丘が、くしゃみでもすれば埋まってしまいそうな近さでぶら下がる。


「勇者であることは、私の憧れであり、誇りなのです!しかし今回の戦いで、私は自分の弱さを痛感しました。だから、だから私には聖剣が必要なのです!」


 瞳を潤ませ、必死に訴えかけるハイリー。

 そんな彼女は、微動だにせず黙って押し倒されているダンテの異変など、気が付いてもいなかった。


 ダンテは大量の汗をかいていた。

 ダンテはエッチなものが苦手だった。

 それでもダンテは、年頃の男であった。


 目の前で揺れる柔らかそうな物体から目が反らせず、かといって逃げ場もなく。


「ダンテさん!お願いしま……えっ?」


 彼はただ静かに、股間を光らせた。

 うら若き女性の視線がソコに集中していることに羞恥を覚え、顔が火熊の炎並みに熱くなる。なんならちょっと泣いている。


「ちん……が、光っ……え?」

「もうお前出てけよ!」


 困惑するハイリーを突き飛ばし、素早く布団に包まる。それでもダンテの光は布団を貫通し、部屋に蝋燭の光程度の優しい明かりをもたらした。


 嫌でも反応してしまう股間に涙を流すダンテに対し、事態を理解していないハイリーは、いろんな意味で恐ろしい一言を発した。


「何が起きたのかはよくわかりませんけれど……私、諦めませんから!いつか必ず、聖剣を私のものにして見せますからね!」


 はつらつとした言葉の後、扉が力強く閉められる。

 そうして淡い光と虚しさと、憐れな青年の嗚咽だけが部屋に残った。


 ◆


 宿泊初日にそんな事件があったものの、旅の準備自体は順調に進んだ。

 そして、旅立ちの日。


「じゃあ、頼んだぞ。ジュリオ、ダンテ。そして勇者様も、お願いします」

「おー、任せとけ」

「親父さんも、村のことよろしく」

「大変お世話になりました。ここからは私たちにお任せください!」


 ガレット村の北、村の出入り口にて。

 モリスから餞別と激励の言葉を受け取り、勇者一行は旅立った。


 意気揚々と次の町を目指し、歩くこと5分。

 彼らは一人の人物と出会った。


「……あれ、マチルダ?」

「あー、ほんとだ。マチルダじゃん」

「待ってたわよダンテ……と、その他」


 ダンテよりも鮮やかな、夕焼けを思わせる赤毛に、鋭い目付き。

 スラリとした細身の体に腕を巻き付けるようにして立っていたのは、ミルティーユ村の村長の娘・マチルダだった。

 彼女はなぜかジュリオたちを睨み付けながら、ツンケンした口調で突っかかる。


「アンタたち、王様の所へ行くって言ってたけど大丈夫なわけ?特にダンテ!」

「えっ、俺?」


 名指しされたダンテが目を丸くする。


「そうよアンタよ。普段からダラダラぼーっとしてるアンタが、ちゃんと話せるの?村の名誉と復興が掛かっているんだからね?しっかりしてちょうだい!」

「お、おう……」


 圧倒されるダンテの後ろでニヤニヤしていたジュリオが、突然叫んだ。


「あ、やっべー!忘れ物した」

「はぁ?何してんだよ」

「すまんすまん。ちょっとハイリー、取りに行くの付いてきて」

「どうして私が……」

「いいからいいから。ダンテはマチルダとお話してて!じゃ!」


 そう言ってジュリオはハイリーを引き連れ、ガレット村へと戻っていった。

 去り際に何故かウインクをし、爽やかな笑顔を添えて。


 ドタバタと2人が去るのを見送りながら、ダンテがポツリと呟く。


「珍しいな、アイツが忘れ物なんて」

「……やってくれたじゃない」

「え?なんか言った?」


 振り向いたダンテと目が合った瞬間、マチルダは慌てて目を逸らした。


「なっ、なんでもないわよ!……それよりもダンテ!アンタあの女勇者とはどういう関係なの!?」

「えっ、どういう関係って……なんだろう。俺にもわからん」

「はぁ!?」


 改めて自分とハイリーとの関係に疑問を抱いたダンテ。

 友人と言えないこともないが、一応一国の王女である彼女に対して友達と言い張れる度胸はない。彼女に旅に強制連行されているので、主従とか雇用の関係とも言えるが、それは上下関係が出来てなんか腹が立つ。

 そうして考えた結果。


「た、旅仲間?」

「なんでアタシに聞いてくるのよ。まあ、旅仲間であるならそれならいいけんだど……」


 ふう、と胸を押さえてマチルダがため息を吐いた。


「アンタ、これから王様の所へ向かうんでしょ?どれくらいかかるの?」

「往復で20日くらいかなぁ。頑張ればもう少し短くなるかも」

「20日、か」


 そう呟いてしばらく足元の小石を蹴っていたマチルダ。やがて淡く頬を赤らめた彼女は顔をあげ、真っ直ぐダンテを見つめた。


「じゃあアタシは、20日間で村を最低限暮らせるくらいにまで戻して見せるわ。……別に旅から帰ってきたアンタがちゃんと休めるようにとか、そんなんじゃないけどね!アタシのお願い聞いてもらう代わりにそうするだけだからね!」

「お願い?」

「……弟を、探してほしいの」


 その言葉に、ダンテはハッとする。

 マチルダの真剣な表情に胸を痛めながら、かつて共に村で暮らした少年のことを思い出した。


「弟……、ロニーのことか」


 普段意識するわけではないが、さりとて忘れたわけでもない。


 ダンテより3歳年下のロニー。

 マチルダの弟で、姉そっくりの赤毛と、大きく真ん丸の目が印象に残っている。優しく気弱な彼は皆から可愛がられていたが、ある日突然、姿を消してしまった。

 隣村と協力して森を捜索したり、旅人に情報提供を求めたりしたが、この5年間、手懸かりは一切見つかっていない。


 一番必死に探していたマチルダは今、握り拳を震わせて、強がりを口にしている。


「別に、なんの手がかりがなくたって構わないけどね。もともとアタシが成人したら、探すための旅に出る予定だったもの。アンタはついで程度に聞いてくれればそれでいいわ」

「わかった。都市には人も多い。何か手懸かりがあるかもしれないしな」


 ダンテの真摯な答えに、マチルダの拳が緩んだ。

 ふっと優しい姉の表情を顔に浮かべ、しかし次の瞬間、深刻な表情でダンテに耳打ちする。


「お礼……になるかどうかはわからないけど。アンタに知っておいてほしいことがあるわ」

「なに?」



「今回の村の騒動に、たぶんうちの父親が絡んでる」

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