異世界転生 VS 幻想文学

 戦闘はディベート形式で行われる。

 まるで医学学会かなにかのように極めて実務的な衣装と髪型と携帯品とで自らをコーディネートする少女・少年たちのオーディエンス席から見たステージに座して居並ぶファイターたちは緊迫した面持ちで肘杖をついたり腕組んだりしていた。


『嗜好する作品のために、勝つ!』


 ロック・フェスに倣って紫涼しすずたちはテーマごとにいくつかのステージに振り分けられた。三日間に渡って開催される’Arttistic comic & novel convention.’ の、紫涼は『異世界転生作品と幻想漫画・文学とのクロスオーバーへの試み』というやや冗長なテーマ・タイトルを担うステージに配置された。趣旨はほぼタイトル通りなのだが実際は現代のマーケットやWEB投稿作品をリードする『異世界転生小説・派生メディア』のチームと『純文学系の幻想小説あるいは純文学系のファンタジー』チームとが互いが愛するジャンル・作品、言葉を間違えなければフェティシズムと言ってよいであろうそれに賭ける激情をけれども冷静クール論理的ロジカルに議論を戦わせることを戦闘の前に宣言した。


 3対3の精鋭同士の戦い。


 進行役の編集者エディターが開始を告げると最初に語り出したのは異世界転生サイドのリーダーの少年だった。


「エイジと言います。自分でも異世界転生の小説を投稿してますけど今日は読者として思いの丈をぶつけさせていただきます。はっきり言おう。異世界転生は小説の未来だ!」


 オーディエンスから、ほおっ、という抑えた感嘆の声が上がる。


「僕は現在高校生で学校の生活はまあこんなもんだと言うぐらいの淡々とした日々です。それほど大きな不満があるわけでもない。でもあるでしょう? 死にたくなる瞬間が」


 エイジの論旨は明快で聴くやはり少女・少年たちの心に即座に入り込んだと思われる。彼は決して異世界転生は現実逃避の心象のみではなく真剣に現実と向き合うからこそ挫折と苦悩に対処するために必要なプロセスだとプレゼンとしては百点満点の構成で語った。感情を交えて強調するべきは強調するという部分も、それは決して演出などではなく、彼の心からの小説への愛情だと会場の誰もが理解した。


 エイジの発言を皮切りに双方での議論が熱く淡々と遣り取りされた。

 序盤戦の大まかな流れとしては異世界転生サイドがマーケットに流通する作品・WEB投稿を中心とした作品問わず量も質も実数に裏打ちされた展開となり幻想文学サイドは受けに回るシーンが多いという印象を会場全体に与えた。

 苦戦だった。


 紫涼は挙手し発言を求めた。彼女の言葉は古い過去から吹いてきた風のようなイメージを全員に共有させた。


「わたしは内田百閒が好きです。百閒の随筆を読んでいると思わず笑ってしまうんです。本当に吹き出してしまうんです」


 彼女は今、主役だった。

 少女の姿を味方につけて伊達ではない近眼のメガネを、ちゃっ、と外した。

 多少視界がボヤけても裸眼の肉眼で会場を見据えたいという意思を明確にした。


「百間の随筆はまるで現実の実生活に時間も場所も委細かまわず異世界が捩じ込まれるようなそういう描写です。けれどもそれは単なる描写ではなくって、本当に百閒の脳内でそういうことが起こっていたんだろうと思います。そして自分の脳内の、現代で言えば妄想と言われることを文章として世の中の数多生きる人間たちに異世界の如く捩じ込みなおす。わたしはこんな光景を思い出すんです」


 紫涼はペットボトルのキャップを開け、紅茶フレーバーの香る無糖の炭酸水をこくこくと二度喉を鳴らして飲んだ。


「中学生の頃にも一度東京に来たことがあります。やっぱり夏休み。大学に通い東京で一人暮らししていた姉のアパートに押し掛けて東京観光するつもりがなぜか高尾山に連れて行かれました」


 ふふっ、と笑う声が聞こえる。


「確か中央線か何かに乗ったんだと思います。山へ入るための終点の駅はそこで線路が終わってて、当たり前ですけど山が見えました。そこからどう歩いたのかよく覚えてませんけれども大きな石がごろごろする河原を歩いたり、お昼はその大きな石に姉と二人で腰掛けてコンビニで買っておいたおにぎりとサイダーを飲んだり。ちょっと学校で孤立したりもしている時期だったので姉と過ごした山での時間が本当に異世界のように癒された気がしたんです」


 本当の学会のようにギャラリー席が静寂に包まれる。咳払いもないことからクラシックコンサートのようであるとも言える。


「でも、それは夕方に下山してまた駅のホームに出た時でした。ホームの端から今度は夕日が差すその山のシルエットと木がずらっと立っている緑の空間を平地から見て分かってしまったんです。もし今から夜になってあの場所に、さっきの河原に、闇の中で今夜そのままいたとしたら。怖い、という感覚じゃないんです。その寂しさにおそらくは耐え切れないだろうと」


 紫涼はちらっとタイムキーパー用の時計を見る。5分まであと30秒を確認して纏めた。


「余りにも素晴らしい異世界の小説だとわたしが見たその山のように戻って来れなくなる。学校の座席や勉強机の上に乗せた内田百閒の本のように、異世界が隣接しているようなあり方の方がわたしの場合は救われるんです」


 紫涼の発言でもって今日は会場が閉じられた。

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