夏空の戦場へ

naka-motoo

伝説のエッセイスト

 夏の手前のまだ梅雨っぽさが明けきらない状態が一番好きかもしれない。

 フェルトのブックカバーで中身を隠した文庫本を読みながら紫涼しすずは思索に耽っていた。


 バスで通わなくてはならないほどの距離ではないけれども彼女の高校は峠の上にあり自転車では却って行きづらくだから紫涼はそれほど混んではいないバスを毎朝利用した。

 いや、朝というよりは早朝という時間帯に。


 学校到着はいつもAM6:55で天候によってはバスがスピードを緩めるために数分前後する。

 まだ施錠された正面玄関の前でコンクリートの柱に寄っかかって立ったまま文庫本を読み続けて、そしてその日最初に来た教諭と挨拶を交わして一緒に校舎に入る。


 紫涼は何度繰り返しても朝のその瞬間が大好きだった。まるで自分が『青春』を冠した漫画や小説に出てくるような、やや古風なタイプのヒロインになり切れる瞬間だと幸福だった。雨でも晴れでも、それを彼女は楽しんだ。


 別に少年との出逢いを求めるわけでもない。ただ自分が高校生であるというこの二度と戻らない瞬間をできるだけ色は濃く、心は淡く、自分自身で記録していきたかった。


「あれ。おはよう。脇坂さんってこんな時間にいつも来てんの?」

「おはよう。柿田さんも早いね」

「へへ。今日はお母さんに車で送ってもらっちゃった」

「そっか」

「ねえ脇坂さん。もうすぐ夏休みだね」

「そうだね」

「どっか行くの?」

「え・・・うん。東京」

「へえー。何しに?」


 どうしてだかわからないけれども紫涼はなんだか話したくなった。


「戦いに」


 舞台は一気に夏空の東京。


 夏休み初日の朝イチの新幹線で上京し、紫涼は闘技場の前で脚を肩幅に広げて立った。


Artistic comic & novel convention.


 文学少女という呼称がややマイノリティと捉えられる中、少し幅を広げた『文芸少女・少年』たちを孤立させないようにと東京に本社を置く出版社が開催費用を持ち合って全国の『独立系』のつまりはぼっち状態になるリスクを抱える彼女・彼らを招待したのだ。


 これはいわゆるコミケやコミティアとは区分を明確に分けたイベントとして拡散された。描き手・書き手たちは一切参加せず、仮に創作をしていたとしてもあくまでも‘読み手’としての参加が前提となる。

 そして’Artistic’ とわざわざ銘打たれたのは漫画や小説をあくまでも『芸術』と捉える読み手たちを一堂に結集して広く文芸というものを近未来・遠未来に渡って隆盛させようという意図からだった。


「ええと。脇坂紫涼さん?」

「はい」

「遠いところをありがとう。アナタは純文学部門に参加ね? ええと、専門は・・・」

「内田百閒です」


 紫涼はエッセイ随筆の大家の名を呼ばわった。

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