姉妹というものは

「お疲れ、紫涼しすず

「お姉ちゃん。ありがとう。忙しいのに見に来てくれて」

「ううん。どうせ有給消化しなくちゃいけなかったし。明日・明後日と土日だから最後まで見届けたげるよ」


 高尾山ではなくどこかお洒落な場所をと紫涼は紫暖しだんにねだった。それこそ姉妹の両親は文学のような名をふたりにつけていた。


「あんまり移動するのも嫌でしょ。映画館なんてどう?」

「映画館?」


 紫暖が紫涼を連れて行ったのはサンシャインから池袋駅近くまで歩いた所にある文芸坐という映画館だった。超大作ではなく、良質な小作品も上映してくれるいわゆる名画座と呼ばれるシアターで小説だけでなく芸術の香りがするエンターテイメント全般を愛する紫涼は胸がくすぐったくなるような感覚を覚えた。紫暖もそれが分かっていて映画に誘った。


「ほんとはオールナイトがおススメだけど、体力もたないからね」

「あ。お姉ちゃん。さては・・・」


 紫涼が察した通り紫暖は大学生の時に何度か文芸坐のオールナイトを観たという。印象に残っているのは松田優作特集だったそうだ。


「長身痩躯で動きがしなやかで。手足が長いから激しいアクションなのにまるで白鳥が舞うように優雅なんだよね」


 既にこの世にいないを紫暖は中二病のように実在の恋人として扱っているような柔らかな表情をした。


 上映は北野武監督作品だった。


 あの夏、いちばん静かな海


 紫涼は素直な美しい10代の涙をこぼれるままにした。紫暖は紫涼の涙が収まるまで座席を立たなかった・・・


 紫暖のマンションにはそう遅くない時間に着けた。高い階のそのベランダから月が見えた。ベランダの窓際に置かれた紫暖が実家にいた頃から使っていた勉強机に缶ビールとジンジャーエールの缶を置いて二人で乾杯した。


「早く一緒にお酒飲もうぜ」

「お姉ちゃん。わたしは大人になっても苦味嫌いは治んないよ」


 二日目のバトルは長丁場だった。

 なのでステージで戦う6人の他にオーディエンス席から飛び入りで自分が愛する作品のプレゼンターを募った。みんな、その機会を見越して十分な準備をしてきていた。


「パワポ使っていいですか?」


 長身で長い黒髪の少女が訊くと会場が、おおー、とどよめいた。お約束とは言え、その熱情を皆が讃えた。


 これはバトルとは関係ない。

 純粋に彼女が愛してやまない作品を彼女の視点でプレゼンするのだ。


「わたしがプレゼンしたい作品は高橋留美子さんの漫画、『めぞん一刻』です」


 何それ? というような反応をするギャラリーも一瞬見られたが彼女がパワポの最初のスライドを示すとその囁きが唸りに変わった。


『文学的な漫画』


「この漫画はもはや古典と言っていいぐらいに大勢の方たちに読み込まれ、評価されたラブコメの金字塔と言われる偉大な作品です。わたし自身は両親が読んだ昔の装丁のままで読みました。わたしが惹かれたのは物語の冒頭から『墓参』のシーンが出てきたことです」


 少女はレーザーポインタを使ってスライドの流れを次々と消化していった。その滑らかさに会場中がうっとりした。


「作者の高橋留美子さんは意図してか無意識かはわかりませんが、わたしはこの作品を小説を読むようにして読みました。少しわかりにくいですかね、こういう感覚」


 首を振ったり頷いたりしてつまりは『分かる分かる』というジェスチャーが大半を占めた。


「よかった、です。文学少女を自認するわたしですがわたしはこの漫画を文庫の小説を持ち歩くようにして読み込みました。ちょうど『純文学サイド』のリーダーさんがしておられるように」


 少女が手のひらで紫涼の席を指し示すと会場が紫涼のテーブルの上に注目した。そこにはいつも通り文字通り肌身離さない文庫本がフェルトのブックカバーに包まれてちょこんと置かれていた。


「わたしはこの漫画をとても古風な純文学作品として愛しています。そしてジャンルの違いはあれ小説がもっともっと大勢のひとたちに読まれるようにわたし自身いい作品のレビューなんかを発信していきたいと思います」


 大きな拍手が起こった。

 それが静まって次のプログラムに移行しようとする空気の中、ひとりのやはり少女が挙手した。

 対照的なショートの髪をしたややツリ目の少女だった。


ですか?」


 会場が、『え』、という反応をした次の瞬間にはショートの少女の言葉の意味を察して空気が凍りついた。


「純文学サイドを応援したい、って仕込みじゃないんですか? もしかしてリーダーさんの知り合いとか?」


『ち、違っ!』と軽く声を立ててプレゼンをしたロングの少女も立ち上がった。プレゼンの時よりも明らかに張った声だった。


「違います! わたしは純粋にあの漫画を皆さんに知っていただきたいと思っただけです。リーダーさんのことも昨日知ったばかりです」

「昨日、ですよね? 時間があったわけだ」

「お話なんかしてません!」

「じゃあなんでリーダーさんの持ってる文庫本のことを」

「昨日からずっと机の上に置いておられて素敵だなあ、って。本当に本を愛してるんだなあって思っただけです」

「異世界サイドだって本を愛してるよ!」


 進行役の編集者エディターが一旦話を句切ろうとしたが無理だった。両者は目に涙まで滲ませて真剣に対峙している。決闘、という言葉が当てはまるほどの感情だった。紫涼も自分のマイクをONにすべきかどうかずっと逡巡していた。


「あの、すみません」


 やや長閑なゆったりした女性の声が最後列からした。

 紫暖だった。


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